第五十七話 挑戦
大悪魔エクゾゲートは『体液』を軸に魂を別の肉体へと移動させる呪法を得意としていた。その呪法を応用、『体液』という軸を必要としないよう改良した新たな呪法を使うことで『賢者』は死した瞬間の魂を別の肉体へと移動させることに成功していた。
それこそが『賢者』が長きに渡り生存してきた理由であり、このタイミングで隻腕の『少女』が顔を出した理由でもあった。
隻腕の『少女』、すなわち『勇者』の末裔である国王の肉体を操るミリファ=スカイブルーの斬撃が『女王』へと迫る。
「ほう」
人差し指一本で受け止める、でどうにかできるレベルを超えていた。咄嗟に構えた左腕を『勇者』ミリファ=スカイブルーの斬撃はバターでも裂くように容易く斬り裂く。
バックステップで距離を取り、それ以上のダメージを阻止した『女王』。だが『勇者』は止まらない。跳ね上げた左足が『女王』の顎を下から蹴り抜く。
ガヅンッ! と脳が揺れ一瞬とはいえ意識に空白を生み出しただろうその瞬間、瞬時に数字や文字で形作られた陣を描いた『賢者』が放つ紅蓮の猛火が槍の如き勢いで『女王』へと襲いかかり、木っ端のように薙ぎ払った。
轟音と粉塵を撒き散らし、それこそキロ単位で、だ。
「『賢者』……」
「よおミリファ。よもや見た目さえも自在に変えられるとはなあ。いやはや聖剣、いいや神の力の一端ってばなんでもありだな」
『賢者』がやったことそれ自体は単純だ。大悪魔エクゾゲートの呪法を応用して開発した新たな呪法を使い死した『勇者』ミリファ=スカイブルーの魂を血筋たる子孫の間を揺蕩うよう操作、加えて『賢者』が合図を送ると共に血筋たる子孫の肉体を操り顕現できるようにしておいたのだ。
ゆえにこそ、今『勇者』ミリファ=スカイブルーは国王ジークランス=ソラリナ=スカイブルーの肉体を借りて顕現できているというわけだ(姿が生前のままなのは『賢者』曰く姿を変えているからのようだ)。
ちなみに『賢者』が今の今まで生きていられた理由は魂の移動を利用して自身のクローンの肉体を渡り歩いていたからであるが、この辺りはクローンへと魂が宿る前に憑依を完了しないと面倒なことになるリスクがあったりする。その辺りは『賢者』を名乗るだけはあるのか芽生えた自我を踏みにじるようなことにならないよう調整していたようだ。
だから。
つまり。
「こんのクソイカれ研究者め! よくもまあ好き放題やってくれたなあ!!」
ドッバァン!! とミリファの飛び蹴りが『賢者』へと炸裂した。
「ぶべばぶ!? な、何をする!?」
「なーにーをーすーるー? こちとらようやく、よおやくセルフィーたちのもとに逝けると思ってみれば自分の子供の肉体に入り込んでいるわ、だからって何もできずに見守るだけで、つまり子孫たちが苦しんでいるのをただ見ていることしかできなかったんだよ!? 今回で言えば第二王子が道を踏み外そうとしているのがわかっていたのに大悪魔を利用するのなんてやめるよう説得することも、説得できなかったら倒すこともできなかった!! その結果、死ななくてもいい人たちが死んだんだよ!!」
「といってもな。魂にも劣化ってのがあってな。事前に調整していた俺様と違い、咄嗟に保護しただけのミリファの魂の劣化は激しかったんだ。こうして一度顕現させたのさえ奇跡だというのに、くだらん些事にミリファを使うわけにはいかないだろう」
「本当、本当さあ! 『賢者』がそう言うならそれが正解なんだろうけど、正しいだけだよねそれ!!」
「まあな。自覚はある」
「……っ、ああもう! 珍しくしおらしい顔してからに!! はいはいわかりました八つ当たりよね分かっていますよっ。相変わらずムカつくくらい最善しか選ばないんだからっ。で、こうして『賢者』が私の使い所と差し向けたくらいだし、あの程度で死ぬわけないよね、あの悪魔」
「もちろん。というか勝てるわけないだろうが」
「は? なんっ、はぁ!? じゃあどうするの!?」
「どうにか満足させて退いてもらうしかないだろうな。というわけで全力でぶつかっていけ」
「って、なんだ。いつも通りじゃん」
それじゃあ、と『勇者』ミリファ=スカイブルーは『女王』が薙ぎ払われた粉塵の奥を見据える。
そこで。
彼女は言う。
「それはそうと、あっちで死にかけている連中はどうするの? 我らが聖女様、死ななければ大丈夫がウリのセルフィーいないのに。聖剣に回復能力なんてないし、『賢者』の力でどうにかなるものなの???」
「ああ、そこは心配するな。『聞き耳』の通りならあいつの頭脳は魔導以外にも伸びているようだしな。泣き言ぶっ潰すのは俺様たちよりも適役がいるし、任せておいていいさ」
「わたしがこうして出てきたんだもの。死人なんて絶対に認めないわけなんだけど、その辺わかっててだよね? 『女王』とやらを追い払うのを優先して、その間に誰かがこっくり死んでましたなんて展開になったら許さないから」
「だから俺様がどうにかしろと? はっは! それこそ無駄の極みだな。お前がどう考えているかは知らないが、過去の伝説などつい先程呆気なく破られている。ここは俺様なんかじゃなくて、新たなる伝説が死に損ないどもを救ってくれることだろうよ」
「うえ。あのクソナルシストな『賢者』がそこまで言っちゃう?」
「誰がナルシストだ。俺様はあの時代において最も賢いと事実を示していただけだ。事実として俺様以上に賢い者が現れれば、素直に負けを認めるさ」
