35話
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「ようこそおいでくださいました、奥様、お嬢様!」
そう言ってやってきた女性の姿に、マリアは大きく目を見開いた。
薄く開いた唇を閉じる事も忘れ見入った先には…
「マダム・ベラ…?」
祖母を通じてフィーガスで出会ったマダム、ベラと瓜二つの女性がそこにいた。
人好きのする明るい笑顔も雰囲気も記憶の中の彼女と変わらず、マリアは起こる筈のない再会に驚きを隠す事も忘れてしまう。
リャンバスの、それもフィーガス領で仕立て屋を営む彼女が何故ここにいるのか…いや、そもそも目の前の女性は本当に彼女なのだろうか?
自身が知る姿と重なりすぎているが肌の色はこんなにも焼けていなかったかもしれない。
リャンバスの平民だった彼女を最後に見たのはまだ数カ月前の事、テスパラル語も板につきすぎているように思う。
動揺するマリアの前で、ベラによく似た女性は跪きにっこりと笑う。その表情すら懐かしさを覚えるものだ。
「まぁ…まぁ、まぁ!なんと嬉しいことでしょう!姉の事を覚えていてくださったのですね」
「…姉…?じゃあ、あなたは」
「ベラの妹、ベローナと申します。
この度フェミア様、そして奥様よりお嬢様の仕立て一切を任されました。
至らぬ身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
ベローナの言葉に母を振り返ったマリアに、ミランダは微笑を浮かべ頷いた。
その表情は揺るがず、一切を任されるという言葉が洗礼式に限った話ではないのだと理解させる。
「マダム・ベローナはイヴリンが嫁いできた時に侍女としてついてきたのだけれど、腕を買われてここの店で働いていたの。素晴らしい腕の持ち主よ」
「叔母様の侍女だったのですね。
…でも、私の為にお店を辞めるというのであればそれは…」
侍女から仕立て屋、それもこんな一流店で働くというのは誰でも出来る事ではない。
縁のある者が周囲にいてくれる事は心強いが、引き換えに失うものが大きいのではないか…そう顔を曇らせるマリアを見てベローナはまぁ!と声を上げる。
「いやですわ、そんな事仰らないでくださいな!夢だった自分のお店を持てる機会を得られたのですから私にとっては人生最大の幸運と言っても過言ではありません!
奥様よりすべての事情はお聞きしておりますので、年が明けた際にはどうぞ気兼ねなく過ごせる場としてお越しくださいませ」
ベローナは、マリアの実の祖母フェミアが孫の為に用意した『隠し玉』だ。
イヴリンの侍女としてテスパラルへ同行させた時は予想もしていなかったが、マリアの不遇からくる移住にベローナという存在は奇跡的に噛み合っており、互いの希望も叶うのならばそれを利用しない手はない。
一族の長であるアラニス家の元侍女としてテスパラルに根を降ろし、一流の仕立て屋で働くベローナはフィーガスと縁がありつつも切り離されている絶妙な立ち位置だ。マリアが懇意にしたとしてもアラニス家の縁からくるものとして、それ以上深く掘り下げられることはない。
家族ではない事情を知る者の存在はこれから多感な時期を迎えるマリアにとって重要なものになる筈だ。
「姉とは度々手紙でやり取りをしていますので、お力になれる事もあるかと…フェミア様からもお嬢様のご成長を知らせてほしいと承っております」
「はい、その時はどうかお願いします…マダム・ベローナ」
たとえ遠く離れたとしても互いに思い合う限り縁が切れる事はない。
新しい家族へ送り出してくれた祖父母と繋がる機会にマリアは笑顔でベローナの手を握りしめた。
ミランダはその横で僅かな寂しさを感じながらも娘の喜びを受け入れていた。
自分達では駄目なのかと思わないでもなかったが、自分もかつて嫁いだ時には両親や祖父母と手紙のやり取りをして心を落ち着かせてきた。
当時の自分よりもずっと幼いマリアにとって心細さは何倍にもなる。それを奪ったり、遠ざけるなどしたくない…してはいけない事だ、と理解し湧き上がる寂しさを心の奥に封じ微笑んだ。
「…あの、それで、もしかして洗礼式のドレスというのはもしかして、」
「えぇ、えぇ。
洗礼式のお衣装はフェミア様よりご依頼を受けて仕立てさせていただきました。どうぞ、こちらへ」
ベローナはマリアを衝立で仕切られた小さな試着室へと案内し、手早く着替えさせていく。
初めて着るドレスにドキドキと胸を高鳴らせていたマリアは、鏡に映る自分の姿に言葉を失った。
それは確かに洗礼に相応しい、白一色のドレスだった。
輝くような純白の生地に、マリアが今も身に着けている真珠のように滑らかな光沢を持つ糸で蔦と花の刺繍が施されている。
しかし、裾のレースから上に成長していくように丁寧に施された刺繍は光が当たると白一色とは思えない程華やかに、鮮やかに浮かび上がる。
透けるほど薄い布を重ね、手首できゅっと絞られた袖はマリアの華奢な腕を優しく包み、膝下よりも少し長めのスカート丈は淑女となる前の少女らしさを引き出している。
間違いなく、マリアの為に仕立てられた一着だった。
「まぁ…!なんて素敵なのかしら!」
衝立から出てきた我が子を見たミランダは歓喜の声を上げ、駆け寄った。
けして派手ではない、シルエットだけでいえば何重にも布を重ねるテスパラルのボリューム感あるドレスに比べ貧相に感じそうなものだが、体に沿う仕立ての良さや刺繍の輝きが底上げし一切見劣りする事はない。
むしろ洗礼という厳かな儀式に相応しい、清廉とした美しさを表現していると言えるだろう。
「全体のラインはボリュームを抑え、袖をテスパラル風に緩く膨らませました。
刺繍には、イヴリン様より頂きましたアラニス領で採れた真珠を練りこんだ特殊な糸を使用しており…袖口のリボンは、ミランダ様より針をいただいております」
ベローナの言葉に自身の手首を見ると、確かに袖口には同じく白い糸で刺繍が施されたリボンが縫い付けられていた。
本体の刺繍に比べ少しだけ歪で、所々糸を強く引きすぎたのか穴のように凹んでいる部分もあるが時間と根気を掛けて刺繍されたものだろう。
小さな海亀らしき生き物と花弁が戯れている意匠は愛らしく、マリアの中にミランダが一針一針丁寧に刺している場面が浮かぶ。
可愛いものが好きだが器用ではないから、と刺繍を教えられる時は必ず達者な侍女を傍らに置いていたミランダが自分の為に…そう思うと、マリアの身体は自然と母に駆け寄り手を伸ばした。
「お母様、ありがとうございます…!」
「喜んでくれて私も嬉しいわ、マリアちゃん」
その勢いのまま、ぎゅっと抱き着いたマリアをミランダはしっかりと受け止め、優しく抱きしめる。
祖母と母、そして叔母の気持ちによって仕上げられたそのドレスはマリアにとって掛け替えのない宝物になるだろう。
その後に続くお披露目のドレスを広げながら、ベローナは喜びを分かち合う二人の姿に微笑んだ。




