第五十五話 告白
『賢者』は洞窟を出たところでこちらに向かってくる二人と遭遇した。純白と灰色、彼のクローンから派生した子孫たちとだ。
「アッ、ゴセンゾサマ! マダ、シンデ、ナイ、ヨナ!?」
「ん? ああシェルファのことな。ありゃそう易々とくたばる女じゃないって。いや本当、凄まじいよな。俺様でも五分五分、いいや三割くらいか? とにかく『確実』なんて言えやしないくらいの成功率だったってのに、あの女軽々と果たしやがったし。まったく、長生きなんてするものじゃないなあ。あの時代で死んでいれば、自分が最高峰だと自信を持っていられたというのに」
「ヨク、ワカラン、ガ、トニカク、アイツ、ハ、シンデナイ、ンダナ!?」
「ああ、少なくとも人類のために死ぬことはなくなったから今は心配するな」
と、何かに気づいたように『賢者』は眉を動かし、虚空へと陣を描く。
ぱづんっ!! と何かが千切れるような音が響く。途端、周囲を覆っていた紫の粒子が霧散したのだ。
「チッ。駄目だったか。仕方ない、境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』解除して訪問客が回れ右しないようにしておくか。聖剣と『勇者』の血筋がないと話にならないし」
「……?」
「ああ気にするな。俺様たちの時代ではそう珍しくもない、毎度のクソッタレ展開ってだけだし」
それよりだ、と『賢者』は繋げて、
「シェルファはそのうち出てくるだろうし、それまでここで待っておけ」
「ムッ。ナンデダ、ゴセンゾサマ?」
「そりゃお前、強引に迫るデリカシー皆無なお前さんが誰かと恋仲になるならそれくらいでちょうどいいからさ。これでも人づてに夢魔落とした俺様の助言だ。お前もシェルファに惚れているなら聞いて損はないと『確実に』保証してやるよ」
「……、ソレ、デ、アイツ、ト、ツガイ、ニ、ナレル、ナラ」
「はっは! そうかそうかっ。まあ、安心しな。あの様子なら感情を数値化、予測演算にてコントロールするまでもなく、ちっとばかり耐え忍べば後は貪るだけよ」
ガシガシとシロの頭を撫でて、『賢者』は逆の手で先のそれとは違った数字や文字で構築された複雑な陣を描く。
「ああ、ついでだ。クローンから派生した子孫たちよ。今の己の力以上が必要となれば無駄に特攻するのではなく、まずは聖剣を手に入れることだ。何せあれは選ばれし血筋へと神の力の一端を与えるのとは別に潜在能力を解放する特性もあるからな。わかるか? どこぞの田舎娘や王族どもと違い、人為的に才能を組み込んでおけば理論上は複数の英雄の力をその身に宿すことも可能ってわけだ。まあ後天的にエッセンスを組み込んだクローンならともかく、そこから派生した子孫たちにどれだけ才能が受け継がれているかって話ではあるがな」
「「???」」
シロとキキが二人揃ってキョトンと首を傾げる様子に『賢者』は小さく笑みを浮かべる。賢いがゆえに夢魔経由で『女王』を利用したりと最善だがそれだけでしかない手段を選べてしまう自分とは違う、どこまでも真っ直ぐにしか生きることができない有様に何かを感じたのか。
彼にしては珍しく、どこか柔らかな笑みを浮かべていたのだ。
「なに、難しく考えるな。聖剣に関しては本能で感知できるだろうから、力が必要な時はそれを掴めって話でしかないし。というか、そんな事態にならないならそれが一番だしな」
ヒラヒラと手を振りながら、逆の手で『賢者』は先程から描いていた陣を完成させる。シュパンッ! とその身体が霞み、消える。
転移の呪法でもって『どこか』に移動したのだ。
そして。
そして、だ。
ぐあっばあ!! と。
シロの真横の空間が黄金に引き裂かれ、そして、
ーーー☆ーーー
シェルファは洞窟の外に向けて走っていた。
(もう目を逸らしたりしません)
はじめての感情。
『完璧な令嬢』として一切の無駄を削ぎ落とした思考回路では無理解と判断されるような、それ。
だけど、シェルファは嫌だと感じた。
シロが自分以外の誰かに取られるなんて、そんなの嫌だと強く強く望んだ。
知ってしまったら、もうだめだった。
想像しただけで一つ目野郎から死を突きつけられた時よりもずっと強烈な恐怖に身震いしたほどだ。
もう目を逸らすのはやめよう。
例えこの想いの先に何が待ち受けているのか、どうなってしまうのかを算出できないとしても、それでも、手を伸ばそう。
好きだから。
シェルファはシロのことが大好きなんだから。
レッサーに抱く友愛とも、ルシアやアーノルドといった兄たちに抱く親愛とも違う。これは、この想いは、たった一人の誰かに向けるものなのだ。
(好き、です)
そう、シェルファは恋していた。
おそらく初めてシロと出会ったあの瞬間から、射抜かれていた。
(好き。好き好き、大好きです!!!!)
