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狼と少女の物語  作者: くらいさおら
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第91話

 ティアは、昼近くになって戻ってきた。


 所用で出掛けていたルティが戻り、埃まみれになった顔を洗ってから、濡れた髪を拭きながら居間に入ると、そこでは獣化したティアが満ち足りた表情を浮かべ尻尾を振っていた。

 シャーラ奪回の作戦打ち合わせのため、エンドラーズとバードンに伴われて司令部へ行ったアービィが戻るのは、早くても夕暮れ時になるはずだった。


「ティア、昨夜バードンさんのこと、食べちゃった?」

 興味津々といった表情で、ルティが訊ねた。


「気付いてたの?

 うん、もう満腹よ。

 何年振りだろ、ちゃんと食べたの

 でもね、どっちかっていうと、あたしが食べられちゃったのかなぁ、きゃっ。」

 顔を真っ赤にしつつも、嬉しそうにティアが答えた。

 ティアは、もう愛する人と夜を共にするのはあんただけじゃないのよ、といった雰囲気を纏っている。


「ほぉ、そりゃあ、ようございましたねぇっ!

 まったく、きゃっ、じゃないわよ」

 軽くこめかみに青筋を浮かべ、ルティは応じた。

 昨日までは自分が一方的に惚気まくっていたことなど、すっかり棚に揚げている。


「ほら、ラミアは死ぬ間際にしか卵生まないから、ね」

 だから妊娠の心配もないから、と続けたティアの言葉に、ルティは持っていたタオルを床に叩き付けた。



「でもね、人間を愛しても、その人の子を成せないって、寂しいわね」

 それまでのはしゃぎっぷりが嘘のように、寂しげにティアが言った。


 それだけではない。

 現在はまだ三十を過ぎたばかりのバードンだが、この世界の平均余命であればあと三十年程度だ。六十歳を過ぎた老人は、この世界ではまだ稀だった。平均的な人間より体を鍛え込んでいるバードンであれば、五十代で寿命が尽きることはないにせよ、老齢医療が発達していないこの時代に、突出した高齢を期待することは無理な相談だ。

 それに対してティアは、あと三、四百年は生きるだろう。バードンを、愛する人を見送らなければならないだけでなく、その後どのような生を歩むかが怖かった。 

 百年前、共に暮らした男と別れた後、その男との思い出が褪せないように、二度と誰かを愛さないと心に決めたこともあった。


 しかし、現実にティアは、バードンを愛してしまっている。

 もちろん、百年前の記憶が色褪せたわけではないが、これからはその思い出を封印する日々か続く。バードンが天寿を全うし見送った後、またいつ誰かを愛さないとも限らない。ティアは、バードンの記憶を、封印したくなかった。それもあってか、エンドラーズに背中を押されるまで、自分の感情に嘘をついていたのだった。

 ティアはそのことも、寂しげに口にした。


「命の長さがねぇ、根本的に違うしね。

 結婚とか、そういった意識も違うだろうしねぇ。

 そこはあんまり深く考えなくても、いいと思うよ、ティア。

 見送った後、忘れなければいいんじゃないかぁ」

 ルティは慎重に言葉を選んだ。

 あたしたちのこともね、と、これは声に出さずに付け加える。


「あの人と同じこと言うんだ。

 神の御下に召されても、覚えていてくれたらそれでいいって」

 寂しそうな表情のまま、ティアは答えた。



 前夜、バードンの胸に抱かれ、ティアはその不安を口にした。

 恋人に抱かれながら、前の恋人の話や、当人の死後の話をするなどマナー違反もいいところだが、バードンの気持ちを聞きたかった。しかし、人間とラミアの違いを理解しているバードンは、ティアの不安を包み込むように答えていた。


「ティアが人間との間に子を成せないことなど、俺にとって些細なことだ。

 確かに俺の血筋は、俺で途絶えることになる。

 だが、神に仕えた時点で、俺は家名を捨てた。

 血筋を残すことを、俺はそこまでの価値があるとは思わない。

 いや、誰も彼もということではなく、俺にとって、俺の血筋をということだ。

 俺が神の御下に召された後、ティアの記憶に残っていれば、それでいい」

 種族が違うことへの諦めではなく、偽らざるバードンの本心だった。


「あたしは、あなたを忘れない。

 あたしをラミアとして、人ではなくても存在を認めてくれた、あなたを忘れない。

 だから、神様の御下に召されても、あたしを忘れないで」

 ティアの心は、バードンで占められていた。

 人との縁薄かったこれまでの半生を取り戻すかのようにバードンはティアを求め、ティアはラミアの食欲とは別次元の喜びを百年振りに感じ、その渇望を癒すかのようにバードンを求めた。


 ルティに問われるままに昨夜の行為について、ティアは微に入り細に穿って話していた。

「そういうこと言ってると、今度はティアがレイに不潔よって言われちゃうよ」

 ルティが顔を真っ赤にして言った。

 フォーミットに戻るまで妊娠は避けるべきと話し合った結果、ルティとアービィは最後までことをし切ったわけではなかった。故郷の友達からも聞かされ続けたガールズトークとも最近はご無沙汰になっており、他人の睦言に抱く年相応の興味と、あと一歩を踏み出すわけにはいかないもどかしさから、ティアを質問責めにしていたのだった。


「ルティが聞くからでしょうよっ!

