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十五. 1860年、萩~肥州

「玄瑞のヤツ、思いっ切り本名で文を出しよって!変名を教えていなかった俺も悪いが!」


松田は何か?オフの日なのか?外は陽が高らかに昇ってポカポカと暖かくなっているのに、丹前という温かい寝巻を着てみだれ髪の状態である。

「而も確信犯だなこりゃ!自分は確り変名を使いよる」

松田はぐちぐち言いながら懸紙を引っくり返す。差出人の名が『久坂 誠』とまぁ、わかる人にはわかるが自分に被害は掛らぬ様な変名を使っちゃって。之から起る事が確りと解っとんなあん男は。


ドンドン! ドンドン!


「あーもーわかった!」

襖を激しく叩く音に、松田はイライラしながら立ち上がる。朝に帰って来てまだ身体が怠いというに。

「御用改めでござる!」

扉が開く。

「御用だ!御用だ!」

「御用だ!御用だ!」

前列から後列に向かって口々に言う捕吏達に

「ええい!うっしゃー!其しか言えんのかお前達!!」

まるで不良息子の様な怒鳴りで返す松田。大きく身を伏せ、先頭に立つ捕吏に足払いを掛ける。

「ふぉっ!?」

先頭の捕吏が奇妙な声を上げてよろける。怯んだ隙をみて先頭の捕吏の顔面をぐゎしと掴み、勢いつけて思い切り押しつける。先頭の捕吏は後ろへ倒れ、その後ろに立っている捕吏達が将棋倒し宜しく次々と倒れていった。その上を構わず踏み走る。

じゃらっ!

懐に潜ませていた梢子棍を振り回して敵を散し、階段を駆け降りて刀部屋へ向かうと

「其処の一番上の大小だ!急げ!」

と、刀番に刀を急がせた。が、自分は久坂から届いた手紙を読んでいる。読み進める程に松田の顔は脱力していき

「アイツ・・・桂の件といい、俺を長州人の避難処だと思っていないか?」

と、呆れる。髪の毛も風呂で梳いたかの様にしなっている。

稔麿とやらを匿う以前に、自分の隠れ処がこの手紙一通の御蔭でめちゃめちゃである。

「いいぞ。投げ渡してくれ!」

刀番より刀を受け取って、帯に差す。彼の武器のメインは飽く迄殴打用の梢子棍の方らしい。

階下まで雪崩れ込んで前後不覚に陥っていた捕吏が背後に迫っている。も、手紙に片手を塞がれた侭松田は捕吏を再び昏倒に追い遣る。其の侭左手に梢子棍、右手に久坂の手紙を携えて旅籠を飛び出し

「人相書の脱藩浪士・松田 重助!!」

と幕吏が(たけ)る往来を、手紙に視線を宛てた侭敵を殴打して逃げる。度胸や強さ云々よりも手紙を読むのに時間が掛りすぎじゃないかと思わないで欲しい。久坂の達筆を読める事は読めるが、読み難いのである。おまけに

「―――この()は何か意味があるのか!?」

―――彦斎の時と同じ玄瑞画伯に拠る画廊(ギャラリー)が手紙の最後に開かれている。彦斎への手紙と違って挿絵程度に其はとどめられているが。てか、斯ういうの描く暇あったらもうちょっと丁寧に文章を書けよ。楷書体にするとかさぁ。

詰りは松田も遊ばれている訳だが、何気に桂や稔麿と同じ部類に分けられる彼は

「・・・・・・深い―――・・・・」

と、感歎の息を吐いた。彼の背後で梢子棍の攻撃を受けた敵が空中を舞った。筆者がツッコんでいいか。なんでそうなる!!




