32話
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今週は仕事や実家での手伝いなどで少しバタバタする為、更新できないかもしれません。
年末年始のお休みにはいればある程度時間がとれますがどうしても体調優先にならざるを得ないので…ご理解ください!
マルシオとの一件から一夜明け、マリアはミランダと共に馬車に乗り仕立て屋や宝飾品の工房が並ぶ職人街へとやってきた。
アントニオとの会話である程度持ち直したが元気とは言えないマリアの気分転換に、とミランダが連れ出したのだ。
「お母様、今日はどちらに行くのですか?」
「マリアちゃんの洗礼式とお披露目で着るドレスの仕上げよ。
もうほとんど出来ているけれど子供の内はサイズが変わりやすいから微調整してもらうの」
「洗礼式のドレス…」
「とても素敵なドレスだからマリアちゃんもきっと気に入るわ」
「はい、楽しみです」
数日の後に控えた洗礼式と、アラニスの屋敷で行われるお披露目。
マリアが正式に一族の子として迎え入れられるその日の為にミランダは特別な二着を注文していた。
初めてのドレスに浮足立ち、少しずつ気分が高揚し笑みが深くなるマリアの頭を撫でていると、馬車がゆっくりと停まる。
「もう着いたのですか?」
「いいえ、マダムのお店はまだまだ先。
でもマリアちゃんはこちらに来てからずっとお家の中だったでしょう?折角なら一緒に歩きたいと思って」
「え?でも…」
職人街は貴族街のすぐ隣にあるが、そこに暮らす者の多くは平民だ。
いくら今は子爵夫人とは言え侯爵家生まれのミランダは本来なら歩くなどせず店の前まで馬車で乗り付けるのが普通の筈。
しかし、ミランダは戸惑うマリアにニッコリと笑いかけ、ウインクを飛ばす。
「これでも昔は騎士として王都を護ってたのよ?職人街でも平民街でも任せなさいな」
騎士だった頃のミランダをマリアは知らない。
むしろ真逆の、可愛らしい母の姿しか見たことがないせいか言われる度に『そういえば騎士だった』と思い出すほどだったが、言われてみれば窓の向こうの見える街並みの中には治安維持の為か騎士の姿も見える。かつて母もそうしていたというのなら確かに気にする必要はないのかもしれない、とマリアはその誘いに頷いた。
「わぁ…!」
馬車から降り立ったマリアは、同じ目線に広がる賑わいに目を輝かせた。
窓越しに見たそれとは違う、熱気を伴う人々の往来と慣れない耳が痛くなるような活気のある声。まだ昼には随分早い時間だが、だからこそか新鮮な野菜や果物、肉や海産物を売る露店が多く並んでいる。
マリアが好奇心のままそこに一歩歩み寄ると、近くの露店から一斉に声が掛けられる。
「お嬢ちゃん!ほら見ていって、王都一のハムだよ!」
「うちの自慢のチーズ!ひとつどうだい!」
「え?え?」
母と共に上等なワンピースを身に着け、後ろに侍女まで控えるマリアは一目で貴族とわかる姿だったが露店を営む側はそんな事は関係ないと言わんばかりだ。
ひっきりなしに掛かる声にどうしていいかわからず目を回していると、ミランダはその小さな手を引き堂々と喧騒の中へと踏み入っていく。
「ごきげんよう。そうね、ハムとチーズどっちも貰おうかしら。」
「お!一緒に入れとくかい?」
「えぇ、娘の分はハムを多めにしてもらえる?」
「お嬢ちゃんハム好きかい?なら一番美味いの入れてやらなきゃなぁ」
流れるように露天商と会話し、そのまま流れるように盛られたそれがマリアの目の前にサッと差し出される。
皿もカトラリーもない、紙を折って作った容器に薄くスライスされたハムとダイスカットのチーズが無造作に盛られ短い串が刺さったそれを咄嗟に受け取ったマリアは扱いに困り、母を見上げた。
「お母様、これは…っ!?」
見上げた先のミランダは指先で摘まみ上げたハムを掲げ、大きく口を開けていた。
そしてそのままハムをちゅるんと口の中に吸い込み音もなく咀嚼すると、満足げに笑う。
マリアの中で手で食べるものといえばパンや焼き菓子のみで、それもテーブルにつきマナーを守りながら楽しむものだ。
勿論ミランダも同じように、むしろマリアよりも美しく食しているのを何度となく見てきた。
そのミランダが、素手でハムを食べ、塩気の付いた指を舐めている…それも路上で!
「お母様…」
「マリアちゃんも、はい」
信じられないものを見るようなマリアの視線に、ミランダは小さな手の中にある容器からチーズに刺さった串を摘まむとそっとマリアの口元に運んだ。
共にお菓子を作る時や母娘だけのティータイムでそうしていたせいか、マリアは母の手で運ばれたものに思わずぱくんと食いついてしまう。
むぎゅっとした噛み応えの中から濃厚なチーズの風味とまろやかな塩味が口内に広がり、マリアは若葉の目を輝かせる。
いつも食べているチーズと何が違うのかはわからない、しかし確かな美味しさを感じ今度は自分の手で串を摘まむと二つ目、三つ目と口の中に放り込む。
「美味しい?」
「はい…あの、このチーズ…とっても美味しいです…!」
「ふふ、市場ではこうやって食べるのが一番なのよ。
あら串焼きもいい匂いねぇ」
まだマリアの手の中のハムとチーズは半分も減っていない。ハムに至っては手つかずだ。
しかしミランダは次の屋台へサッと向かうと焼けた肉が刺さった串を二本購入し、その内一本をマリアの容器に刺してしまった。
何を混ぜて作ったのか皆目見当もつかない、けれど濃厚で食欲をそそる香りを漂わせるソースがチーズもハムも汚していくが、それはそれで美味しいだろうと確信が持てる。
その匂いに喉を鳴らしかけるマリアだが、どれだけ美味しいものであっても朝食を終えて間もない胃袋に全てを収められる自信はない。
「お母様…私、こんなに食べられません!」
「あら、そう?でも歩いてる内に食べれちゃうものよ」
「歩きながら食べるのですか…?でも、それではマナーが…」
「たくさん歩いてたくさん食べるのが市場のマナー。
それから…そうねぇ、美味しいってとびきり笑ってあげれば百点満点、皆マリアちゃんを好きになるわ」
こうやってね、とにっこり微笑みながら肉の串にかぶりつくミランダは屋敷での淑女然とした印象と異なり明るくいきいきとしている。
その笑顔は好きになるという言葉にも納得するほど魅力的で、マリアはこれまで学んできた淑女教育と母の姿、手の中にある未知の美味とを頭の中でぐるぐると巡らせる。
(立って食べるのは夜会だけ、でもここは市場…カトラリーもないし何のお肉かもわからない…でもお母様も食べてる…どうしよう、どうしよう…でも美味しそう…)
ソースの照りや、少し強めについた焦げ目が食べてくれと懇願しているようにさえ感じ、マリアは今度こそごくりと喉を鳴らす。
「マリアちゃん」
娘の葛藤を見ていたミランダが、そっと囁く。
「熱い内に食べるのが一番美味しいわよ」




