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四十四. 1862年、京都~枡屋と肥後勤皇党~

「1862年、京都」



「何ちゅら!?玄瑞が萩で襲われたじゃと!?」

「周布さん!!」

周布 政之助が藩邸を裂く様な大声で叫んだ。桂は慌てて周布の言葉に己の声を被せる。

「―――之は長州人ではまだ周布さんと私しか耳に入れていない情報です。俗論派に聞かれてはまずい」

「おぉふ」

周布は自分で驚いて己の口を手で塞いだ。・・・そろそろと手を離し、桂に顔を近づけて、ぼそぼそ水気の無い声で訊く。

「・・・併しじゃ、小五郎。長州藩の情報じゃーないという事は、其は確かな情報なんか?」

「肥後の河上さんが先刻、藩邸に立ち寄って教えてくれたのですよ。久坂を心配して萩に寄ってから江戸(こちら)に来られた様で」

「肥後さんが・・・!」

周布は其だけですぐに信じた。

「河上さんも現場に居合わせているそうなので、本当の事の様です。襲撃者の身形や素顔を見た久坂の様子から、恐らく萩城下の長州藩士だと」

「!俗論派の藩士わーやー・・・!」

「ええ。ですので、藩邸内にその情報が拡がると非常にまずいのです」

桂が深刻な顔つきで言った。周布も途端に難しい顔になり、顎を揉む様に撫でる。

「・・・長井さんの指示かーのー」

「其は現段階では何とも・・・久坂の指示で、河上さんは襲撃者を誰も斬っていないそうです。詰り、いつ叉襲撃されるか判らない・・・」

・・・・・・。周布は暫く顎を揉みながら考え込んでいたが、(やが)て一つ、


「・・・・・・玄瑞を、一旦萩から出すかえの」


と、通常の役人は考えない突飛な案を述べた。

「―――え?」

―――実は、周布の役人としての本領はこの役人らしからぬ囚われなさに在る。

「出すって・・・併しアイツは、名目上謹慎の身では・・・」

「だから、その謹慎を解くんちゃ。理由なんて適当に考えりゃーいい。京詰めにでもして、藩邸で護りゃーいいろう」

―――周布のこの柔軟性という才能が、幾度と無く彼を罷免から藩政に復帰させた。

「併し・・・久坂が長州を離れれば、本国は俗論派で固めて仕舞う事に・・・」

「已むを得んちゃ。玄瑞をここで失う事の方がいけんじゃーろう。始末が大変になるろうが、暫くの合間は御癸丑(ごきちゅう)以来に粘って貰うしかにゃーま。―――後は、あの男を呼び戻す」

「あの男・・・?」

桂は声と眉をひそめた。周布は“あの男”の手綱を締める事の出来る数少なな人間でもある。“あの男”の機嫌を損ねる事無く、小気味好く思うが侭に“あの男”を転がす事が出来る。


「そうじゃ。上海に行っちょるあの男じゃ。あの男のはちゃめちゃさには御癸丑以来も勝つるか判らん。

玄瑞は何だかんだで常識人じゃ。長州は最早常識の通らん無法地帯になっちょう。なら玄瑞じゃーないて、滅茶苦茶な奴にはこっちも滅茶苦茶な奴をぶつけるしかにゃーで」


周布は鋭敏な頭脳できっぱりと言った。桂は、滅多に耳にする事の無い周布のてきぱきした口調に、目を(しばたた)かせた。




“淳二郎”


