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百二十八. エピローグ参 1866年、征討~帰郷~

後日、晋作の元に一通の文が届いた。彦斎からだった。別離(わかれ)を告げる手紙であった。

現在広島のとある民家に匿って貰っているが、長州に拠らず京へ上り、その足で肥後に帰る、と記されていた。




『赤根 武人と逢った』




―――ゴホ、ゴホッ!と晋作は激しい咳をした。白い布団と文に指の間から漏れ出た血が飛び散る。彦斎が話題に上る日は喀血を起す法則が固まりつつある。斬らなくても死を引き寄せる男だ。

「高杉さん!?」

見舞いに来ていた伊藤 俊輔が晋作の背を支える。昨日は下関で指揮を執っていた程に調子が良かったのに。




―――『赤根さんは隠さず教えてくれた』



『四境戦争(第二次長州征討)の事も、幕府訊問使の事も、訊問使の一行に壬生浪の近藤 勇等が交っていた事も。

四境の内芸州口については、この頃地の利を得た(ばかり)故、僕に任せよ。兵は補佐程度の数与えて呉れればよい。少数で幕軍を破ってみせよう。

肥後藩の軍勢も攻めて来る事だろうが、心配する事はない。其も僕が止めてみせよう。だが、其には少し刻が要る。必ず止めてみせるから、刻が来る迄如何か耐えて欲しい。この戦を越えた先に在るのは、君達長州の導く新時代だ』




「・・・・・・“お前”は如何なんだよ・・・・・・」



晋作は虚ろな眼で呟く。其の侭枕に頭を(うず)められる。視界には昼間でも薄暗い天井板の色一色しか映らない。



「“お前”は日本(くに)を導いてくれねぇのか・・・・・・」




彦斎はひどくやさしい貌をしていた。短い期間で纏う空気が余りにガラリと複数変る為、(のぼる)の親仁も狐憑きではないかと(やや)疑い始めていた。手入れを頼んだ刀を受け取りにふらりと鍛冶場に現れた時は本当に女の様で

「おいおい、鍛冶場は女人禁制だぜ」

と、揶揄(からか)うと

「―――・・・その考えは(いず)れ旧くなりますよ」

と、誰かの受け売りの様な科白(せりふ)を言った。彦斎本人はそうは思ってはいなさそうであったが。

「今日は刀を買いに来ました」

「はぁ?こがいな辺境くんだりに刀剣屋があるかい。打って()るけぇ待ちな」

「よかよかそんな大袈裟な物じゃなくて!」

彦斎は慌てて方言丸出しで言った。肥後人とばれても今となっては別に何の差し障りも感じないものの。

「・・・失敗作とかはなかと?長さが足らんかったとか製造途中で折れたとか」

「そんとな恐ろしくて売れるか!持主の命を左右するんやぞ!?」

彦斎は耳を塞ぎ乍ら室内を物色する。あっ、モノを勝手に移動させるんじゃない。お前さん、金屋子(かなやこ)の神さんの怒りを買うぞ。横から親仁がぎゃんぎゃん言う。彦斎の遣っている事は野盗も同然だが、見た目は子供が玩具を漁っている様なスケールなので之以上きつく当り難い。外見ってやっぱり大事。

其でも少し前迄は、もう少し邪険に扱っても大丈夫そうな雰囲気があった。


「わーあるじゃなかやー」

「おいおんどりゃーーわら!!何倉庫まで手ぇ出しとんじゃ、ワレ!」

彦斎が隣接する倉庫から白鞘に納められた刀を発見する。知っとうよ、これ影打(かげうち)と云うとやろ?この前例の逆刃刀戯画(まんが)幻灯機(えいが)版があっとったけんね!と、何故か誇らしげな表情をした後

影打(これ)の中から、安値で売ってくれる刀は無いですか」

と、急に真面目になって訊いた。・・・・・・親仁は流石に不審がり


「・・・・・・お前さんは、一体何処へ往く積りだ・・・・・・?」


と、質問で返す。彦斎はにっこりと笑った。



「“僕”は―――」




―――『僕は、戦いの後京へ上る。京での用を果したら、長州には()らず其の侭肥後へと帰る心算(つもり)だ。恐らく牢に繋がるる事になるだろうから、君達と二度と逢う事はあるまい。

