44話
お久しぶりでございます。
仕事や体調などでお休みさせていただきました。
楽しみにしてくださる方がまだいらっしゃればいいのですが…
また少しずつ進めていきたいと思いますので、気長にお待ちいただければと思います。
『………おとうさま、いいえ、グラダファ神』
マリアは、緩く首を振った。
その目は寂しげだが迷いはなく、散らばるガラス片のどれもその手に収めるどころか目にすら拾おうとはしない。
『私は、マリア・テオドラ・ランティスです。
この体に流れる血が別であってもランティス家の、アントニオ父様とミランダ母様の子です…私の心の全部がそうありたいと思っています』
『要らぬか』
『はい』
必要ないと断じた瞬間、パキンと何かが砕ける音が響いた。
きっとそれはマリアベルとして生きる未来が映ったガラス片だったのだろう、過る喪失感をマリアは胸元のブローチを握りしめてやり過ごす。
誰も、何も悲しむ必要はない事だ。マリアがフィーガスの家を出ると決めた時に捨てた未来がほんの一息耳元で吹いただけ。
『ではどの未来を取る。
其方が今の住処で生きたとしても道行は星と変わらぬほど存在する…垣間見たものを選び取るか、より幸せになるものを探すか』
グラダファの問いかけにマリアは再び首を振った。
『これだけ沢山の未来があるのなら今決めるなんてできません』
『………そうか』
その答えがわかっていたように、グラダファは頷いた。
もしかしたらかつての聖女達も同じように、未来を選ばなかったのかもしれない、とマリアは察する。
『しかし其方は神の娘だ…運命に身を委ねるのならば平穏を得られぬやもしれん。
それでもいいと?』
『…はい』
数えきれないほど浮かぶ未来の破片を前にした時から、マリアはずっと自身の奥にあった不安が薄れていくのを感じていた。
生家を離れ流されるままやってきた土地で、幾つもの嘘を背負ったまま普通に生きていくことなどできるのかとずっと不安だったが、これだけの道が自分の前に続いているのだとわかった。
閉ざされず、なんにでもなれる存在なのだと許される感覚はマリアの中にあった自縛の枷を外すには十分だった。
聖女である事が広く知られれば、きっと多くの不自由や困難があるだろう。今ここで聖女になる以外の道を選べばそれらを回避できる事もわかる。
しかし、それでもマリアは一本だけの道を歩くよりも迷いながら選んでいく事をしたかった。
『私は見えない道で迷ったとしても私の道を歩きます。
だからどうか見守っていてください、おとうさま』
『相分かった。其方がそれを望むのならば、我が眼は其方の道行を…その生を見守ろう』
そっと、マリアの小さな体をグラダファの腕が抱え直し抱擁を交わす。
途方もないほどの安心と離れがたい寂寥がマリアの中でせめぎ合ったが、グラダファがそうするよりも先に大きな背から手を離した。
サミリアやかつての聖女達もそうして父の元を離れていったのだろう。グラダファは引き留めることなくゆるりとマリアを降ろす。
『見えぬ道を進む其方に、せめて一助となるよう我が力の一部を授けよう』
そう言ったグラダファの手から小さな光がマリアの元へと降り注いだ。
細かな粒子はマリアの中に吸い込まれ、じんわりとその体に熱を齎す。
『我が力なれば其方に正しく馴染み、呼応する。
そして其方なれば我が力を正しく振るい、活かすだろう』
『ありがとうございます、おとうさま』
マリアはまっすぐにグラダファを見上げた。
その姿を正確に捉えることはできないが、視線を交わしているだろうことは認識できる。
『マリア、我が娘よ。
穢れなき神の娘の魂を持つ者よ。
我が愛はいつまでも其方と共に在る、其方は其方の心のままに進むがよい』
マリアが選び取らなかった未来がひとつひとつ解けていく。
砂のように、煙のように形をなくし広がる空色の中にとけていった。
そしてまたグラダファの輪郭も少しずつ朧となり、マリアは逢瀬の終わりを感じ取ったが手を伸ばす事はしない。
内にいるサミリアもまた、静かに別れを受け入れている事がわかったから。
『またいつかの私と』
微笑んで、マリアは瞼を伏せた。
『……其方はやはり、選ぶことをしないのだな』
マリアが降り、己のみになった庭でグラダファはポツリと呟いた。
『人の生を選び取れば終わると言うのに。
神のまま終わらぬ輪廻、永劫の救済を進むというのか』