だから。
だから!
だから!!
洞窟を飛び出した、その瞬間。
ピンクのふりふりを謎の臓物で真っ赤に染めた女にシロが押し倒されていた。
「…………、は?」
思考が空転する。いつもなら最適に状況を判断するはずの俯瞰した完璧な視点が動作不良を起こす。
「うーうふー☆ 勢いよく突っ込んだら格好いい少年を押し倒していただなんてツイているですわ!!」
「ウエッ!? ナンッナンダ!?」
「これは間違いなく汗水垂らして労働に勤しむわたしへの天からのご褒美ですわよねっ!! ほらほら第二王子とやり合う前に存分に癒しを提供することですわあ!!」
「チョッ、ホントウ、ナンダ、コイツ!?」
なんか抱き締められていた。
もう、本当、なんかイチャイチャしていた。
「へえ。そういうことしちゃうんですかぁ」
自分でも聞いたことがないほど低い声だった。
冷静になんて、受け止められるわけがなかった。
「アッ。オマエ、ブジ、ダッタ、カ!」
「ええまあ。シロがそうやってわたくし以外に身体を許していた間に全部解決しましたよ。ええ、ええ、シロがぽっと出の女とイチャイチャしている間にですね!!」
「ン? ナニ、オコッテ、イル、ンダ???」
「怒ってなんていません!! ええ怒るわけないじゃないですか!! だって一方的に抱きつかれているだけで、つまりシロからその女に抱きついたわけではなくて、ええ、ええ、シロが自発的にした行為でないことくらい見てわかりますとも!! なんで抱きつかれているんだと戸惑っていることくらい見抜いていますもの!!」
分かっている。
分かっている、のに、それでも、なんで、
「……言った、のに」
制御できない。
感情はぐちゃぐちゃで、何を言いたいのか自分でもわからなくて、いつもみたいに他人事のように冷静に対応なんてできるわけがない。
ただただ。
壊れたように溢れる涙と共に言葉が止まらない。
「わたくしのこと、好きって言ったのにっ!!あれ、嘘だったんですか? そんなぽっと出の女に身体を許すくらいの想いだったんですか? こんなにも苦しくて、でもそれ以上に嬉しく想っているのはわたくしだけなんですか? ふっ、ひっく。違う、のに。分かっているのに。本当はこんなこと言いたかったわけじゃないのに、でも、だって、だって!!」
言葉が、途切れる。
臓物を頭からかぶって真っ赤な女を脇に放り捨てたシロが真っ直ぐにシェルファのもとまで歩み寄ってきたからだ。
そして。
そして、だ。
「スキ、ダ」
「ッ!!」
肩に手を置く。
そのまま引き寄せ、抱きしめる。
「オレ、ノ、ツガイ、ニ、ナレ」
「ふっぐ!? ふ、うう、……そ、そんな、こと言って……本当は、誰でもいいんじゃないですか?」
「ソンナ、コト、アル、モノカ」
「でも、さっき、身体許していました」
「ン? ソト、ノ、ヤツラ、ハ、アンナモノ、ジャナイ、ノカ? オマエ、モ、サイショ、アンナカンジ、ダッタ、シ」
「うっ。それって、え? わたくしのせい? いや、そんな、ううっ!!」
なんだか途端に恥ずかしくなったシェルファが顔を隠すようにシロの胸板へと額をぐりぐりと押しつける。
