第六十一話 戦場を支配するは真なる女王
「凄いってのは分かっていたが、よもやこれほどとはなあ」
先程のダメージが嘘のように痛みがないどころか、前よりも力が漲るぐらいには快調した大魔導師タルガが感嘆とした声音でそう呟いていた。
魔導に精通しているタルガであってもシェルファが何をしたのかを正確に把握できているわけではないが、彼女が悪魔が扱う力を再現どころか昇華したことくらいは把握していた。
魔導が一般にまで普及したのはその利便性からだ。誰でも道具さえあれば簡略化された魔導を扱うことができるようになったからこそであり、魔導そのものの難度が下がったわけではない。それは魔導を道具に頼らず扱える者が極少数であることからも窺える。
学問として確立されている魔導でさえ、そんな有様なのだ。大元たる悪魔の力そのものの法則を読み解き、己のものとした上でより高みへと昇華させ、必要な効果を持つ治癒の力を振るうなどそう容易くできるものではない。
シェルファは成し遂げた。
だからこそタルガやルシア、それにシロは致命傷さえも癒し、生き残ることができた。
「足手まといになるくらいなら、と思っていたが……チッ、出遅れたな」
ちなみに外から飛んできた黄金に輝く金属片をなんと噛み砕いた純白の少年は黄金と染まって飛び出していた。こういう時、まず頭で考えてしまうタルガと違い、彼は本能で動くのだろう。
そこまで熱く想えるか否かが明暗を分けたのかと柄にもないことを考えた時であった。
「大魔導師っ。死に損なった同士、やることはわかっているよな?」
大将軍ルシア=バーニングフォトン。
先のダメージだけでなく、かの大悪魔に砕かれた両腕さえも傷一つなく癒された彼の言葉にタルガは舌打ちと共に胸のもやもやを振り払う。
「もちろん。どうやらシェルファの嬢ちゃんが無双して終わりともいかないようだし、せめて一矢報いてやらないとなっ!!」
ーーー☆ーーー
召喚術失敗によるペナルティは女王が世界を歪めたがゆえのこと。であれば、その歪みの元が消滅すれば、自ずと世界は正常に回る。
『賢者』、シェルファ、レッサー。
三人の肉体に流れていた呪法の元となるエネルギーは消滅し、代わりに人間の生命力ともいえる魔力が帰ってきた。
当然ながら呪法の元となるエネルギーが宿っていた頃は代わりに魔力は失われていた。だからこそシェルファは魔力を流すことで魔法陣が異界へと繋がるがゆえに呪法を現世まで引き寄せる魔導を使うことはできなかったのだから。
そこまでが前提。
そう考えたならば、状況の見え方も変わってくる。
「くふふ☆」
女王は笑う。
笑いながら、両手を広げ、数多もの文字や数字を展開、陣を構築する。
「くはははははっ!! 何かと思えばつい先程瞬殺したケモノであったかっ。何やら『勇者』の力を獲得しておるようじゃが、そんなもの吾には届かないのじゃ!! 吾に並び立つシェルファはその力を失った、であれば吾を止められる者などいやしないのじゃ!! さあ示すとしようかのうっ。これまでと同じくこれからもずっと、吾が暴虐が世界を統べる当たり前をのう!!」
「まだ気づかないんですか? それともそんなことは不可能だと考慮すらしていないんですか???」
対してシェルファは淡々と言葉を放つ。
いつもと違う黄金の毛並みのシロから視線を外し、ブンブンと火照った思考を払うように首を横に振って、その繊手を複雑に動かしながら。
「わたくしから呪法を奪う、それはいいのですが、貴女が選んだ手段によってわたくしが何を取り戻すかまで考えたならばこんな暴挙は選ばなかったでしょうに」
「なに、を、言っておるのじゃ? 呪法は奪ったのじゃ。だったら、もう、お主は吾に対する力など持ち合わせておるわけなかろうが!!」
「魔力」
「なん、じゃと?」
「世界が正常に回り、わたくしの肉体が人のものへと戻るのならば、自ずと魔力もまた戻ります。その結果、わたくしが振るう魔導は万全の力を発揮するのです」
「魔導、くははっ、魔導じゃと!? 『賢者』が吾ら悪魔を利用せんと編み出したその技術は結果として第二位相までしか届かぬ!! そんな力で、その程度で、頂点の中の頂点たる第零位相に君臨する吾が揺らぐとでも思ったかえ!?」
「確かに魔導は『賢者』が編み出したものかしれません。ですが、学問とは脈々と受け継ぎ、積み上げ、発展させるもの。先達から受け継いだものを踏み台に更なる領域へと到達することこそ学問の本質。であれば、『賢者』の時代には不可能だったことも、わたくしたちの時代では可能となることだってあり得るでしょう?」
「ほざけ!!」
だから。
だから。
だから。
女王は多種多様な呪法を解放した。
その全てをシェルファは一度異界を経由した上で現世の己の手元まで引き寄せたのだ。
第零位相たる女王の力は魔導では引き寄せられない。『賢者』の時代の定説を、シェルファが覆したということだ。
「な、ん……ッ!?」
「貴女の力は世界を歪めるものです。つまり魔力を含まないただの魔法陣であれば世界を歪める前に掌握することは不可能だったでしょう」
一つ目の悪魔の呪法や第二王子の憑依。シェルファはこれまでも魔力を用いず展開した魔法陣にて呪法を誘導してきた。だが、それはあくまで魔法陣に触れたがゆえのこと。世界全体に干渉する力が相手の場合、どうやってもその影響を完全に掌握することはできなかっただろう。
「ですが、魔力があれば話は別です」
