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八十九. 1863年、八十八~遺言~

  世は苅菰(かりごも)と乱れつつ

  茜さす日もいと(くら)

  蝉の小川に霧たちて

  隔ての雲となりにけり


  あらいたましや玉きはる

  大宮にあけくれ殿居せし

  実美朝臣(あそん)李知(すえとも)卿、壬生、澤、四条、東久世、その外錦小路殿

  今浮草の定めなく 旅にしあえば駒さへも

  進みかねてはいばえつつ

  降りしく雨の絶え間なく 涙に袖の濡れはてて

  是より海山(あさ)()(はら) 霧霜わきて葦の散る

  難波(なにわ)の浦に焚く汐の からき浮世は物かはと

  行かんとすれば東山 峰の秋風身にしみて

  朝な夕なに聞きなれし

  妙法院の鐘の音も・・・


「・・・などて今宵はあはれなる。・・・・・・」


「久坂先生・・・・・・」


雨粒に打たれながら今様を()する久坂の背中に、山口は佇んだ。空はいつの間にか雨模様になっている。朝焼けは雨とはよく云ったものだ。今朝は燃える様に強い朝焼けだった。

桂も、高杉も、宮部も、彦斎も、いない。

「・・・・・・一旦京を離れる」

久坂は振り返らずに言った。・・・山口は聞かざるとも分っていた。長州藩が京より追放された事を。より詳細にいえば、長州藩が応援していた急進派公卿の官位の剥奪、役職の廃止または更迭、其に伴い御所への参内や面会が禁止される事。長州藩自身は外構九門堺町門の親兵罷免および京都追放。そして、攘夷親征の中止が言い渡された。之等は全て勅命で、孝明天皇自身が詔書にて


『三条 実美等七卿は(わたし)の命令を殊更に変えて、(みだ)りに朕を討幕の師に仕立て上げようとしています。長門宰相(長州藩主・毛利 敬親)の暴臣同様、彼等は朕を愚弄している』


と、長州藩を攻撃している。この後


『この詔書の以後に述べたものこそが朕が真実に存意するところです。理由も無く異国船を砲撃する斯くの如き狂暴な輩は、必ず罰しなければなりません』


と、続くが、この部分は薩摩贔屓の公卿が手を加えている。孝明天皇の本意など、始めから何処に在ったのか判らない。

只、攘夷の志はあったと思いたい。そうでなければ、パフォーマンスで肥後や因幡鳥取まで異国船に砲撃する筈はない。



―――朝敵となる最悪の事態は免れた。だが、其以外の凡てを長州藩は失った。



恐ろしい事に、薩摩の島津 久光は一橋 慶喜と四賢侯(松平 春嶽・山内 容堂・伊達 宗城)、会津・肥後・福岡藩に呼び掛け、長州藩に更なる追い討ちを掛けようと手を緩めずに今この時も動いている。

「多分・・・暫く大坂に居る。お前と佐倉は京に残って待機していろ。俺か吉田が京に戻る迄」

「・・・・・・わかりました」

山口は其以外の言葉を呑み込んだ。山口は遠慮しないでよかった。何故ならば、之が久坂と山口の交す最後の言葉となるからである。久坂は素っ気無い色をした空ばかり見ずに、山口を振り返るべきであった。

「・・・・・・」

久坂の涙堂に雨粒が落ち、目尻を伝って零れていった。白の筒袖に着替え、鉢金と竹胴を身に着けている。

槍の穂を煌かせ、久坂は七卿落ちの最前列を歩いた。


「いつしか暗き雲霧を・・・」


  払いつくして百敷の

  都の月をめで給ふらん


  文久三年八月十八日 おもふことありてこの舞曲を

  うたひつつ都をいで立侍る――――


・・・久坂の今様を奏でる声に、皆が聴き入る。背景に音楽でもなければ皆歩を進められなかった。

久坂自身、血を吐く様な思いで()いていたが、声を()めず、足も止めない。だから後列も歩みをやめなかった。

だから久坂が先頭に立ったと謂える。




七卿は京より大坂に出て、其処から海路長州へ運ばれる。久坂や桂、宮部や彦斎等は船に乗らず、公卿を見送り、大坂の長州藩邸に入った。怪我人の治療と京都潜入の機会を窺う為だった。まだ希望は失っていない。




「――――・・・!久坂・・・・・・!」

大坂の藩邸に着くと、攘夷親征の方に参加していた稔麿や定広公と会う。彼等もあの天皇や諸大名自らが演じられた行幸の皮を被った討伐からからがら逃れ、この藩邸に避難したのだ。

「松田さん・・・・・・!!」

部屋で横たわる松田に、桂が叫んだ。桂と共に宮部も駆けつける。長州兵の方が肥後兵よりも早く松田を発見し、保護した。併し、撃たれた銃創だけでなく崖から転落した際に負った創傷(きず)や捻挫等もあり、白布が身体の大部分を覆っている。