場処は変る。


本小説の主役は久坂 玄瑞、および宮部 鼎蔵と河上 彦斎その他熊本人であるが、彼等がずっと同じ行動を取っていたかというと、そうではない。接点としては寧ろ離れてゆく。長州は之から土佐、果てに薩摩と密に関ってゆき、明治維新を成し遂げる。

『薩長土肥』の『肥』は学校でも何度も注意されるであろうが肥後ではない。肥後はその前に死んだ。

その為、場処の違う物語を夫々(それぞれ)並行して書かねばならないが、久坂は生粋の尊皇攘夷論者で開国に転向しなかったから、肥後との関係をそこで断った訳ではない。だから、書こうと思う。

肥後人も叉、出会いはあった。元々九州は遊説・遊学の場として他藩の者がよく訪れた。以前述べた様に、脱藩者も多く潜んでいる。肥後は余所者には優しい。


同郷には厳しいのが肥後である。其は肥後者である宮部や彦斎とて変らない。


「―――いやぁ、なばんごて纏めるのが楽んなった。物分りの良か(もん)しか居らん(ごつ)なったのが大きかやろうばってん」

地元肥後を活動拠点とする佐々 淳二郎が下の山間を見下ろしながら踵を返した。今日は仮面をつけていない。

佐々の場合、昼間は仮面をつけてもあんまり意味が無いものだ。

肥後の勤皇家は確実に増えていた。之は佐々の功績でもあるし、彦斎の功績でもある。勤皇論の理解者を増やすと共に他の党や佐幕論者を減らせば、藩論は勤皇に傾く。

今日も山間の家に住む開国派の一家が忽然と消えた。一家が丸々消えるので証言者や訴える者が在らず、まるで一族全員が神隠しに遭った様だ。

「・・・・・・」

―――彦斎は天誅を行なった後、必ずそのきじうまの面を外して遺体を見る。遺体はいつも、寸分の狂いも無く何処からでも綺麗に斬られた。時間が経っていなければ、血を洗い流し断面を合わせると、確りとくっつく。目当ての者以外の口封じは、いつもこの一刀両断で終らせる様にしている。無論、強ければその限りでないが。

「―――かたきっ!」

子供が泣きながら、砂を被る刀を持って彦斎に襲い懸る。子供、といっても背丈は彦斎と変らない。彦斎は、仮面を外す迄は無かった子供の気配を気づいてからも無視し続けていたが、実際にその子供が自身に刃を向けて来た時、一切の容赦が無かった。

―――スパッ!

子供は泣き声をぴたりと止める。この刻は刀が泣き声を止めただけに見えた。だが刻が経つ毎に首が落ち、血が噴き出し、木偶を斬ったに過ぎない様に見えた其が、徐々に人間味を帯びていく。

・・・通常、彦斎の人の斬り方というのは斯ういうものであった。が


「―――!!」


―――彦斎の目の前で子供が八つ裂きに分れ、血肉そのものが雨となって地面に落ちた。断ちの余りの凄まじさに、肉が喰い千切られたかの如き断面になっており、肉片があらゆる方向に飛んだ。まるで爆弾が爆発したかの様な着地の衝撃と遺体の木端微塵具合である。佐々 淳二郎も驚いて下を覗き込んだ。

・・・見ていて気分が悪くなった。ヒトが野獣に勝てない事が直感的にわかっているのと似た絶望的な死の臭いが漂っている。併し彦斎という人斬りを所有する彼等には、其とは違う不快感が襲った。


「―――以蔵」


―――凛とした張りのある声が山間に響いた。佐々と彦斎は夫々(それぞれ)、声の聴こえる方角と獣が喰い散かした後の様な中に蹲る人影に視線を向けた。声と人影は位置からして別者であるが、こちらから気配を察する事は無かった。言動を発せられてから気がついたのである。両者とも、可也の実力の持主と謂えた。

新たな人影が一つ、樹々の隙間から姿を現す。―――武市 瑞山。

彦斎の正面で蹲る人影が立ち上がる。・・・・・六尺(180cm)近くあろうか。当時としても大柄で、五尺程度の彦斎とは対照的であった。

・・・物静かであって荒々しく、狩る様な鋭い眼で彦斎を見つめる。目の下に黒子がある彦斎に対し、この者には口許に黒子があった。



「―――土佐の闘犬・岡田 以蔵」



武市は彼等の居る山裾の上層からそう言った。

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