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百十五. 1864年、男山~河上 彦斎と高木 元右衛門~

彦斎は他の雑兵に紛れ、己の武具を確認する。すらりと刀を抜いた。・・・緒方 小太郎こと古閑 富次(ふうじ)より奪った刀。

この刀で佐々の兄を斬り、松陰の師佐久間 象山を斬った。なれど刃毀れ一つ無い。

時代は、彦斎が人斬りであり続ける事を選んだ。

御所進撃が決定した事で、彦斎に求められる役割は大きく変った。もう自軍の兵を止める必要は無い。(むし)ろ、士気を高めるべきである。

―――止めるべくは、薩会を始めとした幕軍。

「――――・・・」

―――・・・彦斎は刀を納め、来島と国司の許へ向かう。その貌にも感情は無く、興を削がれた様にただ醒めている。

黒稲荷(ひときり)の名に相応しく、ただ獣の如く(さきが)けて()()み、本能の侭に戦う。其が新たな役割で、彦斎も叉、其を望んでもいた。

「国司さま。来島どの」

彼等には既に先客が居り、話をしていた。任侠めいた風情があり、ともすると柄の悪そうな男だ。その男が来島に泣いて訴えている。

「・・・!」

彦斎は速歩(はやあし)で近づく。忘れようもない友の貌だった。



―――高木 元右衛門。春蔵、中津と並び、池田屋事変を逃げ遂せた肥後人だ。



「・・・彦斎・・・・・・!」


「元右衛門・・・・・・!!」


二人はがしりと抱擁し合う。二人は最も齢が近く、勤皇党でも仲の良い友人同士だった。予期せぬ再会に、彦斎も思わず涙を流した。けれども、二人の往く先はもう決っている。―――・・・()うして、来島の許へ個別に来た時点で。

池田屋事変時、河原町の長州藩邸に逃げ込んだ高木は、匿われる代りに行動を制限されていた。池田屋事変の処理および山崎勢・天龍寺勢・伏見勢との連絡は河原町長州藩邸京都留守居役・乃美 織江がしており、桂が久坂と同じ様に嘆願の周旋に手を焼いていたからであるが、全ての甲斐無く進撃決定すると、高木は解放された。桂は単身、孝明天皇への直訴に踏み切った。

そして、高木は河原町の藩邸から直接この天龍寺本営に駆けつけた。池田屋の仇を果さんとする為に。


「「私に先鋒を務めさせてください」」


二人の願いは同じだった。突撃し四散する事に恐れなど抱かない。往き着いた先に居るのは、宮部先生と松田さんなのだから。

其に、片方は人斬り、高木の方も二天一流の遣い手として勇名を馳せる。散るにしろ、彼等は大きな爆発力を有していた。敵の犠牲を最大にし、自軍の士気を高揚させ、後続の御所進入を助けるのに適任であった。

「肥後さんが斯う()って申し出てくれるとは」

来島が感激する。猪武者である来島は、本当は自分が魁けて走りたかった。だが、指揮官である自身がすぐに死んでは兵が困る。

「寅の言うた通り、肥後さんこそが本物の(さむらい)じゃ」

・・・・・・。彦斎と高木は目を(すが)めて微笑(わら)う。松陰が何を言ったのかは判らぬが、当然だ。細川(おいえ)に徹底的に叩き込まれている。

国司が案ずる様に肥後人を見る。若しかしたら、国司の眼には、肥後人が死にたがっている様に視えたのかも知れなかった。




7月19日、午前0時。男山八幡の三の鳥居付近で法螺貝が吹かれた。




戦闘は九条通、伏見福原越後隊から開始される。

彼等がどの門を目指していたのかは知らぬが、位置的に山崎勢と同じ堺町御門か天龍寺勢の攻める裏手に当る寺町・清和院御門等東側の門であったと考えられる。けれども先述した様に、伏見勢は御所へ辿り着く前に総崩れとなる。

