百六. 1864年、断章・池田屋~玉砕~
近藤が愕いて階下を覗き込む。直後、鼻先を刃が掠り、近藤は跳び下がった。
ドドドド・・・と階段を駆け上がる音がし
「兄上!!」
弟の宮部 春蔵が姿を現した。
「春蔵・・・・・・彦太郎」
中津 彦太郎も無事であった。彼等は他の志士を逃す役割に徹していた。
どっ
「う゛っ」
―――宮部の態度が一変した。背後の捕縛者を気絶させ、その者が差していた刀を奪い取る。斬られた腕に其を突き刺し、二の腕から先を引き千切った。
「おおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
千切った腕を近藤に投げつける。之には近藤も面喰らい、咄嗟に対応できなかった。震える応援の隊士達を一振りで血塊にし、怯んだ近藤に特っ攻んでいった。
ギィィィイイイイイン!!
「ぐっ・・・!!」
近藤は吹っ飛ばされた。虎徹が欠ける。宮部は最早人間とは呼び難い形相をしていた。・・・・・・狂気である。
「あ・・・・兄上・・・・・・」
春蔵も声を震わせている。中津も然りだ。呆然とする春蔵を支えつつも、蒼白い顔をして立ち尽している。
―――何だ之は。
中津は階下でも信じ難い光景を目撃していた。階下に飛び込んで来ただんだら羽織が、吉田 稔麿の弟子の風貌をしていた。
2年前の松陰慰霊祭で、中津はその者と顔を合わせている。
―――最早、何もかもが分らない
「逃げろ!!」
宮部が叫んだ。春蔵と中津は我に返る。・・・・・・視界の端で、ゆらゆらと白い手が此方を手招いた。
「近藤君!!」
近藤はびくりと肩を震わせた。宮部は逆手で刀を掲げる。宮部の剣幕に、近藤の眼は釘づけになった。
中津が春蔵を連れて奥の間に入った。彦斎より齢下の春蔵は半ば放心情態で兄から視線を外さずにいる。白い手に誘われる侭、最初に襲われた部屋へと戻り、震える手で扉を閉めた。
松田の躯が姿を消している。
「・・・・・・よく・・・・・・この部屋に戻って来たな・・・・・・」
中津と春蔵が振り返る。松田が蛞蝓か海豹の如く壁を這って起き上がっていた。誘いの手の正体は、松田であった。
・・・・・・中津の目にも涙が浮ぶ。
併し、別離は近い。
「松田しゃん」
松田も、もう手後れである。
「・・・・・・小川亭まで何とか逃げ切れ」
中津は首を横に振る。涙が左右に散った。松田は翳んで視えていないのか、虚ろな眼をして構わず続ける。
「長州藩をもう恃ろうとするな・・・・・・桂が俺との約束を守っているなら、藩邸の門はもう閉っている。小川亭もどうせ囲まれようが、からくりがある分逃げる好機も多い筈だ。長州藩邸に籠城するよりいいかも知れんな」
「なら松田しゃんも一緒に逃げましょう。宮部先生も・・・・・・そうでなければ、私も此処で討死します」
中津は泣きながら懇願する。松田は馬鹿・・・・・・と言って微笑んだ。
「宮部先生の御伴は俺だけで充分だ・・・・・・其に、お前等が死んだら如何なる・・・・・・彦斎は?伴雄は?霽堅は?アイツらだけじゃない、桂も玄瑞も晋作もいる。お前達はアイツらの力になるべく、生きろ。同意できないなら」
故郷へ帰れ・・・ 松田は何故かそう言った。
「肥後・・・?」
中津は復唱する。・・・が、故郷など。帰る場処など、母藩を捨てた自分達にはもう無いではないか。
「韶邦なら受け容れてくれる。・・・多少不自由にはなるだろうが、韶邦が藩主である限り命は保証される。新時代まで肥後で俟て」
志士をやめて仕舞えという事だ。案ずる一方で、非常に厳しい命でもあった。協力できない志士は要らない。
「真の武士の死様を、篤と見るがよい!」
宮部の張り上げる声が隣室より聞える。行け。松田が促した。・・・中津と春蔵は肚を決め、窓から外へ飛び出した。
路上へ下りると案の定幕兵にすぐ囲まれる。小川亭は鴨川を挟んで向いだが、とても川を越えられる状況にない。
―――今更逃げるのは無理か。
「肥後さんっっ!!」
背後からの張り裂けそうな声に、中津と春蔵は振り返る。長州藩邸よりも二つ手前の道、其処には対馬藩邸が在った。
「此方へ!!早よ!!」
