残酷なまでに真っ直ぐに
前提を確認しよう。
呪いの地。魔力を宿す生物が生存不可能な領域であるその森は『魔沼』という紫の泥が発する瘴気に覆われている。
正確には境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』。『賢者』が組み上げた呪法である。
元はといえば魔導発動による副産物にして汚染物である魔粒を除去し、現世の汚染濃度を下げることで悪魔が異界より侵攻してくるのを阻止するために組み上げられたものではあるが、別にそのためだけに使用しなければならないという決まりはない。
シェルファは境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』を必殺の切り札として扱った。その結果として魂だけで生存可能という物理的に干渉不可能な悪魔を統べる女王を殺して生き残ることができたというわけだ。
生き残るためには絶対に必要なことだったが、境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』を発動したことで呪いの地がそれはもう真っ紫に染まり、生物が近寄れない環境になったのも事実。
『勇者』を筆頭とした数多くの英雄の遺伝子情報、それこそありとあらゆる生物の性質を宿すがゆえに『魔沼』にさえも適応する『聖女』のものさえも組み込んだクローンの子孫であるからこそ呪いの地の内部でも生存可能なシロたちは呪いの地に住み続けることで獣人(?)の見た目から迫害されることを防ぐことができる、なんて考えているようだが、当のシェルファにとっては死活問題であった。
シロがそばにいない生活なんて耐えられないから。
そう、いかに定期的に逢瀬を重ねているとはいえ常に一緒だったあの頃とは違う。シロがそばにいるのが当たり前で、それこそ空気と同じように生命活動に必須だからだ。
……そばにいたらいたでそれはもう取り乱しまくるのだが、それはそれとして。
ゆえに、呪いの地を攻略し、魔力を宿す生命が生存不可能な領域内でシロと一緒の生活を取り戻す必要がある。
そのためにも唯一にして最大の障害である境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』──『魔沼』をどうにかする方法を見つけなければならない。
『魔沼』は生物にとっての生命力に等しい魔力を殺し、もって生物を殺す。悪魔のように魔力とは違うエネルギーを宿している場合は別だが、そんな風に肉体を組み替えるには悪魔を統べる女王が扱ってきた呪法が必要となる。今のシェルファの肉体は普通の人間のものなので、知識があってもエネルギーが足りない。つまりそれ以外の方法で魔力殺しの『魔沼』を無効化する必要がある。
加えるならば、『魔沼』にはそのような特徴があるからこそシロは呪いの地を迫害から逃れることができる安全圏と考えている。つまり『魔沼』を除去するような方法は使えないというわけだ(というか、除去していいならば魔力をぶつけまくって『魔沼』を消すだけでいいのだから)。
『魔沼』を除去することなく、呪いの地に足を踏み入れても死なない方法を見つけること。それがシロと一緒に暮らすための条件。
ここまでが前提。
さあ、どうすればこの難題を攻略することができる?
ーーー☆ーーー
「そういえば『勢力』をおびき寄せるために『魔沼』を扱いやすいように魔力で薄めて商品化するなんて話がありましたよね」
呪いの地に近い村でのことだった。
拠点として借りている宿の部屋でガチャガチャと床に座って何かを組み立てているシェルファの言葉にタルガが頷きを返す。
「ああ、それが?」
「それ、なかったことにしてもらえると助かります」
「なかったことって、いいのか? 『勢力』云々の話がなくとも単純にぼろ儲けできる案件だってのに」
「わたくしは全然まったくこれっぽっちほども気にしないのですが、シロが敏感になる程度には人間以外に対する世間の差別意識は広がっています。シロが懸念している通り、獣人に見えるシロたちが白日の元に晒されると面倒なことになるでしょう。ですので、呪いの地は隠れ蓑としてその価値を維持しておきたいんです」
「『魔沼』を商品化することで呪いの地に注目が集まるのを阻止したい、と。商品化して売り捌けば元となっている材料を探ろうとする輩は出てくるものなあ。変に注目されればその奥のシロとやらたちが白日の元に晒される可能性は高まるか」
「です。……そもそも悪魔を統べる女王をエネルギー源とした境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』によって浄化が進んでいる影響で『魔導』を材料とした農地浄化薬の売れ行きは予定よりも悪いでしょうしね」
