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百八. 1864年、上京~大楽の呪縛~

「考えておいてくれたか」


「・・・・・・」


この時の玄瑞を取り巻く情況は渾沌(こんとん)を極めていたとしか言い様が無い。同時に玄瑞は独りと謂えた。稔麿は死に、晋作は投獄され、桂は京で身動きが取れない。松門四天王最後の一人・入江は進軍に対して発言権を持たない。

誰もいない。

(むれ)”だけではない、個人でも、尊攘派の復権を目指す者が出てきた。“群”で遣るのはいくさだが、個人で()るのは



「『天誅』」



―――だと、大楽は言った。



「『佐久間 象山を斬る』」



と、言ったのは、実はこの大楽と長谷川 鉄之進という男が初めらしい。長谷川の日記に記されているそうだ。

だが、佐久間 象山を斬ったのは彦斎に相違無いし、責任を大楽に転嫁する気は無い。暗殺の是非について論ずる事は、少なくとも本作に於いては無意味である。彦斎や玄瑞を弁護する気は無いし、弁護できるだけの動機や逡巡、当時の感覚や情況といった過程の情報を筆者は集める事が出来なかった。

大楽が佐久間 象山を暗殺したがる動機の方がまだ理解し易い。そういった理由と結果として遺る記録だけで本作の話は進んでゆく。そして玄瑞が象山暗殺に関ったか否かが、本作にあたっては一番の焦点と謂える。


―――池田屋事変の黒幕は佐久間 象山であると、象山が新選組を(けしか)けたのだという噂がこの時期頻りに飛び交っていた。


「・・・・・・大楽さん」

長谷川の日記に()ると、史実の久坂は()う答えたらしい。


「『あんたがそんな役目を負う必要は無い。・・・遣る時は、誰か(ほか)の壮士に命ずるから』」


只、斯う言った刻の久坂の心情は判らない。

大楽の方がまだ解り易い。第一に、大楽には佐久間 象山との繋がりが無かった。久坂は松陰を経ての象山の孫弟子で、面識もある。其が象山暗殺に纏わる事情をややこしくしているが、大楽は其が全く関係無い。

第二に、大楽自身の行動履歴にあった。

「・・・・・・」

玄瑞は目を細めて大楽を見た。冷泉 為恭を殺した理由が、何度考えても解らない。更に大楽が足利三代木像梟首事件に加わり、会津藩を挑発していた事が判った。その後、八月十八日の政変が起る・・・玄瑞から見れば、大楽の行動の方が若しかしたら理解し難かったかも知れない。

「・・・そう言うと思った」

大楽はクスリと(わら)った。あやしい空気を放っていた。

「・・・・・・彦斎を捜している。あんた、アイツが何処へ行ったか知らないか」

池田屋の速報を聞いた時、玄瑞と彦斎は偶々(たまたま)同じ部屋に居た。彦斎も堤の死以来、久々に大楽と接触をもった。

大楽は頭を僅かに傾けておどける。

「・・・知りたいか?」

「大楽さん・・・」

玄瑞は流石に苛立つ。昔からこの様な性格であったかと振り返る。違う。月性がぼやく様になった辺りからだ。月性は、宮部より前に玄瑞が松陰に学ぶ事を提案していたが、自身の弟子であった大楽に学べとは一言も言わなかった。

大楽の為人(ひととなり)が判る逸話(エピソード)である。

「・・・・・・」

「らしくねぇなぁ。解っているさ。お前は()る時にはいつも彦斎(アイツ)を使うものな。御呼びでない事は了解(わか)っているとも」

・・・・・・? 玄瑞は引っ掛った。彦斎に暗殺を依頼したのは藩内の長井 雅楽(うた)と中島 名左衛門の一夜だけだ。山口や佐倉を知らぬ者にはそう映るのか。

「・・・・・・まさか」


―――京に、宮部等の仇を討ちに行ったのか―――・・・


いや違う。アイツはもっと理性的な人間だ。今単身で京へ行けば、斬って仕舞う自覚をもっている。

「“(ほか)の壮士”ってな、彦斎の事なのだろう?」

長谷川の日記に遺された玄瑞の台詞と起って仕舞った出来事を組み合わせると、そう考えるのが順当であろう。

「彦斎に何か言ったのか―――?」

池田屋の速報を聞いて以来、彦斎とは会話をしていない。・・・多分、夫々(それぞれ)で感情を消化していた。その刻の事はよく憶えていない。



「彦斎に象山先生の事を言ったのか!?」



玄瑞は大楽に掴み(かか)った。大楽は以前、玄瑞の名を使って肥後人に揺さ振りを掛けている。自分と同じ様に最も近い同志を池田屋で亡くした玄瑞が持ち掛ければ、彦斎は応じるだろう。

