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百十九. 1864年、蛤御門~待ち人~

ギイイィッ!!



―――はっと国司が顔を上げる。薩摩の刀は国司に届かず、叉も別の誰かが受け止めた。示現(じげん)流系統の初太刀を受け止められる者は限られる。

受け止めた刀は、二刀だった。


「―――・・・っ、御無事ですか、国司さま―――っ」


―――高木 元右衛門が「雲耀」を弾き返す。池田屋で新選組の凶刃から逃れただけの事はある。ジゲン流の扱いも心得ていた。


「はあっ!!」

高木はぶん!と刀を振り下ろす。薩摩人達は左右に散り、煙の中に消えた。高木は国司の前に立ち、再び双刀を構える。

「自分が奴等の相手をするので、国司さまは早くお逃げください。薩摩の()は心得ている。ばってん、其は肥後(こっち)も同じだ。長くは持ちませんけん、早く・・・!」

「し・併し・・・・・・!」

パァン!!弾丸が高木の脇腹を貫く。高木の身体は活魚の如く跳ねた。銃撃を受ける事は、全く意識の外に追い遣られていた。

銃弾を避ければ刀に斬られ、刀を避ければ銃弾を喰らう。その様な痛ましき狩りに段階は進んだのだった。

「ぐ・・・・・・!」

「高木さあぁーーん!!」

高木の股を更に銃弾が通過する。泣き叫ぶ国司と安らかなる来島の躯を覆う様に倒れた。併し

「―――まだ死ねぬっ!」

身体を反転させてジゲン流の剣を受け止める。肩を割られ、血を吐いても、背後に居る国司と来島は傷つけさせない。

「お逃げ・・・くださいっ・・・・・・あなたが帰らない長州(いえ)に・・・っ・・・肥後人(じぶん)は・・・・・・っ、帰れない・・・・・・!」

国司は首を横に振る。自分がここで逃げれば高木の死は確実なものとなって仕舞う。其に、今更来島を抱えて逃げる事も難しい。

「嫌だ・・・・・・!誰も居なくなって仕舞う家に帰るのは・・・・・・!!」

・・・・・・高木は苦しげな顔で微笑む。刀が蜻蛉を受けて弾け、高木の手から離れた。

其でも高木は国司と来島に覆い被さり、今度は背中で刀を受ける。高木の身体は、もう断面が見えていた。


「何ば言いなんと・・・・・・」


高木は彼等を固く抱しめる。其からもう動かなくなった。死しても数度、背中を刀で斬られ続けた。



「肥後さん・・・・・・」



―――絶える。肥後人が。再起する事は無い。薩長土との違いは其である。草莽(そうもう)が風雲の彼方に消えたという点で、人種的にも絶滅したと謂える。

申し訳無さと遣り切れなさが込み上がる。

・・・遺骸が二つになった。そのどちらをも国司は抱く。自身も叉、長州軍の指揮官として潔く果てようと思った。

(済みませぬ・・・・・・)



―――そぎゃん思いなはるとなら、生きてはいよ。



「!」

国司が刀に手を掛けた時、声が聴こえた気がした。高木の亡骸を見下ろす。・・・不思議な程に、安らかなる表情(かお)をしていた。


・・・とんっ


背後で着地の音がした。とぼとぼと足音が近づいて来る。柄から切先まで血を吸った刀がぼとぼとと血を溢れさせて、足跡と並行し歩いていた。


―――一振りすると溢れた血が飛散する。煙の中から血の玉が大小飛んでゆき、其は薩摩藩士の足を一瞬でも止めたり目潰しとなったりした。



一瞬の閃光が奔る。



之だけで薩摩藩士の二・三は地面に伏した。呻りの後に首が飛び、穿たれた煙の中から河上 彦斎が現れた。

「黒稲荷!?」

彦斎が駆け出し、刀を振る。例の血に塗れた刀ではなく、高木の手より離れた刀だった。銃弾が耳を撃ち抜き獣の様に尖るが、彦斎は気にしない。元結が切れてふわりと落ちた髪が心ばかりに其を隠した。


