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百二十一. 1864年、堺町御門~最後の希望~

薩摩と彦根の応援に()って、越前兵も盛り返す。会津も東西より炎から逃げる様に下って来て、長州の旗色が急激に悪くなった。



禁裏が燃えている。



「手当ては・・・・いい・・・・・・っ!其より」

久坂が己の膝の止血をする寺島の腕を掴む。う・・・・・・っ!意識が飛びそうになる。其も(つか)み脳味噌に留め

「・・・・・・入江もだ・・・・・・よく聴け、そして各部隊長に伝えて欲しい・・・・・・いいか、落ち着いて聴けよ」

・・・進軍より撤退の方が難しい事を痛感する。言葉を間違えれば兵が自暴自棄に陥る。皆、天龍寺隊に希望を抱いて戦っている。

けれども、真実は述べなければならない。

「俺は此の侭鷹司さまの御邸に入る・・・・・・俺が御邸の前で敵を引き付けておくから、順次撤退を促せ。陣の立て直しが必要だ」

「何を言うちょる!!」

入江等は矢張り愕いた。そして、矢張り反対する。

「その怪我では無理だ!其に、薩摩が退いた今なら来島さん達の隊と合流できる。西も南ももう撃破している!戦い続ける理由はあっても退く理由なんて無い!」

「だから、落ち着け!!」

久坂が力を振り絞って叱った。寺島が瞳を潤ませて口を結ぶ。寺島は聡い男だ。彼も叉、信じたくないのだろう。


「・・・・・・理由も無しにこんな事言う訳無いだろう・・・・・・?」


・・・今度は、諭す様に言った。久坂の顔からみるみる血の気が引いてゆく。その意味でももう時間が無かった。


「理由が・・・・・・あるのさ・・・・・・」


・・・・・・浮んでは消える脳裡(のうり)に映る貌。久坂とて話すに憚った。言ったところでこの確信は人斬り半次郎と面識の無い彼等に解るまい。

・・・その事を本の少しだけ、羨ましく想った。だが、後悔はしていない。・・・・・・彼等と出逢えた事に、心から喜びを感じている。

「見ろ・・・・あの一際大きい炎の元は禁裏だ・・・・・・斥候の報告では、蛤御門を始めとした御所の西側には人が殆ど居なかったらしい・・・・天子さまを擁して既に御所(ココ)を出たか、(はた)(また)薩会に潰滅させられたか・・・・・・(いず)れにしろ、御所(ココ)に居る理由こそ無い」

真実(りゆう)は・・・言えなかった。久坂自身が未だ信じたくなかったのもあろう。・・・・・・入江と寺島は、殆ど理解した顔つきで聴いている。

「・・・・・・天龍寺隊が居ない分、兵は総てこの堺町御門に()って来る。集中攻撃になる訳だ・・・・・・之程兵が無駄に死ぬ条件は無い」

「けど何もお前が盾になる必要は無いじゃろう!?指揮官を失うたら、其こそ・・・」

「そうだ!・・・ならば、久坂さんも撤退しよう。そうでなければ、俺達も、此処で・・・・・・!」

「馬鹿・・・・・・」

久坂は力無く言った。その言葉には叱咤も激励も失笑も含まれていない。只々呆れた声だった。

「・・・そんなのは、役目を果した後に決める事だ。目的を忘れたか・・・・俺達は鷹司さまの許へ恩赦嘆願の為に来たんだぞ・・・・・・そして鷹司さまの御邸は目の前にある。兵達の役割は終ったんだ。・・・・・・俺達をよく、此処まで護ってくれた」