「そう、なんだ」
「まあ素直にぶっちゃけると、いかに俺様でもあそこまで破損してはどうしようもないわけだが。人類がコンタクト取れる中で最高の治癒性能持ちの大悪魔エクゾゲートは魂レベルで消失したし、俺様が治癒系の呪法を使っても出力不足だし。最悪新たな肉体をクローンとして用意するにしろ、あれは個別に術式構築しないとだからな。最低数ヶ月必要だから、まあその前に魂が劣化するのは目に見えている。できるとして、今のミリファみたいに一度きり制限時間ありで顕現するのが限界だろうよ」
「はぁ!?」
「出来るだけ戦力確保するべきだったとはいえこの場を離れるのはミスだったかもなあ」
「ちょっ、ちょちょっ軽く流していいことじゃないって! 『賢者』でもどうにもできないって、うっそでしょ!?」
「わざわざ嘘つく理由ないわな。というか、だからこそ素直に負けを認めたんだろうが。俺様にはどうしようもないが、俺様を軽く超えた新たなる伝説であればどうにかしてくれるさ」
「こっこいつ、本当ロクデナシなんだからあ!!」
と。
その瞬間であった。
粉塵を引き裂き、斬り裂かれた左腕の傷口から鮮血を噴き出す『女王』が姿を現す。
ーーー☆ーーー
「……じょ……ま」
赤く沈む。
好きだと、俺のものだと、熱く強く抱きしめてくれたシロが。
「お……さま!!」
胸の真ん中がぽっかりと抉れたようだった。足元がぐらつく。吐き気が止まらない。脳の奥底から響く激痛に頭が砕けるようだ。
嫌だ、と。
駄々をこねる女の子のように、ただそれだけが思考をノイズのように埋め尽くす。
いつから、だろうか。
『完璧な令嬢』であった頃であればこんな醜態を晒すことはなかったかもしれない。だけど、知ってしまったから。好きだと、大切だと、誰かを狂おしいほどに愛おしく想うことを知ってしまったせいでシェルファは弱くなった。
想いが強ければ強いほど、喪失の恐怖もまた強く押し寄せてくる。
だから、
「お嬢様っ!! しっかりするのお!!!!」
ばしんっ!! と。
頬を打ち抜く衝撃が無理矢理にでもシェルファを現実へと押し戻す。
「え、あ……れっ、さー……?」
目の前に彼女のメイドがいた。振り切ったその手でシェルファの頬を叩いたのだろう少女はキッと鋭く主人を睨む。
「いつまでウジウジしているの? 時間ばっかり無駄にして、見殺しにするつもりなの!?」
「そ、れは……でも、だって、こんなの、いかにこの森に希少な薬草が多く生えていたとしても、わたくしの知識があっても、もう、どうしようもないんですよ」
そう。いかにシェルファに知識があり、近くに希少な薬草が生えていようとも、それだけでは足りない。助けられない。だから、だから!!
「だから諦めるの? お嬢様にとってシロはその程度で諦められる程度の存在なの!?」
「そっそんなことありません! だってシロはわたくしに好きを教えてくれましたっ。だから、だからこそ、わたくしはこんなにも弱くなったんです。前までだったらこれはもう仕方ないと切り替えられたのに、なのに……どうしようもないとわかっていて、それでも諦められないんです。でも、だって」
「ねえお嬢様。お嬢様は、本当は、どうしたいの?」
問いにシェルファはすぐには答えることはできなかった。手持ちの知識でも、今すぐ用意できる薬草をかき集めても助けられないと完璧な視点は判断している。
だから、どうしようもないと。
そんな風に納得できるわけがないではないか。
「……嫌です。死なせたく、なんて、ないんです。現実的に不可能だと分かっていても、それでも、それでも、やだ、シロが死ぬなんて嫌なんですよっ」
「だったら命じるの」
メイドは言う。
真っ直ぐに主人の真の望みを引き出すために。
「力を貸せと、そう命じてくだされば、貴女様のメイドはなんだってやってやるの!!」
「レッサー……」
そして。
そして、だ。
倒れ伏すシロの隣にルシアとタルガが並べられる。そう、吹き飛ばされた彼らをキキがそこまで運んできたのだ。
「コノヒト、タチ、モ、タスケル、ンダヨネ」
「キキ……」
「ワタシ、タチ、モ、チカラ、カスヨ」
と。
そこで洞窟へと飛び込んでくる複数の小さな影。それは色とりどりの子犬たちであった。
「わうっ!!」
「がうがうっ!!」
「みんな……」
シェルファはその光景にふつふつと何かが沸き起こるのを感じていた。
誰も諦めてなんていない。
うじうじと時間を無駄に浪費していたのはシェルファ一人ではないか。
己に対する怒りが溢れる。
どうしようもなく、猛烈に。
「何をやっているんですか、わたくしは」
弱くなったのは確かだろう。
だけど、決してそれだけではない。
シェルファの中には今まで感じたこともない『力』が湧き上がりつつあった。
失いたくないと。
『完璧な令嬢』だった頃であれば不可能は不可能と切り捨て、仕方ないと諦めていただろうが──そんなの嫌だと、不可能だろうが覆してやると、魂の奥底が熱く激しく叫ぶのだ。
「……、貸してください」
湧き上がり、溢れるままに、シェルファは叫ぶ。
ぐいっと。
冷たいだけの涙なんて拭い去り、思いっきり。
「誰一人死なせないために、誰一人欠けることなく日常へ帰るために! みんなの力を貸してください!!」
さあ始めよう。
今あるシェルファの知識や今使える薬草だけでは決して救えない大切な人たちを救うための、不可能を可能と変える挑戦を。