「止めといた方が、よかごつありもす」

川路が銃口から煙を出す隣に、中村 半次郎が立つ。東郷川路の逆隣には薩摩軍の総大将である西郷 隆盛が腕組をしており

「あっからまだ()って、勝負(とどめ)はつけんかったとな?半次郎どん」

と、驚いた様に尋ねた。首を横に振る半次郎の身体からは血が絶間無く滴り落ちている。

「つけられんかった、じゃんさぁ。色々と(むっか)しか御方(おせ)でごわした。川路どんも之位で止めんと、無駄な犠牲が出るばかりにごわそう」

―――部下と刃を交えている彦斎が自身を睨んでいる。・・・川路は半次郎の忠告通りに小銃を下ろした。あの様子では、自身の居場処が完全に視えておろう。傍に居る西郷や半次郎の事も。

「西郷先生の“作戦”にもいっき(すぐ)気づきもした。なかなか頭の回るごつある」

「ほう」

西郷は感心した様に言った。

「流石は肥後ん御方(おせ)じゃ。じゃっどん、そん必要無く半次郎どんな勝負(とどめ)をつけると思っとった」

(おい)は西郷先生の御言葉が最優先でごわす」

半次郎が頬を染めつつ返す。正に西郷先生に心酔、といった風であった。以蔵と武市の関係にも見えるが、こちらは両想いの様だ。

「そん割に逃しとるが、河上どんなそげん強か御方(おせ)でごわしたか」

「並みの剣客では確かにありもはん。じゃっどん、果して強かんか弱かんか・・・弱か時ほど強かというか・・・」

「んん?」

おはんな自分が何を言っとっか解っとっか? 西郷が困った様に聞き返す。頭が弱いのは如何やら人斬り共通の特徴らしい。

んん?と困った顔で返す半次郎に、西郷の馬が溜息を吐いた。三途の川が見えた処で西郷が落馬し息を吹き返していた様だ。

西郷の頬にも、弾の掠った痕がある。

(―――あん侭では確かに(いず)れ負けとった。流石は白昼あん佐久間 象山先生(ゆうめいじん)()った現役の黒稲荷、強か事には違い無か。じゃっどん、ちらちら視ゆあの消えそうな感じは何だ・・・単に見た目がケッサレとっからか、其とも飼主(師)を失ったからか・・・・・・)

「・・・西郷先生は、弱っとっ相手ほど追い詰めてはいけん、潰れる前に恩を売って味方につけよと俺に教えもしたな」

「ん」

半次郎が西郷に尋ねる。西郷は肯いた。義兄弟が何を言おうとしていたか、西郷はこの時に理解した。



―――如何にジゲン流遣いの者達と(いえど)も、中村 半次郎の剣と較ぶれば、皆弱く、皆遅い。



煙が切れて、景色が晴れてゆく。

上下に分れて渦を巻き、消えてゆく煙。その後に出で現れたのは、真赤な背景だった。禍々しく炎が燃え、煙に代って黒い渦を巻く。

彦斎が国司の腕を引っ張り上げる。そして、逆の拳で国司の頬を殴った。再び地面に(くずお)れる国司。突き立てていた自身の血刀を掴み彦斎は国司の眼前で、来島の首を刎ねた。

「・・・!」

・・・国司が眼を見開き、我に返る。

「来島どのの首を持って、長州へ御帰りください」

彦斎が国司に背を向けた侭、納刀する。力士隊が戦火の中から国司を見つけ、馬を引いて駆け寄って来た。御家老。御家老。拒む国司を彼等は担ぎ、馬に乗せる。布に(くるま)れた来島の首を(しっか)りと持たせた。

「河上さん・・・・・・!!」

火の手が見る間に迫ってくる。彦斎は高木の腰から鞘を抜き取り、高木の刀を納めて力士隊に預けた。形見と思って傍に置いて遣ってください、と言って。

「国司さま」

彦斎は振り返らぬ侭言った。

「・・・・・・高木の死が犬死にだったと思いなはるなら、其でも構いませぬ。ばとて、其ならば、犬死にだったと思わなくて済むよう努力をしてください。肥後(われわれ)は・・・・・・後悔の無い様に仕事を果した。肥後(われわれ)の志は、如何あっても長州と共に在る」

