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百三十一. エピローグ四 1866年、京都~黄泉がえった死人~

「今回の巡察は長引きましたね、沖田先生」


佐倉が沖田 総司の隣にとてて・・・と駆け寄る。とててというが、夜の闇にも浮ぶ鮮やかな浅葱色の羽織には、血がべっとりと塗り潰されている。

(かつ)て久坂 玄瑞・吉田 稔麿の下で天誅に携っていた佐倉だが、現在はその手腕(うで)を活かして死番や魁も誰より立派に(こな)す様になっている。


「ええ。一緒に出た三番隊はもう戻っているでしょうね。其にしても斬り(まく)りましたね、佐倉さん。基本、捕縛なんですよ?」

「沖田先生がそれ言います?先生の方が着物は凄い事になってますよ?」


4,5人程度の浪士が相手だったのだが、沖田と佐倉の二人だけで(ほぼ)片づけて仕舞った。()って、彼等の後ろを鼻をずびずび言わせ(なが)らついて来ている山野 八十八等の羽織は鮮やかな浅葱色の侭だ。若しかしたら刀を抜いてさえいないかも知れない。

沖田は乾咳(からせき)をした。

「其にしても、何だか今日は街が落ち着かない様な・・・」

そして勘の鋭い事を言う。

「今日は少し遠回りして帰りましょうか」

エエーッ!!と山野を始め(というか殆ど山野だが)隊士が抗議の声を上げる。佐倉は認知症老人を諭す様な声で

「・・・山野さん、あなた何も遣ってないでしょ。少しは働けよ」

と、言った。

「季節の変り目で風邪気味なんでィ・・・あー、早く風呂に入りたい。俊お手製の熊野蜜(はちみつ)生姜湯飲みてェよう」

「なに女みたいな事言ってんですか。そんなだから伊東参謀やら武田先生やらに言い寄られるんですよ」

「あ゛ぁん!?お前ケンカ売ってんのか!?お前だって言い寄られてんじゃねェか!!」

つーん。

「オイ!!無視か!!」

「やれやれ。また始りましたねえ。佐倉さんと山野さんのケンカ」

沖田が呆れた顔をしつつ慣れているのですたすた行く。


「・・・ん?」


沖田はふと対岸を見た。一番隊が巡察していた祇園三条・四条は鴨川に面してもいる。

この時間になるといつもは光が落ちて静かになる対岸だが、この日は何処か落ち着きが無く騒がしい。

「ほら、行きますよ、もう!ちゃんと仕事してくださいよ!」

一向について来ない部下達を引っ張って三条大橋を渡る。対岸である縄手通に小川亭が在る事を沖田は無論知っていた。元より目をつけていた旅館だから、(とおり)が落ち着かない元凶として第一に疑った。

・・・なるほど、此処が騒がしい。

「―――御用改めですよ」

沖田が小川亭の戸を開けて言った。中は芸妓の居ない旅館にしては煌々と明るく、其は蝋燭が無駄に立てられているからだという事は後になって解った。この刻は只、目の前に立つ小さな後ろ姿と老婆、そして三浦 啓之助等人間しか認識として上ってこなかった。

「三浦さん・・・・・・!?」

佐倉が驚いている隣で沖田が眉をひそめる。悪者に見えるのはどう考えても三浦達の方だ。三浦の取り巻きの隊士が老婆に刀を突きつけている。

「えっ、沖田・・・!?」

優越感に浸っていたであろう三浦の顔に急に余裕が失われる。三浦は一度本気で怒らせて以来、沖田がトラウマなのだ。

「―――らしくない状況に陥っていますね」

沖田は沖田で、三浦に洟も引っ掛けない。三浦にではなく、最も近い位置に居ながら未だ背を向けている童に話し掛けていた。佐倉を背後に押し遣って戸を締め、刀を抜いて振り向かせたからそうと判る。


