脇道小話 みずうみのぬしさまのはなし
湖面に落ち葉が舞い降りる。
赤や黄色が青い空から降ってくる。
それはそれは美しく、わらわは湖の水底でたゆといながらそれを眺めておったのじゃ。
ああ、もうすぐ冬が来るのじゃな。
氷が厚く張るころには子供たちがスケートへやってくるのが楽しみじゃ。
夏の暑い日には、みんなが湖で泳ぎ回る。
冬の寒い日には、スケートをする。
でも、春と秋の水の冷たいこの時期は、せいぜい舟に乗って釣りを楽しむものくらいじゃ。
少し人と距離ができるのが、まぁ、すこしさみしいかの。
湖畔の子供たちの声が響く。
風が水面を撫でて波を起こす。
ポチャリ、小さな音がして小さなブーメランが落ちて来た。
湖の中ほどに、沈むことなく揺らめいている。
何故だかその周りだけとても温かく感じるから不思議じゃった。
きっと特別なものじゃろう。
どれ、返してやろうかの。
わらわはユラユラと立ち上がった。
風が起こしたさざ波を、少し大きくしてやろう。
時間はかかるかもしれないが、岸に流れ着くはずじゃ。
と、その時じゃ。
ピシリとわらわの頭上が嫌な音を立てた。
わらわの大切な水面が、冷え冷えとして固くなる。
美しい錦の揺らめきが動きを止める。
いやじゃ、いやじゃ、わらわが波を起こしているのになぜ止める?
水面を真っ直ぐブーメランに向かって走る氷。
ああ、なんて無粋なことを。
ああなんで、わらわに断りもなく。
待っておればよいものを。
どうして、どうして、いやじゃ、いやじゃ。
わらわの指先まで凍えてくる。
パキリと氷を折って、ブーメランをはぎ取る子供の影。
ああ、ああ、ああ。
それはわらわが、わらわが返すものなのじゃ!
わらわはそれを取り返そうとした。
青い髪の娘。おお良く知っておる。この夏もこの湖におったもの。
でも駄目じゃ。
それはわらわのものなのじゃ。
目に飛び込んできた真っ赤な炎に驚いた。
熱くて、眩しくて堪らない。
この熱は、この光は、わらわは太陽からしかもらえないのじゃ。
わらわの力で憎々しい氷の桟橋が折れた。
二人の童は冷たい湖に落ちた。
わらわはブーメランに手を伸ばす。
ブワリと体中に広がる温もりに驚いた。
わらわは戸惑ったのじゃ。
二人を包む水だけが、蜃気楼のように揺らめいている。
その揺らめきに触れた指先は、温もりに絆された。
温かくなった水。
ブーメランの周りと同じように、温かくて心地良かった。
太陽と同じ。
毎日焦がれてみていても、絶対におりては来てくれないのじゃ。
ただただ、光をくれるだけ。
大切なものなのじゃな。
そんな温もりで包むほど。
あの赤い子にとって、青い娘は大切なものなのじゃな。
だったら仕方があるまいよ。
返してやろう。
返してやろう。
わらわを温めてくれた、赤い髪の子に免じてじゃ。
奪ってしまったらもう二度と触れられないのであろ?
人の子は冷たくなってしまうであろ?
温いお主が気に入ったのじゃ。
だったら仕方あるまいよ。
もう一度、おぬしに会うためならば。
だからいつの日かもう一度、わらわの元へ来ておくれ。
一度でいいから来ておくれ。
わらわは波を起こして二人の童の背を押した。
☆ ☆ ☆
水面が揺れる。
小さな足が湖に入ってくる。
まだ春の水は冷たいが、そこだけほんわかと温まってくる。
ああ、あの子じゃな。
浅瀬の泥をすくうから、水が汚れてしまうじゃろ。
あまり無体はしてくれるな。
まだ魚は寝ておるのじゃ。
「ねぇ、それなぁに?」
「睡蓮の鉢だ」
鳥の声と子供の声が響く。
「スイレン?」
「水の上に咲くんだぜ。俺の領地じゃ、太陽の花って呼ばれてる」
太陽の花……。
「なんで?」
「あの日、水面の紅葉が綺麗でさ、どっちが上かすぐわかった」
そうじゃな、アレは美しかった。
「だから、これが咲いてれば、紅葉がなくても水面がわかると思ったんだよ」
なんて賢い子じゃ、良い子じゃ良い子じゃ。
これで溺れる子も減ると良い。
「それに、……笑うなよ?」
「笑わないよ」
「……あの日主様は手を振って送ってくれたような気がしたから……なんとなく?」
「プレゼント? 良いと思う!」
なんじゃ、わらわにプレゼントかえ?
花のプレゼントかえ?
「ねぇねぇ! 花言葉は?」
「うるせーなー!」
「知ってるんでしょ? それとも知らない?」
「知ってるよ! 花言葉は『信頼』だ!」
ほう、信頼とな。
睡蓮か。
どんな花が咲くのじゃろう。
太陽の花と言ったか。
ああ何だかくすぐったいわ。
春が深まってきてるのかの。
妙に水が緩んできておる。
なんて、温かいのじゃろう。
わらわは泥に近づいて、そっと小さな緑に触れる。
おぬしに太陽の加護があるように。
水の加護はわらわがもちろん与えよう。
幾年月もいついつまでも、わらわの園で咲くが良い。








