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百十六. 1864年、中立売御門

「1864年、中立売御門」



御所には、天龍寺勢の中でも国司信濃隊が早く到着した。彦斎が先鋒を務める隊である。

御所の門を傷つける(おそれ)のある鉄砲隊はこちらから攻撃できない。併し、抜刀隊はその点、小回りが利く。


斬ッ!!


彦斎が中立売御門を前に足を止める事無く福岡兵を立て続けに斬り掃った。抜刀隊が其に続く。

福岡兵は見る間に掃討されてゆく。昨年の八月十八日の肥後藩がそうであった様に、彦斎の鬼神の如き強さで一方的に駆逐されていた。一時弱くなったと思われた彦斎だったが、そうでは無かった。(むし)ろ今は、迷いの無さに一層剣の切れ味が増している。

「う、うわああああああっ!!!」

彦斎の接近に、堪らず兵が発砲する。其でも彦斎は全く止らず、懐に()し入り兵に蹴りを喰らわせた。

銃の長筒は間合を詰める前より既に、緒方の刀が払い除け、弾の軌道を変えている。

弾丸は、彼等が護っていた中立売御門に中り、御門の柱に埋った。


斬!!


「敵が御門に発砲した。朝敵は我が長州に非ず!!」

国司信濃は殊更に其を喧伝した。好機を逃さない。彦斎は血が舞い肉躍るのを背に、唇に纏いつく血を舐めとり(なが)ら御門から離れる。福岡兵はその殆どが闇の一部と化し、御門の前には誰も居なくなっていた。

国司が采配を大きく振る。



ド オ ンッ!!



御門に向かって大砲が放たれる。―――もう後には戻れない。・・・彦斎は御門が開くのを待つ本の僅かな時間、血振るいをし、一呼吸ついた。

遂に中立売御門が破られる。

彦斎は即座に構え直し、御門が開くと同時に御所内へ突っ込んだ。御所内には禁裏を護る4藩が待ち構えている。

すぐに刃が交え、弾丸が飛び違える。彦斎は立て続けに数人斬って捨てると鉄砲隊を相手にし、日本刀の凄まじさを知らしめた。

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』



―――その間、兵達は当時中立売御門と宣秋門の間に建っていた公家日野家を突破、宣秋門の真前に迫る。この変で天皇は本当に連れ攫われるところだったのだ。

だが、其処に会津兵が立ちはだかる。

会津兵は何処にでも居る。蛤御門や伏見を護るだけでなく、動員された外様藩を見張る為にも随処に配置されていた。特に、肥後と土佐はこの変の引鉄となった池田屋事変で藩士を殺された複雑な藩である事から、いつ裏切るとも知れないと眼を光らせている(土佐は結局兵を出さなかったが)。細川 韶邦がその様な一会桑の姿勢に鈍感である筈が無く

(おのれ会津、我が肥後(いえ)を逆賊に仕立て上げるか)

と、涼しげな面で協力しつつも内心では(はらわた)が煮えくり返っていた。細川が完全に徳川に愛想を尽かすまで丁度あと2年である。



「会奸の獣!!」



「朝敵!!」



―――長州と会津の宿命の敵同士が宣秋門で激突する。この場処での戦いはある意味で彦斎の一方的な殺戮を超えている。互いが憎くて憎くて仕様の無い気持ちは、戦い方にも滲み出ていた。

『!ごほ・・・』

日野邸を通って流れてくる硝煙と砂埃に彦斎が驚く程だ。銃撃戦だけでなく抜刀隊や槍隊に拠る突撃も行なわれている。怨みの数だけ長州勢が優勢だった。

彦斎が加勢する迄も無く、叉加勢しようにも視界が悪く、邸内に入れない。彦斎含め誰も気づいていないのだが、中立売御門はこの時彼等に拠って突破された事を逸早く察知した薩摩兵が外側から塞いでいる。詰り、国司隊は御所内に閉じ込められた形となり、天皇を禁裏から引き摺り出せたにせよ容易に外へは出られない状態となっていた。