「こちとらあくまで運輸専門だからな。そもそも何かを売ろうとしていたのが間違いだし、慣れねえことに手を出して失敗してもつまんねえか。とはいえ、いくらか分け前もらう予定だったからそれがなかったことになるとならばうるさいのが出てくるだろうが、その辺は俺のほうで黙らせておく。だから、まあ、全部忘れてやるってことで」
それが『スピアレイライン運輸』会頭としての顔を潰しての言葉であるとシェルファは理解していた。それでも、シロたちのためにタルガは決断してくれた……と『完璧な令嬢』としての側面は判断した。こういうところが完璧なはずの側面唯一の弱点だったりするのだが、未だそこまで気付いてはいない。
わかっていて、タルガは黙っていたりするのだが。
「それより、シェルファの嬢ちゃんさっきからガチャガチャ何やってんだ?」
「もちろん呪いの地を開拓するための準備です。存在そのものを研ぎ澄ませて武器としている悪魔と違い、人間の武器は頭脳でもって道具を作り扱うところですからね。悪魔のように特別な力を得ていなくとも、道具でもって底上げすればいいんですよ」
「シェルファの嬢ちゃんらしいな」
適当に呟きながらも、タルガは床の上で作業に夢中なシェルファの背中を見つめていた。どうやら呪いの地は『魔沼』によって魔粒が殺されることで大気が浄化され、汚染された現世では見られない薬草などが採取できるらしく、シェルファはそれらを売り払うことでお金を稼いでいた。
そのお金でもって必要な材料を揃えて、道具作りに勤しんでいた。
全てはシロと一緒に暮らすために、だ。
「なあ、シェルファの嬢ちゃん」
「はい?」
タルガは己の中にこんなにも醜い感情があることを嫌というほど思い知っていた。
タルガは結果なんて誰の目にも明らかな現状を覆すためなら何でもできると本気で考えていた。
タルガはシェルファに惚れていた。どうしようもないほどに、だ。
何ならこの場で無理矢理にでも連れ去ったほうがいいのかもしれない。シロという恋敵が追いつけないどこかで、シェルファと共に暮らすというのは甘露な魅力に満ちている。
そのために必要なら冗談抜きで世界だって敵に回せる。そう、最低でも一国の軍事を統括する最強であるルシア=バーニングフォトン辺りを本気にさせるだろうから、殺し合いは必須だろう。
それでもいい。何でもできると、本気で考えていたから。
だから。
だけど、だ。
それ以上にシェルファには幸せになって欲しかった。そのために必要なら、今にも破裂しそうな感情だって呑み込んでみせる。
いくらシェルファを二人きりの理想郷まで連れ去ったってそこに笑顔がなければ何の意味もない。惚れた女を傷つけて、自らの欲望を満たすだなんて男として終わっている。
だから、タルガは言う。
飾りに飾って、シェルファのためだけに。
「シロとやらに出会えて良かったな」
「ええ。わたくしの中にこんな感情があったのだと、これが誰かを好きになる幸せなのだと、はじめて知ることができましたからっ!!」
どうしようもない返事であった。
完全なる敗北であった。
シェルファがシロに出会う前に勇気を出して告白していれば、なんてもしもさえも存在しない、完膚なきまでの結末だ。
わかっていた。
わかりきっていた。
それでも視界がこうも歪むのだから、本当どうしようもないのだろう。
だけど、そこで終わってはいなかった。
「もちろんレッサーやルシアお兄様、それにもちろんタルガなど、みんなに出会えて良かったと思っていますよ」
「っ」
わたくしは恵まれています、と。
そう言うシェルファの背中を見つめながら、タルガはがしりと前髪を掴むように掻いていた。
完膚なきまでの敗北だとわかっていても、言葉一つでこうも揺らぐのだから惚れた弱みとやらは厄介である。
だから、タルガは呑み込む。
心の中だけで吐き捨てるのだ。
(好きだぜ、クソッタレが)
ーーー☆ーーー
『魔沼』は魔力に関係する全てを浄化する。
『魔沼』は常温で気化する。
『魔沼』は『賢者』が組み上げた呪法であり、悪魔やそれに類する生物が宿す魔力とは異なるエネルギーと魔導で使用される魔法陣とは異なる特殊な陣によって具現化される。
『魔沼』を中和、あるいは弱毒化するだけなら許容量以上の魔力をぶつけることで達することができる。
「よし」
濃い紫の瘴気に包まれた森の前でのことだった。シェルファはレッサーを伴って不敵な笑みを浮かべていた。
──夢魔ミリフィアは『賢者』の最期まで現世に留まることができた。だが、それはなぜだ?