 あたしったら、なにを喋ってたんだか。

 恥ずかしいったら、ありゃしないわ」

 ティア自身、調子に乗っていたことは否めない。

 これまで惚気まくっていた二人に対する、ささやかな対抗意識があったのかも知れなかった。



「バードンさん、気を付けてくださいね。

 あの二人、油断してると夜にあったことを、全部他の人に喋りますから」

 アービィが、レイから不潔と言われたことを思い出して、バードンに言った。


「それがどうした。

 何か困ることでもあるのか?」

 涼しい顔をしてバードンが答えた。


 修行時代には女を買うこともあり、孤児院を出た後住んでいた聖騎士団の宿舎では、誰かしらが女を買ったときの話を微に入り細に穿って話していたものだった。

 プライバシーの中でも、性生活や性の嗜好が最も他人に知られたくないという、現代日本の意識が深層心理として残るアービィには考えられないとこだ。だが、それを言っても仕方がなさそうなので、僕たちの夜のことも筒抜けなんだろうな、という諦めと共に話題を換えた。


「ところで、今夜は何にしましょうか。

 まだ市場には物が残っているでしょうから、買出ししてから帰りませんか?」

 アービィはバードンとエンドラーズに聞いた。


「どこか、酒場に繰り出すなど、まだまだ先のことのようでございますな。

 レイ殿から聞かされた、アービィ殿の腕に期待しましよう。

 先に言っておきますが、精霊神殿に食の禁忌などございません。

 食卓に出されたものであれば、命をいただくことでもありますので、ありがたく全ていただきましょう。

 私にご遠慮などございませんよう」

 エンドラーズは楽しそうに言った。

 まだ北の大地に、酒場文化は浸透していなかった。


 人間の歴史と共に始まった酒の歴史は、当然北の大地にも根付いているが、小規模な集落での半ば共同生活は、外食という文化を発達させることはなかった。

 家族以外との食事は、誰かの家か集落の中心となる社などに集まり、総出で準備から何からする一種の祭りのようなものだった。誰かと酒を飲もうと思えば、物々交換で手に入れた酒や、自家製の酒を持って相手の家を訪ねればよかった。質より量が優先される北の大地の食文化で、料理を職業としようという発想は生まれなかった。


「ストラーの方は、無意識に美食に慣れておいでなのでは?

 貴国の食文化は奥が深い。

 人狼狩りで初めて貴国に行ったとき、それはそれば驚かされたものでございます」

 昨日の蟠りなど、欠片も感じさせない口調でバードンが言う。


「確かに。

 ストラーの食文化は奥が深い。

 普通では考えも付かないような食材であったり、調理方法であったりですな。

 ですが、それが全てとは思えません。

 どこへ行っても美味い物は旨い。

 自国至上主義は、他との諍いしか起こしません。

 誇りも持てぬ祖国など糞喰らえでございますが、過剰な誇りと自意識過剰は他者を貶める結果しか招きませんぞ。

 全てをあるがままに受け入れれば良いのです」

 素直に認めつつも、自慢にならないようにエンドラーズは答える。



 五人で囲む食卓には、アービィが北の大地で手に入る物で作った料理が並んでいた。

 未だ醤油も味噌も作られていないことから、どうしても中華っぽいものやイタリアンに近いものが多くなる。日本にいた頃、白米と乳製品の食べ合わせが苦手だったアービィは、生クリームを多用するフレンチに近いストラー料理のレパートリーが少なかった。ならばエンドラーズが食べ慣れたものの劣化コピー作るより、作り慣れたものの方が喜んでもらえるのではないかと、いつも作っている家庭料理がこの日の食卓に並べられていた。

 宮廷で見られるような豪華絢爛なコース料理には程遠いが、ささやかながらも心のこもったエンドラーズ歓迎の宴が始められていた。



 席上、バードンは、斥候からもたらされた情報を元に、司令部が解析したシャーラ以南の敵情を、ルティとティアに説明した。

 北大陸の東西の幅が最も広くなるシャーラ周辺は、いくつかの大河が東西に蛇行しながら走っており、水運による物資の輸送が容易であるとともに、集積地や所謂物流センターとして活用できる重要地点になっている。だが、北の大地の中央を貫通する、ウジェチ・スグタ地峡から最北の地までを結ぶ街道の半分までは南北連合が押さえているとはいえ、東西に広がる広大な大地は相も変わらず最北の蛮族が押さえている。

 シャーラを物流の拠点として活用するには、最低でも河川流域は押さえる必要があった。


 最北の蛮族の不死者を中心にした軍編成は、日光を遮ることができる拠点から往復一日以内の行動範囲しかない。しかし、ターバを落とした戦訓は、最北の蛮族内で周知されていた。

