百七. 1864年、上京~似非志士~
「1864年、上京」
―――今度は、新選組が震え上がる番となる。
池田屋事変を契機に新選組の入隊希望者・隊士募集ともに規模が一気に拡大したが、隊士の数は増えも減りもせず代り映えがしなかった。
只、碧色となった浅葱色の羽織の数が増えてゆく。
池田屋の変以来、新選組隊士を狙う事件が頻発している。ここのところ四夜連続で、既に14人も斬られている。この調子では、幾ら補充しても隊士が追い着かない。
敵は確実に、新選組という組織そのものを潰しに掛っている。
―――泣く子も黙る新選組。そう呼ばれる組織を構わず斬り、其で命を散さずにいられる強い怨みと剣の腕を持つ敵が、京に来ている。
「大凡の見当はついている」
土方は急遽副長助勤を召集し、会議を開いた。“副長助勤”を務める隊士は矢張りその職に任命されるだけあり、誰も欠けてはいない。
「―――肥後の、河上 彦斎だ」
河上 彦斎が、京に来ている。
―――斬ッ!!
隊士が叉も斬られた。浅葱色の羽織が碧血に染まる。今回犠牲となったのは、新選組に入隊して日の浅い池田屋の惨劇を知らぬ者だった。図体はでかく、新選組の傘下に入れた事に浮れた、数ヶ月前迄は勤皇の志士を名乗っていた所謂“似非志士”と呼ばれる者達だ。土方が残党の怒りをぶつけさせる為だけに入隊させた憫れな捨て駒である。
彦斎もそんな生贄に手を掛ける気は無かった。―――本来は。
絡んできたのは、向うであった。
「―――おい。―――おいっ」
―――殺す気は無かった、と言えば嘘になる。本当は殺したくて堪らなかった。浅葱色のだんだら羽織も、志士を騙って金品を強奪する偽者も、一様に視界から消し去りたい程烏滸がましいものであった。彦斎に言わせれば「斬ろうと思えばいつでも斬れる」相手だった。
―――だが、その油断で同志が斬られた。
「!」
彦斎は突然腕を掴まれる。
「・・・何用か」
彦斎は息を潜めて言った。此処は池田屋の近くの通りで、彦斎は現場の検分に来た。あわよくば同志に花を手向けられれば。その心算だったのだ―――最初は。
「てめえ、この羽織が目に入らねえ様だな」
「――――」
あれだけ派手な羽織を着ていて目に入らぬ筈が無い。意識に上ってこなくとも指が勝手に鯉口を寛げる。気づいて刀より手を放すも、隊士達こそ彦斎のその葛藤が目に入っていない様だ。
「天下の新選組に肩をぶつけておいて一言の謝罪も無いのか?会津さまを怒らせると後が怖いぞ」
似非隊士が言い掛りをつけてくる。胸倉を掴んで引き上げられた。彼等は彦斎を少年と思い込んでいるらしい。
顔を近づけ、子供を諭す様に言う。
「池田屋のヤツらみたいになるのが嫌なら、己の身の程を弁えて能々(よくよく)京都守護職に従っておく事だな」
・・・彦斎は似非隊士達を睨む。其が似非隊士には生意気に映った様である。胸倉から急に彦斎の首を掴んだ。彦斎が上向くと似非隊士達はまじまじとその顔を見つめた。
「・・・へぇ。お前、女みたいだな」
首から今度は顎を掬う。乱れた胸元から見える肌はいつもより紅かった。其が血汐の色である事を似非隊士達は気づかない。
「そうだ、之から付き合えよ。そしたら今の肩のやつは不問に付して遣っても―――」
「下種め」
―――聞き返す時間も与えぬ程に彦斎の居合は迅かった。彦斎の顎に触れていた手が上半身ごと袈裟形に斬り飛ばされる。身を翻した時には隊士達の身体の一部が切り離されて落ちた。叫喚と血の海の地獄絵図が広がり、其処に七転八倒する者の頭を彦斎は踏みつけ、壁を背にした者を緒方 小太郎の剣で貫き、磔にした。
「があああぁぁぁああああぁぁあああああ!!!!」
「・・・何故、貴様等の様な屑が生き延びて世に蔓延っている」
―――両腕が遅れて背後で落ちた。痛みと腕が無い事から、踏まれた者は抵抗一つ出来ずに彦斎の高下駄の下で泣き震えている。足首に噛みつく程の度胸も無く、下駄の裏を舐める程の強かさも持ち合わせていなかった。
「―――何故、宮部先生達の様な優秀な人材が死んで、貴様等がのうのうと生きている」
「・・・ひ、ひっ・・・・・・!」
似非隊士が引きつった悲鳴を上げる。彼等は漸く目の前の優男が尊皇攘夷派の人間で、新選組に激しい怒りを懐いている事を知った。
「・・・ち、違う。俺達は池田屋には・・・・・・!ああああっ!!!」
脇差を抜き、壁に縫いつけた隊士をドッと一突きして更に喰い留める。彦斎自身、この静まらぬ怒りにどうすればよいのか判らない。彦斎の激情に歯止めを掛けていた者はもう誰も在なくなって仕舞った。
「俺が訊いている事は一つだ」
