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二十六. 1861年、江戸のつづき~高杉、とばされる~

「1861年、江戸・長州」



―――文久元(1861)年4月19日。皇女和宮、内親王の宣下を受け、(いみな)を『親子(ちかこ)』と賜る。


孝明天皇が和宮の降嫁を勅許。之は万延元(1860)年10月には既に為されていたが、公にされたのはこの内親王宣下と時期を同じくしてであった。

御蔭で手痛い。出遅れた。


「長井のヤローが強気な訳だ・・・」


他の藩については知らぬが、少なくとも長州藩の上層部には其こそ初期の段階から届いている筈だ。周布 政之助あたりは知っていたのかも知れない。桂であれば萩に書簡でも送って報せてくれただろう。併し、周布は結構はちゃめちゃな性格で有名だが、長州藩士(わかもの)が怪我をする様な状況―――即ち、暴動や事件に発展する様な要素―――については、口を(とざ)す傾向がある事が判った。心配してくれるのは有り難いが、藩の危機に関しては犠牲がどうだなんて言っていられないだろう。何の為の藩士であるか。

(之は―――・・・もう間に合わないかも知れない・・・・・・)

久坂は机に両肘を着き、組んだ手の甲に己が額を乗せ、項垂れた。個々の事情は知っている。和宮降嫁の話。長井 雅楽(うた)の『航海遠略策』の提出。周布は和宮が降嫁する動きがあるとは言った。だがその時点で実際は(ほぼ)決定事項だったのである。その時既に朝幕長井で手を組んで『航海遠略策』を作成しており、朝幕の命として長州藩主に提出していたのだ。之ではそうせい候は(うなず)くしか無い。時期を開けた事、作成者が長井一人となっているのは長州藩士の怒りを朝幕から逸らす為か。長井が自発的に提出し其が支持された事にすれば、長州藩にも公武合体派が少なからずいるというカムフラージュにもなる。

「大人って、汚いよな・・・・・・」

久坂は珍しくダメージを受けたげっそり顔で独り言を言う。確かに、朝幕や長井の遣っている事は所謂『根回し』的な大人の裏側事情の様な事で、正々堂々と意見を戦わせる志士等にはこの時期では余り見られない。久坂も若いしまだまだ青い。翻弄されている。


「なに思春期の子供みたいな事言ってんですか」


ひょっこり山口 圭一が開け放した障子の後ろから顔を覗かせる。久坂は心底びっくりして顔を上げた。てかココ、長州藩邸。

「よく入れたな・・・・・・他国の敷地に」

「“久坂のお兄さんに勉強を教えて貰いたい”って言ったら入れて貰えました♪いやー長州藩のお役所は開放的でいいですね♪」

一体全体どの様な作用を及ぼしているのか、山口が子供に見える。屈託の無い楽しそうな笑顔は齢相応というか、意外にも無垢な印象を与えた。

・・・・・・。久坂は眉も目尻も口も重力に従った締りの無い顔をする。この人も結構な顔芸要員である。

「・・・ツッコんで欲しいんですか?」

山口は暫く黙っていたが居た堪れなくなって遂に訊いた。ん~んん、と久坂が間抜な面の侭首を左右に振る。山口は、この人のこういうトコロは理解できないな、と早々に見切をつけた。

「藩なんて好きにさせとけばいいのに」

「おいおい、そんなコトしたら俺は明日住むトコにも困るんだぜ。藩の恩恵あっての活動だ」

「俺の実家(いえ)がありますよ」

「実家だろ?お前の家族丸ごと()き込む訳にはいかねぇよ。其に、俺はまだ、誰の世話にもならねぇさ」

都会人である山口には、久坂の藩に対する想い入れや自立心というのがいまいち解らない。今でも割と自分を子供扱いするし。

久坂は明確な指示を基本しない。するとすれば、飯を食いに行こうとか昨今の日本情勢についてどう思うとかといった、所謂“誘い”であり“話し相手”である。家族どころか山口自身の身に係わる指示も与えない。まだ遠慮があるのだろうか?

