第四十八話 男爵令嬢、その本質
エイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢は愛らしさの塊のような少女であった。薄い赤のツインテールに透き通るような碧眼の彼女はピンクのフリフリが拵えられたドレスを好んで着ていた。
学園ではその頃は第一王子であった彼によくお人形さんのようだと言われていたものだ。好かれていた感触はあった。その証拠にバーニングフォトン公爵令嬢とエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢との扱いには差があった。つねに気にかけてもらえていたエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢と違い、バーニングフォトン公爵令嬢に対して第一王子が何か声をかけたりといったアクションはほとんどなかったのだから。
大事にされていると、ろくに構ってもらっていないバーニングフォトン公爵令嬢と比べて一目瞭然だと、その時はウキウキ気分で考えていた。
(宰相が裏工作を行い、わたしが庇護欲を誘う『外面』でもって騙す。そこまでは、ええ、そこまではうまくいっていたんですわ。その証拠に嫌がらせを行うような奴に王妃の座はふさわしくないとしてバーニングフォトン公爵令嬢との婚約は破棄、ええ本当ここまではうまくいっていたというのにっ!!)
想定の通りに進んでいたのは婚約破棄まで。そこから一気に第一王子の次の婚約者へと名乗りを上げてやろうとした時、件の馬鹿はこう言ったのだ。
『……? なんでお前と婚約なんてするんだ???』
本当に、心底不思議そうに。
『男爵令嬢と王族とでは釣り合いが取れない、なんて言うつもりはないが、王妃として立つにあたってお前では及第点すら満たしていないぞ。最低でもシェルファくらいの頭脳なり教養なりがないと話にならん』
守ってはやったが、それは王族として当然のこと。婚約云々はまた別の話だからな、と馬鹿のくせに散々言ってくれたものだった。
そこで、ようやく、エイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢は気づいた。第一王子が彼女を気遣い、よく声をかけてくれたのは守るべき対象だったから。逆にそんなもの必要ない、隣に立つべき未来の王妃に構う理由は特になかったからこそバーニングフォトン公爵令嬢に声をかけることすらなかったのだ。
信頼していたがために。
平民の考えるような愛に溢れた婚約ではなく、どこまでも貴族らしい政略的な婚約ゆえの形だったということだ。
(せっかく宰相に取り入って、利用される傀儡と落ちてでも男爵令嬢では決して届かない王妃の座はこの手からこぼれ落ちたですわ。宰相からの連絡はなく、切り捨てられたのは確実ですわ。ええ、ここからの逆転は難しいかもしれません。だからといって、諦める筋合いは一つもありませんですわ!!)
男爵家なんてちょっと裕福な平民レベルだ。ともすれば男爵家よりも遥かに財産持つ平民だって存在するほどに。
そこで終わってたまるかとエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢は野心を燃やしていた。そのためにお人形さんのようだと褒められるほどに外見を磨き、男を虜として、より上の貴族の妻として駆け上がらんと足掻いてきた。
──婚約破棄騒動のせいで社交界からは『地雷』と見なされて、優良物件に取り入ることはできなくなったが。
だけど。
エイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢の『力』が外見だけだと誰が言った?
宰相に取り入り、手駒として働き、王妃の座を獲得するためには不要な『力』であったからこれまで陽の目を見ることはなかったが、ここまで失敗した後であればなりふりなんて構っていられない。
使える『力』は何でも使う。
多少理想とは異なる形なれど、一般的な男爵令嬢レベルの生活から脱却してみせる。
(このまま落ちぶれやしないですわ。必ずや、誰もが羨む豪華絢爛ハッピーライフを手にしてみせますわ!!)