 敢えて不死者たちを日光に曝し、灰としたうえで生者が運搬する。然るべき地点で夜を待ち、月光で再生させてから南北連合の拠点を包囲し、夜陰に乗じて生者が結界に穴を開けてから不死者を突入させていた。この戦法でいくつかの拠点に大きな損害を受けていたが、全てを放棄するまでには至らずにいる。最初に襲撃を受けた拠点こそ、不意を衝かれ全滅に等しい被害を受け一時後退していた。だが、迅速な後方予備戦力の展開が功を奏し、奪回に成功している。他に急襲を受けた拠点も、不死者の突入までは許したが、辛うじて結界を聖水で塞ぐことで不死者を滅し、生者の多くを捕虜にしていた。


 捕虜への尋問は、後々怨みを残すようなことがあってはならないと、拷問などは禁止されていたため、遅々として進んでいない。

 東西の敵情は依然不明のままであり、現在敵襲が止んでいるのが戦力の枯渇なのか、戦力を再編中なのか判然としない。このため司令部にいるティアの正体を知る者から、非公式に尋問の補助を依頼されていたが、今のところ回答は保留していた。ティアと捕虜しかいない状況でラミアの妖術を行使して尋問を行っても、供述の信憑性の裏付けが取れない。

 どうしてもティアの正体を公表するか、参謀級の者に固く口止めしたうえで同席させる必要があったからだ。


 そこへきて風の最高神祇官が、二頭の魔獣を全精霊神殿の名において祝福するという。

 リアリストが揃った司令部ではパーカホでのような混乱は見られなかったが、各部署がそれぞれの抱える最も困難で危険な任務にアービィたちを使いたがり、部署ごとの鞘当てが激化するという混乱が見られていた。これは決して、魔獣だから使い捨てにしてしまえということではなく、少しでも成功率を上げるための合理的な判断からだ。

 司令部にはアービィたちと顔見知りの者や、親しく言葉を交わす者も多い。

 アービィとティアの正体は軽い衝撃とともに、概ね好意的に受け入れられていた。


 ラミアの妖術については、民の生活を守るために存在する軍人にとって周知の事実であり、後遺症を残しかねない拷問や自白剤による尋問より遙かに有用であると気付いた者も多かった。

 それ故ティアに尋問への協力依頼が舞い込んできていたのだが、正体を軍上層部に限定して公表した今、断る理由もなくなっていた。


 シャーラに進出する部隊に随行する神官たちがターバに到着する前に、ある程度の敵情を掴んでおきたい。作戦参謀から正式に協力依頼が出たのは、当然の流れだった。

 戦の道具として自分を認識されることは、あまり歓迎すべきことではないとティアは思っているが、和平に繋がるのであればと引き受けることにした。もちろん、アービィも狼の力は戦のためではなく、ルティを守るためのものと認識しており、必要以上の侵攻作戦には消極的だ。

 アービィとしては、最北の民との戦いは殲滅戦争ではなく、武力を以て侵攻しても無意味であることを悟らせるための戦いと認識していた。


 これは司令部のみならず、パーカホにいるルムやランケオラータ、ウジェチ・スグタ要塞に詰めている南大陸連合の共通認識でもある。

 基本戦略は、あくまで和平。中央までを武力で解放することはあっても、最北の地を侵すことは決してない。作戦上の必要から最北の地へ武装した部隊を送り込むことはあるかも知れないが、占領を目的とした作戦を立てることも、決してない。

 和平の成立後、中央と最北の地の境界線は、当事者同士で解決する方針だ。


 そして、当面移住は歓迎しないが、交易による越境を阻害する気はない。

 交易であるならば、それぞれの地をそれぞれの民が行き来することは、却って歓迎すべきと認識されていた。


 戦争責任など、両者の長い対立の歴史に鑑みれば、どちらかが負うなど考えることすら莫迦莫迦しい。当にお互い様であり、そこには正義も悪も存在しなかった。

 南大陸と北の大地の関係も同様で、こちらは既に良好な関係を築き始めている。もちろん、互いに蟠りを抱えながらではあるが、食うことより優先されることなど、この世には存在しなかった。

 もっとも、衣食住の保証は当たり前で、食べる物に苦労するなど想像すらしない階層も存在する。その中には、征服欲や覇権欲を心の中で暗く燃え上がらせている者もいた。


 

 グレシオフィは、満足げな表情でアルギール城地下迷宮に戻ってきた。

 ビースマック山中で思いの外多くの獲物を狩ることができ、インダミトまで足を伸ばす必要がなくなったのだった。特に、寒さに弱いと思われていたスライムの変種が大量に採れ、対人狼に有効と思われていた。急所が核しかなく、切り裂けばその数だけ分裂する特性を仕込んだキマイラであれば、人狼最大の武器である牙は通用しない。もちろん、他の合成魔獣にも仕込んでおけば、その対人狼の効果は計り知れない。唯一の弱点は、耐寒性を得た代わりに普通種以上に火に弱いことだが、これは耐熱性を持つ魔獣と掛け合わせれば帳消しになると見込まれていた。


 グレシオフィは合い鍵で広間を通り、最北の地へ帰還するための魔法陣を素通りした。

 そのままニムファの起居する女王居室へと歩を進め、ニムファが浴室から出てくるのを待つ。

 侍女たちが不意の侵入者に声にならない叫びを上げるが、浴室の内側からニムファの声が響いた。


「怖がる必要はありません。

 その方は、私が崇拝する方です。

 お使い様、御首尾は如何でございましょう?

