第六十二話 運命最終分岐地点
悪魔とは例外的に自己の肉体を持つ者もいれど、基本的には魂のみの存在である。ゆえに現世に干渉する場合は憑依や夢を利用して波長の合う肉体を力の出力口とする必要がある。
それは悪魔の頂点に君臨する女王も例外ではない。ゆえにこそ彼女は死した一つ目の悪魔の死体に憑依することで万全の力を現世へと出力してみせた(召喚術や封印術の失敗による術者の悪魔化というデメリットを異界より仕込んだ風であったので、ある程度ならば異界からも干渉可能ではあるようだが)。
「うふ、うふふっ。あれは無理、いくら豪華絢爛ハッピーライフのためとはいえ無理無理あんなの勝てるわけないですわっ!!」
薄い赤のツインテールに透き通るような碧眼の(見た目だけなら)愛らしい少女が森の中を駆けていた。ピンクのフリフリが拵えられたドレスに木の枝が引っかかろうともお構いなしに、とにかく戦場からできるだけ遠くに逃げ出していたのだ。
エイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢。
第二王子が人間を素材として生み出した悪魔もどきを複数蹴散らすだけの力があるからこそ、大将軍すら手も足も出なかった謎の女の力を思い知ることができた。
あれは、次元が違う。
第二王子も強者ではあったがまだ付け入る隙、劣勢なれど勝てる可能性を見出すことはできていた。が、あの女に限っては可能性すら見出せなかった。立ち向かえば死あるのみ。そんな怪物相手に手柄欲しさに挑むなど自殺行為も甚だしい。豪華絢爛ハッピーライフ。ただの男爵令嬢のままでは手に入らない生活を目指すために戦っているのならば、引き際を見極める必要がある。
だから。
だから、だ。
悪魔には干渉できる肉体に制限がある。波長が合う者でないと憑依や夢を利用して力の出力口とすることはできない。
つまりは、そういうことだった。
境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』を利用した魂の消費。その果てに消滅するか否かの瀬戸際にて魂を切り離すことで離脱した女王が男爵令嬢へと襲いかかったのだ。
近場の肉の器の中で波長が合う者が男爵令嬢ただ一人であり、加えてシェルファたちから多少距離が離れているという好条件。ゆえにこそ、女王は憑依を開始する。魔法陣によって魂を消費、また切り離したために力の大半を失いはしたが、だからといってこのままで終わっていいわけがない。
復讐。
常に奪う側、踏みにじり楽しむ立場だったがためにただ一度の敗北すら受け入れるだけの余裕はなく、また一度退いてから準備を整えて再突撃などという我慢も出来ず、ゆえにこそ女王は先の雪辱を皆殺しという結果で塗り潰すために行動を開始する。
ーーー☆ーーー
迫るは紫に染まった濁流のごとき沼。境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』、あるいは『魔沼』が猛烈な勢いでシェルファたちへと襲いかかる。
魔力、それに魔導や呪法といった魔力を軸とした超常より排出される汚染物である魔粒を殺す性質は人の身と正常に戻ったシェルファにとっては有害以外の何物でもない。
生命力に等しい魔力を殺す暴虐がシェルファを呑み込む寸前、その『攻防』は勃発した。
だんっ!! と前に飛び出るはシロ。迫る紫の濁流を黄金に染まった爪で引き裂かんとしたその時、真横から突っ込んできたピンクのフリフリの女がシロの脇腹を槍のように束ねた五指で打ち抜き、吹き飛ばす。
その瞬間、禍々しい閃光を右手に収束、シェルファに向けて放とうとしていたピンクのフリフリの女へと『勇者』ミリファ=スカイブルーや『賢者』、夢魔ミリフィアが突っ込み、シロを追いかける形で揉みくちゃになりながら真横へと飛ぶ。
ゆえに、開けた真正面を埋めるように『魔沼』がシェルファへと迫りくる。
「ッ!?」