頭では解っているのだ、こんな者達を斬っても何の意味も無い。宮部先生達が還って来る訳でもない。其どころか
―――『人斬り』としての大義さえ
『何故死んだのが似非志士ではなく先生方だったと訊いてんだ!!』
ズ ドンッ!! ―――刃が執拗に相手を刺す。足元の隊士は出血多量と頸を踏み潰された窒息で絶命していた。蓮根の様に穴凹にされた隊士は潰された咽喉で
「き・・・貴様が若しかして黒稲荷・・・・・・『人斬り』―――」
・・・ほぼひゅうひゅうという空気の音で言葉を紡いだ。併し、その後に明瞭と
「『人斬り彦斎』―――」
と、呟き、其が最期の言葉となった。―――彦斎の刃が心の臓をもぎ取る。
辺りは急激な静寂に包まれた。
・・・・・・彦斎は脇差と本差を抜く。隊士の躯は壁を滑り落ち、彦斎の足元にもう一つ死体が増えた。之が理不尽で無駄な殺生である事を彦斎は解っていた。この斬人は、何を救う訳でもなく、何を護る訳でもない。感情の侭に人を斬り、彼等は謂わば八つ当りを受け死んだ。
―――こんな衝動的な殺人は初めてだ。
「・・・・・・・」
・・・・・・彦斎はその場に崩れる。天誅の質を自ら貶めた。人斬りとしての大義を自ら潰した。之は只の、獣の所行である。
彦斎は自らが生み出した血の海に四肢を浸かった。本当に獣の様だった。只、獣と異なるところは、哀しみの涙が流れるところだ。
彦斎は人目を憚らず泣いた。
久坂には悲しみに浸る時間も無かった。
「・・・・・・・」
・・・腫らした眼元を隠して、防府市三田尻の屋敷を右往左往している。―――彦斎が居ない。長州藩大逆の危機に三条卿を至急福岡藩へ避難させたが、三条卿の護衛を解かれた翌日、あいつは姿を消した。
「・・・・・・あの馬鹿・・・・・・」
ここ迄捜して居ないのであれば、三田尻を離れているに違い無い。・・・京に、宮部等の仇を討ちに行ったのか。
(もう少し理性的なヤツだと思っていたんだが―――・・・)
池田屋で同志を喪ったのは久坂も同じだ。訃報を稔麿の家族に伝え、彼等の心が崩壊するのを感じる中で託された稔麿の「三つ物」が玄瑞の懐に今もある。
・・・尤も、そうなるのも解らなくはない。池田屋事変と禁門の変の関連性はともかくとして、池田屋事変は確実に、この後に続く幕府対長州の戦いの質を変えた。
新選組が褒賞金を受け取った事はよく知られておろう。この褒賞金の出処が、実は朝廷である。詰り、池田屋の会合に参加した勤皇の志士達を、朝廷は朝敵としたのだ。朝廷は新選組の働きこそを勤皇行為とした。褒賞金一つ取っても、そういった陰謀が含まれている。更に。
幕府は、松平 容保等京都守護職に対し、感状を下した。之にはどの様な意味合いがあるか。
感状とは「戦功を讃える賞状」を意味する。戦国時代の武将の慣習で、いくさ、即ち戦争場面でしか用途は無い。徳川期でも、島原の乱を内戦と認めて以降は絶えていた物だ。其を復活させたという事は、池田屋事変を戦争と見た事になる。
宮部が天草 四郎に化けるなど、普通は誰も考えないであろう。だが、幕府は実質的にそういう事をした。
幕府は、池田屋事変を寺田屋事件等と同等に治安問題として処理しておけば良かった。其を島原の乱等と同等に扱ったばかりに、長州藩は幕府との全面衝突を免れなくなった。
―――池田屋で散った同志の名誉回復の為には、宣戦布告に応じなければならない。
・・・・・・来島翁や真木和泉が五月蝿い。
ばこっ、と後ろから頭を叩かれる。顔を上げる前に肩に腕を回されて、向うから顔が近づいた。
「大楽さん――――・・・」
玄瑞は何と無く胸が騒いだ。“御癸丑以来”時習館派の一人・大楽 源太郎である。幼い時分より玄瑞の兄貴分であったが、二年前の萩蟄居以来、真面に口を利くのは之が二度目だ。
一度目は、数日前。池田屋の悲報を長州本国に伝えたのがこの大楽だった。
「よぉ玄瑞。ひでぇ顔だなぁ」
・・・玄瑞は大楽から僅かに顔を背けた。茶化しを笑って流せる程の心のゆとりは今の玄瑞には残されていない。
「・・・まぁ、池田屋の件は気の毒だったな」
大楽は大楽なりに玄瑞を慰めているのだろう。併し乍ら、大楽からは血の臭いがした。
大楽が池田屋事変の速報を玄瑞に届けられたのは、以前彦斎に持ち掛けた宮廷絵師・冷泉 為恭暗殺実行の為に京に居たからである。肥後人堤が死んだ際に受けた宮部・桂・晋作の諌止を破って上京し、池田屋事変の一月前に当る元治元年5月5日、別の同志達と共に実行、成功した。
其を玄瑞は疑問の眼で見ている。只、自身が亡くしたからそう感じるのかも知れず、責めようとは思わなかった。
併し。
「考えておいてくれたか」
「・・・・・・」