 いますぐ、そちらへ参ります」

 待ち焦がれたといった勢いで、身体から湯を滴らせたまま全裸のニムファが浴室から飛び出す。

 慌てた侍女が急いでバスローブをかぶせるが、ニムファは羽織るのももどかしく、グレシオフィの前に平伏した。


「女王よ、なかなかに満足のいくものであった。

 これであれば魔王を打ち倒すことも、造作もない。

 魔王を討ち果たした暁には、そなたの名前は世界を救った女王として語り継がれるであろう。

 そなたには、儂と同じく不死の身体を与えようぞ。

 栄光と共に、永遠なれ」

 そう言ってグレシオフィはニムファに立つように命じた。


 ニムファが立ち上がると、羽織っただけのバスローブが足下に落ち、ニムファの全てが再び露わになる。

 不死者と化したグレシオフィに既に性欲はないが、それでも息を呑むほどに美しい裸体だった。


「いよいよ、老いることのない身体を手に入れられるのですね」

 恍惚の表情でニムファが一歩前に出る。

 そこには威厳に満ちていたはずの女王の姿はなく、ただ、欲望に忠実な、内面の醜さが滲み出した女の姿があるだけだった。


「よいな、これでそなたは陽の光に背を向けることになる。

 後悔はないであろうな?」

 グレシオフィは重々しく訊ねる。

 だが、返ってきたのは逡巡の欠片もない、老いから逃れたいという欲望と、栄光の中で永遠に讃えられたいという欲望に支配された、思慮分別を失った肯定の叫びだった。 

 醜い、と口には出さずグレシオフィは呟いて、ニムファの首筋に長く伸びた二本の犬歯を突き立てた。


 侍女たちが、なにが起きているか理解できずに立ち尽くす間に、グレシオフィはニムファの血、正真正銘の処女の血を心ゆくまで吸い尽くした。

 みるみるうちにニムファの身体が干からび、乾いた音を立ててグレシオフィの足下に倒れる。侍女たちが一大事とばかりに、ある者はニムファに駆け寄り、ある者は助けを呼ぶため大扉に走るが、グレシオフィの『地縛』の呪文が侍女たちの動きを止めた。

 恐怖を顔に張り付けたまま動くことも適わぬ侍女たちに、グレシオフィはゆっくりと近付き、一人ずつ首筋に犬歯を突き立てその血を吸い始めた。最後の一人が絶望の感情を発散させつつ干からび、藁束を倒すような音と共にグレシオフィの足下に崩れ落ちた。



 女王の居室に動くものはグレシオフィしかなく、燭台の蝋燭は床に倒れ臥したニムファと侍女の干からびた死体の影を照らし出している。

 そろそろか、と呟いたグレシオフィがカーテンを開け放つと、満月の灯りが居室内に差し込んだ。数刻が過ぎ、差し込む角度を換えた月明かりがニムファたちの死体を照らし出す。

 干からびていた死体から影が消えると同時に瑞々しさが戻り始め、やがて元の姿より若返ったようにも見えるニムファが立ち上がる。続いて侍女たちも何事もなかったかのように立ち上がり、そして全員がグレシオフィの前に平伏した。 


「お使い様、何なりとご命令を。

 この永遠の身体、お使い様の物でございます。

 存分にお使いくださいませ」

 意志の力を感じさせない目で、ニムファが言った。 


「別命あるまで何もしなくてよい。

 陽光にのみ注意し、普段と変わらぬ生活を装うのだ。

 勝手にことを起こすでない。

 一つだけ命じておく。

 何人たりとも、この部屋に入れぬようにな。

 もし、押し入る者があれば、誰であっても殺せ。

 だが、血は吸うな。

 今はまだ、不死の者を増やしてはならぬ。

 それについても別命あるまで待て」 

 それだけ言うと、平伏しているニムファたちには目もくれず、グレシオフィは地下迷宮へと降りて行った。



 今のところ、すぐに南大陸に戻る予定はないが、地下迷宮の魔法陣は守っておく必要があった。

 いずれ北の大地を征服した後、魔法陣を通して不死者の先遣隊を送り込むためだ。

 地下迷宮の通路は大軍の行進を阻むために、人間が二人も並べば身動きが取れないほどの狭い部分が各所に作られていた。当初グレシオフィは、合成魔獣の群れを送り込むつもりでいたが、実地で検分して無理だと判断していた。地下迷宮を通せるほどの合成魔獣では、体が小さすぎて物理的な攻撃力を充分に持たせられないからだ。