「お前はどうせ彦斎に頼むのだろうと思ってな。余計な世話だったか」

大楽は悪びれもせずに答える。大楽の狂気の異常性が、玄瑞にも(ようや)く薄々と見え始める。之がまさに、時習館派のもつ暴発の力だった。


―――引き込まれる



「勝手な事をしないでくれ・・・・・・!」



玄瑞は大楽を突き放した。私情が絡む相手だからか、思考がうまく整理できない。肥後人に執着しているのか、天誅に執着しているのか。

大楽は、何故捲き込もうとする

「済まん」

大楽はあっさり謝った。眉を下げて、困った様に苦笑している。本当に申し訳無く思っているのかは判らなかった。

「彦斎は京へ行った。屹度(きっと)お前を待ってるよ」

大楽がさっさと白状する。

「待ってる・・・・・・?」

「ああ。彦斎(アイツ)も堤の件以来、俺を信用していないフシがあるからな。本当に玄瑞(おまえ)が言ったのかと何度も訊かれたさ」

「其で、何で京に・・・」

()てな。自分で京の様子を見に行ったが早いと思ったのではないか?後は、俺を撒いてお前と直接話をしたいのだろうよ」

「俺に・・・長州を離れろと・・・・・・?」


玄瑞ははっとした。玄瑞が長州を離れれば、来島・真木を抑える者が居なくなり間違い無く進軍するであろう。大楽の目的は、池田屋で買った怒りを利用して長州藩に京へ向かって兵を出させる事か。


「あんた・・・・・・一体どうしちまったんだ・・・・・・!」

彦斎と話をする機会が無かったのではない。その機会を与えられなかったのだ。玄瑞と顔を合わせぬ間、大楽がずっと張りついて、夜な夜な滔々と彦斎に言って聞かせていた。―――復讐を。―――象山の暗殺を。玄瑞の負った傷以上にあの肥後人は、長州人から大きな傷を(えぐ)られていたのだ。

「来島さんの主張にあんたが賛成だとしても、この遣り方は無いだろ!!」

まるで象山が人柱ではないか。彦斎にとっても只の暗殺ではない。象山は、松陰の師であったと同時に宮部や松田の師でもあった。・・・松陰に、紹介されたのである。

師の師を殺す事まで強いるのか。

「だぁいじょうぶだよ。言ったろ?彦斎(アイツ)はお前を待ってるってな。お前と話が出来ない内は、象山を斬る事は無いだろうさ」

「あんたは・・・人の心を何だと思っているんだ・・・・・・!?」

人を数で天秤に掛ければすぐに答えの出る問題だ。だが、そんな簡単な問題が玄瑞には解けない。山口が死んだ日の佐倉の泣き声が不意に脳裡(のうり)に蘇る。頭痛と耳鳴りが止まず、玄瑞は額を押えた。



「人斬りに心なんてあるのか?」



――――――


・・・・・・玄瑞は、押えていた手をだらんと落して、大楽を見る。・・・ああ、泣き声が止まない。あいつはそういえば如何なったのだろうと、意外にも心は冷静にそんな事を考えていた。視界にも、意識にも、全体的に薄靄(うすもや)がかかっている。


「―――と、桂なら言いそうだ」


大楽は、ふ・・・と一息吐いた。唇を引き上げる。併し、そう遣って得た表情は、悦びよりも哀しみに近い笑みだった。

「・・・・・・俺は、人斬りにも心はあると思う」

大楽はふいと玄瑞に背を向ける。・・・最終的な意図が判らぬ侭去ってゆく。翻る瞬間の俯いた表情―――一瞬であったが、笑みが消え生来の懐かしい貌が垣間見えた。低く真面目な声で言った。


「―――宮部は死んだ。彦斎(アイツ)は宮部を師としただけの、只の他藩人だ。其を松陰の(えにし)に縋って、長州藩の裁量で動かすのは如何なものだろうな。・・・・・・仇討くらい、感情の侭果させて遣ればいいのに」

最後に言った台詞は其であった。


「・・・・・・・・・」


・・・・・・玄瑞は俯き、その場に立ち尽した。行かねば、彦斎の心を殺して仕舞う。心が死んだ人斬りが如何なるか、分ったものではない。恐らく、ひたすら屠るけだものになって仕舞うのだろう。

さすれば、象山の命だけでは済まなくなるかも知れない。

・・・玄瑞は京に発つ事を決めた。象山を殺すか否かは後になって決めればよいと思っていた。京の情勢を見てみぬ事には、象山の暗殺がよき事なのか、玄瑞自身にも判断が出来ない。

だが、その考えも叉、甘かった。


(―――斬らざるを、得んさ)

大楽は玄瑞の視線を背で受けた直後から既にそう確信していた。玄瑞一人が上京したところで、状況が変る訳ではない。

彦斎にしても、其は同じだ。

(京はいつだって、京でしかない)

そして、長州も長州でしかない。大楽は蒼天にうっすらと浮ぶ月を見た。・・・月でさえ、満ち欠けがあるというのに。




玄瑞は京に向かう前に、萩へ帰った。杉家には寄らなかった。

―――文に会えば、屹度自分は矜持も意地もかなぐり捨てて泣いて仕舞うのだろう。

城下町でなくなった萩は閑散としており、玄瑞にとって馴染みのある景色ではなかった。・・・なのに、何故だか妙に懐かしい。

人が居ない分、日本海から寄せる波の音や潮の薫りが遮るもの無く伝わってくる。

引き寄せられる様に菊ヶ浜へ行った。

(おなご)台場を望む。

・・・(おんな)達も力を貸してくれていたのだな、としみじみ感じる。何だか急に老け込んだ気がして、思わず自分で自分を笑った。

人は疲れた時、何故海を見たくなるのだろう。生れた処に、還りたくなるのだろうか。

そんな哲学的な想いも(よぎ)った。だが、その境地に至るにはまだ早い。水平線の上には赤い太陽が浮んでいる。


(『日、出ずる国』―――・・・)


あの太陽を沈めてはならない。仮令(たとえ)、自分が海底に沈む事になろうとも。

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