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五十二. 1862年、寺田屋

「1862年、寺田屋」



文久二年九月末日―――・・・


「へぇ。生麦でねぇ」


久坂と坂本 龍馬は、寺田屋で世間話に興じていた。坂本は江戸から先日京へ上ったところで、東日本の情勢に精しくなっている。

「・・・久光公も、志士の運動には反対しておきながら、攘夷を実行してくれるじゃねぇか」

二人は生麦事件について話をしていた。8月21日、武蔵国橘樹(たちばな)郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)に於いて、大名行列を乱したイギリス人を、薩摩藩主の父・島津 久光の一行が斬り捨てたアレである。久光は寺田屋事件の後、江戸へ出向き、幕府に対し改革を迫っていた(文久の改革)。この島津の圧力によって京都守護職が誕生したのだから何やら因果めいたものを感じる。

「行動がまるで掴めねぇな」

志士が一掃されても猶、目の離せない藩だ。外国に(なび)いている訳ではないらしい。察するところによると、徳川も外国も手中に落したい、そういったところか。些か()り方が単純すぎて逆に勘ぐって仕舞う。

坂本は興味無げに茶を飲んでいる。そういえば、土佐は島津以上に行動の一貫しない山内 容堂公が藩に返り咲いたと聞いた。

「武市さんの方は如何だ。元気にしているか」

武市は吉田 東洋の暗殺に拠り藩の政権を握って以降、他藩応接方に就き、江戸と京坂を行き来する日を送っている。現在は攘夷督促の一行に(したが)って江戸に出、島津同様、幕府に圧力を掛けていた。

