あとがき
本作は、2015年12月に完成しました。
ここでは、完成当時に勢いで文章に流し込んだあとがきを掲載しております。
あとがき。。。 河上 彦斎の命日に。
明治4年12月4日、“人斬り彦斎”こと河上 彦斎が日本橋小伝馬町の牢屋敷処刑場にて「容易ならざる陰謀」の罪に因り斬首されました。
偶然にも彦斎の命日となる日に(4日は帳尻を合わせた部分もありますが)、この『幕末地元の偉人』部作第二弾『肥後勤皇党・宮部 鼎蔵&河上 彦斎』が完成しました。さんざん彦斎について調べておきながら、その事に気づいたのは12月2日から3日に日付が変った辺りだったりします。
11月には完成のあたりがついていたのですが、最後の方は書く目標も無い上に悲しいシーンばかり書かねばならず、執筆速度が物凄く落ちました・・・ここまで終りの見えない長編は初めてでした。
本作は友人の「久坂 玄瑞を主役にした小説を書いて欲しい」という一言がきっかけで、2013年10月に執筆を開始しました。もともと「せっかく第一弾としたのだから第二弾も書いてみたい、順当にいけば人斬り彦斎や池田屋事件の宮部だろう。でも、どう書けば・・・」と悩んでいたところで、そこに久坂さんの提案を受け、いっそ久坂さん(長州)に主軸を置いた方が皆の共通知識もあるし、熊本人もよく知らない肥後の幕末史についてだけだらだら書いていてもつまらないだろうなと思って主役を3人にしたのが2年にわたる苦行の始りでした。書いても書いても終らない。調べても調べても拾えない。それでも進めてゆく中で最もしっくりきたのは、彦斎が人斬りだったとはどうにも考えにくい、佐久間 象山以外は誰も暗殺していないのではないか、という事でした。
人斬りでないという仮説を基に話を進めてみるのもいいと思いましたが、結局、最初の認識の侭書き進めたので彦斎の人斬りの汚名を雪ぐ小説にはなりませんでした。なので、本作に於ける彼等は最初からフィクションです。
フィクションという事で色々と割り切りましたが、結局色々欲張りもして第一弾の2倍以上の量になってしまいました。
久坂さんと―――宮部さんと彦斎の物語というよりは、肥後人全体の物語だった様に思えます。尾形さんの出番も想像以上に増えましたし。
第三弾があるとすれば、次は藩主細川 韶邦と彼が最も信頼した肥後藩京都留守居役・上田 久兵衛を取り上げるでしょう。
“刀”も尾形・彦斎から引き継いだ様ですし。
次は短編は難しくとも中編ぐらいにはまとめたいものです。
関東に居る内に、もう一度、池上本門寺の彦斎の墓に礼を言いに行きたいと思います。
2015年12月4日
第三世界の東の京にて
休載を挟みながらの連載となりましたが、そのような中でもお付き合いいただきありがとうございました。
自分では、とりあえず最終回まで掲載することができホッとしております(笑)
改めましてのあとがきは、活動報告にて!




