第四十七話 賢者
「よお、クローン。いいや子孫と言うべきか? まあ何でもいいが、この事態に盛っているだなんて余裕だな」
そう言って部屋に入ってきた『彼』の言葉にシロが肩を震わせる。
そして。
そして、だ。
「アッ、ゴセンゾサマッ! ヒキコモリ、ガ、ナンデ、ココニ!?」
「誰が引きこもりだ、誰が。汗水垂らして労働しまくりだっての。何百、いや何千年か? とにかく時間感覚がぶっ壊れるくらいのブラック環境だぞ」
赤黒く汚れた白衣を纏うボサボサ髪の『彼』は適当に嘯きながら椅子へと腰掛ける。そう、今まさにシェルファを後ろから抱きしめるシロと向き合うように。
「クローンから派生した子孫よ。『実験』用に確保したはいいが、すっかり存在忘れていた一つ目悪魔が迷惑かけたようだな。こればっかりは俺様の落ち度だ、すまなかった」
「モウ、オワッタ、コトダシ、ゴセンゾサマ、ガ、アイツラ、コロシタ、ワケ、デモ、ナイ。キ、ニ、スルナ」
「そうか。まあぶっちゃけると予定調和にして予測通り、子孫ならそう答えると分かっていたがな」
と。
そこでシロの抱擁にいっぱいいっぱいといった様子だったシェルファが真っ赤な顔をぶんぶん横に振って、深呼吸を繰り返し、ようやく口を開く。
「貴方、もしかして『賢者』ですか?」
「まあな」
「なるほど。シロが隠していたのはこのことでしたか」
思い起こすはシロとの問答。
『シロとキキは賢者の末裔なんですよね』
『ン』
『賢者に関わることで、何か知っていることはありますか?』
『ソウダナ……。ケンジャ、ノ、マツエイ、ハ、コノ、チ、ヲ、「ガイテキ」、カラ、マモル、ヨウ、ニ、ト、イイノコシタ、コト。ソレカラ……』
『それから?』
『……、イヤ、ナンデモ、ナイ。ソレクライ、シカ、シラナイ、ナ』
ナンデモ、ナイ、と。それはもう分かりやすい嘘の奥にあるのが賢者生存という事実であるという証拠はない。問答の流れから賢者関連の何かなのではないか、と予想するのが関の山である。
……まあ、件のシロがびっくびっく震えているのが何よりの証明ではあったが。
「おっと、補足するなら『洞窟の奥』の守護及び『洞窟の奥』の俺様の存在を隠すのが確固たる伝統となるよう細工しておいたのは俺様だ。だから、なんだ、別に子孫はシェルファのことを信用していないわけじゃないからな」
「……、細工?」
「なに、大したものじゃないさ」
シロのご先祖様、すなわち『賢者』はなんでもなさそうな様子でこう続けた。
「境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』……今風に言えば『魔沼』か。その存在を守るため、この地に揺蕩う紫の霧及び沼を弱め、処理する思考へと繋がらないようジャミングを仕掛けているのと原理は同じだ」
さしものシェルファも驚きを隠せなかった。予測くらいはしていたが、よもや本当に『そんなもの』があったとは。
「精神に関与する魔導、ですか?」
「正確には呪法。魔導が引き寄せる悪魔の超常と同じものだな。いやあ、流石の俺様も呪法を会得して、大陸全土に拡大するのには苦労したものだ」
「なんですって?」
魔導は魔法陣に魔力を流すことで現世とは別の、それでいて薄皮一枚挟んだ同一座標に位置する異界に揺蕩う超常存在の力を引き寄せることで奇跡を操る。
つまり、魔導の源たる『力』は悪魔の中にあるもの。それこそが呪法とやらなのだろう。
となれば、だ。
「先の口ぶり、精神的ジャミングを具現化する呪法は『賢者』本人が使った風に聞こえましたが、どうやって? 従来の魔力を元手として召喚術や封印術を用いる方式では、悪魔の超常そのものを生み出すことはできませんのに」
「それは発想からしてズレているな。召喚術や封印術は魔力による呪法の再現。不遜なるその行いはまさしく悪魔に近づく行為。ならば悪魔としてやろう、なーんて面白半分に世界を歪めたのが『女王』だ。まあそれこそ予定調和にして予測通り。夢魔ミリフィアを利用して引き出した『女王』の性質を元に『女王』を誘導、悪魔の肉体を手に入れる手段を世界に埋め込んだってわけだ。しかし、なんだ、いかに必要な手順とはいえ、失敗するというのが予想以上に困難だったがな。何せ俺様は『賢者』、俺様が行動すれば自ずと成功へと結びつくものだからなっ」
