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百三十. エピローグ四 1866年、京都~加害者と被害者~

西本願寺屯所の扉を開くと、当然の事(なが)ら隊士が(たむろ)している。昼の巡察と夜の巡察の間の時間であり、最も隊士が多く居る()(がれ)刻。

平隊士の部屋ではあるが、原田 左之助・藤堂 平助・永倉 新八の三馬鹿と、永倉 新八の二番隊に連なる伍長・島田 魁が集っている。彼等は平隊士を能々(よくよく)気に掛けており、()交流(まざ)る。世話も焼き、10代の入隊者が増えてからは友の様にも接し、生活指導の一端も担う。


「わぁ!なんだか逢うの久し振りだね!」

「今日は三浦のドラ息子は大人しくしているのか?」

三浦 啓之助は先程遊廓に入る処迄を見届けた。だが其はこの部屋では言わぬ方がよい。

「・・・今は少しの間休憩を貰っている。其より、佐倉さんに用が有って来たのだが」

「佐倉に?珍しいね」

「そういや八公(ハチこう)も帰って来んしなぁ。巡察が長引いとるのかも知れんな」

「・・・・・・そうか。失礼した」

用件のみ確認して部屋を出て行こうとすると、原田がもう行くのかと騒ぐ。厳島の鹿の様な男だ。愛敬を振り撒かねば五月蝿くしつこい。

「・・・休憩時間はたった今終った。だから行く」

「ははは・・・左之、お前避けられてるぞ。忙しそうだし、全然休憩になってねぇな」

ほぅ・・・・・・。思わず溜息を吐くが原田の雄叫びに掻き消される。永倉も声を掻き消されつつ、まさに心裡で思っている事を代弁した。

「何かあったのか?」

其処から、極自然な流れで軽い詮索をしてくる。馬鹿騒ぎはするが鋭い男だ。だが、この口から情報を述べる訳にはゆかない。

「・・・・・・局長副長方は、佐倉さんを(いず)れは側近として置けるよう育てたい様だ」

嘘ではなかろう。佐倉は以前山南 敬助の小姓をしており、現在も節目節目に於いて幹部と深く関っている。孰れは誰ぞ個人に附く。

「―――なるほど。だから局長附の出番ってワケか。確かに適任だな」

永倉は納得してみせるが、無論何かしら察している。併し感づいているからこそ、訊かない。

佐倉の話題が拡がりゆく中部屋を出た。幹部は兎も角、平隊士間で何ゆえ佐倉の話が盛り上がるのかとんと解らない。

廊下に出て暫く歩くと、伊東一派に属する監察方・服部 武雄が現れる。姿勢を落し

「・・・如何でしたか」

と、訊いてきた。歩を速める。面倒な事になりそうだった。

「・・・・・・もう出遭っているやも知れぬ」




河上 彦斎は逃げも隠れもしなかった。(しか)しある日突然京の都に現れた。其迄の目撃情報が殆ど無かった。紙の様に時勢がひらりと翻る為、尊攘全盛時代の過去の亡霊の姿なぞ、誰も意識していなかったのだろう。

要するに、今回に限っては監察方と一般の隊士の情報獲得に充分な時間の差を設けられなかった。


「―――三浦さんが遊廓を出た?」

「はい。(おんな)には口止めしたのですが、三浦君も公費とは別経由でその妓には大金を積んでおりまして・・・裏切られました。外へ出ぬよう止めもしたのですが、手もつけられず―――」

「ちっ、だから公費以外に出させるなって言ったんだよ。遊廓の周囲に巡察隊を置くなりしなかったのか」

副長部屋が俄かに慌しい事態に追い込まれる。監察が数名単位で土方の許に訪れ、空気は行軍録や広島西下と同じ戦争の其となった。

「三浦さんが遊廓に入った当時は巡察隊と左様な話は出来なかったでしょう。監察方(われわれ)も、つい先程知りましたゆえ」

「・・・ちっ」

土方は再び舌打ちをした。

「少なくとも、本日昼(さきほど)の隊までは河上 彦斎入京の情報(こと)を知らずに巡察しています。彦斎相手では新選組(こちら)も其形の装備が必要でしょう。今、三浦君の方は山崎先生が監視しており―――」

「一番隊の行方については服部さんに追跡して貰っております。服部さんが戻って来次第、我々も行動を始めますが―――」

―――。監察は片眉を跳ね上げたり眼を見開いたりして土方を見ている。黙りこくった土方の動揺が意外だった。


「何か言いたい事は御座いませぬか。副長」


「・・・お前」


土方は顔を上げ、上目遣いに凝視した。吉村は緊張した面持ちで其を見守る。




彦斎は逃げも隠れもせぬどころか、新選組屯所に向かって真直ぐに突き進んでいた。併し、新選組屯所は禁門の変の頃と変っている。まさか長州人を守った西本願寺に屯所を移転したとは思わず、叉嘗ての屯所が肥後藩邸と目と鼻の先に在った為、肝心の屯所は全く確認できずにいた。巡察中の隊士に声を掛けてもよかったものの、絶対に大事になって仕舞う。

池田屋事変直後の様な失態は、もう犯したくない。

彦斎自身は隠居した好々爺と同じ安らかな心持でいたが、敵はそうは見ない。




がらっ!