『沖田先生!?沖田先生!!』

―――刀の擦れ合う音だけが外には聞える。佐倉が愕いて外から戸を叩いた。


「・・・・・・この声・・・・・・」

佐倉が長州勢に属していた頃、彼等は互いに逢っている。沖田は池田屋に関連する憎しみの輪廻に佐倉を取り込ませまいとした。

「・・・・・・そして、らしくない表情(かお)をしている。でも、凡てはあなたが蒔いた種ですよ」

幾合か交えた後、刀を掃って互いに跳び下がる。そのさまを中に居たりせや三浦 啓之助等は血の気の引いた顔で見ていた。りせがやめとくれ・・・!と叫ぶ。童は親に怒られて反省する様に、暗く哀しい表情(かお)をした。

一方で沖田は、(わら)っている。

「―――その御婦人を離しなさい、三浦さん。あなたの敵はその方ではありませんよ」

沖田の笑みこそは三浦に向けられていた。沖田こそ三浦には相当腹に据え兼ねている。卑怯な遣り方で隊を乱すだけでなく、斯うして京に於ける新選組の評判をも落そうとしている。幾ら因縁のある宿といえ、之では立場に関係無く新選組が悪党だ。

「・・・自分で獲物を見つけてきた点くらいは、褒めてあげた方がいいですかね?」

三浦は先程の鍔迫り合いを見て、すっかり怖気づいて仕舞った様だった。鍔迫り合い―――と謂っても沖田達にとっては肩慣らし程度であったが。自分の父を殺した刺客の剣腕(うで)は知らなくとも、沖田の剣腕は之迄の隊士生活で体験していた。

―――否、沖田の剣腕さえ知らなくとも―――・・・身近な人が殺された、通常は其だけの情報でも其形の剣腕だと見込んで警戒するが―――

斬れない。自分の剣腕では。人質なんてあって無い様なものであり、(むし)ろ人質を取った事に因って自らの危険が増えたとしか思えない。返り討ちにしか遭わないという土方達が始めから出していた結論に、三浦自身が漸く辿り着いた。沖田は三浦の顔を見て其に気づいたのだ。

だから、せせら笑っている。



「・・・・・・合っていますよ、三浦さん。この男が河上 彦斎、あなたの(かたき)です。・・・丁度いい、此処で仇討を決行しますか。


私が立ち会っていてあげますよ」



・・・・・・沖田は冷酷だ。助太刀する気は毛の先ほども無い。尤も、手伝って遣っても全く仇討にはならないが。

沖田は叉、彦斎に対して斯う言った。


「お久し振りです、河上さん。何の心算(つもり)で京に舞い戻って来たのか分りませんが、池田屋(むかし)の事を蒸し返すのはやめてくださいね。あなただって人に恨まれる事をしたんですから。あなたの罪の証が目の前の三浦さんなんですよ」