あれは悪魔を統べる女王が境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』でもって撃破された後のことだった。その影響で膨大なエネルギー源からなる『魔沼』が生み出されていたのだ。
夢魔ミリフィアを筆頭に悪魔が異界から現世に干渉するには現世の汚染濃度、つまり魔導の副産物である魔粒による汚染が異界のそれに近づいているのが必須となる。逆に汚染濃度が下がれば、いかに高位の悪魔でも現世への干渉はできない。
『賢者』のそれとはエネルギー源が桁外れであるシェルファお手製の境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』は確実に現世の汚染濃度を下げ、夢魔ミリフィアでも現世に留まるのが不可能な状態だったはずだ。
それでも、現実として夢魔ミリフィアは『賢者』の最期まで現世に留まっていた。その結果を導いたのはシェルファの助言によってなのだ。
つまりは、魔導の副産物にして魔力の残滓でもある魔粒を魔鉱石に封入。そうして凝縮した魔粒を開放しながら移動することで局所的、そう夢魔ミリフィアの周囲のみの魔粒濃度を上げていたというわけだ。
魔鉱石には魔力を封入することができる。であれば副産物にして残滓でもある魔粒だって封入可能だろう。そして、封入する魔粒自体はシェルファが魔導を発動することで生み出せばいい。
そうして夢魔ミリフィアの時は対応した。
であれば、同じように対応すればいい。
「よしよし、魔道具『ドレスコード』の動作状況は問題ありませんね」
それは一見すると漆黒のドレスのようだった。随所に白にも黒にも見える鉱石、つまりは魔鉱石が装飾のように散りばめられているが(ちなみにレッサーのものはバッサリ背中が割れたチラリズム仕様である)。
それこそが魔道具『ドレスコード』。
呪いの地を開拓するための道具である。
シェルファは公爵令嬢であった頃から魔導や魔道具に精通していた。魔導の腕はかの女王相手に対等以上にやり合うレベルである、となれば、魔道具に関しても相応の知識を有していると考えるべきだ。
魔道具。
魔導の増幅や補助──簡易的とはいえ知識なき者でも魔力を流すだけで魔導を使うための道具である。
高度な知識が必須である魔導を魔力さえあれば誰でも扱える簡易なものとして世界に広めた魔道具は本来であればシェルファには必要ないものだ。そもそも高度な知識を有して魔導を扱えるならば、わざわざ劣化するのが前提である道具を介して魔導を発動する必要はない。
だが、魔道具には一つの長所があった。
魔力であれば何であってもエネルギー源として駆動するという長所がだ。
そもそも呪いの地が生命を殺す領域とされているのは体内の魔力を殺し切ることによる命の簒奪による。つまり、いかなる生命であっても個人が内包する魔力量では瞬く間に殺されてしまうというわけだ。
ならば、内蔵量を底上げすればいくら『魔沼』が魔力を殺しても命を脅かされることはない。
そのための魔道具『ドレスコード』。
その効果は使用者の周囲に魔力による膜(触れるとほのかに暖かい程度の、それこそ空気と大差ないもの)を展開するという、それだけのシロモノである。
それだけが、突破口となる。
魔道具『ドレスコード』が具現化する魔力の膜が『魔沼』を中和し続けることでその奥の使用者まで魔力殺しの魔の手が伸びるのを防ぐことができるのだ。
魔道具『ドレスコード』の燃料として『魔沼』でも浄化しきれない膨大な魔力を充填した魔鉱石を用意すること、そもそも使用者の魔力ではなく魔鉱石を燃料とする魔道具という世間一般には出回っていない──それこそいつかの時、タルガが召喚術失敗によるデメリットで魔力を失えば日常に溢れている道具の一切を使えなくなるんだと懸念していたくらいには──最先端にして希少な魔鉱石搭載型魔道具を作り上げる腕があること、その他にも関門は多く、しかしシェルファは乗り越えた。
ゆえにシェルファは笑う。
笑って、突き進む。
「シローっ! これからはずっと一緒ですからねーっ!! ひゃっふうーっ!!」
ーーー☆ーーー
そんなシェルファをタルガは見つめていた。彼の存在が万が一にも気づかれない遠くから、どんな時も──それこそ悪魔を統べる女王と激突する時でさえも──冷静沈着なシェルファを唯一乱すのがタルガではなくシロであるということを改めて確認するために。
「シロとやら。シェルファの嬢ちゃんにあんなにも想われているんだ。ちゃんと幸せにしてやらねえと許さねえからな」
わかっていて、その目で確認せずにはいられなかったから。
「あーあっ! 振られちまったなあ!!」
今日は情報屋でも巻き込んでヤケ酒だと、タルガはどうしようもない感情と共に叫び声をあげるのだった。




