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六十六. 1863年、長州藩邸~帰国命令~

「1863年、長州藩邸」



「・・・ほう」

久坂は彦斎の刀を握り、興味深げに其を見ていた。久坂に剣というのが余り馴染みのある構図でないのもそうではあるが、久坂自身、彦斎が室内で腰を下ろしている時、常に刀の鍔を己の肩に掛けて抱いているのを不思議に感じたからだ。

「そんなに大事な刀なのか?」

久坂は彦斎に何と無く尋ねた。

「―――うんにゃ?」

彦斎は首を横に振った。其でも久坂が物珍しそうに自身の刀を見るものだから、ほいと渡したのだ。その為、久坂の手許にある。

(てか、そんな簡単に武士の魂を手放すか・・・?俺も士道にうるさい方じゃないけどよ・・・)

(しか)も、後生大事に抱いている割には剣に拘りがある様子でもなく、渡し方も茶よりも無造作だったり愛着を持っているとも言い難い。以前差していた刀から替っている気もする。

(何の変哲も無い刀だな・・・)

銘すら無い。




その疑問を何と無く山口にぶつけてみた。山口は久坂の背後で暗器の手入れをしていたが、其と同じ事ではないですかと彼は答えた。

「は?」

遠回しすぎて久坂にはよく解らない。日頃聡いのに。自身に対するこの鈍感さはもう直らないなと山口は呆れ、諦めた。

「俺が後ろで武器を扱っていてもあなたを襲う事は無いとあなた自身が確信している様に、あなたに刀を預けても自分自身や宮部さんを斬る事は無いと安心しているからではないですかね。信頼の証ですよ」

というか、男にそんな事を言わせますか、と山口は少し恥らった。理詰めの長州人は()ういった情緒というものに全般的に疎い。

「ほー?」

山口の新しいいじり方が出来たな、と久坂の顔が語っている。益々始末が悪いと山口は気落ちした。

「でも、あんな大事そうに持ってるのにか?」

久坂の疑問はまだ解消されぬ様である。


「安物そうだったしそんな大層な刀には見えなかったけどな・・・」

「―――其、別に刀が大事という訳ではないんだと思いますよ」


「へえ?」

久坂は眼を大きくした。山口は同じ暗殺者として、彦斎の心理が何処と無く理解できる様だ。

「俺には暗器(コレ)がありますから剣に執着しなくていいですが、あの人達って剣しか無いでしょう?室内戦になると剣を早く抜いた方が勝ちですから、目を瞑っていても確実に感じられる処に無いと不安なんじゃないですか。其に、暗殺者(オレたち)は自分の身さえ護ればいいという訳ではありませんからね」

刀を気楽に預けられる相手が出来る程、逆に刀が手離せなくなってゆく。そういった点で言うと、刀は凡て妖刀なのかも知れない。

「佐倉も最近剣を抱いて寝ている時があるんですよ。天誅を始めたばかりの時期と佐幕方(あいて)の質も変ってきましたからね。返り討ちに遭う同業者も増えてきている。だから俺としては、佐倉に自衛の方法として暗器の使い方も教えて()りたいんですけどね?もう心配で心配で」

「お前、正月に色々吹っ切ってから、何でもかんでも佐倉だな。教えて遣りゃいいじゃねぇかよ」

「剣以外になかなか興味持ってくれないんですよあの子!」

山口が山口らしくなく取り乱す。「あの子」に久坂は吹きそうになる。

「もうすっかり家族の様な響きだな」

久坂が言うと、山口は顔を真赤にする。兄貴みたいだわ。と続けると、山口は久々に久坂に翻弄されて引っくり返った。

「はははっ!」

久坂は哄笑する。

「でもまぁ“お母さん”からは昇格じゃね?」

「そういう意味での“家族”からは早く脱却したいものです・・・」

山口は起き上がって頭を押える。仕種まで佐倉と似てきている。好意を持つ相手に段々振舞いが似てくるという話を聞いた事はあるが。


「ああ久坂さん、話を戻す様ですけど、この間尾行(つけ)られていましたよ」


「えっ」


突然、山口の口から恐ろしい言葉が呼吸と一緒に飛び出してきて、久坂は背筋を氷が奔る寒さを感じた。

「久坂さんを狙っている訳ではない様でしたが、一応殺っときました。だいぶ治安は悪くなっています。外出には気をつけてください」

―――彼等が刀を抱いて眠る理由が一瞬にして解った気がする。暗殺者達は情勢の変化を逸早く嗅覚で感じ取っている様だ。

(・・・負担が増えてきているのか)