ーーー☆ーーー
ソラリナ国、王都の中心から炸裂する轟音に民は身をすくめていた。何かが起きている。だからといって音源に近づこうと考える者は少なかった。
その多くは(ルシアが騒動の中心に飛び込む前に放った指示に従っている)兵士の誘導で王都の地下にある避難所へと向かっていた。
その時であった。
大通りを兵士に誘導され進んでいた三百を軽く超える群衆が異変に気づいた時には事態は致命的に進行していた。
ぶぢゅっべぢゅゴギベギバギッ!! と。
凄まじい異音を響かせ、悲鳴さえも上げられずに溶けるように崩れた赤と黒のサイケデリックな色彩がつむじ風に煽られるように真上に突き抜け──ぎゅるんっ!! とその形を異形と変える。
あるいは無数の腕を持つ巨人、あるいは車輪を足に槍を背中にびっしりと組み込んだ四足歩行の獣、あるいは腐った魚を肥大化させたバケモノ。
悪魔、と。
そんな単語が湧き上がってくるような異形へと変貌したのだ。
王都の中心、主城クリスタルラピアでも同じようなことが起きているのだと、そこまで思い至った兵士が腰の剣を抜くが──鉄の塊ごと地面のシミと潰れた。
それが開戦の合図となった。
「だっ誰が助けてえ!」
「どけ邪魔だ、待って助け、ぶべばぶっ!?」
「ひ、ひひっ、ひひひひひ」
これが外から攻めてくるのであれば防衛のしようもあったかもしれない。逃げられる可能性だって上がっただろう。
だけど、異形の群れは一つの塊となって移動していた群衆の中から現れた。数でいえば十いるかどうか程度だが、それらが群衆の中身を食い潰すように現れたものだから、手当たり次第に殺されていく。
「く、そ!? 民間人を守るぞ!!」
「ばかっ、魔導はダメだ!! 民間人を巻き込む!!」
「だったらどうやってあんなの殺すってんだ!? 剣の一振りなんて簡単に潰され──ぶぎゅっ!?」
異形の近くには必然的に逃げ遅れた民間人がいるために兵士たちが高威力の魔導を使えば巻き込んで殺してしまう。そこで躊躇したり迷ったりすれば、途端に異形の暴威が民間人ごと兵士を叩き潰す。
まさしく阿鼻叫喚であった。
それでいて、力の差は歴然であった。
(今なお殺されている者たちは知らないが)異形の群れは悪魔もどき、その力は一つ目の真なる悪魔よりも上なのだ。
普通に、真っ向からぶつけたって勝敗は決まっていた。わかっていて、この状況をセッティングしたと考えるべきだ。
どこまでも悪趣味な。
それこそショーであるとでも言わんばかりに。
「死んでたまるか、クソがあっ!!」
「う、ぐ!?」
それは錯乱した中年男性が近くの十歳未満の男の子を突き飛ばして、我先にと逃げ出した時だった。
叫びに反応した無数の腕を持つ巨人がその腕の一本を伸ばして、中年男性の腰を掴んだのだ。
「い、ぎ、ぶべばぶっ!?」
瞬く間に潰れた。頭と足の先とを残して、残りが握り締められた拳の中から赤黒い液体と変貌して噴き出る。
「あ、あ……」
突き飛ばされた男の子は立ち上がることもできず呆然とその光景を見ていることしかできなかった。逃げなきゃ、ではなく、助けなきゃ、と思っても、想いに反して身体は動かない。怖い、と恐怖に身がすくむ。
巨人が動く。
赤黒く染まった拳を乱雑に振り下ろす。
そして。
そして、だ。
「わたしの豪華絢爛ハッピーライフのために死ぬことですわ、バケモノが!!」
ゴッバァァァンッッッ!!!! と。
ピンクのフリフリを揺らす少女の飛び蹴りが異形の拳と激突、拳どころか腕を貫き、その奥の胴体を蹴り砕いた。
どばっ!! と上半身を肉片の雨と変えられた巨人がゆっくりと倒れる。と、地面に着地した少女が『うえっ。口に入ったですわっ、ぺっぺっ!』と呻きながら、男の子のほうへと歩み寄ってきた。
ピンクのフリフリを赤黒く汚して、なお。
愛らしいといった印象を抱かせるアンバランスな笑顔で彼女はこう言った。
「怪我はないですわ?」
「え、あ……う、うん」
「それは良かったですわ。わたしの武勇を広め、出世街道へと押し上げる人員は多いに越したことはないですし。そうですわ、貴方。こうして命を助けてやったのですから、わたしに、エイリナ=ピンクローズリリィに助けられたのだときちんと広めることですわ!!」
「それは別にいいけど……あっ、お姉さん後ろ!!」
男の子が叫んだ時にはエイリナ=ピンクローズリリィは動いていた。ぱちん、と指を鳴らした途端であった。
ゴボンッ!! と。
後ろから迫っていた四足歩行の異形も、エイリナ=ピンクローズリリィに構うことなく民間人や兵士を殺そうと動いていた異形も、一体の例外もなく内側から沸騰するように膨れ上がったのだ。
「雑魚が、弾け飛ぶことですわ」
宣告の通りとなった。
ぶくぶくぶくうっ!! と膨らんだ異形が内側から爆破するように弾け飛んだのだ。
あれだけ猛威を振るっていた異形の群れを討伐したというのにエイリナ=ピンクローズリリィはつまらなそうに息を吐く。
異形の群れになど視線さえ向けず、ギラリと欲望に満ちた瞳を動かす。
「本命もこんな簡単に済めばいいですが……まあそう簡単にいけば苦労はしないですわよね。だからこそ! ここで活躍すればするだけ豪華絢爛ハッピーライフに近づくというものですわ!! そうですわ、王妃にならずとも武勇を稼いで地位を確立すればぼろ儲けなのですわあ!!」
彼女の視線は王都の中心へと向いていた。
すなわち主城クリスタルラピアへと、だ。




