終章:もしも
賢次はその日のうちに宝井によって逮捕され、サッカー部を襲った悪夢のような連続殺人は幕を閉じた。
陽も傾き始めると、崇史の推理を聞いた関係者たちも一人、また一人とその場を離れ、帰っていった。
「…………」
そうしたなか、崇史はその場から動くそぶりも見せず、ただ黙って、ぼんやりと夕陽のほうへ目を向けていた。
「崇史?」
その様子に少し不安になったのか、彩音は崇史に声をかけた。
この時点でもう、そこには崇史と彩音の二人しか残されていなかった。
「大丈夫?」
彩音の言葉に、崇史は短く「ああ」とだけ答える。
崇史の耳には、未だに賢次の悲痛な声が響いていた。
自らの愛するものを奪われた賢次。
そしてその復讐のために、三人を殺害した賢次。
しかし崇史の脳裏に浮かんでくるのは、罪を告白したときに見せた悲痛な顔ではなく、楽しげにサッカーに打ち込んでいた笑顔だった。
あんなに楽しそうにサッカーをやっていた賢次が、殺人を犯したのだ。
その事実とともに、殺人にいたる動機もまた、崇史の心を重くさせていた。
大切なものを陵辱し、そして死に至らしめた者に対する復讐。
崇史は思った。自分だったらどうしただろうか、と。
もし自分の大切な人が、黒崎美沙と同じような目に遭い、そして自ら命を絶ってしまったら?
崇史だって、復讐という選択肢を捨てる自信はない。
崇史にとっての、大切な人。
それは―――
「帰ろうぜ」
崇史は自分の思考にけりをつけ、彩音のほうに向き直りながら言った。
あたりは既に、薄暗くなっている。
「うん」
彩音は素直に頷き、崇史とともに歩き出した。
その数日後、崇史と彩音は宝井に呼び出され、ある喫茶店へと来ていた。
壮樹の死体が発見された日、良仁とともに入った喫茶店である。
それぞれが飲み物を注文し、ひと段落着くと、宝井は鞄から封筒を取りだした。
「何すか? その封筒」
崇史が聞くと、宝井は無言のままそれを崇史に手渡した。
賢次宛の手紙らしい。
差出人は―――
「黒崎美沙……。これって、高見が言ってた、自殺する直前の黒崎さんが出したっていう手紙ですか?」
「ああ。どんなことが書かれてるのか、興味があるんじゃないかと思ってな」
崇史は軽く頷くと、封筒から中身を取り出し、読み始めた。
隣に座る彩音も、横から手紙を覗き込んでいる。
崇史はそれを、何度も何度も読み返した。
たっぷり十分以上かけて丹念に読んだあと、崇史はそれを封筒に戻し、宝井に返した。
宝井は無言で受け取る。
「じゃあ、俺はこれからまだ仕事があるんでな。金は払っておくから、好きなだけいるといい」
「……ありがとうございました」
神妙な顔で崇史が礼を言い、彩音もそれに続いた。
宝井は軽く手を上げると、そのまま喫茶店を出て行ってしまった。
「何で分かってあげられなかったんだろうね」
宝井が出て行き、少ししてから彩音が口を開いた。
「あの手紙にはさ、最後にちゃんと書いてあったのにね。『せめてあなたの未来だけは、光に満ちたものであることを願っています』って」
崇史は小さくため息をついた。
「黒崎さんが復讐を望んでないことくらい、分かっていたんだよ、きっと。高見だってな。でも分かってたからって、どうにかなることでもないんだ。そういう気持ちっていうのはな」
「黒崎さんの気持ちは分かってた。分かってたけど、復讐を選ばずにはいられなかった……」
「そう、多分な。人間って、そういう生き物だろ?」
そうかもしれない、と彩音はなんとなく思った。
「ねえ、じゃあさ、もしも……もしものことだけど、あたしが、黒崎さんと同じようなことになったら、そしたらやっぱ崇史は」
崇史の心臓が、どくんと跳ねた。
それは、あの日、夕陽の中で崇史がまさに考えていたことだったから。
「―――ううん、ごめん。何でもない」
しかし彩音は、その質問を躊躇い、最後まで言わぬうちにやめてしまった。
顔を背けてしまった彩音に、崇史は言った。
「もしも、そんなことになったら、俺はその相手に復讐を考えてしまうかもしれない。高見のように」
彩音ははっとしたような顔を崇史に向けた。
「だから、頼むからそんなことにはならないでくれよ。俺、人殺しにはなりたくないからさ」
崇史は微笑した。
「崇史……」
彩音は少し嬉しそうな視線を崇史に送る。
何だか気恥ずかしくなった崇史は、声を明るい調子にして言った。
「ま、お前は殺したって死なないような女だからな。そういうことにはならないよな」
照れ隠しのその言葉に、彩音の眉がぴくりと反応した。
「……へぇー。それって、どういう意味?」
先ほどまでの態度はどこへやら、彩音は傍目にもはっきりと分かる作り笑いを浮かべて、崇史に言った。
「あ、いや、その、えーと……」
「地獄に落ちろ、馬鹿崇史!」
焦る崇史の顎に綺麗なアッパーがきまったのは、その直後のことであった。
暗転。
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