久坂は納めた長刀を杖にして立ち上がった。柄に己の血がべっとりと付く。其を見て、ふっ・・・と口許を少し緩ませる。

「久坂・・・?」

「後は大将(オレ)が仕事をするだけだ。お前達は兵に混乱を与えないよう、速やかに撤退させろ。其がお前達の仕事だ」

「なっ・・・!」

「之はお前達にしか頼めない」

久坂は有無を言わせず続けた。


「預っている兵がいるんだよ―――・・・その兵を、生きて帰す約束をした。俺は絶対に約束を破りたくない。



破ったら・・・・・・其こそ殺されるだろうからな」



――――・・・・・・ 入江と寺島は押し黙った。完全に高くなった東の陽が燦々と降り注ぐ。御所を焼く炎と共に、非常な熱を放った。

熱い。

「・・・・・・確かに、お前のその理屈は俺等松下村塾生にしか解らんじゃろうな」

入江が折れる。入江の返答に促される様に、寺島も硬い動きで(うなず)いた。

「・・・・・・友の友も、友だしな」

・・・震える声を発して、自らを納得させる。

「その代り、役目を果したら俺達はお前の処に戻って来るぞ。その頃にはお前の仕事も終っちょるじゃろう。そして」

そこ迄言うと、入江は自隊の指揮を再び執り始めた。寺島も立ち上がり、職務に戻る。両隊とも鷹司邸を背にし、御門にかけて戦っていた。長州兵を門内に閉じ込めようとする幕兵を猛烈な勢いで追い返す。

入江と寺島が御門の両端に立つ。


「お前が御邸の中に入るのを見届ける迄、俺等は御門(ココ)から動かない!じゃけぇ、早う中に入れ!



―――松下村塾は情を育む塾じゃった。情なんて勝手なもんじゃ。・・・俺等の勝手を、お前が許さない筈はないよな?」



久坂は眼を見開いた。死んでも御門は通さない!!!入江と寺島が張り裂けんばかりの声で叫んだ。兵も叉、彼等に鬨を合わせる。

入江と寺島が牽制役を引き受けた。

「久坂さんっ、腕を―――!」

脇で戦っていた兵が久坂に肩を貸す。(しか)しその兵も長く久坂の傍に居る訳ではない。いつしか鷹司邸にも大砲が撃ち込まれ、爆風に煽られる様にして彼等は鷹司邸の玄関に倒れ込んだ。

「・・・っ・・・!」

壁に叩きつけられて久坂は激しく咳き込んだ。涙に潤む目を開けると、既に肩を貸してくれた兵の姿は無かった。

無事に戦陣に戻ったのか如何かも、もう判らない。


「!!」


―――玄関の扉が吹き飛び、木材の破片が全身に降り懸る。鉢金を巻き込んだ鉢巻が破片の直撃を受けて裂け、壁にぶつかってカラコロと音を立てて転がった。

「・・・・・・・・・」

久坂は再び仰向けに転がり落ちる。・・・・・・無意識に、遠くへ飛んで()った刀に手を伸ばしていた。だが、そんな己の腕さえも遠い。

・・・公家の屋敷も関係無く攻撃する心算(つもり)か。入江や寺島は今ので遣られて仕舞ったのではないかという思考が(よぎ)る。



併し。



「・・・・・・はぁっ・・・」

久坂はギリッと拳を握り締める。ならば猶更、今を諦める訳にはいかない。ついて来てくれた者を、犠牲となった者を犬死ににする事など許さない。

ガシャッ!

小具足を脱ぎ捨てる。具足の上から刺さっていた木片を抜くと、身体を血が真紅に染めた。だが、多少なりとも身軽になった。

這って刀の許まで進む。

―――刀を掴んで再び立ち上がる。・・・黒い煙が近づいてくる。御所の中心で発生した炎が鷹司邸にまで延焼しているのだ。

紅い久坂の全身を炎の(あか)が映す。


「―――っ・・・鷹司さま―――!!」


久坂は名を叫び乍ら奥座敷へ向かう。併し、屋敷の主・鷹司 輔煕(すけひろ)の返事は無く、呼ばれもせぬ緋の気焔が久坂を自らの世界へと誘う。

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