バンッ!!

バサバサバサッ!!




「なっ、なんざます!?」




とある旅館に男達が押し入り、帳場を壊して中に居る老婆を人質に立て篭る事件が起きた。


鳴子の音と老婆の声を聞いた奥の女性は、咄嗟に駆けつけようとして思い(とど)まる。


「は・・・離しとうせ・・・・・・!」

「黙れ!!」

男が猛獣の様な声で怒鳴りつけ、老婆はびくりと肩を震わせる。


「新選組だ」


と、別の男が名乗った。名乗った男は彫りが深いが顔の部分片(パーツ)一つ一つに丸みが残り、まだ少年を脱したばかりの印象がある。併し乍ら、この集団の頭の様な振舞いである。

所謂沖田 総司とか斎藤 一とかそういう有名どころではない。

「婆さん、河上 彦斎を匿ってるだろ」

その少年とも謂える男は殆ど言い掛りの形で老婆に詰め寄る。「あわわ、あわわ」としか言わない老婆に

「おい!!酒と妓を用意しろ!!」

と、猛獣の声を持つ男が叫んだ。

「は!?」

と、老婆は思わずあわわ以外の言葉を発した。此処は単なる旅館であって、酒こそ置いていても芸妓など一人も置いていない。

抑々(そもそも)、捕り物に来て酒と妓とは。

「会津の言う事が利けないの?」

少年が老婆相手に壁ドンする。老婆は再び「あわわ、あわわ」を連呼した。青春のときめきを思い出したという訳でもないらしい。

「会津はんと言われましても、なぁ」

「やっぱり、国家に大逆を為す賊なんだね」

「はっ!?」

ときめき以前にジェネレーション‐ギャップや言語の壁が高そうな気がする。

「なんだよ。肥後藩の御用達なんだから肥後人の罪を一緒に償うのは当然だろ」

取り巻きの男数人がずかずかと中へ上がってゆく。


奥の女性は息を殺して二階へ上がる。二階の押入れには隠し階段が在る。



「俺は河上 彦斎に殺された佐久間 象山の息子・三浦 啓之助こと佐久間 恪二郎。被害者の貌はきちんと覚えておくべきだよ。小川亭の人」




旅館の奥で自称新選組隊士の横暴を目撃していた女性は、池田屋事変直前まで宮部や松田を匿った小川亭の女将・ていであった。捕まった老婆は姑のりせである。


彦斎は食事処で夕食を終え、土手に立ってぼんやりと鴨川を眺めていた。泊る処も決めていない。小川亭が頭を過りはしたが、迷惑を掛ける訳にはゆかないと今回は無関係で徹そうとした。

併し、憎しみの連鎖は、遂に彦斎と小川亭を占拠する佐久間 象山の息子を結びつける。


「肥後さま、肥後さま・・・・・・!」

女が肥後の名を叫び乍ら鴨川沿いを駆け出して来る。ていは志士が逃亡する為に設けていた隠し階段を用いて外へと出たのであった。日は暮れ、互いの貌が判然(はっきり)と視えない時間帯に差し掛っている。

「もし」

と、彦斎は思わず声を掛ける。最早、肥後という響きを聞いて無視は出来ない心境となっていた。

「拙者は肥後藩吏では御座らぬが肥後人です。拙者でよければ―――」

「―――え?」

ていの方が先に彦斎に声で気づく。河上さま・・・!と叫びたい声を直前で抑えて

「京に来てはったんですか!水臭いですえ・・・!」

と、先ず彦斎の身を案じた。

「ていさん・・・!何があったと!?」

「けど、河上さまは逃げとくりやす・・・・・・!」

狙いは河上さまです・・・・・・!と言った。

「壬生狼が義母(かあ)さまを盾に取って・・・・・・!うちは肥後藩邸に助けを乞いに行きます。だから、河上さまは・・・・・・!」

「・・・いや、己の責任は己で果します」

彦斎は暗い声で言った。ぐずぐずと逡巡している内に、遂に新選組(むこう)の方から来て仕舞った。否、遂に、ではなく自分達が京から居なくなっても、自分達を保護してくれた者達はずっと理不尽な目に遭わされていたのかも知れない。

「ていさんは言われた通り、肥後藩邸に行ってください。孰れにしろ、僕は肥後に帰る心算(つもり)だった。我が足で帰る手間が省けるだけです」

「そんな・・・・・・!」

彦斎は腰に差した両の刀を握り締めた。・・・・・・りせに危害を加える様ならば、今一度、斬る。刀を返すどころか憎しみの輪廻が叉廻る事になるが、其処からもう抜けられぬ事はとっくの昔に解っている。

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