〈・・・・・・〉

―――斬!!彦斎は日野邸内を気にし乍ら数ばかり多い敵を薙ぎ掃う。



そんな刻、神風(かぜ)が吹いた。



―――キエエエエエェェ・・・と、鶏の羽搏(はばた)く声が聞える。



彦斎の頬が裂ける。風圧に、肩から手首に掛けて着物が破れ、内側に着込んでいた帷子が剥き出しになった。この神風(かぜ)は詰り、彦斎の仕業ではなかった。

『――――――!!っ』

その事実に、彦斎は己の驕りと昂りを知る。

神風(カミカゼ)は、長州のみに起る訳でも、黒稲荷のみが起すものでもない。


―――吹いたのは、会津側の逆風(カミカゼ)だった。




先ず、日野邸に、軍師・徳川 慶喜が駆けて来た。

慶喜の率いる一橋家の兵は弱い事で有名だが、其に対して慶喜は家康の再来と云われる程の軍事指揮能力を持っている。慶喜が最も臆さぬ兵と謳われる会津兵を直接指揮し始めたのだ。慶喜という第一の矢が、宣秋門を護る会津藩の窮状を救う。

「馬上の一橋(慶喜)を撃てえっ!!」

慶喜の能力を即座に看抜(みぬ)いた国司が叫ぶ。その声で国司を長州軍の指揮官と看破(みやぶ)った慶喜も叉

「龍の具足をつけた馬上の男を撃て。あれを撃てば兵は崩れる」

と、近くの銃隊に命ずる。弾丸が飛び交い、会津の放った一発が国司の風折烏帽子を、長州の放った一発が慶喜の乗る馬を傷つけた。

・・・慶喜が手綱を捌いて馬をすぐさま落ち着ける。両者、怯まなかった。



「国司さま!?」

一層烈しさを増す砂煙と銃声に、彦斎は怒鳴る。併し彦斎は駆けつけられる状況にない。会津藩救済の第二の矢は、彦斎に向かって放たれていた。

「流石は肥後さぁ、(そい)に人斬り彦斎さぁでごわすのぉ。(おい)自顕(じげん)流の初太刀を躱しのうた」

・・・背後からの声に悠長に見返る彦斎。業は確かに源流を同じくする肥後の寺見(じげん)流と共通性があった。之等の流派は、初太刀を躱されれば態勢の立て直しに時間が掛る。

本来の教えは「抜・即・斬」で、一の太刀で仕留められなければ負け、という厳しい精神性をもつ。


『薩摩・・・・・・・・・!!』


動きの緩慢さとは裏腹に、彦斎の貌は激情に満ち満ちていた。彦斎は政変以来裏役の情報に疎くなっており、新星の出現を知らない。だが、薩摩人である事さえ判れば充分だった。



『お、紹介が遅れて失礼しました。俺は中村 半次郎です』



―――人斬り半次郎。岡田 以蔵に接近し、山口 圭一に接触し、佐倉 真一郎と剣を交えて、裏役社会に急速に浸透していった男が遂に彦斎の前にも現れた。

『貴方達の事は、以前から気になっていた。「黒稲荷」時代からね。きじうまや他の稲荷とは機会が無いのが残念だが、一度手合せしたいと思っていたのだ。御相手・・・してくれますかな』