斬人の罪を償うべき刻が遂に来た様だ。京で果す用というのも斬人の関係である。

肥後で活動していた頃に手に掛けた者が、生き延びて、現在は壬生浪に居る事が判った。そしてその者の物である刀は、八月十八日の政変以来僕の手許に在る。

僕等と彼等の因縁は抜き差しならぬ状態にある様だ。池田屋の件もある。今こそ、刀を本来の持主に返し、(すべ)ての決着をつけようと思う』




「ほれ。手入れしておいたぞ」

親仁が彦斎に刀を渡す。彦斎は受け取って礼を言うと、慎重な手つきで腰に差した。

「・・・その刀はもう抜かないがいいし、そしたら確かにお前さんの武器は無くなっちまうな。けど、お前さんの場合、その刀と同じ位丈夫なのじゃないと持たないしなぁー・・・うーん・・・」

親仁は親身にも彦斎に合う刀について考えを巡らせる。その側から彦斎は

「別に()つ必要は無いですよ。安かろう悪かろうで結構です。只、数が欲しい」

と、親仁の好意を無下にした。

「・・・・・・。お前さんは鍛冶屋泣かせだな。刀の打ち甲斐が無い奴だぜ・・・」

職人に依っては刀に対する(こだわ)りや丹精を侮辱されたと怒るレベルである。だが、この辺境の鍛冶屋に依頼に来る者は(わけ)有りが多い。

「・・・長持ちして、付喪神にでも宿られたら困る」

彦斎は依頼して返って来たばかりの刀を示しつつ言った。・・・・・・。親仁は面倒な客に中って仕舞ったとばかりに首の根に手を遣った。


(・・・・・・村正だ)

と、在り来りの事を想う。


(この坊主が触れた数だけ、呪いが刀に蓄積されてゆくんだな)




『赤根さんには、君とは既に縁を切ったと伝えた。すると、長州藩に対する寛大な処分および全国一和実現の為に、訊問使もとい壬生浪と同志になる勧誘を受けた。無論断わった。壬生浪との因縁は先に述べた通りだ。

併し、君達とも矢張り、縁を切ろうと思う。

君と出逢って五六年、僕は僕なりに君の政策の変遷を見極めてきた。尊皇攘夷という思想観念から倒幕という具体行動への昇華の段階で、君は藩内の富国強兵を推し進め、僕は君の其を阻む君の同胞達を斬った。君は其の段階で異国の甘い汁を吸ったのだな。伊藤君の態度を見れば分る。君達にとって異人は最早敵ではなくなったのだろう。その事について、僕に何も言う事は無い。味方は多いに越した事は無い。

併し、私が斬った君の同胞達は、異人に対して何らかの意見を表明していた訳ではなかった。彼等は彼等なりに、君達と同じ様に幕府に拠る征伐から藩を守ろうとしていた。攘夷という目標を失った段階では、彼等の遣り方で充分であった様に思う。

私は今、彼等を殺した事を後悔している。

僕は尊皇攘夷の大義の下に斬人を犯し続けてきた。考えの浅はかな年頃に斬り始めた。同胞の開明派や開国派を好んで斬った。そんな僕が開国派へ転じた君と如何して同じ道を歩めよう。僕が開国派へ転ずれば、之迄犠牲にしてきた開国派への大いなる裏切となる。尊皇攘夷の思想を捨てれば、その為に天誅を命じてきた宮部先生や久坂の意図もふいにする事になる。君の手は綺麗だ。光ある未来に向かって進むとよい。闇のものは、闇の中に帰るのみだ』