熱い風が火の粉を連れてきて、彼等にも降る。・・・とても静かな刻が流れた。火の粉だけがパチパチと騒ぐ。


「―――っ・・・・・・、河上さんも、帰りましょう、一緒に・・・・・・!」


国司が彦斎に手を差し伸べる。彦斎は応じず、・・・・・・されど否定もせず

「僕は高木の弔いを終えてから参ります。高木の首までは流石に持ってゆけませぬゆえ」

と、答えた。淡々とした、静かな声である。併し(なが)ら、どこか子供に言い聞かせている様にも聴こえた。

「・・・・・・」

国司は息を抑えた。心が落ち着いたと謂うより、半分はその冷静さを信じ難く感じ乍らも、自身もそうあろうと努めた。

戦争(あらそい)は感情を分断し、ちぐはぐなものにして仕舞う。併し、そうあらなければ。一つの感情に囚われて引き摺られていれば、更なる犠牲を生む事に繋がる。



「・・・必ず・・・必ず、長州に帰って来てくださいね」



・・・・・・彦斎は(うなず)いた。本当の心は、判らない。其でも、その肯きを希望に国司は去る。・・・信じて去るより、無かった。

「・・・・・・」

独り取り残された彦斎は、静かな表情をしていた。泣きもせず、怒らない。ただ有りの侭に、高木の死を見つめ、受け容れている。

(・・・・・・おとなになった、という事か)

『おとなにならんか』―――宮部に何度も怒鳴られたこの言葉を想い出す。天誅を始めたばかりの時期は、標的との戦いではなく殆どが宮部との戦いだった。昔の宮部は晩年となる池田屋前夜とは比較にならぬ程に厳しかった。

『おとなにならねばならないよ』―――宮部はその言葉を、二人の娘にも言って聞かせていた。

『たとえ藩吏が遣って来て、罪人の子の裁きを受ける事になっても、泣いたりせずにおとなになって、しゃんと着物を着かえるのだよ』

二人の姉妹はまだ幼く、言葉の意味が理解できていない様だった。宮部の奥方に、そして田代村の家を訪ねると自身にも、姉妹は

『着物を着かえなくてよろしゅうございますか』

と、おとなに訊いた。


「・・・・・・」

彦斎は、季節外れに紅葉する椋の樹の下、腰を下ろし、高木の遺体を抱え上げた。

・・・目を伏せて、顔を見る。矢張り、安らかなる表情(かお)をしていた。

『・・・・・・間に合わなくて、済まなかった』

―――いいんだ、と言う声が聞えてきそうである。

『宮部先生と松田さんに救われた命であると同時に、死に損ねた汚名のある命だ。誰かを救って死ねたなら、其が本望だ』

嵯峨天龍寺を出撃する前に高木が言った言葉を想い出す。彦斎はその言葉を否定しなかった。自身も同じ立場になればそう思うと思ったし、・・・・・・高木が死んで自身が生き延びる事を、其ほど想定もしていなかった。

―――だが、蓋を開けてみると如何か。



『・・・・・・おぬしまで俺を置いて逝くな、元』



彦斎は高木の躯を抱しめる。・・・死に損ねた、と静かに思う。彦斎はこの禁門の変で死ぬべきだった。この刻に死んでおけば、―――・・・少なくとも、彼がのち、長州人に拠って殺される事は無い。


『・・・・・・之で我慢しなっせ』


とでも言う様に、高木の腰元に留まっていた何かが零れる。其には真田紐がついており、袴下の帯に括り付けられていた。

『之は・・・・・・』

―――笛だ。黄色と赤と緑色であしらった鮮やかな彩色。自身が肥後で天誅をしていた頃につけていた、きじうまの面と御揃いの。高木は菊池・加藤・細川と仕えた『御能番組』を継承する家系の息子で、自身も家伝と云われる『瓦落しの笛』の名手であった。更には、貌に似合わず舞人(まいびと)としての側面も併せていた。

・・・・・・4年前、韶邦(よしくに)さまが藩主に就任された際はその御前で、自身が三斎流の作法を用いて茶の湯を仕立て、元が祝能の笛を吹いた。之は、その際に使った笛でもある。


―――俺の志は、如何あっても長州と共に在る。無論、生き残ったお前とも。


彦斎は笛を握りしめる。直後、大きな砲撃音と風の吹き返しがあり、ぴくりと肩を跳ねた。

南の方から聞えてくる。御所の南側にあるのは、堺町御門だ。

彦斎は顔を上げ、空を見る。東の空には太陽が顔を出し、燃える様に緋を放っていた。南の景色は日の出の光と炎の色が邪魔をして視えない。


「――――・・・」




・・・パチパチと、火の粉が弾ける音は途切れる事が無い。

ごうごうと炎が上がり、木造の建物は瞬く間に呑まれ、梁や柱が緋に包まれて次々と倒れゆく。

煤けた其等を分け入ったその先に、久坂の姿が在る。

自身の刀を両腕で翳し、刃には血が付着していた。滴る血の先に、物云わぬ寺島 忠三郎が横たわっている。

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