初太刀で判った事は、この人斬り半次郎が岡田 以蔵並みの剣の重さと彦斎並みの剣の迅さを兼ね具えている事だ。

『・・・・・・貴様は何だ』

と、彦斎は訊いた。頬からは血が滴り、噛み締めた唇からも血が伝っている。・・・だが、血がここ迄口許を引き立てる者も在ない。

『お?』

『狐、狸、狗、猫・・・貴様は何と呼ばれている』

(いず)れも神扱いされる動物達で、嘗ての人斬り達に配された異称。負けた側は風を吹かせられない、今程その異称が活きる場は来ない。


『・・・「猿」かな』


・・・半次郎は同藩人の人斬り新兵衛などと較べると翳のある笑みを浮べた。

『「猿」・・・・・・成程、猿叫(えんきょう)だからか』

彦斎は吐息を漏らしつつ言った。・・・猿も叉、神に喩えられる。

『面白い・・・殺してやろう』

猿叫を殺らねば長州軍は敗ける。同様に、稲荷を殺らねば会津軍は敗ける。慶喜が加勢していようと稲荷の前には微々たる力だ。

―――神風を止める為には、神を殺さねばならない。

神を殺し、その背景に在る思想を否定し、自身の宗教を押しつける。之が戦いの原因であり、本質であったか。この国の場合天皇というある種共通の唯一神が(しばしば)其を喰い止める機能を果してきたが。



『おお、純粋な「仕合(ころしあい)」を愉しみましょう』



次の瞬間、半次郎の貌は快楽と恍惚に染まり切った。


『一方的に殺るのは詰らなかったでしょう?お教えしますよ。権力も思想も関係無く、同志も・・・天子さまですら及ばないこの空間で己の未来だけを賭ける・・・・・・その愉しさを』


彦斎は珍しく戸惑いを隠そうとしなかった。この戸惑いは負ではない、之迄感じなかった正の感情がビリビリと流れ、神経を震わせる。この、中村 半次郎ほど、殺す事に引け目を感じぬ人間は()(かた)無かった。

敗けても別に支障は無い。その先の未来を知らずに済むのだから。

勝つか負けるか判らぬ仕合。併し極めて単純な死合。博奕(ばくち)の様な不安定さが死にたがりの肥後人の心に滲入(はい)り込む。

彦斎は最終的に、甘美の表情で返した。半次郎も同じ表情をする。・・・狂喜している。狂っている。

が、其さえましに想える程に周囲の世界は狂って視えた。




国司隊が御所敷地内にて奮戦している頃、同じ天龍寺勢である来島 又兵衛隊は最後の曲り角を抜けたところ、久坂 玄瑞・真木和泉の山崎勢はまだ桂川の向うに居た。

「急げ!!」

久坂は兵を励ます。他の軍勢と違い、彼等は出会(でくわ)す敵と戦う必要無く真直ぐ御所に突っ込んでゆけばよい。懐柔は既に済んである。

天王山を囲む郡山に津藩、桂川の渡しや民家に至る迄、松下村塾生や斥候が真木を相手にする久坂の背後で手を回していた。

―――死への凄まじい爆発力はある。だが、この軍勢に多大な攻撃力があるとは久坂は見ていない。一隊としての軍事力は並より少し強い程度、幕軍の数の前には及ばない。

―――ならば、頭を使うしか無い。

「樫原までは足を止めるな!!天龍寺隊は既に洛中に入っている!!一刻も早く追い着く事を考えろ!!」

・・・久坂は手綱を握り締めた。機を逸する訳にはいかない。近く幕軍は中立売・蛤等西側の門に集中する。その隙を狙う。




彦斎は納刀し、自身が最も得意とする抜刀術の構えを取った。一振りしても掃えなかった血が鞘に削り取られて空中に飛散する。

半次郎も一撃からの態勢を整えた様だった。自顕流は一撃必殺、対し抜刀術の基本は、一の太刀は流し二の太刀をとどめ。

先攻は決っているも同然。

()公儀(こうぎ)御様(おためし)御用・山田 浅右衛門の処刑執行よりも楽に逝ける太刀だと郷里では皮肉した、自顕流の太刀を受けてみるのも叉いい、と、彦斎は少し嗜虐的な事を想った。

半次郎が独特の拵をした刀を抜く。そして、言った。


『―――では』

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