「で、如何した?わざわざ長州藩邸まで来て。今日は何も無かったと思うが」

「あーそうです。お兄さんにとって、之は結構重要な情報なんじゃないかと思って」

・・・久坂が手招きをして室内へ誘う。山口が室内に入ると障子を閉め、其で?と話を促した。

「例の桜田の件、薩摩藩邸に勾留されている水戸浪士達が水戸へ送還(かえ)されるらしいですよ」

「―――!?」

久坂は愕いて山口を見た。桜田の件とは井伊大老が暗殺された桜田門外の変の事。桜田門外の変の襲撃者は事変当時に半数以上が死んでおり、残りは肥後細川藩邸に保護されたが、襲撃者以外にも襲撃の同調者等の残党狩りが現在進行形で為されている。残党狩りで捕えられた彼等は薩摩藩邸に拘留され、薩摩藩と水戸藩の相互遣り取りで水戸に送還されようとしていたのだ。水戸藩は徳川御三家の藩の為、幕府の要人である井伊の襲撃に関った彼等が国許に還されれば命の保証は無い。

「・・・はーーっ。来る時は次から次へと・・・」

久坂はどっかと尻餅をつき、頭に手を当てて考え込んで仕舞う。水戸藩士は最早桂だけではなく久坂等若者の長州藩士にとっても同志だ。酒も飲み交した。此の侭見過す訳にはいかない。


「久坂」


障子に影がちらついて、吉田 稔麿が中に入って来た。てかココ、長州藩邸。あなた脱藩してたんじゃないの。

「桂さんに許可を得て入って来た。薩摩藩邸に勾留中の水戸浪士が水戸へ送還されるらしい」

「・・・ああ。たった今、聞いたよ」

久坂は突っ込む余裕無く肯いた。稔麿は潜伏先の主である柴田 東五郎より情報を(もたら)されたのだろう。恐らくまだ其ほど出回っていない情報に違い無い。


「久坂~ぁ」


今度は高杉が扉を開けて入って来る。彼は藩邸勤めの上級役人だ。長州藩邸を自由に出入は出来る立場だが今は勤務時間中の筈では。

「桜田門外の変で捕まった水戸の志士達の身柄が、水戸に移されるつー情報が」

「長州藩邸って寛容だな!お前等自由すぎるだろ」

久坂は突っ込まざるを得ない。突っ込まないと話が前に進まないと悟った。何度も言われなくてもわかるわ。



「という事は、水戸送還(こんかい)の事はもう桂さんの耳にも入っている訳だな」

仕切直し。松下の精鋭が久坂の元に集まった。桂が不在の時には自然とこの男が仕切役となるのかも知れない。

「ああ。俺に入ってくる情報は、全部桂さんを経由している筈だけぇな」

高杉が壁に寄り掛って坐り、何処か虚ろな表情で言った。他人事の様な口振りだが、之が高杉なりの衝撃を受けた時の反応でもある。

「其にしても、何故薩摩が水戸の志士を勾留しているのだ?俺には話が繋がらないのだが」

・・・あぁそうか、と久坂は思った。桜田門外の変当時、稔麿は彼等の情報の遣り取りの中には組み込まれていなかった。

「桜田門外の件では、実行犯が水戸浪士と薩摩藩士という事になってんだよ。・・・尤も、薩摩藩士は捕まった中に在ないんだがな」

「いない!?」

「ああ、在ない筈だ。其でも薩摩が出張ってくるとなりゃあ、何か陰謀めいたものを感じるな・・・・・・」

「は・・・?」

久坂は途中から稔麿をほっぽって、己の思考に耽った。薩摩という(くに)について、久坂以下長州藩士は精しく知らない。併し、何処と無く長井と似た様なにおいを感じる。

「詰りは、桜田の件に水戸だけでなく薩摩も関与して仕舞ったから、幕府に対する信用を取り戻す為に薩摩藩が進んで水戸藩に協力しているという事ですよね?」

稔麿が眼を真丸くして山口を見る。江戸という環境のせいか、山口は彼等萩人以上に世間の裏表に敏感な様である。

・・・・・・。久坂は黙って、山口を見る。そうであるともそうでないとも言えない表情をしていたが、其よりもゆっくりと此方に転がってくる黒い瞳が之以上の詮索を避けている様で、山口は答えを求めなかった。