と、久坂は思った。確かに、今京に居るのは攘夷派ばかりとは限らない。浪士組も来たし、薩摩・肥後・越前・会津・宇和島・水戸・因幡・阿波。無論長州も居る。今の京は、様々な思惑が()い交ぜになっている。


上の藩は御親兵の飽く迄一部を挙げているが、この中で真先に退いたのは越前藩と会津藩である。会津は八月十八日の政変前に復帰するも、越前は到着後すぐ任を解かれる形となった。薩摩は越前藩が去ると、例の如く兵を京にのさばらせつつ独自路線を突っ走る。


土佐は始めからマイ‐ペースであった。土佐が兵を出すのは八月十八日の政変前になるも、その頃、武市は政界から消えている。詰りこの時から八月十八日の政変までの間に、前藩主容堂に拠る勤皇党弾圧は開始された事になる。




「―――帰国?」




ドターン!!



「!!!???」



床を(つんざ)く轟音が鳴り響き、一室で話をしていた三人は愕いて肩を跳ね上げた。


「何だ!?」

「奇襲―――?」

「この長州藩邸に・・・・・・?」


宮部は苦い顔をして武市を見た。武市は刀を握り、久坂と宮部を己の後ろへ回す。武市は剣の達人でもある。

果敢に障子の戸を開ける。が―――その冷徹な瞳が戦慄に震えた。



―――・・・何だ、この禍々しい気は―――・・・・・・



「・・・・・・・・・」

久坂にも其と判る明瞭(はっきり)とした殺気である。久坂は息を詰らせた。藩邸内に居る藩士達が続々と外へ飛び出して来る。大地震の再来の様だと誰かが呟いた。


「武市さん」


宮部も見た目武市と同様に冷静そうだった。只、少し切羽詰った声で武市に話し掛ける。武市は宮部を流し眼で見ると


「・・・・・・殺気が充満していて場処の特定が容易ならない」

「其なら」


武市の独り言めいた口調に宮部が反応する。宮部は道場がある方角を指さした。武市は驚いた眼で宮部を見るも、(うなず)いた。

下駄を履き、枯山水の箒目に沿って歩く。


「宮部さん、抜けるなら剣を」

「いえ、抜く必要は・・・」


宮部の表情がみるみる引きつってゆく。武市は怪訝な顔をした。畏れ慄いているというよりは気まずい方向に表情が歪んでいる。


「宮部さん、武市さん・・・・・・?」

競う様に道場へ向かう宮部と武市の背中に、久坂は完全に置いていかれている。



「・・・・・・」

なるほど、道場には藩邸全体を覆う殺気より一際強い“殺意”が漏れていた。武市は宮部の判断の精確さを意外に思いながらも、自身もこの殺意を経験したのは初めてではないと、立つ鳥肌に教えられた。

宮部はすたすたと道場に近づき、躊躇い無く扉を開けた。直後、武市は思わず刀を握る手に力を入れて、宮部は思わず頭を抱えた。



「轟さん・・・・・・」



佐々と共に上京した轟 武兵衛が、周囲の空気を物理的にも捻じ曲げて立っていた。



「これは暗殺者か、其とも俺の護衛対象か!?宮部」



稔麿と、彦斎、そして佐々が道場内に居た。何れも宮部と同じ様に頭を抱えて、葬式の様な空気が漂い始めている。



久坂が遅れて道場に着いた。宮部と武市に間を開けて貰って道場内を覘くと、佐倉と山口が折り重なり、目を回して倒れていた。


「・・・・・・あちゃー・・・・・・」

「・・・・・・彦斎・・・・・・何で選りに選って轟さんを・・・・・・」

「んにゃ、えっとですね・・・・・・僕ではどうしても稽古にならなくてですね・・・・・・佐倉しゃんは轟先生の稽古受けた事あるけん、よかかなと・・・」

はっ!と佐倉が先に息を吹き返す。山口が自身の上に乗っているのに気づいて一瞬顔を紅らめた後、や、山口さん、山口さん!?と慌てて山口の名を呼んだ。山口は自身を抱いた侭倒れ込んでいる。


