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百一. 1864年、池田屋~逆浪~

「ッぎゃあああああああああああああ!!!!」



―――古高に対する熾烈な拷問が続く。




「1864年、池田屋」



古高が正気を保って吐かずにいる間、桂は対馬藩邸に赴き、其処から長州藩士に下知がいくよう取り計らった。長州藩邸とて、周囲に幾人もの一会桑の見張りがいる。

対馬藩は度々異国に占拠されており、長州藩が以前其を追い払った事から長州藩に対して好意的だった。2年前には対長同盟を結んで長州藩と協力関係になっている。

対馬藩はこの時期、勝井騒動と呼ばれる佐幕派対尊攘派の内紛を抱えていた。対馬藩主・宗 義達(よしあきら)の2代前の藩主・義章(よしあや)の妻が毛利 敬親の娘であるが故に長州藩役人の桂もその件に捲き込まれ、引き留められて仕舞った。後に湯浅 五郎兵衛が桂を呼びに藩邸へ入るが其の侭引き込まれ、話し込んでいる間に例の事変が起る事となる。引き留めたと云われる対馬藩士は何かしらの予感をしていたのかも知れない。




桂の下知に依って池田屋に向かう事になるのは吉田 稔麿である。他に、長州人は有吉 熊次郎、内山 太郎右衛門、佐伯 稜威雄(いつお)、広岡 浪秀(美祢(みね)市大嶺神社神主)、国重 正文(明治期に活躍。初代富山県令)、山田 虎之助(無給通士、奇兵隊士)、佐藤 一郎(京都藩邸吏)。後に応援で杉山 松助が駆けつける。


一方で、大高 又次郎より計画の仔細を聞いていた桂は個別に稔麿に文を送っていた。内容を一読した稔麿は、御所焼討の情報を同志の誰かが洩らした事を知った。

「・・・・・・・」

稔麿は火を点け、桂から届いた手紙を燃やす。

「なにを今さら・・・」

ふっ、と稔麿は思わず笑みを溢した。この時点で稔麿は古高が危機的状況にある事を知っている。その為の会合である事も聞いていた。

「『自重しろ・・・お前の計画はイカれている』・・・?」

・・・・・・悠長な事を言うものだ。最早自重云々の話ではないであろうに。

「―――・・・桂らしい」

・・・・・・桂はいつもそうだ。切迫した問題が目の前に在りながら、其ではない何処か遠くの別の事案に眼を向けている。同志が危機に瀕しているというのに、何処か他人事で、状況から眼を逸らしている。常に十の力を一つに注がず、複数に分散させて本気を出さない。今更計画やら自重やら述べる辺りに桂の状況把握の希薄さを感じる。


最早、計画も自重も無い。―――あるのは、行動のみではないのか。

―――古高を奪還するという。


・・・其も屹度、桂の言う『イカれた』部類に入るのだろう。だが、事は一刻を争う事態にまで発展している。

“狂”を以て動かなければならない。その次元の深さは革命的行動と似ている。方向は全く逆であるも。



「“革命”に“狂気”はつきものだ」



―――・・・稔麿は、師・松陰の口癖だった言葉を繰り返す。桂と和解する日は最期まで来なかった。




桂ではなく、この刻、唯一人だけ、稔麿の覚悟を電波の如く感じ取った人物が在る。

(吉田先生・・・・・・?)

―――遠く壬生の地、古高の拷問を目の当りにしていた(かつ)ての弟子・佐倉 真一郎であった。




宮部と弟の宮部 春蔵、弟子の高木 元右衛門は土佐の志士の隠れ処である四国屋丹虎へ赴く。最早之は肥後人の失態では済まされない。桂と協議した結果、古高逮捕が噂として変に広まって仕舞う前にこちらから真実を明し、在京同志を招集して全体会議に掛ける事にした。不正確な情報を元に個々人が軽挙妄動に出る事を防ぐ為でもある。

土佐とは武市 瑞山の繋がりがある。その所為か土佐の志士は非常に理解が早く、北添 佶摩(きつま)と望月 亀弥太(かめやた)の他、石川 潤次郎(「殉難七士」の一人)等が会合の呼び掛けにすぐさま応じた。池田屋での死者の比率は土佐人が最も高いと言ってよく、上述した三名の他、後になって会合の存在を知り途中から参加した伊藤 弘長と越智 正之、池田屋付近を通り掛った不運で襲われ死亡した野老山(ところやま) 吾吉郎(あきちろう)や藤崎 八郎がいる。池田屋の変で助かった土佐人はおらず、通りすがりの者にも容赦しない新選組および会津藩側の遣り方が後に明保野亭事件を引き起す。



大高は彼の弟である大高 忠兵衛、門人の北村 義貞等、西川 耕蔵や木村 甚五郎等京出身の者達に連絡し、古高が新選組屯所に連行された後密かに大高家に集合した。元々宮部を狙っているだけあり、隊の主力は古高に注がれているとみて、この隙に枡屋の蔵にある武器弾薬を回収する。


―――指揮は大高。



―――一方、蔵を守っているのは武田観柳斎の隊である。




「いい加減に吐きな!お前ん(トコ)の蔵から武器、弾薬、甲冑、それに討幕派の奴らとやりとりした密書類まででてきているんだ!!