―――佐々が熊本城下にある自身の家に帰り着いた頃、客人は既に中に上がり込んで寛ぎのひとときを満喫していた。

「・・・永鳥しゃーん」

佐々が胡散くさく目をとろんとさせて笑いかける。永鳥は横になった侭首から上だけ戸より覗かせ、わ、怖。と御得意の毒舌を放った。

「俺も酒が飲みたい」

居酒屋帰りの佐々に恨めしそうに言った。

「飲んどらしたじゃなかですか」

佐々は特に不審がる事も無く言い返す。“張られて”いた事はわかっていた。寧ろ佐々自身がその居酒屋に誘導したと謂ってもよい。

「飲まないと逆に怪しまるだろう。てれーっと飲んで一杯で誤魔化したばってんね」

「声ががらがらになっとりますばい、永鳥しゃん」

「焼けたんだよ、喉が」

「あぁたも懲りまっしぇんなぁ」

「この(くに)では飲めないと苦しいだろう。(たま)には飲んで鍛われなん」

「飲みたかだけじゃなかとですか」

「せからしい(うるさい)なぁ。大体、禁酒しとう者に居酒屋を張らすなんて、性格が悪すぎるよ」

「ははは。すんまっせんばい」

佐々は若干顔が朱いが、殆ど酔っていない。元は肥後の地侍ではない所為か、酒には強いが、他の志士と違って顔に出易いのだ。

「・・・随分若い男の様だったね。ま、齢なんてそんなに関係無いけど」

永鳥は深い呼吸をしつつ起き上がる。吐く度に身体が小刻みに揺れる。息をするのが苦しそうだ。

「―――まさか、尾行(つけ)られていないよね?」

「其は永鳥しゃんが一番知っとらす筈でしょう?」

ふっ、と永鳥は(わら)った。確かにそうである。佐々以外の気配があれば、こんな不様を晒す彼ではない。深い息と共に咳まで出始めた。


「―――緒方とかいったね、あの男」


永鳥は冷ややかな眼をして呟いた。佐々も冷静な眼で考えている。

「あの“緒方”かも知れないよ」

「そらなかでしょう。あん“緒方”は彦斎が一族丸ごと潰した筈ばい。其に、あん年頃の子供はあん緒方(いえ)には居らっさんかったですよ」

佐々は囁き(なが)らも耳に響く振動の様な低音の声で返した。永鳥は意見を言い(とお)さずに聴き入れる。

「まぁ、緒方なんて名字は熊本にはうじゃうじゃあるけんね」

いわゆる地域特有の姓である。発祥は熊本ではなく豊後大分だと云われている。蛇足だが、之が漢字変って“尾形”などになると、一転して仙台宮城や会津福島等東北南部に多い姓となるのが面白い。

「・・・ばってん、油断は駄目よ、淳二郎。(いず)れにしろ、この時期に活動に参加したがる者に碌な者はいないよ。流行に浮されて志士ごっこを演じたいだけの者か・・・―――佐幕側の間者か」

・・・・・・佐々は眼鏡を指で押えつつ、永鳥を見る。異論は特に無い様だった。といっても、この男はいつも表情が読めないのだが。

「・・・・・・あの男については、もう少し探る必要が有りそうだな」

熊本の残留組は残留組で、別の仕事が生れた様であった。佐々 淳二郎と永鳥 三平が、藩内の勤皇党を守る事になる。




玄瑞は自宅謹慎を解かれると同時に、兵庫護衛の藩兵に伴って長州を出た。藩兵が謂わば、兵庫までの彼の護衛であり、藩を出る際に俗論派の眼を欺く隠れ蓑の様なものだ。

藩兵と別れた後は一日と掛けずに京へと()った。意外だが、通り道で入る以外は初めての上京である。久坂の京での本格的な活動は、この刻始る事となる。


「はぁー、京かー」

「京に着いての感想がソレですか。相変らず緊張感薄いですねー」

山口も勿論一緒である。萩への護送とは違い今回は身柄が自由なので、萩より共に京へ来た。兵庫以降の心強い護衛でもある。

背中に影が当り、辺りが暗くなって玄瑞は背後を振り向いた。山口が刀の柄に手を掛ける。



「京を案内(あない)して遣ろう」



玄瑞が山口を制止する。久々に聞く懐かしい声であった。山口も、塀の屋根の上に立つ男の素顔に愕いて仰視する。

「松田・・・重助――――・・・?」

「遂に来たな。(ここ)に・・・」

松田は江戸に居た頃とはだいぶ容貌が変っていた。特徴だった非常に長い髪は元服後の様に短く切り、伊達者が着る様な大胆な着物は箪笥に仕舞われて、街中に紛れる色合い渋めの軽装といった出で立ちとなっていた。だが、この様に動きが派手なので、果して本当に目立たなくなっているかは判らない。