「山口さんーーー!!」


「・・・・・・何をしました?轟さん」

佐倉(あのもの)の稽古をしている途中に山口(このもの)が飛び込んできただけだ」

ーーーっ・・・ 宮部が轟の肩に手を置いて無言で諫める。確かに、こんな殺意丸出しで稽古と言われても、稽古を名目として殺されるとしか思えない。

其で、反射的に佐倉を庇いに入ったか・・・

「いっ・・・痛たた・・・・・・」

「!山口さん!」

山口が気がついて起き上がる。すると山口も、すぐ近くにある佐倉の顔にドキンとする。慌てて頭を上げると目の前がくらっとなった。

「あーっと山口さん。頭打っとるけんゆっくりせなんよ。ゆっくりと・・・」

彦斎が山口の身体を支えて引き起す。山口の顔が朱に染まっているのを、彼等の救護に入った彦斎と稔麿は見た。

・・・佐倉の頬もつられて再び紅みを差している。

「―――大丈夫か」

稔麿が佐倉に手を差し延べる。佐倉はぎくりとして少し躊躇ったが・・・諦めて素直に稔麿の手に手を重ねた。

(あ・・・・・・)


「・・・・・・轟 武兵衛さん。私の先輩で、河上君の剣の師匠だ・・・・・・」


宮部が脱力した情態で紹介する。武市は陰影(かげ)の差す暗い貌を眼にしてとっくに思い出していた。佐々も縮み上がっている。

「俺が護衛をするは、この男か」

・・・轟が顎をしゃくった事で、久坂は自分の事を言われているのだと判った。久坂と轟は初対面である。

(―――怖ええええええぇぇぇぇぇ―――っ!!!)

久坂は心の中であらん限りの悲鳴を上げた。護衛というが護衛に殺されそうな勢いである。殺人鬼の間違いではないか。人斬り(彦斎)の師匠という点でしか全く合点がいかない。

「ま、まぁ、詳しい事は叉後程・・・」

取り敢えず稽古は中止とし、全員道場から離れる。外に出ていた邸内の藩士達が歩く殺意に恐怖して、今度は我先にと室内へ戻った。宮部の手に負えない肥後の志士がもう一人・・・

「遣りすぎです、轟さん」

列の後ろで宮部が密かに轟を小突く。轟は不思議がる語調を言葉に籠め

「人を斬る事に遣りすぎも何もあるか」

と、言った。

「道場剣ではなく暗殺剣の稽古を頼まれたものでな。手加減は出来ぬわ・・・河上(あのでし)がもう少し使えれば俺が相手をする事は無かったものを」

ニヤ・・・と轟が哂ったのを久坂は見もせず感じた。流石は彦斎の師匠だと、久坂はおどろおどろしく想うのであった。




一室に布団を二つ並べて、佐倉と山口は横になった。二人とも頭を打っているという事で、大事を取って安静にという事になったのだ。

「・・・・・・」

佐倉は己の頭に触れて、ドクンドクンと鼓動が高まるのを感じていた。佐倉の方は大した痛みではない。山口が掌で自身の頭を叩きつける床から守ってくれたからだ。

佐倉は煩悩を打ち消す様に、冷たい水に手をつけて何度も手拭を絞った。看護に集中する為にしている事なのに、指先は愈々(いよいよ)(かじか)んで自由が利かなくなっていって心の麻痺の方に逆に近づいてゆく。

「―――佐倉」

―――山口が話し掛けてくる。佐倉は物凄くたじろいで振り返った。ころんと山口は寝返りを打って

「俺は大丈夫だから、お前も休め。お前もあの一撃を受けたんだから」

と、優しい声で言った。佐倉の恥かしさは頂点に達して、ばふん!と思いっ切り布団に飛び込んだ。




攘夷親征および攘夷期限に向けて、彼等は動き始めている。

佐倉、山口を除いた先程の顔触れに寺島 忠三郎と土佐藩他藩応接方・平井 収二郎を加えて話し合いは再開された。

彼等の会話を聞く前に決定事項を要約的にざっと記述してみると、先ず、攘夷親征と攘夷期限でこの場に居る彼等の動きが分れる。


『攘夷親征』―――孝明天皇に拠る攘夷祈願の為の大和行幸―――に随行するは、現在京に居る10程度の諸藩の藩主と長州藩世子・毛利 定広公であるが、定広公の小姓として稔麿がついてゆく事となった。決行は8月17日。目的地は神武天皇陵。

