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九十九. 1864年、南禅寺~ていの提案~

宮部の方も行動を起していた。


宮部の許に情報が入るのもそう時間は掛らなかった。京の人々の間でも噂となっていたからだ。宮部は古高と共に小川亭へ赴き、次いで春蔵・松田・中津・高木の肥後人全員を小川亭へ集めた。枡屋の隣家に潜んでいる大高 又次郎も心配して()って来る。ていが南禅寺まで行き、吊るされた状態でぐったりしている忠蔵とその周囲を張るだんだら羽織を確認した。



「壬生浪ですえ」



―――ちん,と宮部が鍔鳴(つばなり)の音を立てた。その顔は屈辱と怒りに燃えている。

松田もいつもの鈍器でなく刀を握っている。

宮部の弟である春蔵や松田の実質的な教え子である中津、彼等よりも気の短い高木も遣る気に満ちている。

誰も止める者がいない。

「お・・・っ、落ち着いてください!!」

「放したまえ」

古高と大高が肥後勢を必死に止める。騒ぎを聞いた桂が至急小川亭へ入って来た。

「何を遣っているんだ!!」

すぐさま古高等に加勢する。松田を手で制しつつ、宮部に

「之は罠だ!新選組の狙いは他ならぬあなただ!!あなたがみすみすあの場に飛び込んで来るのを奴等は()っているのだぞ!!」

「解っている」

「解ってない!!」

叫んだ。桂!松田も叉怒鳴る。

「之はうちの藩の問題だ。他藩者(よそもの)は口を出すな!!」

・・・・・・っ!桂は唇を噛みしめた。目を細めて悲しみを堪える表情をした。松田の肩に(つか)(かか)り、治っても一部が欠けた侭で安定の悪いその鎖骨を(えぐ)った。

「う・・・っ・・・!?」

松田から刀を取り上げて、鞘の侭ぴたりとその首筋に突きつける。


「“約束”を・・・・・・忘れているのはあなたの方ではないのか・・・・・・!?」


―――・・・松田は唖然とした眼で桂を見つめる。桂は奪った刀の鞘を抜きながら、今度は宮部に向き直った。



「・・・・・・そこまで“死に急ぐ”というのなら―――・・・私を道づれにすればいい。置いて行かれるのはもう沢山だ。新選組に如何しても挑むというのなら、私を斬ってからにしてくれ。私程度の腕の人間を斬れない様ならば、新選組に只殺されに行く様なものだ」



・・・・・・そう言って鞘を床に抛り投げる。宮部は憎しみに染まる眼で転がる鞘を見る。



「―――君自身の存在価値と壬生狼どもの存在価値を同一の物差しで語るな」

「・・・其は私もそう思っている。だから言うのだ」

「―――何?」

宮部が目を細める。その瞳は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。・・・一方で、桂の眼は潤み始めている。

「私にとってのあなたがたもそうである、と言いたいのだ」

・・・・・・桂は今や肩で息をしている。宮部に向かう刀の切先は震え、声は水気を帯びていた。



「・・・・・・あなたがたまでいなくなってしまったら――――・・・・・・」



――――・・・。宮部は瞳を大きくした。肩を押えている松田も驚いた眼で桂を見ている。

「・・・・・・」

宮部は桂から視線を逸らした。・・・刀を手放し、大人しく腰を落ち着ける。

「・・・・・・刀を納めたまえ」

宮部は醒めた声で言った。・・・・・・。俯き、暫し考える。桂を見て想い出したのは、寅次郎が処刑された日の自身の感情。寅次郎の死を知った後の松下村塾生の表情。指導者を失った村塾生の将来を案じたものだった。

寅次郎はひとりで先に往って仕舞った。自分は今もその背を追いかけ―――・・・そして、そろそろ追い着こうとしているのか。

「桂さん」

宮部は俯いた侭訊いた。併し眼の色は少しくすみ始めている。

「―――・・・私は、御癸丑以来(しにたがり)の眼をしているか」

・・・・・・桂は、その色を帯びてきたと答えた。宮部は・・・参ったな、と呟いた。併しながら、重助を連れていく訳にはいかない。春蔵は未だ指導が足りない。彦斎もだ。元右衛門も、血の気が多いから道を踏み誤るかも知れない。