そう、魔力があれば現世から異界の超常存在の力へと干渉、引き寄せるだけの影響力を魔法陣へと付加できる。結果、具現化される女王の力を一度異界へと流した上で現世のシェルファの手元まで誘導することも可能なのだ。
「わたくしは完全なる魔導を扱うために必要な力を取り戻しました。後はシロたちを救う治癒系統呪法を編み出す際に魔導から呪法を逆算したように、貴女の呪法からその呪法を使役する魔導を算出すればいいだけです。そうすれば、この通り。貴女の力などわたくしの手の中にすっぽりと収まるのですよ」
封殺。
世界全体に広がるはずの影響力を一点に凝縮、無効化する──だけで終わらず。
「そしてもう一つ。どんな仕組みにもエラーというものはつきものです。正しく扱ったならば本来の力を発揮するとしても、使い方を誤れば予期せぬ結果を招くものです」
つまり、
「暴発。魔法陣に不備がある場合、整った力が崩れ、超常の効果が失われた単なる破壊エネルギーとして荒れ狂うことがあります。これならば掌握した力を使い、なおかつ世界を歪めることなく貴女へとダメージを与えることができるでしょう」
ゴッバァッ!! と爆音と共に猛烈な勢いで無数に枝分かれした閃光が突き抜けた。世界を歪めるという本来の性質が失われたエネルギーの塊が荒れ狂い、それでいて指向性を持つという矛盾をいとも簡単に成立させたがために女王の全身へと無数の閃光が突き刺さった。
そう。
暴発という失敗すらもシェルファは意図的に引き起こすことができるのだ。
「づ、あ……っ!?」
「警告はしました。選んだのは貴女です。ならばその末路も素直に受け入れることですね」
「く、はははっ! 偉そうにペラペラとほざくよのう!! その割には吾が肉の器すら完全に砕くことができておらぬが!? いいや、万が一砕けたとして、吾が魂にまでは届かぬ!! ここで肉の器が砕けたとして、吾が魂は異界に戻るのみ。くふ、そうじゃ、くふふっ、そうなのじゃ。いつだって、どこに逃げようとも、吾は現世に舞い降りてお主を害しようぞ! お主が死ぬまで、何度だろうともじゃ!!」
「…………、」
「これが、末路じゃ。吾が娯楽として消費されるだけの玩具が吾を見下すような物言いをほざきおった報いなのじゃあ!!」
「キサマッ!!」
バギリ、と黄金の拳を握りしめ、飛び出そうとしたシロの肩に白く細い手が置かれる。力なんて込めずとも、シロは止まってくれた。
「オマエ、ナンデ、トメル?」
「分岐点はとっくの昔に過ぎ去りました。ですから、もう、決着はついたんですよ」
「マタ、ヨク、ワカラン、コトヲ。ダガ、オマエ、ガ、ソウイウ、ナラ、ソウナンダロウ、ナ」
ふと、肩の力を抜くシロ。
詳しく分からずとも、シェルファがそう言うならと信頼しきっていることが存分に伝わってくる。
そんな彼の様子にシェルファが口元を緩めた、その時であった。
「決着、じゃと? ふざけるのも大概にするのじゃ!! 吾が肉の器の表面を傷つけた程度で何が決着じゃ!!」
「まだわかりませんか? 貴女のような超常存在は肉体を殺した程度では完全には死にません。となれば、大元たる魂を殺す手段を用意する必要があるということです」
例えば、と。
軽く、淡々と、シェルファはこう告げた。
「『賢者』が編み出した呪法、境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』の魔法陣は触れたものであれば魂だろうともエネルギーと変えます。もちろん今のわたくしは呪法発動に必要なエネルギーを持ち合わせてはいませんが、なければあるところから引っ張ってくればいいだけです」
「何を……? いや、まさか、先程の閃光の狙いは……ッ!!」
「あ、ようやく気づいたんですね。そうです、貴女の肉体に陣を刻み、貴女自身が宿すエネルギーでもって呪法を発動すればいいじゃないですか」
ダメージを与えることなど狙ってはいなかった。先の閃光は女王の肉体に傷をつけ、文字や数字といった模様を描き、もって境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』とすればよかっただけ。そうすれば後は女王自身の肉体を流れるエネルギーが境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』を発動、触れたものを術式のためのエネルギーとして消費する。
そう。
女王の魂さえも、だ。
ゆえに、瞬間炸裂したのは爆発であった。
女王という燃料庫が炸裂し、膨大なエネルギーがそのまま境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』へと注がれ、そして──
「シロ。一ついいですか?」
「ン?」
「必要なことだったとはいえ、わたくし人間にとって有害な境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』を発動してしまったんですよね」
「ツマリ?」
「実はちょーピンチだったりします」
言葉と共にであった。
女王が弾け飛ぶように炸裂したと共に紫の泥が撒き散らされる。『魔沼』、あるいは境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』。かの『賢者』が展開していたそれと同じく、人間の生命力に等しい魔力を殺す大質量が濁流のごとき勢いで迫りくる。




