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四十六. 1862年、京都~狐の化かし合い~

小川亭にて強かに飲まされ(肥後人のピッチに無意識に合わせていただけなのだが)、旅の疲れもあり玄瑞は酔った。何だか妙に安堵した、というのもあったかも知れない。

いつもはその“他人に合わせるクセ”を、山口は呆れた目をして見ているものだが、今回も呆れはしながらも何と無く微笑ましい。

久坂に関して“酔える”という事はいい傾向である。大抵の会合では飲むのも忘れて策を講じているのだから。

久坂がにこにこ彦斎と話している。彦斎は笑っていなく、ハの字眉で明らかに呆れ返りながら水を注いで置いたり、何か食いなっせ。と食事を促したりしている。

「あた、気味悪かけん早よ酔い醒めるよ。其とも襲撃()の後、何かあったとね?」

「何というか・・・俄かにお前に打ち解けているな。あの後って、何かあったのか?」

風邪の時といい、この男は如何も(たが)が緩くなるとやけに素直になる様だ。勿論自由度もmaxに達している。その為


(今玄瑞は何の話ばしとるとやろか・・・?)


玄瑞がにこにこ笑顔を振り撒いている理由が全く以て判らないのであった。



昼から酒を交えているので、程々の時間で切り上げる。肥後人達は飲むと愈々(いよいよ)覚醒するらしく、帰る時には夜であるにも拘らず眼は爛々としていた。今夜は眠れないという。

「げんずいー。ん、あた思ったより足腰(しっか)りしとるね。藩邸まで大丈夫そうか」

彦斎が何だ()だで玄瑞にがみがみ言い、山口の方も確認する様に見る。山口は肯き

「この人は酔っていても理性は確りしていますからね。普通に歩いて帰ると思いますよ」

と、答える。山口の保護者っぷりも相当板に付いてきた。

「ならよいが。送らんでいいか」

彦斎がまめまめしく訊く。玄瑞は(たま)に何故か彦斎を「姐さん」とふざけて呼ぶ時があるのだが、意外にも彦斎と対峙した時、きちんと玄瑞の方が年下に見える事に山口は気づく。茶坊主出身ならではの(こま)やかさは確かに「姐さん」であった。

何だろう、彼自身は玄瑞より年下なのに彦斎に対して同族感が生じる。

「ええ。俺一人で何とか出来ますよ。今の時期は敵も少ないですし」

「そうか」

彦斎は山口を見上げてふっと哂った。・・・本当に女の様である。幾ら暗殺者が既存の価値観に縛られないといえど、男女不問に迄するかと初めは勘違いしたものだ。其が勘違いであるか如何かは、もう少し後の時期になれば判るが。


「・・・斬れるとか」


彦斎が其と無く小さな声で問う。聞かぬ振りをしているが、宮部や松田は密かに聞き耳を立てている。

「・・・斬る事になったら、お報せします」

斬れば後には引き返せない事を彼等は知っている。天誅()の思考や術を玄瑞や山口に間接的にでも吹き込んだ事となったのは彼等だ。

「うんにゃ、よい。次会った時に判る」

と、彦斎は言った。山口が人を斬る時は、玄瑞が其を許した時だ。

理想家(りくつや)実行者(ころしや)の都合などわからない。故に無茶も言うが、都合で人を殺したり殺さなかったりはしない。

「ならな」

と、言って肥後人達は壬生の肥後藩邸へと帰って往った。総勢10名程である。

現在の河原町駅で別れて、玄瑞と山口は左折し河原町通を進む。肥後人達は直進であった。

「・・・肥後(あの)人達は不思議ですね」

山口は肥後人達の背中を見つめて呟いた。恐らく、彼も叉肥後の二面性にあてられたのだろう。化かされた様な奇妙な気分になる。

「小川亭自体がそうだったな」

玄瑞が肯く。小川亭の女将であるていと姑りせは可也の女狐、即ち結構な女優な様で、旅館内部に施された数々の絡繰りについても先ほど教えられた。惑わされた心持ちになったものだ。

「敵に回したくない人達だという事はわかったろ」

玄瑞が先刻のにこにこよりもいつものにやにや顔で言った。如何やら、酔いは早くも醒め始めているらしい。

山口は狐に抓まれた顔をする。

「・・・意外ですね。久坂さんなら、あの人達が敵になる訳がないと言うと思っていましたけど」

「あの人達はそうさ。そう想えるから逆に怖いんだよ。どうもあの藩は藩ぐるみであの性格らしいな。ドロドロな藩情(ばかしあい)になる訳だぜ。平行線だもんな」

「平行線?」

「ああ」

玄瑞は相槌なのか、独り言なのか判らぬ声を上げる。玄瑞は言葉を択ぶ様に、考えながらゆっくり続けた。


「薩摩や土佐のお偉いさんの様にあわよくば自分が政権を、という欲があの藩には無いという事さ。詰り頑固で、損得に靡かないんだ。例えば彦斎先生は確実に俺達の味方だが、彦斎先生の様な手腕(うで)と頑冥さを持った別のヤツが敵になるかも知れないんだよな。他の藩と違って、志士とお偉いさんを切り離して放っておくと、孰れ長州に立ちはだかる大きな壁になるかもな」


玄瑞のこの懸念は強ち外れてはいない予言となった。肥後はこの面でも教養の藩と謂えた。藩の上層と下層では其形の隔離があるのが普通だが、肥後では百姓に至るまで細川の精神が髄に亘って浸透していたと云われる。彼等に「裏切」の二文字が無い事が、心強い面であり引っくり返せば其の侭恐ろしい面でもある。




「肥後勤皇党に加盟希望の緒方君ばい」

佐々は早々に、緒方を肥後で活動するメンバーに引き合わせた。彦斎等不在の折である。永鳥もこの場には居なかった。

轟 武兵衛、住江 甚兵衛(勤皇党代表)、高木 元右衛門、宮部 春蔵、富永 守国等が出迎える。重鎮、若者万遍無い人選だ。併し、春蔵は兄・鼎蔵に通じ、富永は若いながらも佐々に次ぐ頭脳派と名高い。詰るところ、面接である。

皆が皆、例の神官装束に身を包み、短刀を腰元に差している。

「・・・・・・」

永鳥は身を隠し、陰からその様子を見張っていた。勤皇党の有志に緒方の存在を認知させ、複数の眼で動きを()ようと決めたのだ。

無論、緒方も白装束姿である。

「・・・君には暫く、佐々君と行動を共にして貰う。良かかい?」

緒方は勤皇党に加盟した。・・・轟は黙って盃を傾けた。その盃の中の赤酒には、緒方の“血”が混ぜられている。

緒方は己の血でさらさらと和歌を書き、其を佐々に託した。



『緒方小太郎弘國(ひろくに)

夷船神のいふき(息吹)に砕けたる昔の浮かぶ月を見るかな』



「尊敬しとります佐々先生と活動できるなんち光栄です。この緒方、攘夷の為に精一杯働かせち頂きます!」


立烏帽子に髪を全て入れ、細面を明瞭(はっきり)と見せた緒方は、無邪気な笑顔を浮べ嬉しそうに言った。

緒方は、佐々にとって久坂の山口となり得るか。

(・・・フーフフ)

・・・緒方は心の中でも(わら)う。

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