 最北の地へ帰るに当たり、魔法陣の発動はどうしても感知される。

 今これを壊されては、不死者の先遣隊を送り込む最も効果的な拠点を失うことになる。 

 当然ビースマックの山中にも発動させずにいた魔法陣が多数ある。だが、人里離れた上に地理が分からない場所に不死者を送り込んでも、火の光を避ける拠点までは作る時間がなかったため、朝が来た瞬間に灰と化すだけだ。こちらは合成魔獣を送り込むために使えばよいが、や人里から離れすぎているということは、南大陸の住人に被害を与えるには不確実要素が多すぎる。使役者を同時に送れないとなると、魔獣がどこに向かうか予想も付かない。

 下手をすればそのまま野生化して、攻撃兵器として役に立たない可能性もあるからだった。


 グレシオフィはニムファを地下迷宮の守備に使うため、不死者へと転生させていた。

 生身の人間では、地下迷宮への道を守り切るには不安が残る。武装した兵に突入されでもしたら、如何に女王といえど、押し留めることは不可能だ。相手が祝福方儀式済みの武器を持っていたら厄介だが、不死者と判らなければ女王に剣を突き立てられる者などいないとグレシオフィは見ていた。

 魔法陣が発動し、中心に立ったグレシオフィの姿が掻き消えた数刻後、女王居室の大扉が激しく叩かれた。 



「陛下、陛下っ!

 扉をお開けくださいっ!

 国家の存亡に関る一大事にございますっ!

 無礼は承知のうえっ!

 事が済みますれば、お手討ちにされても構いませんっ!

 どうか、どうかっ、ここをお開けくださいっ!」

 エウステラリットの声が、女王居室前に響いていた。


 彼の背後には、所用で女王居室を離れていた次女が二人、摂政の女王居室乱入という不祥事を未然に食い止めるため、必死の形相で縋り付いている。

 神官が地下迷宮で魔法陣の発動を感知し、女王居室からの調査を強固に願い出た。これまでのらりくらりと神官の調査願いをかわしていたが、二度目とあってはこれ以上誤魔化し続けるわけにも行かなかった。エウステラリットがグレシオフィに荷担するなどということはあり得ないが、身内の恥を満天下にさらすなど、耐えられるはずもなかった。仕方なしに自ら姉の部屋を調査し、神官に対処方法を考案してもらうことにしたのだった。

 そして、この甘さが彼の破滅を招いた。


 二人の侍女を振りほどき、内側から開けられた大扉の中にエウステラリットが転がり込む。

 見た目にはほとんど生者と変わりない全裸のニムファが、四人の侍女を従えエウステラリットを待ち構えていた。薄く笑いを頬に貼り付け、感情を一切感じさせない眼差しがエウステラリットを捕らえる。普段は形だけでも恭順の姿勢を採る侍女たちが、傲慢な態度で彼を迎えた。


「陛下、地下迷宮より邪悪な気配を感じました。

 神官殿からの報告では、最北の地に巣食う不死者のものと見られております。

 陛下にもしものことがあっては国の一大事。

 地下迷宮に調査をご承諾くださいっ!」

 本来であれば姉の胸座を掴んで迫りたいところだが、かろうじて女王と摂政という立場の違いが彼に臣下の礼を取らせていた。


 エウステラリットはニムファがなにかやらかしたと認識もあり、神官から不死者についての情報も得ていた。

 本来であれば護衛を一人でも伴い、大剣でなくとも祝福方儀式済みの短刀くらいは帯剣して行くのが、常識的な判断だろう。何かあれば国政が滞り、場合によっては国が傾きかねないのだ。

 だが、王族の恥というつまらないメンツのために、エウステラリットは単独で、かつまさか姉が不死者への転生を果たしているとは夢にも思わず、丸腰でニムファの前に立ってしまった。


「何を慌てているのです、摂政?

 見ての通り、私は今から入浴しようというところ。

 如何に姉弟といえど、女性の部屋に乱入するなど、王族でなくとも男性としてあるまじき振る舞い。

 ましてや、女王に対し不敬ではありませんか。

 邪悪な気配など、欠片も感じません。

 早々に立ち去りなさい」

 怒りとは無縁の表情で、声の抑揚すら感じさせずニムファが言う。


「そうは参りません。

 陛下にもしものこ……!?」

 エウステラリットの言葉が途切れた。


 エウステラリットは尚も言い募ろうとするが、ニムファと付き従う侍女たちの足下から、言いようのない違和感が伝わっていた。

 視界の隅を掠める燭台の灯りを見た瞬間、エウステラリットはその意味に気付いてしまった。



 影がない。



 意味することは、たった一つ。

 ニムファは、姉は、ラシアス女王は、不死者ということだ。



「貴様、国を、民をどうするつも――」

 エウステラリットの言葉は、そこで強制的に途切れさせられた。

 ニムファの爪が横に一閃され、エウステラリットの喉笛を、首の半分ほどまで切り裂いていた。


 水の黒呪文レベル1『水流』を髣髴とさせる勢いで噴き出す血液が、壁に叩き付けられる音をエウステラリットは聞いた。そして、僅かに遅れて痛みが襲ってきた瞬間、エウステラリットの意識は暗転した。

 水溜まりに柔らかい物を叩き付けるような音が響き、ニムファは全身に浴びた返り血を指で拭い舐め取った。


「不味い血……

 この穢らわしい物を、取り片付けなさい。

 この者は、あろうことか女王を手篭めにし、国政を壟断せんと企んだのです。

 よって手討ちにしました。

 あなた方は、必死に止めようとしてくれましたね?