「武市さんが偉くなって、脱藩浪士(おまえ)の羽振りも良くなっただろう。活動もし易くなるな」

「ああ、そこについては感謝じゃ」

坂本は湯呑から口を離しにかっと笑った。

「薩摩が先に異人を斬ったき興奮しちょってのう。次は土佐が攘夷の番じゃー言うちょる」

「はっは。いーんじゃねぇの。長州藩(うち)もぜひその後に続きたいもんだな」

「ちゃちゃちゃ。皆言う事が物騒になってきたにゃあ」

坂本がまるで見物人の如く、鳥瞰的に言う。久坂は坂本のそんな態度が可笑しく思えて仕方が無い。口許がついお留守になる。


「なぁーに澄まし込んでんだよ」


久坂は少し意地悪な顔で言った。意地悪に(わら)って、不敵である。


「お前だって斬りに行くんだろうが。其とも、斬った後でその余裕かい」

「おぉ。知っちょったか」


坂本の方は、自分の事であるのに今思い出したという顔をする。どこまでも変らず、空気に呑まれる事の無い男だ。

「長州藩の情報網をなめんじゃねぇよ。というか武市さんが逐一教えてくれるんだよ。

・・・で、誰を斬るんだ?どうもお前を誘っているのが、北辰一刀流千葉道場の師範代だというのが武市さんの見立てだが?」

「半平太のヤツもいつまで俺の保護者でいる気じゃ」

坂本は苦笑する。武市は如何やら、坂本には人を殺させたくないとみた。脱藩の件に関しても、実家の家族よりも武市との方が揉めたとぼやいていた。



「勝 海舟ぜよ」



坂本はのほほんとした態度の侭言ったが、久坂はその名を聞いて僅かに瞳の色が変った。


「へぇ・・・“勝 海舟” ・・・・」


「あぁ。どんな男か知らんが殺せち言われた」


久坂は無論その名を知っている。積極的に殺す動機は無いものの、消えてくれたら其は其で助かる幕臣だ。人物が大きすぎる為、放っておいても(いず)れ誰かに斬られる。

「んで殺しに行くと」

半分ご愁傷さまと思いながら言った。併し、坂本は袖で口許を拭い、坂本らしい意外な返しをした。

「いんや」

「は・・・?」



「殺すかどうかはその男に実際会()うて、オレの眼で見極めてから決めるき」



―――久坂はぽかんとした。だが、すぐに納得する。あぁ、この男は“日本人”だったな、と想う。土佐にも武市にも染まらぬ男だ。

くっ、と笑いが込み上げてきた。

「ホントに変わってんなぁ、坂本」

「そうか?」

坂本はよくわからないといった顔をする。いやいやそういうところがいいと久坂は思う。矢張りこの男を選んでよかったと思った。

そろそろか。

「そういや、お前に会わせたい奴がいる」


「久坂様・・・」


女中が襖を細く開き、遠慮がちに久坂に声を掛ける。いい具合に来た様だ。


「構わん。通せ」

「“会わせたい奴”か?」

「あぁ」

失礼致します、と言う高めの声に続いて、(くだん)の少女が姿を現した。

「久坂先生、お呼びでしょうか」

「まぁ、入れ」

久坂が入室を促す。少女は少し不思議そうな表情をするも、素直に部屋に入り久坂の脇に控えた。

「坂本、コイツ、最近吉田が連れて来た佐倉 真一郎」

久坂が坂本に佐倉を紹介する。佐倉は臨機応変に判断し、

「佐倉 真一郎と申します。以後、お見知りおきを」

坂本の方に身体を向け、頭を下げた。

「んで佐倉、こっちが―――・・・」

「オレは坂本 龍馬。よろしく」

坂本は久坂から言葉を引き継ぐと、半ば食い気味に自己紹介をした。佐倉に興味津々である。

「コイツ、剣強ぇぞ」

一方、坂本に然したる興味も無さそうな佐倉に久坂は斯う吹き込む。すると、みるみる瞳に光が宿り、起伏の少ない顔に紅みが差した。

「何じゃ?」

坂本が不思議がる。

「コイツ剣強ぇ奴に目が無ぇのよ」

と、久坂が補足すると、案の定坂本は益々食いつく。

「へぇ・・・おまん、流儀は?」

と、佐倉に問う。佐倉は・・・流儀?と言いたげに、少し耳慣れていない様な表情をした。

「あ、ありません」

「無い?おまん、幾つきに?」

咄嗟に放った佐倉の答えに、坂本は猶も突っ込んで訊く。佐倉はたじたじとなりながら

「じゅ、15になります」

「15?珍しいにゃあ。それで“殺し”やっとんじゃろ?」

「我流でそんだけ腕があるて事さ」

久坂が助け船を出す。因みに、久坂は助け船を出す迄の間、坂本に押しに押されて振り回される佐倉をにやにやしながら見ていた。

「へぇ・・・」

坂本の反応が、意味深なものに変った様に聴こえた。

「どうだ?興味沸いただろう?」

「ああ、見てみたい」

久坂は特に気にしなかったが、佐倉があ、でもと自制に入った。久坂、口は出さないが内心詰(つま)らないと思っている。

「先日、傷を負ったばかりで今は安静にと医者に言われているのですが・・・」

「そうか・・・なら“またの機会”きね」

流石の坂本もしぶしぶ承知する。久坂はあーあ、と思って聞いていたが


「そういや、お前あれから医者行ったのか?」

「へっ?あ・・・いえ・・・」


・・・・・・。久坂は着物越しの佐倉の腕を見た。その“医者”が家族である情報くらい久坂は耳に入れている。併し、佐倉は山口以外には隠す気でいるらしくこちらが隙を見せて遣った時にしか行かない、というか帰らない。其は其で化膿するから好ましくないのだが。

「気をつけろよ。放っておくとすぐ腐るぞ」

「え!?」

・・・少し脅しを掛けておく。

「今すぐ行って来い。オレの知ってる所が近くにあるから」

困るんなら実家に帰る事だな。之ほど(けしか)けているのに佐倉はまだ言い淀んでいる。・・・・・・・。

「お前、行く気無ぇな?」

第二弾を発令する。だが、佐倉が行く気になる前に想わぬ処から奇襲を仕掛けられた。仕掛ける奴は一人しかいない。

「んならオレも行くぜよ」

坂本である。

「「何で」」

久坂だけでなく佐倉も素になってツッコむ。

「ちゃんと医者に行くか“見張り”として同行するき」

・・・・あ、コレはバレたな。と久坂は悟った。どう転んでもバレるわ。坂本にバレるか、紹介する医者にバレるかの一択か両方だ。

久坂は黙っていてくれそうな医者の地図を脳内で想い画き


「まぁいいや。よし、任せた」

「え゛ぇ!?まぁいいや!?」


懐から筆と紙を出してさらさらと記す。坂本はテンション高く


「ははっ、任された!!」


と、彼の特徴であるにかっと笑いをした。

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