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百三. 1864年、池田屋~激突!!~

松田が池田屋に到着する。この頃、古高に対する拷問が終り、土方の眼は古高からまさしく会合中の志士に移った。


「遅いでっせ、松田はん」


京の西川 耕蔵がやきもきした様子で言った。この男は古高救出に強硬で、この後もずっと喧嘩腰で話を進めてゆく。古高にとって掛け替えの無い同門であれば、西川にとってもそうで、例の“計画”の実施は如何としてもとにかく古高救出を実行に移すべき、という考えの持主であった。詰り、御所焼討は一時延期、代りに新選組屯所を討入する派である。

「重助、おまんえろう化粧(めか)し込んどるのう」

播州の大高 又次郎も西川と同意見である。松田も彼等の派に与し、来島等御癸丑(ごきちゅう)以来との()り合わせがまだの不完全な計画よりも古高救出の方がより現実的であり、具体的であり、切迫した問題であると考えていた。

「まあ、色々あってな。おろ、桂もまだ来ていないじゃないか。五郎兵衛さんも」

「逃げたんちゃう?どないせ、あの(ぼん)は会合に参加しよったところで全部延期延期で逃げ切るわ」

「まあまあ少し落ち着けよ。桂もえらい言われようだな」

松田が形ばかり桂を庇う。・・・(もっと)も、桂の立場をそう()って苦しくしているのは、松田自身でもあるのだが。


「重助・・・・・・?」

座敷の最上座で考え事をしていた宮部が顔を上げる。最上座という事は、会合の責任者である事を示す。最も出口から遠い点でも、どれほど責任の重い位置にいるかが分ろう。

「お待たせしました、宮部先生」

――――。宮部は初対面の者を見る様な眼で、松田を見た。次いで、視線は迷い無く松田の腕に向かう。


「お前―――」


宮部は非常に直感が鋭い。

「大丈夫です」

松田はすぐに明るい声で返した。総帥というのは矢張り必然的に頭脳労働が多くなるものだが、その所為か余計な事にも気を回す様になり、心配症的要素を帯びてくる。桂も宮部も、今や同じ顔つきをしていた。

「・・・・・・(すわ)れ」

宮部が自身の隣の席を示す。近くに窓があり、不自由な側は宮部に接する様になっている。

松田は素直に従った。最上座の隣なだけあって、見える景色が之迄と違う。



「いつからこんなに偉くなったんだか・・・」



・・・解っている。先達が皆いなくなって仕舞ったから、押し上げられているだけである事位。長く生きすぎていると錯覚して仕舞う。


「ああ。不思議な気分だ」

宮部が硬い表情の侭言った。御親兵総監の時とは正反対とも謂える心持ちであった。あの頃が宮部の人生の最上座だった。


宮部は概ね西川等の意見に賛成だが、新選組屯所への討入という一点に於いて踏ん切りがつかないでいた。屯所とは当然、本拠地だ。この場に居る30人余りが全員討ち入るとしても、本拠地に何人の隊士が居るか判らない。古高の身は勿論大事だが、責任者の宮部から見れば現在この座に居る一人一人の身も其は同じなのだ。選り抜きの志士が多い。犠牲が出る事を防ぐのが第一である。

その慎重論に対し



「なに桂はんみたいな事言いよんねん!」



西川が反発する。

「ほな、何の為に会合なんて設けたんね。酒が飲みたいからか。大体、この一大事の席で酒を用意するとかありえへんやろ!」

「この座に酒を用意させたのは、宴会を装う為だ。池田屋に出入するのは我々だけではない。盃一杯分しか用意させていないし、その程度の量で酔う者は居らぬだろう」

そう言ったのは吉田 稔麿だ。吉田も宮部と同意見で、古高救出には大いに共鳴するが、その方法について模索していた。とはいえ、新選組屯所を避ける事に宮部ほどの明確な理由がある訳ではない。

只、屯所襲撃は何と無く気が進まなかった。屋内戦闘となり剣が振るい難いというのもある。この様に、理由は幾らでもつけられるが吉田にしては珍しくどれにも当て嵌らぬ気分的なものであった。

筆頭の宮部と吉田が()ういった感じなので、肥後と長州の志士は概ね屯所襲撃にも反対意見を挙げた。



「ちょっと待ってくださいよ」



と、言ったのは土佐の北添 佶摩である。土佐勢は叉別の意見を持っている。抑々(そもそも)として、土佐勢は古高と其ほど近しい関係に無い。

「“計画”について無かった事になっていますが、如何(どう)いう事ですか。我々は“計画”の決行の為にあなたがたと合流したのですが」

()ちたまえ。無論、その件についても協議する。只、説得するべき桂さんがまだ来ておらぬ。其に、古高君の捕縛に依り状況が一変している」

「説得も何も、桂さんより来島さんの方が年長でしょう?」

土佐勢は、古高の奪還はともかく計画の実行を早めるべきだという意見だ。古高一人の為に犠牲を出せない点では宮部と共通しているが、消極的な基本姿勢の市中潜伏組・肥後・長州と違い、土佐は御所焼討に積極的であった。