「・・・・・・ドコが“綺麗な手”だって・・・・・・?」

晋作が吐いた血で紅々(あかあか)とした自身の手を眉間に乗せて呟いた。

「“綺麗”だったら結核(こんなこと)になってるかよ・・・・・・」

はぁ・・・と晋作は苦しげに息を吐いた。文をぐしゃりと握り締める。

「・・・俊輔、赤根を捕えろ。アイツは余計な事をした。一刻も早く処刑台に送ってやるべきだ」

晋作は即座に指令を与えた。翌日にはもう軍服に着替えて前線で指揮を執っている。彦斎、古閑をして「恐ろしい」と言わしめる細川の軍に対抗する為である。

「・・・・・・肥後さんは俺が直接相手をする」

・・・・・・その言葉の響きには後悔が滲んでいた。


晋作はすぐに病床の中桂 小五郎にこの件に関する文を書き、送らせた。桂は出石より帰還して以来、長州藩新政権の実質的トップに据えられ、薩長同盟締結を機に薩摩・福岡が中心となって彼の権威の認知的な拡大を西国諸藩に対し取り計らっていた。


桂はその権威を使って、彦斎の紹介状を西国の各藩にばら撒いた。肥後藩より先に彦斎を見つけ、匿ってくれる国が出てくる事に賭けたのだ。(なお)、この時期には肥後の周囲7国、豊前国小倉藩を除いた全ての国の旗色が倒幕に翻っていた。肥後藩の政情も例外ではなかった。が、佐幕時習館党政権の舵を奪い取ろうとしていたのは、彦斎等勤皇党と三つ巴の争いを繰り広げていた横井 小楠等実学党の者達で、彦斎の所業から、実学党の怨みも多分に買っていた。

桂は桂で、肥後人の怨みの捌け口として生を終えるには勿体無いと思う程度には、彦斎に使い処をまだ見出しているらしい。

併し、この頃の彦斎は倒幕よりも肥後だった。あれだけ負の関係しか築いてこなかった地なのに、今はこの地の者の為に殉じたいとさえ想う。




『君達はもう独りで立てる。今度は肥後を独りで立たせる。

その為に僕は肥後の土になる。

だから、さよなら。――――松陰先生と宮部先生から始った、僕の友』




「・・・今迄、ありがとう」

彦斎は安らかとも謂える笑みを浮べて、手を振った。




「・・・・・・・・・」

晋作は部屋に独りになると、大きく溜息を吐いた。

「・・・・・・何だよ」

晋作はぶっきらぼうに言った。結局、古閑が長州に訪れる前に庵で寝泊りしたあの日が彦斎との永遠の別れとなった。

この場合、晋作の側に再会を()つ時間が無い。

「之じゃ、死んでも久坂に顔向け出来ねえじゃねえか・・・・・・」

まさとうのが部屋に入る機会を失い、縁側に佇んでいる。其くらい、声の震えが部屋の外からでも判った。




「・・・・・・」

親仁が手を振り返して彦斎を見送る。態々(わざわざ)依頼人と鍛冶屋(おやじ)自身の思い入れの少なかった刀の影打を探して渡して遣った。

刃紋が美しくはないものの、影打は影打。質は真打(しんうち)(ほぼ)変らない。少なくとも途中で折れて使い物にならなくなる事はあるまい。


『もうじき此処は戦場になる。親仁も、暫くは此処を離れたがよい』


親切にして貰ったからと、忠告を残してこの男は去った。名乗りはしなかったが、この男が人斬り彦斎なのだろうなと親仁は思う。

『・・・ま、此処は俺の守備範囲だ。幕軍には一歩足りとも近づけさせはせんがね』

『狐の恩返しかい。其にしても(えら)い自信やな』

親仁は結局避難しなかった。だが、此処が戦に捲き込まれる事は無かった。宣言通りにその手前で幕軍を食い止め、遂には破り、之も叉晋作に文面で宣言した通りに芸州口を出た。

大島口・芸州口・石州口はすぐに晋作・彦斎・大村 益次郎の各方面者が撃退した。残るは小倉藩小笠原家・元小倉藩主肥後細川家が攻める小倉口。因縁深き之等の藩とは、最終的に3年前の下関戦争宜しく領土戦争となり泥沼化する。


晋作は、筑紫島(つくしのしま)―――九州島を、征服する心算である。



―――豊前国企救(きく)郡赤坂(現・福岡県北九州市小倉北区赤坂)の陸と海にて、細川 韶邦(よしくに)と高杉 晋作が対峙する。



併し乍ら、その現場に彦斎は居ない。


彦斎は宣言通り、長州に拠らず東へ向かって歩いている。彼は極めて個人的な用事を果しにゆく。

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