集結し何か事起こそうとしていやがったのは明白だろう!!」



―――副長・土方の責めが激しくなる。(しか)し古高は吐かない。余りに吐かないので、土方も躍起になってきた。古高一人に神経を取られ、隊士への指示も疎かになりつつある。

その間に、沖田 総司は咳をしながらふらりと何処かへ行って仕舞った。

「チッ。一向に吐こうとしねぇな」

古高は其を狙っていた。其が結果的に土方を怒らせ自白に至るが、時間稼ぎの方法としては間違っていない。




―――大高は時機を狙っていた。

枡屋の蔵から人が消える。新選組は如何やら家宅捜索を開始したらしく、蔵は封印したのみで其の侭放置されている様だ。

「―――よし、行き!」

大高が合図を出した。


弟子達が枡屋に侵入し、蔵を破る。




「近藤局長!」

新選組屯所に一報が入ったのは、さほど時間の経たない後の事だった。

「番屋からの知らせで・・・つい先刻、新選組(われわれ)が封じた桝屋の蔵が破られ、多量の武器・弾薬が盗まれたと―――!!」

「何!?」

・・・・・・。古高が頭から床に墜落する。同志が枡屋の置かれた状況を把握した事を知り、張り詰めていた糸が切れたのだろう。気を失った様だ。

「新八!左之!!」

土方が焦る。

「もういい!責問(せめど)いはオレがする。皆ここから出て行け!!」

古高の顔を水桶に押しつけ、意識を取り戻させる。水の色が紅く染まった。苦しみ暴れる古高を(なお)水に沈めて、土方は怒鳴った。

「近藤さんは至急会津に報告を!あと・・・誰か五寸釘とろうそくを持ってこい!それから・・・っ」

古高を引き揚げて床に転がす。古高は激しく噎び、血なのか水なのか判別のつかぬ赤い液体を吐いた。

土方は決して古高を気絶させない。

「!?」

土方はこの時になって(ようや)く沖田 総司がこの場に居ない事に気がついた。

「・・・・総司?」

「探して来ます!!」

沖田隊所属の隊士が慌てて沖田を呼び出しに行く。原田と永倉は市中に出ろ!土方の指示はまだ続く。

「連中は古高(コイツ)を牽制に使って市中で好き勝手しているらしい。今市中に出ている隊だけでは力不足かも知れねえ。各隊に合流し、応援につく様に!」




「何故応援が来ないですますか!?」

武田観柳斎がパニックになって枡屋をカサカサ小走りで右往左往している。志士と新選組の正面衝突は最早免れないものとなり、両者とも小細工の無い剥き出しの命のぶつかり合いに質が変化した事を悟ったのであった。



(―――許さねえ!!)



双方、そう想っていた。彼等は互いを憎み切っていた。古高の逮捕を契機として、志士は新選組の非人間ぶりを、新選組は志士の非国民ぶりを思い知った。互いの正義を脅威と戦慄(ふる)えたその刻に、両者は武力で以て再起不能にせねばならないと確信したのだ。



「賊徒め!!」



土方は叫んだ。



餓狼(がろう)め!!」



松田が叫ぶ。


―――そう、松田だ。松田が大高等の蔵破りを狙って市中に姿を現し、上空(うえ)から見廻りの隊士に飛び(かか)った。

「うわあ!!」

「松田・・・・・・重助!!」

松田の手には梢子棍ではなく短刀が握られている。ギロリと鋭い眼で松田は隊士を見下ろす。

「―――松田 重助だ!!」

新選組副長助勤・谷 三十郎の声が響き亘る。武田の元に応援が来ないのは、見廻りに出ている隊の全てが松田を追っているからだ。永倉や原田の隊はまだ市中に出ていない。


「松田を捕えろ!!」


松田も叉牽制役だ。


―――古高にだけそんな役目を負わせはしない。



「捕えてみやがれ!!」



松田が怒りの侭に啖呵を切る。持っている物が大刀であれば恐らく平隊士を数人斬り捨てている。彦斎に及ばずと、剣は全く苦手ではない。其どころか、松田とてあの轟 武兵衛の下で修行を受けてきたのだ。身体の竦んだ平隊士を二・三斬るのは容易い。

井上 源三郎の隊が来る。併し彼等では松田の動きを止める事は難しい。谷隊は団結力が、井上隊は剣の腕が無い。

松田は弱みに容赦無く付け入る性格だ。

谷は松田を舐め切っている。谷に限らず新選組にとって、桂 小五郎や坂本 龍馬といった有名道場で師範代を務めた経歴のある者を除き志士は論客である印象しか無く、頭でっかちが皇城下をよちよち歩きしている様な認識だ。故に到底現実的でない事を遣らかそうとし、剣ではなく焔に頼るのだと考えている。

剣客は其でも油断をしないものだが、谷には驕りがあった。


松田は谷隊と井上隊を難無く突破する。谷の槍が鼻先まで迫ったが何の事は無い、梢子棍を取り出し棍棒で脛を挫く。転がして短刀を突きつける。隊長としての顔を潰して遣った。



ビュン!!



「っ!!」


ばっ!!と松田が隊士を突き飛ばして身を屈める。空中に放り出された茶筅(ちゃせん)髪の毛先がぴしりと切れる音がした。背中を振り返ると後ろの塀に、矢が()り込んで上下左右に細かく弾いていた。可也の強弓(ごうきゅう)である。


「―――弓かよ」


新選組副長助勤・安藤 早太郎が片肌を脱いで構えている。


「ちっ。惜しかったじゃんな」

無論、松田は知らない人物だ。が、この後の池田屋では近藤隊に所属して大衝突する相手である。弓の名手で、この時点で通し矢の日本記録を樹立している。

「剣に槍に弓とは・・・芸達者な事だな!」

不揃いとなった後ろ髪を振り乱しながら駆ける。近距離に中距離に遠距離に手を打たれ、少々苦しくなってきた。鎖骨の傷痕も微妙に疼く。

(桂の野郎・・・)

「―――どけえっ!!」

短刀を振り回して半ば突っ込む様に逃げる。宵山を前に賑わう町に悲鳴が混じった。

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