長州藩邸は確かに門が閉じられている。併し対馬藩邸は開いていた。池田屋と長州藩邸に挟まれた処に位置する対馬藩邸は、囲まれながらも注意の行き届き難い立地で、敢て何の手も施さなかった。
中津と春蔵は対馬藩邸に保護された。対馬藩邸には枡屋本家の湯浅 五郎兵衛が居り、桂や湯浅と談話していた藩士の大島 友之允が彼等を受け容れる決断をした。
桂は長州藩邸に戻っている。
「開けろ!!開けてくれ!!」
長州藩邸では門を叩く音と怒声が絶え間無く続いている。怒声は程無くして悲鳴に変り、扉を叩いた先に繋がるのは死だった。
「小五郎・・・・・・っ!」
乃美老人は最早嗚咽を漏らしながら門に縋りついている。稔麿はまだ帰っていない。松助は行って仕舞った。彼等はもう、藩邸には入れない。
「こんな・・・・・・っ、こんな酷い事・・・・・・!」
同志のみならず自藩士まで見殺しにする桂を、乃美は鬼だと想った。解っている。この日藩邸に兵と呼べる者が数名しか居ない事位。対し、池田屋および長州藩邸周辺には会津・桑名・彦根・伊予松山・加賀・所司代と幕兵が三千近くに膨れ上がっていた。彼等は長州藩を滅ぼす用意が出来ている。少しでも動けば長州藩そのものを攻撃する心算でこの数を出兵しているのだ。
池田屋は今や、長州藩を引き摺り出す為の餌となっていた。
「入れて遣らんか、小五郎っ」
乃美は泣きながら言った。・・・・・・桂は唇を噛みしめて頭を振る。だが桂の精神にも限界が近づいていた。
掛け替えの無い友人と有為の人材を鏖殺されて猶、自分達は黙っていなければならないのか。自分達はいつまで、我慢すればいい。
皆に嫌われて猶藩を保ってゆかねばならぬ理由とは、一体何だ。
―――この局面に於いて、長州人の誰もがそう想っていた。乃美も、桂も、郷里に居る久坂も、高杉も、その境地に至っている。長州藩とて決して一枚岩である訳はない。長井 雅楽を死に追い遣っても、今度は椋梨 藤太の影がちらつき俗論派が盛り返してきている。そういった者達より、池田屋で戦う他所者の方が遙かに有用である。其なのに。
・・・・・・何故、後先考えず救けに行けない。
この選択は、矢張り間違っているのではないか。
「・・・・・・、門を・・・」
桂は頭を抱え、魘された様に口走り始める。桂は物見櫓より俯瞰していた。いつでもそうであった。其をやめて一志士として個人の意思が動き始めた刻、桂の視線と同じ高さに人影が現れた。
「桂」
「――――――・・・・・・」
―――池田屋の二階だ。松田が破れた腹を押えてよろよろと立ち上がり、窓から長州藩邸を望む。そう遠い距離ではなかった。
桂は松田の姿を確認する。
松田には桂が視えているのか判らない。
・・・だが、間違い無く松田は桂を捉え、満足げに微笑んだ。
「――――・・・其でいい」
「――――松田さん・・・・・・っ!!」
桂は血を吐く思いで叫んだ。松田の背後に影が在る。その影は遠眼に見ても判る程の長い槍を手に持っていた。
併し、松田には、敵から身を護る体力がもう残されていなかった。
『後輩達を、頼む』
宮部が横一字に引き終えた刀を己の腹に突き立てる。松田を例の手槍が、胴、背、頸と貫き徹した。血が身体を包み込む様に湧き上がり、達磨と化して二階から地面に落ちてゆくのを、桂は何をするでもなく只見つめていた。
「――――――」
・・・頭の中をぐるぐると、過去の記憶ばかりが駆け廻って
『お前は本当に松陰の弟子なのか?』
初対面から説教じみていたのが松田という男だった。宮部よりも交流の時期は早い。江戸で出会った。宮部の差し金だった事も知らず松陰の偉大さも長州人は意識していなかった、その時期に単身で現れた怪しさ満点の男だった。
つい先日、脱藩して来たのだという。
『弟子というか・・・藩校明倫館にて軍学の手解きを受けた程度ではありますが。其より、脱藩して長州藩へ来るとは一体何の心算でしょうか』
桂の用心深い態度を見て、松田は警戒するのが馬鹿馬鹿しくなる位に豪快に笑った。桂は思わず眉間に寄せた皴が消えていく。
『お前の様な者がいれば長州藩も安泰だな!』
