六十二. 1863年、翠紅館~前兆~
「永鳥先生」
―――外面がいいのは、肥後人の共通点である。
「―――何だい?」
―――自らの背を追う緒方 小太郎に、永鳥は優しい顔で振り返った。傍から見ると、部下が上司の背を追う理想的な関係に想える。
永鳥は佐々と違い、緒方に付きっ切りでいる訳ではなかった。隣に並んで歩く事も無く、緒方に背中を見せている。
人混みにすぐ紛れる薄い背中。すぐに一突き出来そうな程に、ゆらゆらと左右に揺れている。
(・・・・・・)
―――肥後の城下も珍しく今日は、雪が降り、凡ての景色を灰と黒の二色に染めている。空はどんよりと曇って、僅かに積った雪は人々の足裏の体温を受けて片っ端から融けてゆき、土と雑じって純白には留まらない。其が肥後の雪である。
・・・・・・永鳥の顔も蒼白い。
「折角だけん、屠蘇でも買っち行きまっせんか。僕、今年は誰とも正月ば祝ってなくてですね・・・永鳥先生とも佐々先生の時みたいにもっと話ばしたいと思っとったところですし。一緒に祝ってくれまっせんか?」
「・・・・・・」
・・・・・・いつか斯ういう刻が来ると思っていた。肥後も何だ彼だ九州男児の地で、酒と男を切り離す事はあり得ない。
「いいよ」
永鳥は微笑んで答えた。決着が着く予感がしていた。同時に、決着を着ける覚悟も決めていた。
「思想次第では親戚同士でも関係無いのがうちの藩の特徴だからね」
永鳥は両手を擦り乍ら言う・・・その声は雪の所為かどこと無く空虚だった。
「1863年、翠紅館」
文久3(1863)年1月27日。各藩の錚々(そうそう)たる顔触れが、西本願寺の別邸『翠紅館』に顔見世する。
―――顔見知り同士が顔を合わせているにも拘らず、息が詰る程の緊張感である。
彼等は藩ごとに纏まり、ずらりと一列に並んで正坐をしていた。今回は皆、各藩の代表としてこの座に就いている。
上座に就くは長州藩で、顔触れは久坂 玄瑞、寺島 忠三郎、井上 聞多に『甲子殉難十一烈士』として知られる松島 剛蔵、大和 弥八郎、渡辺 内蔵太等を加え9名。更に、藩主世子・毛利 定広も参加し、定広公を中心として席は決った。
次に、水戸藩。坂下門外の変の生き残りである住谷 寅之介や下野 隼次郎を筆頭に、藩の追尾から逃れている志士計14名。
肥後藩。勤皇党代表・住江 甚兵衛を筆頭に宮部 鼎蔵、佐々 淳二郎、河上 彦斎、そして、松田の代理の山田 十郎。計5名。
土佐藩。勤皇党代表・武市 瑞山ならびに他藩応接方・平井 収二郎。2名。
続いて、対馬藩より多田 荘蔵と青木 達右衛門。多田は薩長同盟の隠れた功労者の一人であり、後に奇兵隊の一員となる。2名。
最後に、津和野藩(島根県)より福羽 美静。1名。
併し、何も最初からこんな硬い雰囲気だった訳ではない。集合も定刻きっちりに皆正坐っていたのではなく、藩ごとにまちまちだった。県民性がよく表れる。
も、土佐藩は武市が土佐人の例外的存在である為、県民性から外れて確り時刻に合わせて来ている。
津和野藩の福羽も、1人だからか時間に正確である。対馬藩の2人も然り。
長州と肥後は一緒に入って来た。彼等は翠紅館の庭先で逢って、其処でぺこぺこ自己紹介を始める。長州勢は全員が御楯組のメンバーであり、久坂を除いた全員が堤の死と関っている。奇しくも堤の死をきっかけとして、宮部・彦斎と彼等は親しくなった。
「代表の住江 甚兵衛です」
・・・只、あの出来事から宮部の態度が少し変った。長州派志士に対する姿勢と謂ったが宜しかろうか。
松陰の死以来、松下村塾生を遠目に見守ってきた宮部だが、見守るだけでは矢張り足らぬと思ったらしい。以前より介入してくる様になった。・・・・・・その時の空気が、日頃と違いすぎる。
学校の厳しい先生といった感じだ。「だめ」と言ったら「だめ」である。長州人お得意の理屈は一切聴かない。反抗しようとすれば見捨て兼ねぬ冷たさ。松陰の下で伸び伸びと育った長州の若者達は震えあがったが、彦斎の涼しげな顔を見ると如何やら之が本来の宮部の姿らしい。
恐ろしいが、之迄宮部を包み込んでいた余所余所しい空気は消えた。基本的に、久坂や桂の言う慎重論に皆が従っている時には宮部は之迄の穏かな宮部の侭である。余所余所しさが消えた分、怖さも優しさも非常に近く感じられる様になって、長州の志士にとって師の代りの様な、或いは保護者代りの様な頼れる存在となりつつあった。
