第四十五話 高位生命体
『彼』は久しぶりの覚醒に不快そうに舌打ちをこぼす。
「どこの馬鹿だ? 封印されし邪悪を解き放ったのは。ったく。あくまで保険、過去の亡霊が出しゃばるような展開になるだなんて劣勢も劣勢なんだがな」
暗黒覆う領域から『彼』は外に歩みを進める。
動力源として一生を終える。それだけでは『勇者』や『聖女』が命をかけて守った意思が無駄と散る可能性が高くなったがために。
ーーー☆ーーー
ルシア=バーニングフォトン。
公爵家が長男という立場ならばいずれは当主の座に君臨、悠々自適に生活することもできただろうに戦場で生きることを選択した男である。
大将軍。
四の将軍を束ね、八万もの軍勢を支配する歴代最年少にて大将軍と君臨してみせた彼の戦法はたった一つ。
魔法に頼ることなき超高速戦闘。
耐久力だけを底上げした紅の剣が霞む度に異形の群れが雑草を刈り取る勢いで両断されていく。
まさしく目にも留まらぬ有様。二千もの兵士が白と黒の竜巻に呑まれた闘争の時にだって彼は一つ目を模した巨大な人形はおろか、仮面の男の魔法さえも軽々と避けていた。
十秒もあれば充分すぎた。
迫る異形の全ては赤黒く沈んだ。
「はっはっ! 流石は大将軍、貴公にこそ『最強』の称号は相応しいと言えるなぁ!!」
「…………、」
「だけど、んっんー? その刃は白と黒の竜巻を具現化するまでの二十秒、暇潰しの余興にて我を斬ることはできても、殺すことはできたかなぁ? できないならば、持久戦あるのみ。いずれ、必ず、『最強』は堕ちるんじゃないかなぁ???」
「その声、そしてその力の波動、やはりあの時の仮面野郎は第二王子だった、か。にしても妙だな。貴様は有能なれど、あくまで人間。喉を貫いても死なないなんてバケモノではなかったはずだが」
「はっはーっ! 知りたい、知りたいかぁ? いいさ、真実こそ絶望へと繋がるのだから。その先にこそ最高の奇術ショーがあるのだから!!」
ドゴォン! と轟音が炸裂する。
第二王子ジグバニア=ソラリナ=スカイブルーが顔を覗かせていた壁の穴から飛び降り、地面に両足をつけた音であった。
骨が砕け、肉が飛び散る。両足がぐじゅくじゅに潰れ、そして先の手順を逆と流すように再生する。
トン、と。
一秒にも満たず元と戻った足が前に進む。
「大悪魔エクゾゲート。かつて『勇者』、『賢者』、『聖女』が生きた時代に大陸に侵攻してきた七の悪魔の一角であり、『賢者』の実験台として保管されていた一つ目の悪魔や人間に寝返った夢魔と違い、真っ向から人類と激突しながらも討伐でなく封印しか手がなかった悪魔だ。そう、封印。であれば、復活するのが普通とは思わないかぁ?」
「悪魔は自己の肉体を持たない。下位の悪魔の中には例外もいたようだが、基本は他の生物の欲望を促し、憑依することで現世で活動する器を手に入れるとされている。まさか、そういうことか? 貴様は第二王子に憑依した大悪魔エクゾゲートなのか!?」
「いいや、我は第二王子ジグバニア=ソラリナ=スカイブルーなり。精神の闘争の果てに逆に大悪魔エクゾゲートを取り込んだからか、普通の人間よりも丈夫ではあるがなぁ」
トン、トン、と。
かつての『勇者』が唯一討伐ではなく封印を選んだとされる大悪魔エクゾゲートを取り込んだ怪物が迫る。
「直接暴力であればともかく、我が精神内であれば勝機もまた生まれるというもの。まあその方法で悪魔たちはこれまで肉体の乗っ取りを成し遂げてきたのだから、いかに勝機あれども賭けでもあったがな。だが、我は成し遂げた。『勇者』の記憶を頼りに封印された大悪魔エクゾゲートを探し出し、封印を解除して、大悪魔との精神闘争に勝利して、遥か高みへと自己を昇華したのだ。それだけでも敵なしなれど、この手には『聖剣』すらある。かつて大陸を死と鮮血で埋め尽くした大戦における二大巨頭が揃った以上、我に敵う者など存在しないと知れ!!」
そして。
そして、だ。
「知るか、そんなの」
ザンッッッ!!!! と。
無防備に近づいてきた第二王子が間合いと入ったその瞬間、紅の斬撃が大悪魔を取り込んだ怪物の首を両断した。
頭が、落ちる。