『賢者』の説明には配慮がなかった。必要な情報を知っているならまだしも、聞き手たるシェルファやシロには足りない情報を知っていることを前提としているのだから。
それこそ『賢者』。天才は凡人の都合に合わせることはない。ただ自分が気持ちよく語れたならばそれでいいのだ。
「だとするなら……ああ、そういうことですか。召喚術失敗によるペナルティーで魔力がなくなっても死なずに済むのは人間から悪魔へと変異する過程で『別の力』が宿り魔力の代わりとなったからですか。そして、その力こそ悪魔の超常たる呪法を具現化する元手となるものなんですね」
「だな。だからこそ、俺様も人間ながらに『魔沼』の霧の中で平然としているということだ」
「それはそうと、何をしにやってきたんですか? これまで引きこもっていたらしい貴方がまさか世間話をしに来たわけでもないでしょうし」
問いに『賢者』は口の端をつり上げる。
「寿命なんてとっくに過ぎている『賢者』の生存を認め、シェルファとわざとらしく呼んでも流し、常人であれば信じられないと喚きそうな事柄にも冷静に対応……いいや、嘘か本当かくらいは見抜けるといったところか。まあここまでは予定調和にして予測通り、暇潰しの『聞き耳』で把握した通りだな。とはいえ、話が早い奴は好きだぞ、シェルファ」
「で、結局何が言いたいんです?」
と。
そう返したシェルファの頬が赤みを取り戻す。振り払ったはずの感情が湧き出てくる。
話が早い奴は好きだぞ、と。
『賢者』の言葉に反応するように後ろから抱きしめる力が増したからだ。
その理由まではシェルファには読めなかったが、どんな理由であれ強く抱きしめられて嬉しくないわけがない。
だから。
だから。
だから。
「その命、世界平和のために捨ててくれ、シェルファ」
「ゴセンゾサマ、ナニ、ヲ……ッ!!」
「落ち着いてください、シロ」
意外にもシロを止めたのはシェルファであった。死ねと突きつけられた直後だというのにシェルファは特に気にすることなく、
「仮にも彼は『賢者』です。もたらされる情報はわたくしが知り得ないものばかりですし、今はまだこちらを嵌めようと考えているわけでもなさそうです。加えるならば、『賢者』からは悪魔が扱うそれと酷似した力の波動が感知できます。おそらくはあれが件のジャミングなのでしょう。そこまでしてでも果たしたい何かがあるようですし、詳しく話を聞いてからでも判断するのは遅くありません」
「バカッ! ドンナ、リユウ、ガ、アッテ、モ、オマエ、ヲ、シナセル、モノカ!!」
熱かった。
だからこそ、シェルファはこうも思った。こんなにも熱く、どうしようもなく心地よい感情を与えてくれるシロのためにもできることはなんだってしたい、と。
「シロ、これは単なる予感ですが、『賢者』の発言を無視するのは危険です。ならば、こうして向かい合って、なお、底が見えない『賢者』がどんな理由で死ねと突きつけてきたのか、その理由を聞いた上で覆してやるべきだとは思いませんか?」
「クツガ、エス?」
「ええ。あくまで生き残るために、ですので、とにかく続きを聞きましょう、ね?」
「ム、ムゥ……」
唸るシロの腕をぽんぽんと撫でてから、改めて『賢者』を見やるシェルファ。
彼はくつくつと肩を揺らしていた。
楽しげに、本当に楽しげに。
「状況が状況でなければ戦力と数えるのもアリだったかもな。とはいえ、状況が状況だし、やはり道連れ要員と使い捨てるのが一番か」
『賢者』は言う。
天才ゆえに、真理を。
「大陸全土で勃発している『闘争』とシェルファの肉体を犯す『呪法』、そして世界の現状を覆す『エネルギー源』。その三つを知り得たならば、自ずと俺様と同じ結論と至るだろうし、きちんと説明してやるよ」