 あなた方も証人です。

 努々、偽証などしませんように。

 私は、ここで政務を司ります。

 外との連絡は、あなた方二人にその役を申し付けます。

 コリンボーサを呼びなさい」

 エウステラリットを止めようとした生者の侍女二人は、ニムファの言葉に魅入られつつある。

 アルギール城は、不死者の城となりつつあった。



 ラシアス王城アルギールが、不死者に乗っ取られようとしていた頃。

 現代のように電信等の通信技術が発達していないこの世界で、アービィたちがその事実をリアルタイムで知る術はなかった。


 エンドラーズがターバに到着した日から遅れること四日目の夕暮れ時、北の大地にも夏が訪れた頃に風の神官たちが到着した。

 風の神官たち四人は、司令部で挨拶した足でまっすぐにアービィたちの家を目指した。エンドラーズが宿舎に帰ることなく、そこに入り浸っていると参謀の一人に聞いたからだった。

 火の神殿へ行く途中でエンドラーズに叩きのめされ、運び込まれた神殿で二日間寝込む羽目になっていた。それがようやく動けるようになり、判る範囲は『移転』を使い、跳ぶ先のイメージに不安が残る行程は己が足を使い、エンドラーズに一矢を報いるため北の大地まで追い縋ってきた。北の大地に入ってからはエンドラーズを奇襲するため、ターバに滞在する神官との精霊を介しての交感を封印し、日に夜を継ぎ、ようやく追いついたのだった。


「アービィ殿、ご無沙汰しております。

 あっ、どうかお静かに。

 ウチの老い耄れは、どこでのたくっておいででしょうか?」

 物影から突然声を掛けられ、挨拶を返そうとしたアービィを押し留め、風の神官の一人がエンドラーズの居場所を訊ねた。


「え?

 あぁ、それなら家の中で……」

 状況を悟ったアービィが家を指差すと、風の神官たちは一礼した後、音もなく家の中に滑り込んだ。


 数瞬の後、ルティとティアの悲鳴、バードンの怒声に混じって盛大な破壊音が響き、アービィの側に神官の一人が放り出されてきた。

 そして瞬きをいくつかした後に、さらに一人が叩き出される。そして、裏口から二人の神官の襟を両手で掴んで引きずりながら、エンドラーズが姿を現した。


「アービィ殿、お取り込み中大変失礼いたしました。

 未熟者めらに鉄槌を下します故、どうか家の中にお入りいただきたい!」

 心底楽しそうにエンドラーズが叫んだ。


「まったく、何をなさっていらっしゃるのですか。

 家に入れって言ったって、この格好でどうしろと仰いますか」

 水浴びを途中で切り上げたアービィは、嵐のような五人を尻目に身支度を始めた。


「大変、申し訳ございませんっ!」

 欠片も申し訳なさを感じさせない、エンドラーズの声が返ってくる。


「いいですけど。

 ところで神官様方、いつからそちらにお潜みに?

 僕の前にルティが水浴びしてたんですけど。

 何なら、エンドラーズ様のお手を煩わせる前に、僕が殺して差し上げましょうか?」

 アービィがにこやかに、頬を引き攣らせつつ拳を握りしめた。


「なんと不埒な!

 もしそうであれば許し難し!

 私を呼ばぬとはっ!」

 エンドラーズの言葉が終わるや否や、アービィが無言で服を脱ぎ捨て、瞬時に獣化する。

 全員が息を呑んだ瞬間、巨狼の牙がエンドラーズの頭を捕らえた。


 ――ご冗談はその辺りで。噛み砕きますっ!

 もちろん、牙が打ち込まれるはずもないのだが、あまりの殺気にエンドラーズのみならず、その場にいた神官たち全てが戦慄した。



「あんたは、何を、やってん、のっ!」

 エンドラーズを追う様に薪を片手に出てきたルティが、火こそ消えているとはいえ、赤熱した先端で巨狼の脳天といわず、体躯といわず乱打する。


 ――痛ぁっ! いやぁっ! 熱い熱い熱い熱い熱いっ! やめてぇっ! 毛皮焼いちゃだめぇっ!

