4−1 美香
もしも兄と妹としてではなく、他人として出会っていたのなら、何か違っていたのだろうか。彼は私のことを、一人の“女”として見てくれただろうか。
机の上に料理を並べて、私はふぅと息をついた。頑張った甲斐あっていつもより上手くできた。お兄ちゃんは喜んでくれるだろうか。私は椅子に座って、見た目はそんなに良くはないけれどそれなりな自分の料理を眺めながら、ついさっきの出来事を思い出した。
事故とは言え、自分のしてしまった大胆な行動。思い出すだけで顔が赤くなりそうだ。でも同時に、遠い存在だったお兄ちゃんを、なんだか近くに感じられた。
兄妹だから遠いと思い込んでいたけれど、近くに行こうと思えば、――触れようと思えば、触れられるのだ。ずっと近くにいたから、そんなこと気づきもしなかった。お兄ちゃんの近くにいきたい。もっと、近くに――……。
そんなことを考えていたその時、突然、タオルを首にかけた風呂上りのお兄ちゃんが視界に入ってきたものだから、私は飛び上るほどに驚いてしまった。多分私がお兄ちゃんの足音と、扉の開く音に気が付かなかっただけで、突然入ってきた訳ではないのだろうけれど。
お兄ちゃんもいたというのに私は一体何を考えていたのだろう。自分が恥ずかしくなってくる。そんな私の気も知らず、お兄ちゃんは不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。
「美香、どうしたの。なんかボーっとしてたけど。考え事?」
「う、うん、ちょっと……」
「ふーん?」
後ろめたくて、お兄ちゃんの顔がまともに見れない。私の考えていたことをお兄ちゃんが知ったら、どう思うのだろう。やっぱり……軽蔑されるのだろうか。汚らわしい思いを抱える妹なんて、お兄ちゃんも嫌に決まっている。なんて自己嫌悪していると、お兄ちゃんは料理に気がついたらしく、物珍しそうに机の上を見回していた。
「これ、美香が作ったの?」
「あ、うん。そうだよ! お兄ちゃんのために頑張ったんだよ」
「すごいね。ありがとう」
お兄ちゃんは私の大好きな優しい笑顔で、私の頭を撫でてくれた。いつもなら単純に喜ぶところだけれど、今日は触れられると必要以上に意識してしまった。
かよちゃんの作戦ではここから抱きしめてキスをする、ということだったけれど、私にはハードルが高すぎる。さっき抱きついただけでもあんなにドキドキしたのに。そもそも妹の私にそんなことができるわけがない。そばにいると、愛しさに惑わされて忘れそうになるけれど、私はお兄ちゃんの“妹”だ。下手なことをすると、軽蔑されてしまうことになりかねない。もうかよちゃんの作戦は忘れよう。
「あ、あの、わたし……その、えっと……、そう! リンゴあったからむいてくるね!」
どもりながらもなんとかその場を離れる言い訳をひねり出して、私は慌てて台所に駆け込んだ。心臓がうるさく鳴り始めている。変に思われただろうか。しかし今更気にしても仕方がないので、とりあえず私はリンゴをむくことにした。
「いたっ……!」
しかし皮をむき始めてすぐ、私は声を上げた。動揺していたので、うまくむけずに包丁で人差し指の先を切ってしまった。包丁を置いて指を見ると、指先にぷっくりと一滴の血が乗っている。血を拭くものを探していると、私の声を聞いたお兄ちゃんが台所に来た。
「どうした?」
「あ、大したことないの。ちょっと、指切っちゃって。絆創膏あったかな?」
「手、かして」
お兄ちゃんは私の指先を見るなりそう言って、怪我した私の手を取った。何事かと不思議に思いながら見ていると、お兄ちゃんは私の指先を口元に運び、指先の血を――舐めとってしまった。
持っていたリンゴがごとりと床に落ちるのと同時に、かっと顔が熱くなるのを感じた。私はお兄ちゃんの予想外の行動に驚き、戸惑っていた。
「っ……、あ、あの……お兄ちゃん?」
何故か真顔のお兄ちゃんにためらいがちに声をかけると、お兄ちゃんはぱっと私の手を離した。
「……舐めときゃ治るよ」
そう言って台所を出て行くお兄ちゃんの後ろ姿を、私は益々うるさくなった自分の動悸を聞きながら、ただ黙って見送ることしかできなかった。