「・・・・・・理解(わか)っているとも」

彦斎は戸の外に視線を向け乍らも静かに(うなず)いた。外からは佐倉の声が今も聞え続けている。

「・・・素直に討たれてあげますか?」

沖田は彦斎に問うた。・・・彦斎は俯いて(かぶり)を振った。

ならば、命の覚悟をなさい。と沖田は三浦に冷ややかに告げた。

今日この日の為にあなたは新選組に入隊したのでしょう―――


三浦は震え上がった。りせが隊士の腕から解放された。へなへなとへたり込むりせを彦斎が駆けつけて支える。

「・・・・・・済まぬ。りせさん」

「河上さま・・・・・・」

彦斎が謝る。りせは彦斎と三浦とを交互に見る。りせ自身は彦斎と三浦の関係を把握しきれておらず、自身も叉憎しみに連なる彦斎の罪の証の一部となった事は分らなかった。

彦斎は三浦を見る。済まなかったと三浦に言った。ならば黙って俺に討たれろと三浦は喚いた。・・・尤もだが其は出来ぬと彦斎は断る。


「・・・・・・命の宛先はもう決っている」


命が複数あったなら、一つは呉れて遣るのだが。誰の命もたった一つで均しくかけがえのないものであるというさも当然の物事を、この男はやっと学んだ。

彦斎は刀を鞘ぐるみ抜く。

「―――遣りますか?」

沖田が三浦に刀を抜きなさいと言った。彦斎は刀を鞘からは抜かず、横にして掲げ、沖田や三浦等に示して


「この刀の持主(あるじ)を捜している」


と、言った。



「緒方 小太郎の刀だ」



―――沖田は眼を見開く。戸の外はいつの間にか静かになっている。りせや三浦も、口をあんぐりと間抜に開けていた。



新選組(そちら)に、緒方という姓の男が居わすろう」



彦斎が因縁の根源に触れる。沖田は慎重な貌をした。

「・・・居ますが、あなたに会わせる義理はありませんね。其に、小太郎(しょうたろう)なんて名前じゃない」

「当然だ。俺が捜しているのはその倅・・・―――緒方(おがた) 小太郎(しょうたろう)は、死んだ」

「・・・・・・!」

・・・戸を叩く音が再開する。先程よりは随分と穏かなれど―――・・・沖田は貌と声の明度を落して

「・・・・・・ならば猶更会わせる訳にはいきません。三浦さんと同じ事ですよ。でも三浦さんと違ってこんな事を望んでいない。先程も言ったでしょう。蒸し返さないでください。あなたの相手は三浦さんがします」

と、言った。(やや)聞き取り難かった。

「―――さあ三浦さん、斬りなさい。躊躇う事などありませんよ。この人は完全なる悪だ。何処の部分を切り取っても酌量の余地など在り得ない。あなたの判断は正しかった。仇討でなくとも斬らねばならない人だ」

沖田は堪えている。代りに三浦を(けしか)ける。彦斎を見て三浦の心中を酌み、花を持たせる気でいたのかも知れなかった。

三浦は今にも泣きそうな顔をしている。


「安心なさい。あなたが仇討に失敗しても、私がこの場でこの男を討ち取る事になる。あなただけが死んでこの男が生き残る事なんて在り得ません。私の命に代える事になっても、この男に後を追わせましょう」


沖田の方が何故か死の覚悟が出来ている。彦斎はもう一本、腰に差した刀に触れるがそちらはすらりと鞘から抜いた。三浦そして沖田を迎え撃つ心算である。


「―――三浦さん、さあ」


沖田が三浦を急がせる。―――死に急がせる。室内に居る皆が三浦を見守った。―――三浦の死の瞬間を、皆が俟っている。



「早く!!」



沖田が苛立った声で叫んだ。



この因縁を断ち切りたいのは、何も彼等だけではない。沖田も叉、池田屋で松田や稔麿を斬っている。

この場に居る全員が、輪廻に捕えられた当事者なのだ。

三浦はもう後には引けない状況に追い込まれている。


三浦ははあはあ言い乍ら刀に手を掛ける。岩でも持ち上げるかの如くその動きは鈍重だった。其でもゆっくりとだがするすると、刀身は鞘の内側を滑ってゆく。




「何をしているのですか」




―――と、誰かが質問した。沖田の声ではない。併し、三浦は沖田と勘違いし

「―――五月蝿い!お前が()れって言ったんだろ!!」

と、泣き叫ぶ。なればやめてしまいなさいとその声は言った。簡単に言うな。斬らなかったら俺は本願寺で切腹させられるんだろ。



「―――そんな事を言ったのですか、沖田さんは」



三浦は顔を上げた。奥座敷から人が降りて来る。表が開いていないので、裏口から隠し階段を通じて来たのだろう。小川亭の女将ていが座敷に続く段上に現れる。

彦斎は其を確認した。からん,と下駄の歯が床を叩く軽い音に、少しばかり気が遠くなる。



―――白い着流しに黒い羽織。



丸で葬式帰りのすがたの男が、下駄を履いて此岸(こちら)へ遣って来る。過去に故郷にて彼岸へ葬り去った男の幽霊が、歳月を越えて実体を現したからであった。


相手は素顔を曝していた。成長し、死人の(かたち)が完成している。雰囲気は何処と無く古閑 富次(ふうじ)と似てもいた。

背後に護衛を連れている。


「・・・もうじき肥後藩が此処に来る。小川亭については肥後と会津に投げる事になった故、女将と大女将以外は外に出てください。ここは私の裁量に従って戴く。貴方も―――いいですね」


彼岸から来た男は彦斎も同じ様に捌いた。最も因果を感じる相手乍ら、対応は最も落ち着いている。


併し―――矢張りこの男だった。



「私が新選組の尾形です」

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