 悲鳴を上げて逃げ惑う巨狼を、エンドラーズと神官たちは、放心したように眺めていた。


 その後、アービィたちの家の裏庭では、正座させられた五人の男の横に巨狼が並んでお座りさせられ、ルティの説教は深夜まで続いた。



 翌朝、シャーラ奪回作戦の最終打ち合わせの席には、多くの出席者に混じって寝不足で目を赤く染めた男たちが六人並んでいる。


 作戦は単純明快。

 アービィたちがシャーラに突入し、不死者たちを焼き払う。

 同時に神官たちはシャーラを結界で囲み、討ち漏らした不死者を灰化するとともに、新たな不死者の侵入を防ぐ。

 アービィたちが不死者の集落を奪回した作戦と、ターバ解放作戦を組み合わせたものだった。


 その二つの作戦との相違点は、シャーラを囲む結界がシャーラから離れていない点にある。

 ターバと異なり、シャーラは集落の集合体であり、居住区と農地が混在していた。ターバは、巨大な居住区を中心に農地が広がり、その外側に衛生集落が点在する。それに対してシャーラはそこそこの居住区が任意の距離に点在し、その周辺を農地が囲む。中心地たる居住区はあるが、ターバのような巨大なものではない。独立した集落というには距離が近過ぎ、同じ集落というには微妙に離れていた。

 百戸程度の集落が共同防衛のために三十程集まり、全てを取り囲むように防壁が築かれていた。


 それぞれの集落を虱潰しにするにも、全ての集落を一気に収める結界を敷設するにも時間が掛かりすぎる。纏まって行動することで守備力が向上する利点より、時間の無駄という欠点の方が大きかった。

 また、連携を取るにもシャーラは広すぎ、それぞれが自由に動くことによる機動性を重視した方が利点は大きいと判断されていた。


 つまり、最初から連携や相互支援など、ないものとして考えれば良かった。

 相手方の進行状況を無視して、それぞれの分担をこなすことだけを考えれば良い。

 ともすれば緻密に組み上げられた作戦を立てる参謀こそ優秀であると、もてはやす風潮があった。しかし、緻密な作戦というものは、僅かな齟齬が全体を一瞬で崩壊させる危険性を孕んでいるものだ。

 それぞれが充分な実力を持っているならば、細々した取り決めなど足枷でしかない。


 輸送部隊は、シャーラの手前にあるジャーウの集落に戦略物資をピストン輸送し、これを拠点化する。

 シャーラ確保後、当面の食料が生産できるようになるまで、守備隊が食い繋ぐためのものだ。シャーラ確保が夏の始めにできたとしても、農地を生産可能なまでに再生するには時間がかかる。ジャーウ以南は、ある程度農地の再生ができていた。このため、全ての物資を片道十日の輸送に頼る必要はないが、保存が利く主食はできる限り備蓄に余裕のある後方から輸送したいところだった。


 アービィたちには、もう一つ重要な任務がある。できる限り派手に行動し、敵の戦力をシャーラに引き付けるという、囮としての役割だ。

 シャーラ奪回に併せて、東西に走る河川流域の敵拠点の掃討作戦が計画されていた。


 この作戦の目的は、効率の悪い陸路輸送に頼ることなく、戦略物資の移動を容易にすることだ。

 敵戦力がシャーラに集中すれば、河川流域の確保が容易になる。河川流域に敵戦力が集中するならば、そとらからはいったん後退してシャーラ確保を優先して、その後に一拠点ずつ潰していけばよい。

 同時達成が理想だが、無理押しして各個撃破されては元も子もない。敵戦力が分散されるのであれば、逆に各個撃破のチャンスでもあるが、こちらも戦力を分散する以上無理押しは禁物だ。


 シャーラが結界により聖域化されたなら、不死者はシャーラに対する脅威ではなくなる。仮に雲霞の如く押し寄せたところで、不死者だけであれば戦力となり得ない。そこへ合成魔獣を投入しようと、知性と意志を持った生者が同行していなければ、結界の破壊は偶然に頼るしかない。最北の民に生者がどれほど残されているかは不明だが、アービィたちを押し切れるような大軍勢を集められるほどではないはずだ。


 河川流域に点在する敵拠点も、内部事情はたいして変わらないと推測される。

 日中の警備に就く少数の生者と、主戦力たる不死者、そして合成魔獣の混成軍だろう。日中に攻勢を仕掛ければ、さほどの被害を出さずに拠点を潰すことは可能なはずだが、合成魔獣を出されるとそれなりの損害を覚悟しなければならない。

 そのためにも、アービィたちは派手に行動し、できる限り敵戦力をシャーラに吸い上げなければならなかった。


「委細、承知仕りました。

 見事、シャーラを解放してご覧に入れましょう」

「じゃあ、僕たちは、できるだけ目立つように動けばいいんですね?