『攘夷期限』はこの期に及んでは下関戦争と同義と捉えてよかろう。関門海峡を封鎖し、我が物顔で通過する外国船に砲撃を浴びせる。決行するは長州藩。援軍に、小倉藩・水戸藩・肥後藩・久留米藩・姫路藩・土佐藩。この一行に、肥後熊本藩主細川 韶邦、河上、轟等肥後勢の一部が御所警備を一時抜け参戦する。勿論、定広公や久坂、稔麿、寺島等も攘夷期限に合わせて帰国する。

()て、この攘夷期限即ち下関戦争、内容は決っていたが期日だけがなかなか定まらなかった。幕府側の逃げである。古高や楢崎先生の様な(ほだし)の持ち方に拠って、朝廷と強固な結びつきを持ちつつあった長州藩は、御偉方と直接面会が可能なところにまで立ち昇っていた。久坂と寺島 忠三郎は幕府および朝廷に攘夷期限の決定を迫るべく、近く公卿・鷹司(たかつかさ) 輔煕(すけひろ)邸を訪問する事となっている。

その久坂と寺島の護衛(という名の威圧)を轟 武兵衛がするのだ。


「・・・・・・;;」


・・・・・・確かに、轟がいれば公卿も久坂等をあしらう事は出来ないだろう。期限も決めていなければその場で決める事になる。でなければ(公卿が)死ぬ。

元々公卿には、攘夷期限に関して許容が無ければ(久坂等が)死ぬと宣言している。轟は、そうならない為に肥後勢が用意した切札であろう。

其にしても「はいor die」・・・・・・何だか鷹司卿が気の毒に思えてきた。


「永鳥から文を送る迄は帰藩(かえ)って来るなと言われているからな。(たま)には志士の真似事もよいだろう」

轟の殺気が更に強くなる。彦斎や武市さえも轟を見て若干平常心ではなくなっている。“遣る”気ではなく“殺る”気だろう、其は。そういえば、永鳥さんにはもうかなり逢ってないな、と久坂は思った。―――元気にしているだろうか。

肥後は現在、この様に協力できる態勢が整いつつある。諸侯と顔を合わせる機会があって、定広公の方からも韶邦に声掛けをしているらしい。韶邦は攘夷に関して特に異論は無い様だ。関門海峡でも砲台を提供し、自身もイギリス艦に砲撃している。

一方、土佐もその心算で準備を進めていた。その為に下関戦争の援軍にも名が挙がっている。



併し、越前藩第16代藩主・松平 春嶽が幕府の政事総裁職を辞任して、土佐藩内の状況のすべてが急変した。



松平 春嶽が辞任した事に由って、山内 容堂が土佐に帰国し、藩政の主導権を握り始めたのだ。

越前藩主の問題で何故土佐が、という疑問が浮んでくると思われようが、春嶽と容堂は気心の知れた友人同士であり、同時に公武合体派の第一等であった。公武合体派に拠る運動は、この松平 春嶽と容堂、横井 小楠、レッツパーリィの子孫伊達 宗城が中心となっており、久坂等と同じ様に、否久坂等より幅広く、朝廷や幕府に対する工作をしていた。其がである。如何いう訳か、越前藩の藩論が春嶽の居ぬ間に一転し、春嶽含めた公武合体派の役人が一斉に解職・更迭させられたのだ。この政変に因って春嶽の立場は失墜、公武合体派は勢いを失い、小楠のみならず春嶽も帰藩を余儀無くされる。だから越前藩の兵はすぐに退いたのだ。


容堂は春嶽の解任に烈しく憤り、春嶽が京を出るとすぐに自身も帰藩する。そして―――・・・



「我々は帰国命令が出た」



―――全員が武市と平井 収二郎に注目した。

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