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四十九. 1862年、土肥~暗殺者候補~

(やが)て肥後の人間より返信が来る。とはいえ、実質的には一人からであった。宮部には彦斎とこうこう斯ういう話をしているという報告である。土佐勤皇党と違い、肥後勤皇党に於ける人斬りの決定権は宮部ではなく彦斎本人に在る。

両者とも、相承知した、という返答であった。といっても、京に彼等が居ない限りは余り意味が無いものなのだが。

在京する肥後人にも報せ、この内堤 松右衛門は何度か以蔵に協力している。詰り、彼が兄の堤 又左衛門の仕事をし、彦斎と同じ役割を果した―――斬った、という事である。



―――斬ッ!!



遂に長州藩士に拠る天誅が始った。この時期が尊攘過激派に拠る天誅の最盛期となった。彦斎が不在の時に京の暗殺は隆盛を極めた事を能々(よくよく)史実を追う読者には知っていて欲しい。突如として天誅に因る死者が爆発的に増えるのは、彼の手腕(うで)に由るものではない。


重ねていうが、彦斎の人斬りの異名には少なからず雉子車こと堤兄弟の行ないが影響し



―――ドサッ!!



―――死者が之迄の数倍に膨れる事となる、確実に敵を仕留めた手腕(うで)は、彼等のものである。


「――――・・・はぁ、はぁっ、はぁ・・・っ」

「―――山口、大丈夫か」

稔麿が血振いをして刀を納める。初めの方は彼等二人一組で天誅を行なっていた。軈て、長州藩正義派が上京するに(したが)って検分役が選出され、検分役と対となった単独行動での任務となる。この頃、長く藩外で活動していた稔麿が外交に手練れているとして正義派の重役となり、短い期間で稔麿は実行犯を下りる事となった。

「―――いいのか」

「ん?」

稔麿が久坂に改めて訊く。久坂はさらさらと筆を滑らせつつ訊き返す。可也忙しそうだ。

「―――俺の仕事をラクにしてくれよ」

にへらと力の抜けた笑みを浮べ、久坂は軽い調子で言った。・・・実際、少し疲れている。之迄、頭脳(かしら)は久坂一人で、稔麿を動かし、山口を動かし、検分役に指示を与え、長州本国の問題にも眼を光らせている。詰り久坂が倒れて仕舞えば、総てが滞る。

「―――了解(わか)った」

―――頭脳も分散させる必要がある。

「江戸に呼び出されたんだが、桂さん同伴じゃないと俺は動けないだろ?だからさ」

理論武装は長州人のクセである。裏を返せば、稔麿は之より江戸へ発たねばならなくなった訳だが。

「だが、討ち手が足りなくなるだろう。山口は人を斬るのにもう慣れたのか」

「・・・そう言うお前は天誅初日でもまっったく顔色変えなかったよな」

久坂が若干引いた顔で稔麿に当て擦る。だがこの時も稔麿は表情を一切変えず、淡々とその皮肉に応えた。


「江戸に居た時に既に斬ったからな。慣れるには充分な期間江戸には居た」


「・・・済まん」

思わず久坂は謝った。稔麿は決して他者に弱さを見せない性分であった。年長者として山口の前で狼狽えぬよう、独りで暗殺に因る(ごう)を乗り越えてきたのだろう。

「アイツは大丈夫だよ。検分役は気の利くヤツを択んでおいたからな。結局は知り合いの長州藩士だし、正体を知ると安心するだろう」

「ならいいが」

稔麿は若干声を和らげた、様に感じた。稔麿の感情の琴線は基本読み取り難く、変化も判り辛い。

「だが、人手が足りない事には変りが無いだろう」

「んー・・・」

久坂は空返事をする。確かに、人手は少ない。実質山口のみと謂ってもよい位だ。長州藩の闇なのに検分役以外の長州藩士は何もしていないではないかと思われるかも知れないが、そうではない。


長州本国は大転換を迎えていた。先ず、高杉が上海から長州に帰国した。同時に、長州本国で采配を揮い始め、久坂でさえも歯が立たなかった長井の不動の地位が俄かに翳りを差し始めたのだ。高杉が指揮を執り始めた途端にコレとは、矢張り高杉には(いくさ)の神が宿っている。