・・・桂も、色々と失いすぎている。

「―――思い出した。済まなかった」

之以上の犠牲は出せない。併し忠蔵を救わない選択肢は彼等の中に無い。その時点で、彼等の身の破滅は決定していた。



「あの・・・うちが、行って来ますえ」



―――場の空気が安定してきて、皆が思案に耽っている時、成り行きをずっと見守っていた女将・ていが遠慮がちに口を開いた。

「・・・え?」

一同は怪訝な顔でていを見る。ていは一同を安心させる様に、控えめに微笑んで言った。

「うちが壬生浪にお金を渡して、忠蔵はんを引き取って来ます」

「し、併し、女将」

ていの申し出に水を差したのは古高である。古高のみであったか、この時一抹の不安が脳内を掠めたのは。

「いや、其は」

と、松田も言った。だが其はていの身を案じての事で、古高の不安とは本質的に異なっていた。古高はもっと、理性的に考えている。

「うちは平気です」

ていは松田の方を向き、はんなりと笑いかけた。仄かに眼元が熱っぽい。・・・松田は微かに、頬を染めた。

「先代『魚卯(うおう)』と、この『小川亭』は肥後さまの御蔭で続けられてきました。主人が亡くなんなった時に助けてくれはったから、今の小川亭があるんです。うちらはこの御恩を肥後さまにお返ししたいんです」

「・・・・・・さればとて、我々はあなたがたから既に助けて戴いている」

「まだ足りしまへん」

―――京の人間は当りが柔かくても内面は冷たい、とよく言われるが、其は嘘だ、と想う。そうであれば、池田屋にしろ四国屋にしろそしてこの小川亭にしても、命を賭してまで志士を守ってはくれないだろう。

「・・・・・・お願いします」

宮部は意外にも早く結論を出した。古高は尚早な判断だと思ったが、だからといって他に安全な救済策は想い浮ばない。

桂も意見しなかった。

「只、くれぐれも無理はしないでください。あなたにまで何かあったら―――・・・」

・・・宮部は重たげに視線を落した。座敷も湿気を含んだ様に暗い空気が支配している。ていはその空気を、意図的に壊した。


「無理は―――・・・しまへんえ」


するりと立ち上がり、座敷から下りる。去り際に、今度は洒落っ気のある笑顔を浮べて



「肥後の(おのこ)はんは、立てなあかんところが亭主関白や思いますけど、ひとりでは立っておられへんところがありますものね。

無事に帰って、あんたはんがたを叉支えなあかん」



と、言い置いた。―――一同はぽかんとていが去った後の閉じた襖を見つめていたが、その後、ぼっと肥後人の顔が燃え上がる。

何というイケメンの放つ台詞であろうか。

「・・・・・・どっちが男だ?どっちが」

「てか立てるなら他のヤツが居る処でそんな事言うなよ・・・・・・」

松田に至っては耳まで朱い。ちら・・・と桂を見ると、お前のせいだとばかりに思いっ切り睨みつけた。

「・・・何だかんだ偉そうに振舞っても、女子にはいつも敵わぬな。引っ張っている気でいて、その実先回りされている」

宮部は悲しげな表情の侭笑った。肥後もっこすは結局、薩摩などと比べると小心者なのだ。内で弱くなれるから、外で強気でいられる。内では女性に、頭が上がらない。


・・・・・・肥後人が感情に流されている間、古高は、ていは忠蔵を救けた後は如何する心算なのだろうとぼんやり想っていた。抑々(そもそも)、何と言って忠蔵を引き取る心算(つもり)でいるのか。

「・・・・・・」


・・・暫くして、古高は


「女将の御蔭で少し安心しました。店の方がありますので私は之で・・・あ、大高さんはお気に為さらずごゆるりと・・・」


と、言い、そそくさと小川亭を出て往った。之からは長州藩邸に世話になられた方が宜しいかと・・・と宮部に言い残して。




「はっ・・・は・・・・・・は・・・・・・」

炎天下で気温の高い中、忠蔵は荒い息を上げていた。もう限界が近い。数日間飲まず食わずで無理を強いられている身体はぎしぎしと悲鳴を上げている。

ていは南禅寺三門に上がっていた。流石、歌舞伎の舞台となっただけあって足が竦む程の絶景である。すぐ真裏が天授庵だ。

忠蔵が吊るされているすぐ傍の下では、新選組隊士が彼に見せつける様に湯豆腐を食べながら見張りを行なっている。・・・其にしても、やる気の感じられない見張りである。

(・・・いけるやも)