飛び退くように後ろに下がったところで意味なんてない。いかに女王と同等、あるいは凌駕する頭脳でもって数多の呪法や魔導を操ろうとも、シェルファ自身は何の変哲もないただの少女なのだから。
その身に特別な力はなく。
あくまで彼女は特別を使役することで己の持つ力以上の結果を引き寄せる。であれば、その手から特別がこぼれ落ちたその瞬間、むき出しの肉体は容易く暴威に貪られるのだ。
だから。
だから。
だから。
「「おおおおおおァッ!!」」
だだんっ!! とシェルファを追い越す影が二つ。男たちは咆吼と共にその力を振るう。
一人は魔法陣を展開、直接的に魔導をぶつけるのではなく、魔導の力で地面を操り間接的に『魔沼』へと干渉する。すなわち土という物理を壁のように展開し、受け止める。魔導を構築する魔力が殺されようともすでに変形した土は元に戻らず、遮蔽物として紫の沼の侵攻を食い止めたということだ。
一人は半ばより砕けた紅の剣を振るう。いかに先の一人が遮蔽物を用意しようとも、常温ですら蒸発し、生み出された魔力を殺す紫の霧までは防御できない。すなわち壁を越えて迫る紫の霧を剣を振るうことで発生させた風圧で吹き散らしたのだ。
「シェルファの嬢ちゃんってばまた無茶やってるなあ。話聞いた限りだと今のシェルファの嬢ちゃんにとって『魔沼』は有害だろうに、必要とはいえわざわざ自分で具現化するだなんてさ」
「シェルファ。大丈夫か?」
タルガ、それにルシア。
彼らだけにあらず。
「やっちゃうのーっ!!」
「ウンッ!!」
「わうわうっ!!」
「ガウッ!!」
ゴッバァッ!! とメイド服の少女の号令と共に灰色の毛並みを黄金と染めた獣人少女の一撃や子犬たちの突進が『魔沼』へ炸裂する。
レッサー、キキ、そして数十の子犬たち。
黄金の金属片、すなわち聖剣のカケラを握るキキが放ったのは黄金に輝く右腕。そこから迸った爪の斬撃の形をした閃光が壁や風圧すら物量で押し潰し迫らんとしていた『魔沼』を吹き飛ばす。
加えて小さな体躯からは想像できないほどに強靭な筋肉を持つ子犬たちが助走をつけて突進、『魔沼』を押し返したのだ。
「お嬢様っ。無事なのっ!?」
「ケガ、ナイ?」
「ええ、大丈夫です」
答え、そして。
シェルファはその足を後ろではなく前へと踏み出す。
「すみません。ここは任せてもよろしいでしょうか?」
「それって、ああ、だよな。まったく、なんだってそうも自分から一番危険な場所に突っ込みたがるのやら。ちっとは自分の身を案じてくれよ、シェルファの嬢ちゃん」
「そんなに心配しないでください、タルガ。答えはすでに算出どころか証明されています。後は少し手を加えて、繰り返すだけですので楽なものですよ」
「妹が進むというなら、いくらでも力を貸すが……兄だなんだ言っておいて出来ることなどほとんどないだなんて情けないな」
「そんなことありません。ルシアお兄様はわたくしの自慢です。それに、ほら、これは単なる適材適所というものです。今回はわたくしが少しばかり働いているかもしれませんが、ルシアお兄様が大将軍として民の平穏を守ってきたことをわたくしは知っています。ですから、ちょっとばかり得意分野が違う程度、お気になさらないでください」
「シェルファ。ワタシ、モ、ボスタチ、ノ、ホウ、ニ、イッタ、ホウ、ガ、イイ?」
「いいえ、キキはルシアお兄様たちと『魔沼』の対応をお願いできればと。『魔沼』を浴びても何の問題もないキキがいてくれたほうが対応の幅が広がるでしょうし」
「わふっ!!」
「がうがうっ!!」
「ああやっぱりもふもふかわいいです、全然飽きないですう。こんな面倒なだけの些事の最中でなければ思いきり抱きついているんですが。ああ、でも、ちょっとくらいなら、いいんじゃあ……?」
「お嬢様ーっ! 状況考えてえーっ!!」
「うっぐ。分かっていますよ、ええ、分かっていますとも。あと少しですものね、さっさと終わらせてから存分にもふもふを堪能するとしましょう」
踏み込む、対峙する。
一つ目悪魔の肉の器へと刻んだ魔法陣から抜け出し、男爵令嬢へと憑依した女王との最後の激突が始まる。