 奇襲ではなく、強襲、ということで。

 当然、道中も、ですね?」

 作戦会議は、エンドラーズとアービィの発言を以て終了となった。


 プラボックは、故郷の解放作戦で先頭に立って突撃できないことが、不満で仕方がない。

 確かに指揮官先頭は兵の志気を上げるためには有効だが、総指揮官がやって良い行いではない。南大陸各国の軍の教典では、会戦の際に指揮官が取るべき行動として、先陣を切って突撃することとされている。だが、南大陸より狭いとはいえ、北大陸全土で戦が展開されている現状で、総指揮官が一局面で視野狭窄に陥っていては全体を見誤る。

 その一戦に両軍が全戦力を注ぎ込み、一回で勝負が決し戦が終わるというなら、それも構わないだろう。


 しかし、シャーラ奪回は戦局を大きく左右する要素ではあるが、最終決戦ではない。今後の戦局を有利にするためには、何が何でもシャーラを取らねばならないが、それでようやく戦の流れがこちらに傾き始めるといったところだった。序盤から中盤といった辺りで、総指揮官が率先して戦死などという事態になったら、どのような混乱が起きるか判らない。

 この作戦会議のほとんどの時間は、プラボックにターバに留まるよう説得するために費やされていた。



「では、出立は三日後でよろしいですかな?」

 ようやく会議から解放されるという喜びを全身から発散させ、エンドラーズが席を立つ。


「はい。

 ティア殿にお手伝いいただくのは、明日いっぱいもあれば充分と考えます。

 明後日はご準備にお使いいただき、三日後の払暁を期して、状況を開始するものであります」

 席を立った作戦参謀が答え、それが会議の終了の合図になった。



「ティアは?」

 家に戻ったアービィが、一人で手持ち無沙汰にしていたルティに訊ねた。

 ルティは、憮然としたような表情だが、少しうれしそうな動作でバードンの家がある方向を背中越しに親指で指した。


「あ、そう。

 久し振りだねぇ、二人っきりなんて」

 アービィはそう言って、テーブルを挟んでルティの前に腰を下ろした。

 ティアがバードンを家で待っているのであれば、明日予定されている新たな捕虜の尋問については、バードンから説明があるはずだ。


「何でそっちに座るの?

 いつもみたいに、ここでもいいじゃない」

 少しだけ口を尖らせ、ルティが自分の横を指した。


「ずっと並んで座る感じだったもんね。

 ティアとメディが前にいて。

 今はメディの代わりにバードンさんがいるんだよね。

 でもさ、たまには、正面からルティの、顔見ていたいよ」

 つっかえながらも、アービィが言った。

 アービィの顔が朱に染まっている。


「自分で言って照れてるんじゃ、世話はないわね。

 そうね、どれくらい振りだろ?

 エクゼスの森以来かな?」

 そう言うルティの顔も、真っ赤に染まっている。


「やっぱりこっち来なさいよ。

 なんか落ち着かないし、それに……」

 ルティが言った。

 確かに、触れ合うにはテーブルが邪魔だった。


「うん」

 アービィは頷いて、いつもの位置に腰を下ろす。


 ルティが寄りかかりながら、アービィを見上げた。

 ベッドの中でなら自然に交わせるキスが、今のアービィにはとても気恥ずかしいものに感じられた。

 ルティも同じように感じたのか、いつもより顔が赤いまま目を閉じる。


「お邪魔いたしますぞっ!」

 遠慮というものを全く感じさせない勢いで、エンドラーズが酒瓶片手に乱入してきた。


「お、これはこれは。

 どうぞ、ご遠慮などなさらぬように」

 いましもキスを交わそうとしていたアービィとルティが咄嗟に離れるが、そんなことお構いなしにエンドラーズは二人の前に腰を下ろす。


「じゃ、お言葉に甘えて、遠慮なく」

 照れ隠しにアービィが言う。


 ルティの拳が、アービィの顔面にめり込んだ。



「ところで、ティア殿とバードン殿は?」

 ようやく座が落ち着いたところで、エンドラーズが訊ねた。

 四人はいつでも行動を共にしていると、誰もが認識するほどだった。実際にはアービィとルティですら別行動の日が多いのだが、何かの用件があるときは、だいたい四人に共通の用件があるため、そういった認識になっていた。


「さようでございますか。

 では、あちらに参ってみましょう。

 いや、実は明日の尋問に、是非立ち合わせていただきたいのでございます。

 ラミアの妖術は存じてはおりますが、これから使うということが判ったうえで、詠唱から拝見するなどまたとない機会。

 我らが行使できるようなものとは思いませんが、その一部始終を是非とも拝見させていただきたいと」

 最高神祇官といえど、真理探究に対する興味は失っていない。

 いや、そこらの神官などより、余程情熱を燃やしているといっていい。


 神官たちは、普段から所定の公務以外の時間を、真理探究のために使うことができる。

 しかし、最高神祇官には人付き合いを含め、雑多な公務が神官たちより遙かに多い。王族との面会など、両者の権威を世間に知らしめるためだけの、形式的な儀式にまで時間を割かれていた。

 その反動もあるのだろうが、エンドラーズの知識欲は他の追随を許さないほどだった。


「行くのは構いませんけど、扉を開けるのはノックしてからにしてあげてくださいね。

 反応がなければ、諦める、と。

 エンドラーズ様であれば、明日いきなり行っても大丈夫だと思いますし」

 ルティの言葉を背に、エンドラーズはバードンの家へと向かった。


 数刻も経たぬうちにアービィの家では、三人での酒盛りが始まっていた。


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