隊士の様子を暫く観察した後、ていは踏ん切りをつけた。

「あの・・・もし」

ていは慇懃(いんぎん)に頭を下げながら、隊士に話し掛ける。話し掛けられた隊士は余程やる気が無いらしく、湯豆腐を口に運びつつていの方を向いた。振り向いた顔に、ていは、一瞬だが

(あ・・・)

と、思った。だが、隊士がすぐに


「―――何か御用であられましょうか」


と、訊く。()り上がりつつあった過去(むかし)の記憶は、再び奈落の底に沈んだ。

「其方の縛られよんなはる御人、うちの知り合いどすさかい。何をしやはったんかよう存じまへんが、どうぞ之で堪忍しておくれやす」

・・・そう言って、ていは紙包みを隊士の袖に忍ばせる。併し、隊士はていの腕を掴み


「賄賂は受け取れませぬ」


と、はっきりと断わってきた。意外と(しっか)りした青年である事に、ていはたじろぐ。

「な、何か勘違いしとりやおまへんか?隊士はんの御仕事は、不埒な浪人の取り締りちゃいますのん?其方の御人は浪人ちゃいますえ」

「左様な事を申しているのでは御座いませぬ」

その、前髪が矢鱈と長く素顔の明瞭(はっきり)と見えない隊士も叉、慇懃な語り口で言った。

「え・・・?」

「詰り、()ういう事です」

ていはぎょっとした。隊士が、楼上に居た5,6人のだんだら羽織を着ていない者達を呼んだからだ。彼等は参詣客ではなく私服警官だった。

「此方の方は私の馴染だ。此度の隊務の応援に、豆腐を差し入れてくださると言っている」

隊士は恐らくは自身の部下達にていの事をそう紹介した。部下どころかていも驚き、思わず声の降ってきた頭上を見上げる。


(あ―――)


―――ていはその男の事を信じた。

「参道に湯豆腐屋が多数ある。休憩かたがた皆で買って来るとよい。見張りは私と原田さんが引き受ける」

若い隊士が多いせいか、素直に信じる上に色めき賑やかになる部下を半ば欝陶しがりながらその男は言った。

南禅寺豆腐は古くより有名である。

その男は見事に見張りを外してくれた。

ていが隊士達を連れて湯豆腐を買いに行くと、男はもう一人の背の高い男と共に忠蔵を下ろし、縄を解く。クラクラと倒れ掛る忠蔵の身体を支え、湯豆腐の冷ました湯をコクコクと飲ませて遣った。残しておいた豆腐も食べさせて遣る。

・・・忠蔵は幾らか持ち直した。

「お・・・おい、おが・・・」

背の高い男が何か言いたげであった。併し、男の顔を見ると黙り込み、軈て三門の階段を下り自身も見張りから外れて仕舞った。・・・少し蒼い顔をして。


―――男は独り忠蔵の許に残ると・・・・・・口角をキュッと引き上げる。


そして、忠蔵に囁く。



「―――・・・之にて見張りは全て取り払われました。探索の眼もありませぬ。この件に於いては私が指揮官ゆえ、途中で追手が来る事もありますまい」



・・・忠蔵は支えられた頭を僅かに動かし、男の方を見た。男が忠蔵の唇を読む。

「私はあなたと同郷の者に御座います。時習館では、宮部先生に軍学の手解きを受けました」

男は淡々とした口調で呟いた。・・・忠蔵は驚く。―――()て・・・と、一声掛けて忠蔵をゆっくりと立ち上がらせると

「見張りが戻って来る前に去られるが宜しかろう。・・・私の方は心配ござらぬ。手は考えておりまする。

新選組は―――あなたがたの言いなはる通り、頭脳の無い狼の群れ、です故」

―――追い立てる様に言った。忠蔵も叉、この男を信じた。最後に、名前を尋ねると



「緒方です―――・・・其では」



と、素っ気無く答え、背を向けた。天授庵を見下ろしていた。

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