その混乱に乗じ(恐らくは高杉の策であろう)高杉の子分伊藤 俊輔等が長井 雅楽(うた)に奇襲を掛ける。伊藤等は失敗したものの第二軍がすぐに叉仕掛ける。高杉と御癸丑(ごきちゅう)以来の連携であった。久坂の藩外への喧伝もあって長井はスキャンダルを多く抱える事となり、更に坂下門外の変、寺田屋事件を受けての全国の志士の暴動、幕臣の失脚と次々と逆風が吹き、長州藩の俗論派は追い詰められつつあった。水戸の志士や薩摩志士の犠牲は、決して無駄死ににはならなかったのである。


そういう事で、長州藩の正義派達は藩内の裏の仕事で出払っている。高杉と相連繋して幾らかこちらに回す事も出来なくはないが、水を差すと形勢が逆転する可能性が考えられた。特に高杉は、気分の(むら)が激しい。機嫌を損ねると、敗けても屁とも思わぬ男だ。・・・そこがまぁ、大物の器ではあるが。


かといって今この時期に天誅の手を緩める訳にはいかない。理屈は長州本国と大まかには同じだ。土佐に(たの)めば遣ってくれるとはいえ全体の効率は悪くなる。そして、意外な事に桂が、土佐の人斬り達に天誅を任せる事を(よし)としなかった。山口の事を考えても、節制の二文字はこの段階ですべきではない。

「・・・・・・高杉の帰国を知っていれば、もう少し振り分けも考えたんだが」

久坂が背伸びをしながらぼやいた。・・・検分役を実行者に回す手も浮んだが、実行者を単独(ひとり)にするのはどう考えても不味い。土佐勤皇党さえそんな采配はしないし、第一、検分役に人を斬り、同心等から逃げ切る程の手腕(うで)は無い。



「―――探して来るか」



稔麿が湯呑を置いて訊く。久坂は机に突っ伏して、見もせずに湯呑に手を伸ばした。

―――んぁあ―――・・・と返事も適当だ。が



「―――如何する心算だ?」



と、問う。声が通常より低い事から、真面目に聴いていた事が判る。


「長州藩士を天誅活動に駆り出せない事はお前より俺の方が熟知している程だぞ。―――・・・吉田、お前、藩外(そと)の者を天誅に引き込む気でいるだろう。当てはあるのか」


・・・久坂は身体をゆっくりと起した。

「―――素性が判らないのは困るぞ」

・・・・・・目を擦りつつ稔麿を見るも、その視線は存外鋭い。

「お前が“探す”という事は、何処かの藩に所属する藩士を考えている訳ではない様だな。尤も、そうであればその藩の勤皇派ごと抱き込んで協定を結んで仕舞う方が早いが・・・そんな藩があればとっくに長州藩(オレら)に声が掛っているか。肥後さんや土佐さんから新たに募る訳でもないんだろう?」

寺田屋事件で福岡の真木和泉まで捕えられて仕舞った今、協力的なのは其等の藩に絞られるが、其等の藩は何れも独自の暗殺組織を持ち、改めて意思を確め合う仲でもない。となると、稔麿の見ている方向は藩の背景や仲間を持たぬ浪人、という事だ。


「・・・慎重になれよ。掴んだ尾の持主が、実はとんだ化け猫だったなんて事が無い様にな」


―――人の生死を左右する暗殺者達を、畏怖と隠語を込め、神格化される事のある動物の名で指すのがこの所志士の間で流行っている。狐、狸、犬―――そして、猫。

「・・・山口がついて来る事を許した者の言う事だとは到底思えないが」

稔麿が茶を注ぎつつ、さらりと皮肉を言う。

「お前なぁ―――」

久坂は呆れる。時代が違うだろう時代が。とはいえ、その分を差し引いても自身があの頃無防備だった事は認めざるを得ないが。

「・・・同志になるのはいいんだよ。只、今回は“天誅”だ。手腕(うで)が達つ理由だけで長州派(こちら)に連れ込んでみろ。狩られるのは俺達だぜ」

「ああ―――わかっている」

稔麿には既に目星のつけた相手が在る様だ。この男はいつもそうである。他者に打ち明けるのはいつも、この男の中での算段が整ってからだ。


「思想が“無い”分には別に問題無いだろう。剣と思想は、必ずしも両立するものではない」


稔麿は冷静に言い、茶を飲んだ。よほど入れ込んでいる相手の様である。若しかしたら、もう声も掛けているのかも知れない。

「・・・・・・ああ、其は如何とでもなる。が、本人が何と言わずとも、出身くらいは裏を取っておけ。山口の様なヤツでない限り、大体は其だけで思考の傾向は掴める」

・・・久坂は少し引っ掛る部分があったが、肯いた。この男の抜かりの無さも、矢張り長州という土壌がつくりあげている。

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