「―――この前一緒に飲んだ水戸の志士達は知ってんだろうけど、肥後は如何だろうな」

高杉が哂いとも取れぬ口角を上げる。肥後・・・?と山口が呟く。肥後といえば山口はまだ人相書で見た松田 重助の事しか知らない。

「細川屋敷の件で関りがあるけぇな。報せた方がいいんじゃねぇか?」

「そういえば、松田さん達ともう長く会っていないが・・・肥後勢(かれら)は現在江戸に居るのか?」

「さぁな・・・」

久坂は頭を掻いた。江戸に居れば、関 鉄之介と関りのあった永鳥あたりが何がしかの手を打っている筈である。その確認はぜひしておきたかった。

「・・・取り敢えず、宮部先生には伝えておくべきだな」

併し、以前松陰の彼岸参りで共に飲んだ時に、宮部は肥後を離れる旨の事を話している。宮部が現在何処に居るのか久坂には判らない。

(―――アイツ宛にするか)

久坂はびっと継紙を広げて早速文字を書き始める。書くペースが非常に速い。筆を掠らせながら読み手を選ぶ草書の文字を紡ぎ出してゆく。

「俺が、肥後の人達との情報の遣り取りと抗議署名集め、桂さんにも上層(うえ)に掛け合って貰えるよう話をしてみる」

最後に、サインの心算(つもり)か名前の隣に赤本でよく見るキャラクターの顔だけを日頃の10分の1程の速さで描く。本来の受け取り手が異なる事に対する受け取り手への久坂なりの気遣いメッセージである。すぐに継紙を切って懸紙で包み、山口に渡した。

「山口、済まないが、コレを今すぐ飛脚に出してきてくれないか。速達でな。金は後で駄賃と一緒に渡すから」

「!は、はい・・・」

山口は勢いに負けて書簡を受け取る。受け取ったら出しに行かない訳にもいかず、其の侭久坂の部屋を出た。

(・・・河上 彦斎―――・・・?)

「―――宮部・・・・・・?」

稔麿が久坂等の発した名前を繰り返す。稔麿も肥後人は松田 重助と永鳥 三平しかまだ知らない。

「国許に居る人に何故文を?」

「あの人達は松陰先生の親友(とも)なんだ。なぁ久坂」

高杉がとても優しい表情で言った。高杉が肥後人の事を語る時はいつも、妻のまさや松陰について語る次くらいに表情が柔かい。

「ああ。其に、あの人達は遠くに居ても動けるさ」

吉田先生の―――・・・ 稔麿は驚いていたが、何処と無く表情が明るくなる。松陰の名は最早彼等の間で水戸黄門の印籠の様な作用を果している。

「高杉。桂さんに相談したいんだが、今日話は出来そうかな」

「さてねぇ。藩邸に居る事は確かだが、忙しくしてるけぇな。其に何と無く、水戸の志士の話題を避けている様にも見えた」

「―――避ける?」

久坂は首を傾げる。高杉は長州藩での立場も然る事ながら、一体どちらを味方に話をしているのか判らない。

「なんで」

「さぁ」

―――いや、どちらも何も久坂と桂は仲間同士の筈である。だが高杉は桂の本心を何処と無く読み取っている様で、


「お(みゃ)ーがそろそろ来る事も予想しているかもな」


逃げられなきゃいいな。どちらの味方にも付かない静観の姿勢で彼は言った。

・・・・・・。久坂は立ち上がる。

「吉田。お前は永鳥さんか松田さんの行方を当ってみてくれないか。永鳥さんはともかく、松田さんが幕吏に追われている様子も最近無いから、若しかしたら江戸を離れているかも知れないが。桂さんとの話が終り次第俺も外に出るからその時に他藩の志士達にも訊いて回ろう」

「―――ああ」

稔麿は高杉を怪訝な眼で見つつも立ち上がり、部屋を出て行った。

室内には久坂と高杉の二人だけになる。

「―――お前は如何する?高杉」

久坂は出掛ける仕度を始める。片や、高杉はこの部屋の主ではないにも拘らず立ち上がろうともせず、壁を背にして寛いでいる。お前な・・・と相変らずマイ‐ペースな高杉に脱力した声を出すも、その声は高杉の



「―――俺ぁ近く、藩命で清国(いこく)の上海へ飛ばされる事になった」



という告白に、妙に腹筋に力の入った素っ頓狂なものへと徐々に変っていった。



「は――――・・・?」

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