と、そこで第二王子は落ちかけた頭を掴み、ぐりぐりと首の断面に押しつけ、ものの数秒で完全にくっついた。
「ほう。抗うことを選択すると? 力の差は理解できただろうに」
「あいにくとさっぱり理解できないな。大悪魔エクゾゲート? 聖剣? かつて大陸を死と鮮血で埋め尽くした大戦における二大巨頭だかなんだか知らないが、過去のレジェンドに屈する理由は何一つない。貴様が過去のレジェンドを揃えたというのならば、その栄光を乗り越えるまで」
ルシア=バーニングフォトンはギジリと紅の剣の柄を力の限り握りしめ、叫ぶ。
「覚悟はいいか。過去にすがり、己が足で前に進むことをやめた腰抜けが! 過去がどうであれ、そんなものは乗り越えられるのだということを見せてやる!!」
「はっはぁーっ! 図に乗るなよ、矮小な人間の座に留まった下等生物が!! 我は大悪魔、我は『勇者』、我はとうの昔に人の座の先に到達した高位生命体なり! 弱肉強食、当たり前の摂理にて淘汰されるがいい、弱者よ!!」
瞬間の出来事であった。
「時間稼ぎ及び情報収集ご苦労様。聖剣こそ奴のウィークポイントだ。『血筋』がこちらにあるならば、聖剣を奪うことで勝機が生まれるだろうよ」
するり、と。
大将軍というインパクトの裏で動いていた、すっかり置いてけぼりな第一王子のそばに立つその男の言葉が響き渡る。
くたびれたシャツにズボンの、薄汚れた金髪の男。『スピアレイライン運輸』が会頭にして大魔導師、すなわちタルガの言葉が、だ。
「了解、なんとかする」
紅の斬撃が唸る。大悪魔と『聖剣』、二大巨頭を支配する高位生命体にも臆することなく、真っ直ぐに。
ーーー☆ーーー
突然だが、シロに抱きしめられていた。
(にゃっ、にゃん、何ですかこれ!?)
何がどうしてこうなったのか。確かシェルファは絵本を子犬たちに読み聞かせていて、本を横から覗き込んできたシロに驚いて心臓がバクバク暴れて、それを誤魔化すようにそそくさとその場から離れようとして──そんなシェルファを後ろからシロが抱きしめたのだ。
「ナンデ、ニゲル?」
「ええと、それは、その……っ!」
「スキンシップ、ヘッタ。ホカ、ノ、ヤツ、トハ、カワラズ、クッツク、ノニ、オレ、カラ、ハ、ハナレル」
「うっぐ。いえ、その、わたくしとしても心の整理がまだと言いますか、そばにいたいけど近すぎると耐えられないという不思議な心地と言いますか、わたくしだってシロとスキンシップしまくりたいのですがそんなことすれば心臓が破裂しそうになるんですよお!!」
「ヨク、ワカラン。シタイ、ナラ、スレバ、イイ」
「いや、だから、それはぁっ!」
嬉しかった。
まずはそれを前提に、だというのに今にも逃げ出したかった。こんな気持ちは知らない。この気持ちの正体は一体なんなのか、知りたいようでいて、知ってしまったらもう今までのままではいられない予感があった。
そう、シェルファは恐れていた。
未知であればなんだって知りたいと望むはずのシェルファが『これ』を前にすれば足踏みしてしまうのだ。
変化。変わってしまうことで今までの『関係』が良くなればいい。だが、悪化したならば? シェルファの気持ちとシロの気持ちとにズレがあったならば、自覚と共に我慢できずに踏み込んでしまったがために今の『関係』すら壊れてしまうのではないか?
忘れてはならない。シェルファとシロとでは育った環境が異なるということを。それすなわち感性に大きなズレがあるということであり、、見ている世界が異なるということであり、もって望む『関係』が違うかもしれないということを。
それならば、今のままでいい。
本当の気持ち。未知から目を逸らしてでも、このままであれば少なくともシロと共にいられるのだから。
だから。
だから。
だから。
「よお、クローン。いいや子孫と言うべきか? まあ何でもいいが、この事態に盛っているだなんて余裕だな」
不穏な空気と共に現れたその男の言葉に、我慢できずに未知に踏み込んでしまいそうになる想いを押し退ける『彼』の登場に、シェルファは安堵していた。
これで、まだ。
今のままでいられるのだから。




