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七十八. 1863年、大和~因縁~

「・・・・・・」

肥後熊本藩主・細川 韶邦(よしくに)、長州藩主世子・毛利 定広が馬に乗って神幸行列に参列する。両君の他にも、将軍・公卿・諸大名が皆馬上で参列している。

天皇・関白・大臣は輿に乗っておられた。

「・・・・・・」

定広公は、何列も先を行く肥後藩主韶邦を視線で追いかける。韶邦も、そして定広公も烏帽子直垂の神官装束姿だ。

「いやぁ~韶邦さんは流石佇まいが凛としておられるね。御姿も平安絵巻から抜け出て来られたかの様だ。京風の顔立ちであられるからかな?」

定広公がほんわかした声で言う。平安時代のおっとりとした優雅さは寧ろこの方の方が出していると思うが。

この行列に於ける藩の長とも謂えるこの方がこの調子だからか、先陣の最後だけ何と無く粛々としていない。

「若君・・・・・・」

稔麿が呆れた様に諫める。稔麿も無論、烏帽子直垂の姿である。長州藩邸で試着した時と同じ格好であった。

「・・・・・・油断は為さらぬよう。勤皇党の(かたき)であられる可能性が有りますので」

「・・・・・・解っているよ、稔麿」

定広は側に仕え、小声で諫言する稔麿に身体を傾けて囁く。もう一度、韶邦の白い背を見る。

稔麿の着る装束と同じ仕立ての衣。一糸乱れぬ細川の列。彼等が如何に信心深く、細川が如何に家臣を上手に纏めているかが窺える。―――稀代の御人好しとも云われるそうせい候の子も叉、他者を疑う事が苦手である。




『我が子は息災にしておりますか』

韶邦は、長州人に対しても極めてソフト‐タッチであった。行幸の出発前にも軽く挨拶を交し

『こちらが我が藩が神武天皇陵にお供えするういろうであります。どうぞ』

『我が藩は文禄・加藤の時代より製造される朝鮮飴をば。旅の供にも兵糧食にもなります故』

お菓子交換をする程の仲になっていた。定広公の厚意に韶邦公が合わせているという印象も受ける。定広は稔麿を韶邦に紹介し

『衣装の方も貸して戴き、ありがとうございました。弊藩は要領のいまいち良くない藩故、装束を揃える事が出来ず・・・』

『・・・』

韶邦の瞳が胡乱げに歪んだ事が定広公には判らない。併し稔麿が気づく。そういう眼を沢山視てきた稔麿だからこそ辛うじて判ったが瞬きを一つした後には韶邦の瞳にその影さえ無かった。

・・・只、狐の親玉である事には違いが無いらしい。


『―――その装束、鼎蔵の物よな』

『!?』


―――宮部は韶邦の藩主就任前に藩の軍学師範を去っている。

そうでなくとも、藩士一人一人の特徴を(そら)んずる事が出来る程に把握しているのは些か異常だ。松下村塾程度の規模ならば解るが。

・・・・・・稔麿は気味が悪くなる。




更に稔麿は、もう一つの違和感に気づいていた。

長州藩と其以外の藩では武器の装備が明らかに違いすぎる。神幸行列だから銃など不要と長州藩には通達が為されていたが―――?

仙台藩・肥後藩といった大藩でも上位の藩は、大砲まで運んでいるではないか。


(おかしい。―――)


大坂を抜けると、神幸行列とは明らかに違う白装束の集団が黒い緑に浮いていた。あれが―――・・・天誅組か?

―――否、違う。


家紋の旗が掲げられていた。合流した行幸参加の藩か。彦根藩、紀州藩、津藩の旗は判る。


もう一つは―――・・・?



「水戸徳川家・米沢上杉家・因幡池田家・阿波蜂須賀家・宇和島伊達家は之より、天子さま、将軍さまと共に京へと戻る!!」



最も先陣を歩いていた備前岡山藩主の池田 茂政が突如号令する。寝耳に水の話であった。稔麿は思わず、馬上の定広公を見上げる。


・・・・・・定広公も初耳であられる様だった。併し他家は細川家も含め、淡々と現実を受け容れている。

長州藩にだけ情報が行き渡っていないのか?