野性味のある、シロのニオイに頭がくらくらする。と、そこで思い切り両の頬をもふもふの手で挟まれて、ぐいっと動かされた。
そう、シロと目を合わせる形で。
涙でぐちゃぐちゃの顔が晒される。
「や、やだっ、見ないでくださいっ」
隠そうとしても無駄だった。
強引に、殻に閉じこもった想いを引き摺り出すように、見つめられる。
「キレイ、ナンダ。ワザワザ、カクス、ナ」
「ひゅ、はふっ、あ、う」
シロはいつだって真っ直ぐに、純粋に、偽ることなく接してくる。それがわかるから、誰よりも見えてしまうから、感情がこんなにも荒れ狂うのだ。
「ソレヨリ、ヘンジ、キイテ、ナイ」
「それ、は、その、だって、あんな風に取り乱した後ですから、その」
「イマ、キキタイ。オマエ、ハ、オレ、ノ、コト、ドウ、オモッテイル?」
「う、うう、うううううっ」
真っ直ぐだった。
純粋に、真っ向から、いつだってシロはぶつかってきた。
熱くて、痺れて、思考なんて茹っていた。完璧にして俯瞰した視点なんて使い物にならない。どうしようもないほどぐちゃぐちゃなままに、まるでシロに魂の底の底まで引っ掻き回されるように本音が溢れ出す。
「わたくしを、シロのツガイ、に……してください」
「アア。オマエ、ハ、イマカラ、オレ、ノ、モノダ」
そのまま再度抱きしめられた。痛いほどに強く、想いをぶつけてくるように熱く。
悲しくないのに涙が滲む。
胸がじんわりと暖かくなる。
幸せだと、脳髄が痺れる。
これからどうなるかなんて全く読めない。
いかに完璧な令嬢として積み上げてきた能力があっても無理解しか出せない未知の領域なのだから。
だけど、そうだ、そうなのだ。
こうしてシロに抱きしめられて、ようやくシェルファは分かった。
シェルファは一人ではない、と思えば当たり前のことをだ。そう、シロがそばにいてくれるならば、どんな未知だって切り開くことができる。
ーーー☆ーーー
「ハッ!? 気づけば噛ませ扱いですわ!?」
臓物でドロドロな(シェルファにぽっと出の女と完全に忘れられていた)婚約破棄騒動の実行犯である男爵令嬢が跳ね起きる。
詳しいアレソレは不明だが、どうやら可愛いもの愛でていたら愛し合う二人がくっつくための踏み台と処理されたようだ。
と、黄金の亀裂から新たな人影が飛び出す。
「くっそ! 警戒はしていたが、こんな、くそお!! シェルファの嬢ちゃん恋愛とか興味なしって感じだったじゃん!! こんなことならグイグイ攻めていけば良かったあ!!」
「あれはあの時の……。チッ、羽虫だけでなく犬っころまでシェルファに唾かけてやがったとは」
「ふむ。公的にはともかく私的には複雑だが、切り捨てたのは俺のほう。であれば、素直に祝うのが王者の務めだろうな」
「すっごいですわ、どいつもこいつも元公爵令嬢しか見ちゃいねーですわ!! 第二王子打倒はどこいったですわ!?」
さっきまでシロに抱きついていたのを棚に上げた臓物男爵令嬢が叫ぶが、第二王子の気配は消えておりシェルファも無事だと確認できているがために男たちはろくに取り合わなかった。