土佐人は、武市 瑞山は勤皇主義を貫いていたが、勤皇を理解する者はいなくなって仕舞った。故に、御所に火をつける事への抵抗が薄い。

山内政権から解放される事が真の目的であるから、倒幕派なのである。


見事に出身藩系に意見が割れ、京の古高の同志達は新選組屯所討入、肥後・長州は救出の最善策を練る、土佐等は御所焼討の実行が夫々(それぞれ)の主張となった。


之等を折衷し、一つに纏めて結論を出すのが責任者であり兵学者の宮部の役割だ。

只わかる様に、肥後と長州は別の案を提示できなければ、古高救出の方法は自動的に屯所討入となる。

御所でも屯所でもない空き家への放火で混乱させるという手もあった。(いず)れにしても、遣る事は来島等と変らぬ。尊皇には外れよう。

「・・・・・・・・・」

宮部は途中から議論に参加せず、聞き役と思案に徹した。

議論が益々紛糾(ふんきゅう)する中で、宮部は別の声を聞いた気がした。階下の声であれば出口に近い座に居る北添等も反応する筈だが、如何せん議論に熱中している。

・・・(やが)て、ガタガタという音が聞え、其が近づいて来る気がした。

「宮部先生・・・?」

宮部が何かを感じているのを松田が察する。

「何の・・・・音だ・・・?」

宮部が疑問を口にした時には、誰の耳にも聴こえる程に音は大きくなり、その分接近していた。

「さぁ・・・なんかでかい物でも落したんじゃありまへんか?」

西川が小馬鹿にした口調で言った。併し次の瞬間、部屋の襖が開かれる。西川は思わず、手に持っていた盃を落した。



―――血に濡れた緋い刀。



―――浅葱色に白い山形のだんだら羽織。




「御用改めでござる」




宮部が顔を上げる。

松田が立ち上がる。

稔麿が眼を見開く。




「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てる」




―――新選組局長の近藤 勇に

「無礼すまいぞ」

―――副長助勤の沖田 総司。



「――――・・・ア」


!! 北添と松田が最も臨機応変だった。脇差を抜き、部屋の中央まで乗り込んで来た二人を北添が背後から襲う。だが

―――――ドスッ

「―――――――・・・・!!!」


―――開いた襖の向うから刃が凄まじい速さで伸びてきて、北添を貫く。会合のあった部屋のすぐ前は階段であった。



「佶摩あぁぁ―――――っっ!!!」



北添が階段から転がり落ちる。貫いたのは階下を担当している筈の永倉 新八の剣であった。北添を背後から斬り倒した永倉は、すぐさま自分の持ち場に戻った。


沖田が血を散しながら刀を振り翳し接近する。松田が宮部を庇って前へ出る。だが、沖田の狙いは始めから松田であった。

首魁は確かに宮部である。併し、実行力を持つのは(むし)ろ松田の方だと沖田は一瞬で看抜(みぬ)いていた。魁となって行動を起し、他の志士を“計画”の実行に駆り立てる危険を孕んでいる。


―――松田の短刀と沖田の大刀がぶつかる。当然、短刀で敵う筈がない。


「・・・・・・っ!!」


沖田の力に片手では敵わない。()された後、沖田の刀が刃全体から切先のみが此方を向いた。

松田の両の虹彩に沖田の虹彩が重なった。

沖田の刀が、壁に突き刺さる。

沖田が目と鼻の先に居る。壁までの距離の方が遠い。だが、松田は間違い無く刀を握る沖田と壁に刺さった刀の間に居た。



「―――――――・・・・・・」



――――松田が口から血を噴き出す。




「重助――――!!!」




併し、沖田は松田を仕留めてもその攻撃の手を緩める事は無い。

ぐりぐりと刀を左右に回し、松田に開いた穴を圧し拡げる。松田は刀を掴んで悶え足掻くも、壁に繋ぎ留められては到底勝てない。譫言(うわごと)の様な悲鳴を漏らした後



「――――がはっ・・・!!」



更に大量の血を吐いた。




「・・・・・・ア・・・・」




高木 元右衛門と中津 彦太郎が沖田に斬り掛る。其を近藤が防ぐ。只の一太刀で、二人纏めて吹っ飛ばされた。


「元右衛門!!彦太郎っ!!」


―――何という剛腕だ。

近藤は元右衛門と彦太郎を相手にしている時も、視線はずっと宮部から離さなかった。―――っ。宮部は気づいた。領袖(じぶん)()(まで)新選組の長である近藤が仕留めるのだと。沖田が直接自分を襲わないのは、尊攘派の総帥を捕える手柄を局長近藤に譲る為か。