―――・・・後から知った。松田の母藩が立場をフラフラさせている様に感じていたのは既にあの頃長州藩で謂う正義派と俗論派の争いが起きていた事、長州藩主と長州藩士の築く穏やかな世界を実は羨まれていた事を。
『オレらが協力してやるよ。―――・・・汚れ仕事(外回り)は、オレらに任せときな』
その年は丁度、松陰の杉家への幽閉が決った年だった。
「――――――・・・・・・松田さん・・・・・・?」
桂は表情一つ変える事無く、只そう呟いて、膝を床に着く。血溜りに沈む宮部の躯の傍に、近藤は、松陰の刀を添えた。血飛沫が天井まで跳ね飛び、雨の様に彼等に降り注いだ。
「・・・・・・」
・・・宮部はうっすらと眼を開いて、松陰の刀を見る。ふっ、と微笑い、ゆっくりと口許を動かして声無く言った。
「・・・・・・次は蝦夷地・・・か・・・・・・悪くはない・・・・・・」
宮部は最後まで、自身の過去の中に筆者を上げてはくれない。
「――――――・・・・・・」
・・・・・・ふっと眼を閉じて、陰惨たる光景とは対照に眠る様に宮部は逝った。狂気という名の憑き物が落ちた様に見えた。
外では大量の提燈に交って、本物の蛍が飛んでいる。
程無くして、一階の吉田 稔麿も沖田 総司に首を刎ねられる。
この稔麿の殺害を以て、池田屋事変は終息した。
勝者である新選組は沸いた。
燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光を一身に受けて練り歩いたという話は、余りにも有名だ。様々な媒体で描かれている。
だが、筆者は偶々(たまたま)この大行列を描く機会が無い。今回は、朝陽を浴びる事が出来なかった者達の話を書かねばならない。
我々は、敗けた。
即死した志士は14名。宮部、松田、稔麿、杉山、広岡、土佐7名全員、大高、福岡 祐次郎。殆どの死体は五体満足でなく、宮部の腕、稔麿の首を始め身体の一部が切り落されてばらばらに散乱していた。彼等の死体の扱いは極めて雑だった。
首実検に必要の無い胴体部分と四肢は切り離され、人物の区別無く四斗樽に詰め込まれ三縁寺の脇に棄てられた。長州・土佐・肥後各藩は身体の引き取りの為働きを掛けたが、会桑と奉行所は要求を撥ねつけた。
三縁寺は北で小川亭と隣していた。
首の方は身元の特定に使われ、其に立ち会わされたのが池田屋の女中とていだったのだと云う。りせと忠蔵は逮捕され、忠蔵は其の侭獄死したと後年ていは語ったのらしい。
数日に及ぶ検分から解放されて小川亭に戻った頃には四斗樽の中の死体は腐敗を始め、異臭を放つ様になっていた。ていが葬ると言うと会桑と奉行所は赦し、彼女は崩れて容を成さなくなってゆく死体を埋葬させて貰えるよう、涙を呑んで三縁寺の住職に頼んだ。
志士達の本当の最後を見届けたのが、ていというこの女性であった。否、見届けざるを得ない仕置を受けたのがこの女性だった。
宮部や稔麿の身体も例外無くこの四斗樽に詰め込まれているが、一説に依ると松田は違うらしい。
あれ程の致命傷を負わせながら、奉行所は松田を死者と見做さなかった。通常の捕縛者と同じ様に遺体に縄を掛け、遺体を連行し、遺体を牢に繋ぎ、遺体に訊問を行なった。記録には「重傷にて口を利けず」とある様だ。
奉行は余程松田が怖かったらしい。
死体に向かって延々と話し掛けるさまも滑稽だが、その間、腕を縛りつけた侭で重傷と思っても解く事をしなかった。
数日経って、漸く奉行所は遺体の死を認めた。
その為か、宮部等ほどの酷い損傷具合ではなかった。・・・・・・四肢が繋がっているだけでも、遙かにましな状態だ。
引き取りを奉行所に願い出たのも、ていである。遺体の検分で松田を確認できなかった刻から、ていはずっと松田を捜していた。
変り果てた松田の姿を、ていは見る。
「・・・・・・・・・」
・・・・・・ていはそっと松田の躯に触れ、静かに抱しめる。・・・生温かい。併し其は松田の体温ではなく、夏の温度だ。
蛆を払い、眼を閉じさせると、意外にも安らかな顔をしている。
「・・・・・・ーーーーー・・・」
・・・・・・ていは声を殺して泣く。慰めてくれる人はいない。彼女も叉、志士を支える事によって不幸を被る事になった女性の一人であった。
之が、敗者の側から見た池田屋事変である。