福原が率いたは先述した宇部の領民達と、毛利家家中上士で構成される『選鋒隊』。太郎坊こと桂 太郎も、選鋒隊に所属していた。

晋作が奇兵隊総督を更迭される原因となった教法寺事件の被害者達でもある。

教法寺事件で選鋒隊隊士は奇兵隊隊士に斬殺されているが、裏を返せば其程に上士層は徳川260年の泰平で腐敗していた。

出発後、すぐに大垣藩の攻撃を受ける。指揮官の福原が真先に狙撃され、選鋒隊は其に震え上がって仕舞った。逃げに逃げ、負傷した福原を助け出したのは宇部の領民達だった。彼等は福原の命第一で退却の判断をした。

―――併し、会津藩と新選組の追撃に遭い、生還が確認できたのは500名中62名。殆どの者は大坂で捕えられ、長州に戻れたのは福原含め17名程だったのだと云う。

だが、その福原も寿命は長くない。其については、玄瑞の死後に述べる。




午前2時に、第2陣が進撃する。

来島 又兵衛と国司信濃の連合軍だった。長州軍の主力と呼べ、来島隊が400名、国司隊が400名。

来島隊が北上して蛤御門へ、国司隊が南下して中立売御門へ突っ込み、挟み撃ちの形で宣秋門と建礼門を突破、御所内に居られる天皇を動座する。

来島隊先鋒は肥後人高木 元右衛門、国司隊先鋒は肥後人河上 彦斎。

(さきが)けて()()む彼等の為に、来島と国司は馬を用意した。自身等の跨る馬と同じ上等な馬だった。併し、彼等は丁重に其を断る。

「後続のついて来られる速さでないと、意味が無いので」

彦斎と元右衛門は、淋しげな笑みを浮べて言った。だがすぐにきりりと引き締った貌になる。

彦斎は緒方の一刀を、元右衛門は宮本 武蔵の二刀を抜く。

「――――・・・いざ」

二人は地面より足を離した。刃紋の閃光(きらめき)(あか)が耀きの色を放つ。辻々で待ち構える各藩連合軍を瞬時に破れる程、長州軍の戦意と覚悟は固かった。



『おおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!』



彦斎が斬った(むくろ)を踏台に数(けん)宙で人を斬り、(ようや)く着地する。


とんっ


月明りと緒方の刀の光を反射し、ぎらぎらと輝く化物(けもの)の眼に、幕兵は尻餅をつき、声を戦慄かせた。



「お・・・・・・お前が・・・・・・っ・・・・・・あの『人斬り彦斎』――――・・・・・・!?」



・・・・・・彦斎の月光よりも鋭い眼が、三日月形に弧を描く。




「・・・・・・」

彦斎達が嵯峨嵐山から幕兵を蹴散して洛内進入の王手を掛けた頃、玄瑞等山崎勢は未だ天王山本陣に居た。

山上から、線香花火の玉の如く儚い灯を点々とさせ撤退する伏見勢と、火花を散して京を攻める天龍寺勢の姿を一望できる。

益田 右衛門介は此処に残った。玄瑞と真木和泉が下山し、御所へ向かう。

「―――入江、寺島」

玄瑞は乾いた声で言った。視線は()(まで)も御所を向いている。玄瑞の隣には、ついて回る様に今日も緋色の篝火が在った。

「俺達もゆく。各自、兵にそう伝えてくれ」

・・・入江と寺島が潤んだ瞳で(うなず)いた。玄瑞は漸く入江と寺島を見る。その眼は、不思議と澄んでいた。

「・・・忘れるな」

懐より鷹司への書状を出して入江等に示す。・・・入江等は落ち着き、瞳を覆う水の膜も何処かへ消えた。玄瑞は肯いた。

彼等山崎勢の最期も叉、悲惨である。だが、蛤御門ほどの激戦になり得なかったのは、彼等が天龍寺勢の如く戦闘を第一とはしていなかったからではあるまいか。

「俺達は嘆願にゆくんだ。―――真木さんがどんな気であろうともな」

―――彼等の隊が真木の隊より先にゆく。

篝火が、一段と大きく炎を上げる。緋の中に橙、時に青が交る複雑な炎は、隣に立つ玄瑞の姿を包み、揺らめかせ、自身の色に染めた。



―――久坂 玄瑞、今生の最後の仕事だ。

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