「変装の心算(つもり)ですか?松田さん」

玄瑞はにやにや言う。あ。山口は彼の人相書の志士松田 重助に対してもこの男はこんな態度だったのかと思うと蒼くなる。

一方で、松田は己の行動が目立っている自覚が無いらしく

「変装と言われればそうだが、江戸()の時の様に敵を牽制する必要が無くなったからな。勤皇党からの通達だ」

と、からかわれている事に気がつかず真面目に答えた。松田も叉肥後人である事を思い出し、彦斎といい遣る事が大きい割に真っ当な会話が通じる事に山口は畏れ慄いた。

ぽんやりと見上げた侭の山口を玄瑞は松田に紹介する。松田は屋根から飛び降りて山口と目線の高さを合わせた。

「―――何処かで見た貌だ」

ぎくりと山口は疾しくなる。

「お前の仲間だったのか、玄瑞」

松田にとっては特に深い意味は無い。この男も無条件に玄瑞の仲間を信じた。肥後人も叉、土佐人と同じく玄瑞を固く信頼している。

「おや、山口と知り合いですか」

「そうではないが、身の上が身の上だからな。知られていてもおかしくはないし、志士活動には随分前から興味があった様だしな」

「ははー。お前、俺と出会う前から追っていたのか、松田さんを。そういや松田さんの事をすごい弁護してたもんな」

松田で空振りした分山口をからかう。併し、山口も初期の頃と比べるとからかい甲斐の無い奴に成長してきている。というか、とんがってはいたが反抗的なのではなく真直ぐ素直な奴である。

「いやぁー、久坂さんについていけばこんな事もあるんですねー♪」

「おい。テレながら毒を吐くな、毒を」

山口が玄瑞をあしらう日もそう遠くはないという事か。其はそうと山口も何気にミーハーではないか。

「之から藩邸に挨拶か?宮部先生も彦斎もまだ京に居る。河原町四条に肥後人(われわれ)行きつけの料亭があるんだが、一緒に飲まないか?」

松田が彼等を飲みに誘った。会合の場で、肥後側から場処を指定してくるのは初めての事である。

「彦斎以下の勤皇党の後輩達も何人か其処に居る。そろそろ、松陰と宮部先生の弟子同士も顔合わせをした方が良さそうだからな」



四条通は、長州藩邸より河原町通を南へ1km下った先の大通りである。

河原町に建つ長州藩邸は江戸の藩邸以上にガードが甘く、松田なんて自藩の藩邸にすら入れないのにこの長州藩邸には顔パスで入れる。山口に対しても歓迎的で、滞在先を決めていないのであればいっそこの藩邸へとさえ言ってくれた。京の藩邸は完全に勤皇の様である。

荷物を置き、雑踏の中を堂々と突き進んでゆく松田に少しはらはらしながら四条通に出ると、程無くして

「此処だ」

と、歩を止めた。

「入れ」


『枡屋』と書かれた看板がある。そう、あの有名な枡屋であるが、本作では枡屋の素性について少し突っ込んだ話をしたい。


「あ」

中に入るとすぐに見知った顔と対面する。だが其は肥後人ではなく。

「古高さん」

―――ついこの間まで長州に潜伏していた古高 俊太郎も叉、京に移動していた。

「そそっ・・・!そ、その名はちょっと・・・・・・っっ!!」

古高は慌てた。古高は久坂等とは少し違う複雑な事情を経て京へ来ている。古高 俊太郎という名は、実は京では其だけで孕んでいるものがあるのだ。

「と、とにかくお上がりください・・・・・・」

まるで自分の家の様に言う古高に、玄瑞と山口は・・・・・・?を浮べる。停止している二人の背を、まぁ先ず進め。と松田が押した。

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