池田屋で吉田 稔麿と共に志士の纏め役を任されるのは、この変化があっての事かも知れない。
「寅次郎の友人で、佐々 淳二郎だ」
長州一同は淳二郎を見てびっくりした挙句、笑いが止らなくなって仕舞った。
佐々は高杉以上の上士である。眼鏡も着物もお金持ちの其で、いい。細身で、如何にも頭脳派といった教養人である。が。
身形に独特のセンスが光っている。
(肥後にもこんな人種がいたとは・・・・・・)
攘夷派といい乍ら高杉・坂本と同じく柔軟性があるらしく、西洋よろしく袂を絞った服を防寒で着物の下に着込んでいる。
其なのに、髪が短い。
先日、高杉が髪を切って仏門に入ったという報せを聞いて顎が外れそうになったが、其位のパンチが佐々にはある。
各藩に一人はこんなパンチの効いた野郎が居るという事か。
(高杉の仲間がいた・・・・・・)
そして本人に口を利いてみると
「あ~髪形ね?其処な彦斎に天誅の時に間違うて髷ば切られちからなかなか伸びてこんとたい。毛根が怖がっとらす」
ユルイ。宮部と山田が決りが悪い様な、冷や汗を掻いて、苦笑している。確かに、以前枡屋で遭遇した肥後勤皇党の儀式の如き厳かさとは全く無縁の人物に思える。
「は、はっ・・・」
松陰の友人の種類に全くブレの無い事と宮部のブレない対人態度の背景を考えると、笑いが込み上げた。
「淳二郎・・・笑われとうぞ」
「おろ・・・なんでやろ」
「自分の胸に手を当ててもう一度よく考えてみろ・・・」
宮部が珍しく呆れ返った顔をして言う。考え方は同じに出来ても、佐々のセンスに関しては宮部でも未知の領域に達すらしい。
ぞろぞろと部屋に入ると、武市 瑞山と平井 収二郎、福羽 美静が既に坐っている。
彦斎が武市の前を通る。互いに眼が合った。彦斎の方が見下ろしている・・・が、公に於ける立場は武市の方が上である。
武市はその事については特に問題とせず
「―――裏役(人斬り)が表舞台に出てくるか」
と、言った。
周囲が驚いて彦斎を見る。「人斬り」の呼び名は其だけで高いステータスを帯びる様になってきていた。同時に、同志とは何だか質の違う、「人斬り」という別枠のジャンルに切り離されつつある。
「・・・表の計画も知らにゃ天誅の予定も合わせ難かけんねぇ。そぎゃん事より、岡田しゃんは息災ね?」
彦斎は瞳に軽侮の色を籠め、ふっと哂う。武市も見上げているが見下している。互いの顎が段々と天井に向かって伸びてゆき、傍から見ると非常に低レベルで滑稽な光景に感じられる。
(武市さんの雰囲気が崩れていく・・・・・・)
宮部が入って来る。宮部も叉、武市の前を通る。武市の存在に気づくも、彦斎の様な敵愾心は全く見せず、好意的な笑顔で
「こんにちは武市さん。久し振りですな」
と、武市の目線まで腰を落して挨拶をした。武市と宮部の間には何の蟠りも無い様に見えるも。
「・・・お久し振りです。河上さん(人斬り)を、まさか斯様(大事)な会議に連れて来られるとは」
武市は若干遠回しではあるが彦斎に対する事と同じ事を言った。宮部は皮肉に気づかない様子で
「河上君は確かに人斬りかも知れませんが、其以前に我々の同志ですからな。其より、岡田君は息災ですか?」
にこにこ笑顔で地雷を踏む。宮部と武市の周囲に黒い靄の様な空気が立ち込める。双方、口は笑っているが眼は笑っていない。
(宮部さんも相当だよな・・・すげぇタマだぜ・・・)
まるで教育方針の違いで対立する親同士の構図。最早之が彼等のコミュニケーション方法なのではないかと久坂は思った。
「ほうほう久し振りですばいな。武市しゃん」
そこへ佐々 淳二郎。
武市は佐々の姿を見ると、過剰な迄に驚いてみせた。
「岡田しゃんは息災にしよんなはりますか?」
と、佐々が之叉悪びれもせず訊くも
「え・ええ・・・」
・・・武市は視線を逸らして答える。佐々を視界に入れない様にしている。武市はどうも佐々が苦手の様だ。其も好き嫌い以前の話で。
(へえ。坂本の事は平気なのにな)
久坂は観察し捲っている。宮部と彦斎も意外そうな眼で武市の反応を見ていたが
に や ・・・
二人揃って同じ笑みを浮べたのに、弟子師に似るとはまさにこの事だと思うと共に、一体誰だよあんたたち・・・とツッコみたくなった。
そんなこんなしている内に水戸の大所帯が遣って来て、暫くざわざわ騒いだ後に、漸く会議の空気が生れた。