・・・否。あれは津和野藩の列か。そちらでも列が乱れ、動揺している事が分る。津和野藩は長州藩の隣藩で元来は毛利領でもあった事から、長州側と言われる事もあり、その上因幡藩や備前藩と違い小国である事から無視されたのだろう。



(―――天子さま!?)



稔麿は孝明天皇の乗っているであろう輿を見る。京に戻るとは如何いう事だ。行幸は!?



―――行幸は長州藩を黙らせる為の演技であり、神幸行列に参列した天皇・将軍・公家や10の国主は見事な名優と謂えた。



「対馬宗家は津藤堂家に、久保田佐竹家は彦根藩井伊家に、肥後細川家は高取植村家に付いて戦うよう。仙台伊達家は五条に布陣。我が備前池田の兵は、郡山柳沢家と共に御所への進出を食い止める」

備前藩主池田 茂政は全藩を通じての討伐隊総指揮へと役当(やくあて)を変え、非情な科白を言い放つ。



「よいですか、“天誅組”を何としても討伐するのです。あの者等のしている事は(わたし)の意思ではない。逆賊の考えです」



―――鳳輦(ほうれん)の御簾が引き上がる。・・・・・・孝明天皇の裏切を、稔麿は長州人で最も早く悟った。




ばたんっ!!


「吉村さんっ!!」

吉村が松田を引き倒し、撲りつける。―――痛い。焼ける様に脚が熱い。歩けない。感覚がおかしくなりそうだ。

痛みだけが、吉村の拳の力を強くしている。



「貴様―――っ!!矢張り、情報を肥後藩に横流ししていたな!!この・・・っ、佐幕の犬め――――!!」



拳の痛みだけが撃ち貫かれた脚の痛みを和らげる。拳に血が付いて、その熱さだけが撃ち貫かれた脚の熱さを和らげた。だが其でもこの脚は動く様にならない。胸に奔る痛みと熱さは消えぬどころか、撲る度、触れる度に益々(ますます)強くなってゆく。

―――涙が、流れた。

ぐっ・・・ 吉村の手が松田の首に伸びる。中津が慌てて羽交い締めにして止めた。


「之以上は勘弁してはいよっ!!松田さんが()んで仕舞わる!!」


「・・・・・・・・・」

松田は抵抗しなかった。只、松田にしてはらしくない虚ろな眼で一点をぼんやり見つめている。

・・・・・・吉村が中津に取り押えられると

「・・・・・・之だけでは足りんと思うが」

と、無機質な声で呟いた。

「続きは後で受け付ける」

・・・松田は起き上がって顔を拭った。こめかみや鼻腔の血が顔の端にのびる。唾と共に口内の血を床に吐くと、欠けた歯が転がった。


「・・・・・・細川が居るという事は、大和行幸に参列した藩は全員敵で、既に取り囲まれている可能性が高いな。京どころか、隣の隊に行く事さえ危うい。というか、隣の隊も囲まれているだろう」


・・・・・・吉村は落ち着きを取り戻し始めていた。すると今度は、己に対する怒りが込み上げてくる。脚の痛みが・・・再び遣ってくる。


「十津川郷士であるお前達は心配する事は無い」

動揺が全体に広がる前に、松田は声を大にして叫んだ。天誅組の人員の殆どは十津川郷士である。


「朝命であるかを問えばいいんだ。細川が朝命の下での討伐であればお前達も恭順すると言えばいいし、そうでなければ朝命に(したが)う自分達の方が上位と言えばいい。あの藩主(おとこ)は筋の通らない事が嫌いな男だ。細川はきちんと話も聴く。赤穂浪士や水戸浪士の件はお前達の耳にも届いているだろう?そこは信用していい」

この男は藩主韶邦の事を不思議な位によく知っている。幼馴染の範疇では恐らく無いだろう。土佐の脱藩浪士である吉村は、他藩の藩主と藩士の切っても切れない視えない絆に呆然とした。


「彦太郎・・・吉村を、背負え」

松田が己の梢子棍を懐に隠し、中津の持つ長梢子棍を引き取る。長梢子棍は持ち手が自身の背の高さ程もあり殆ど棒術と謂って良かった。


「―――問題なのは、脱藩浪士(オレたち)だ」


―――松田は吉村と後輩達・・・・・・特に、内田と竹志田を見つめて言った。

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