「・・・あ・・・あ、宮部先生、桂・・・・・・・・・」

松田が痩せ我慢して笑う。だがだいぶ覇気が無い。桂と宮部はその有様に愕然とした。

「この傷は一体・・・・・・!?」

片や稔麿も、利き手を紅く濡らし、支えられつつ松田の許へ行く彦斎を、衝撃を受けた眼で見ていた。

「おお、小五郎に玄瑞。良かった、医者が来てくれて」

定広公がホッとした声で言った。余りの出来事に頭がいっぱいになっていたのであろう。瞼を幾度も瞬かせて感情を堪えていた。

「宮部さんや河上さん達も、よくぞ無事に―――・・・」

・・・・・・定広公は眼を細めた。涙が零れそうだった。


その後、松田の怪我の状態や、松田に銃創を負わせた相手、天誅組の末路に攘夷親征の真相を聞かされ、叉、自分達の体験した薩会に拠るクーデターを桂や宮部が説明するのを聞いていたが、胸打つものは一つも無かった事を久坂は憶えている。ぼんやりと、だが明瞭(はっきり)と、事物を冷静に捉えている。併し何も感じず、如何とも想わない。

・・・・・・只



(・・・・・・(ふみ)――――・・・)



・・・ふと、故郷と故郷に居る妻、恩師の妹が想い起される。常に国事ばかり考えてきた久坂自身、意外な事だった。

「・・・・・・」

・・・・・・(わら)う。


「久坂」

―――稔麿が襖を開き、久坂の部屋に入って来る。久坂は開け放した障子の縁に寄り掛って雨の音を聞いていた。・・・声を掻き消す程の雨脚。騒がしいのに雨音以外は静寂で、湿気は身体に纏わりつくのに入り込む空気は冷たかった。

「・・・・・・風邪を引くぞ」

稔麿は久坂の異変に気づいていた。・・・否、誰もが気づいていたかも知れないが、立ち入れるのは同じ松下村塾生の稔麿しかいなかった。叱咤で如何にか出来る事ではない。・・・・・・久坂は今一度、休息(やす)まなければならなかった。併し、時代は急速に進む。


振り落されそうだ


「・・・・・・詩歌でも吟じていたのか」

今にも湿気で消えそうな蝋燭の近くに、継紙(けいし)とその上にのった癖の強い墨字がある。稔麿は其を取り上げる。



「遺言さ」



と、久坂は消えそうな声で言った。稔麿は驚いて顔を上げる。


「俺は屹度、もう文と逢う事は無いだろう」

久坂はずっと雨を見ていた。若しくは雨のとけこむ暗闇か。力無く床に延された手は、久坂自身がとかされている気さえした。

「・・・だが、久坂は俺ひとりしかいない。子が無ければ、家は断絶する。だから、養子の取り計らいを(たの)もうと思ってな」

・・・・・・稔麿は書簡の文面を読んだ。『さては、このうち小田村兄さま、かの二男の方を、養子にもらひをき候まま、みなさまへ、おんはかりなされて、おもらひなさるべく、頼み入りまゐらせ候』

―――小田村 伊之助(楫取 素彦)の事である。文の姉・寿との二男・道明が玄瑞の死後、久坂家を継ぐ。道明は玄瑞の遺した日記である『江月斎日乗』を編纂(へんさん)し、世に出した。1874(明治7)年に司法省に出仕後、楫取家に戻り、1896(明治29)年の芝山巌(しざんがん)事件で抗日ゲリラの現地人に殺される。



「・・・・・・之で、心置き無く死ねる」



・・・別に死に急ぐ訳でも、今迄死の覚悟が無かった訳でもない。只、其でもどことなく抽象的であった死の到来に、はっきりと命の期限が定められた気がして、ならば最期まで休まず奔ろうと、悔いの無いよう頑張ってみようと決意を新たにしたのである。

現に、この刻、既に死まで一年を切っている。

「・・・・・・お前は?」

久坂はこの刻初めて振り返り、自身よりも余命の少ない稔麿にその(かお)を見せた。妙に涼やかな表情をしていた。

「―――俺にそんな未練(もの)は無い。初めから何も持っていない」

稔麿はきっぱりと言い捨てる。ふさ(家族)がいるくせに・・・と久坂は心の遠くで想った。

・・・稔麿は、最初から何も求めない様にしてきたのだ。稔麿は最初から覚悟して生きてきた。

「・・・・・・じゃあ、後はもう往くだけだな」

久坂は稔麿と最後の確認をした。嘗て過激派と言われていた彼等をそう呼ぶのは今や佐幕側の人間しかいない。彼等を止める志士は最早なく、寧ろ引き摺られる様に、死まで只管(ひたすら)走り続ける。

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