―――くだらぬ。



「逃げろーーーーーーー!!」



松田を見せしめに使われて、志士側はパニックに陥る。不思議な事に、屯所襲撃を息巻いていた連中ほど真先に逃げようとする。彼等も葛藤や(せめ)ぎ合いの中で屯所襲撃という結論を出した事が分る。

―――宮部は立ち上がった。

「―――ひるむな!!」

―――領袖である自覚を欠いた自分が招いた出来事だ。其を赦してくれる者と赦してくれない者がいる。

大高や西川は宮部と齢が近い。その上、宮部などより遙かに高名な梅田 雲浜の弟子である。元より、宮部が領袖という意識も薄い。指揮系統に差が出るのは当然の事だ。

「大した人数ではない!斬り殺せ!!」

宮部の指示に従ったのは土佐の志士であった。犠牲が多かったのはその為かも知れない。

階段を駆け下り、窓から飛び降り、彼等は階下の永倉 新八・藤堂 平助や出口を塞いでいた武田観柳斎等と戦い、血路を拓いた。

この猛攻に因って、弓の名手と紹介した副長助勤・安藤 早太郎が死亡している。


「・・・・・・・・・」

・・・・・・松田が生気を失い、刀に躯を吊り下げられた形となる。・・・ぴくりとも動かなくなって(ようや)く、沖田は松田から刀を抜いた。

抜いた箇所から鮮血が(ほとばし)り、松田は崩れ落ちる。


抜いた刀で其の侭吉田 稔麿からの攻撃を防ぐ。この刻はまだ、互いを認識していない。

刀に付着した松田の血が稔麿の顔に跳ねた。



―――沖田と稔麿の刃が鍔迫り合う。



「逃げる者にも容赦するな!!刃向かえば殺せ!」

「諸君!相手は人間ではない!血と名誉に飢えた狼だ!そんなものに士道で歓待する必要は無い!己が身を第一に考えよ!!」

近藤と宮部の双方が檄を飛ばす。



「「遠慮は要らぬ!!」」

―――攻める側と攻められる側、双方の長は奇しくも同じ命を下した。

「「斬りまくれ!!!」」

オオオッ!! 隊士・志士双方から唸る様な雄叫びが上がった。




怒濤の様な速さで戦いの舞台は移ってゆく。二階からは殆ど人が消え、宮部と近藤の影のみが、ぼう・・・と暗闇に浮び上がる。

宮部等も叉、部屋を移動している。

行燈の火は混乱に乗じて消された。

階下では刃の擦り合う音と断末魔の叫びが引っ切り無しに上がっている。一階に下っても逃げられる状況に無い事を宮部は悟る。


この時点で半数以上の志士は池田屋の敷地を脱していた。其でも死者が半数に達するのは、土方隊や会津・桑名の援兵に殺された者も多く在るからである。高木 元右衛門が脱する時は既に表口を原田 左之助が固めており、高木は原田と一閃を交えた後、路上にて会津藩士を数人斬り捨てた。余り目のいかない事だが、新選組より会津・桑名兵の方が犠牲者は多い。


高木が脱出した時には、長州藩邸の門はまだ開いていた。




「・・・・・・」

室内は真暗だが、外は(おびただ)しい数の家紋付の提燈が蠢いており、柔かな光を放って池田屋を取り囲んでいる。一階は塀がある為に暗闇の侭であるが、二階は仄かな光の粒が部屋を照らし始めていた。

まるで源氏蛍の光の様だ、と宮部は想った。

キン

―――宮部が剣を抜く。



「宮部殿」



近藤が宮部の名を呼んだ。平常の声は想像していたより穏かで、礼儀に篤かった。よく躾けられた獣という印象だった。

不思議だ。この男と対面していると、彦斎を前にしている様な気分になる。だがこの男は長なのだ。この男を制する隊士はいない。


「無駄な抵抗はやめられい。池田屋(ここ)はもう包囲されておる。御一人でどう遣って戦われる御心算(おつもり)だ」



「―――・・・一人では御座らぬ」



―――宮部は近藤ではなく、抜いた長脇差を眺めていた。元は本差として使われていた打刀で、尊皇攘夷の思想が詰っている。



「之は長州藩が師・吉田 寅次郎松陰が刀だ」



「!」



宮部が松陰の刀を持つ様になって丁度10年になる。松陰が金子 重之輔と共にアメリカ密航を試みた際に家宝の刀と交換した物だ。

宮部の大刀および一緒に贈った藤崎八旛宮の神鏡は松陰の死によって行方知れずとなったが、松陰の刀は宮部がこの時まで肌身離さず()びていた。



「私は一人で戦うのではない」



宮部が松陰の刀の剣先を近藤に向ける。

「・・・・・・その様だ」

・・・近藤は少し暗い声で言った。だが、断ち切る様に平晴眼の構えを取る。愛刀の虎徹の切先が、宮部の左眼に宛てられた。


「なれど私とて、今一人で戦うのでは御座りませぬ」



―――二人は跳び上がった。




―――松陰の剣と虎徹がぶつかり合い、火花が生じる。

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