第四十三話 夢、あるいは旅路の記憶
──それはいつの記憶なのか。そう、幼少の頃より夢に見てきた『それ』をジークランス=ソラリナ=スカイブルーは記憶だと認識していた。
『えいっ! お、案外抜けるものなんだねっ』
黄金に輝く選定の剣にして『ある血筋を守護する聖剣』。異界に揺蕩う超常存在が一角、すなわち女神の力の一端を引き出す出力媒体を彼女は引き抜いた。
ミリファ=スカイブルー。
夢、あるいは記憶の主が、だ。
ーーー☆ーーー
バケモノ、と蔑まれてきた少女がいた。
大陸中の生物の細胞を混在させた末に生まれた彼女の名はセルフィー。彼女は普通の生物と異なり、細胞が常に流動、変異するせいで見た目がコロコロと移ろう。
ツノや翼が生えたり、肌の色が一日の中でさえも変色するどころか鱗に覆われるのも珍しくなく、手足の数や形にも変化があるほどだった。
その日のセルフィーは下半身から八本の触手が足のように伸び、腕は硬質な殻に覆われたハサミであった。唯一変異することがない、女であることを示す顔は恐怖に歪んでいた。
バケモノ、と蔑まれてきた。
暇潰し感覚で拷問を受けてきた。
それでも今日まで生きてこれたのはかの『賢者』ですら説明不能と投げたほどの治癒系統超常のお陰であり──普通なら死ぬはずの傷でさえも治す光景がより一層嫌悪を深めていたのだが──それもこれまで。
公開処刑。
街に幽閉されていた彼女の存在を知った領主はセルフィーを気味の悪い悪魔と見なし、処刑を強行した。さしもの彼女とて、即死を癒すことはできない。
処刑の場には街中の人々が集まっていた。
バケモノの処刑というイベントに年に一回の祭りもかくやというほどに人が集まったのだ。
『せめて、痛みなく終わらせてほしいでございます。もう痛いのは……嫌ですから』
そう、処刑用の斧を持つ男に告げた瞬間であった。
ゴッガァッッッ!!!! と街中を揺るがす激震が炸裂した。斧を振り上げる男どころか、彼女を四つん這いで拘束する処刑台が木っ端微塵に弾け飛んだのだ。
そんな現実が世界に示されたその時にはセルフィーは彼女の腕の中だった。
ミリファ=スカイブルー。
彼女は黄金の剣片手に軽やかに笑う。
『なぁに言ってるんだか。そこはなんで悪いことしてないのに処刑なんだよふざけんなクソがとでも言うべきだって』
『え、あ? な、なに、なんで……???』
『かわいい女の子が無実の罪、っつーか意味不明な理由で殺されそうになっているんだもの。助けるに決まってんじゃん』
『かわっ、なにを言っているでございますか!? だって、わたくし、こんな醜いんでございますよ!? なのに、かわっ、かわいいだなんて……ッ!!』
『はっはっ。クソ「賢者」のサイケデリックなクローンに比べればどうってことないって。っつーか、そんなかわいい顔してわたしい醜いんですうってのは無理があるんじゃない? 謙遜も行き過ぎれば自慢にしかならないって知ってるー???』
『そんな、だって……本当に?』
『じゃなきゃ処刑の妨害なんかしないって。さあさ、そろそろ兵士だなんだ公的権力の犬どもとの戦争だぜベイベーっ! っつーわけでしっかり掴まっててねー!!』
『戦争って、きゃあっ!?』
迫るは領主が要する兵士の群れ。最終的には国家反逆罪だなんだが適応されて軍勢を敵に回すことになるのだが、それでも領主に一矢報いた上で国外逃亡を達するだけの力をミリファ=スカイブルーは持っていた。
ーーー☆ーーー
『自身の細胞からクローンを作ることで実験体を揃える。んっんーっ! 材料から何から全て自前で用意できるのは「賢者」たる俺様くらいよなっ! わあーっはっはあっ!!』
『うげ。相変わらずだね、「賢者」。またサイケデリックな生物増やしちゃってさ。なんだってこんなことやってるんだか』
『「馬鹿」には分からないだろうが、技術の発展には試行錯誤が必要なのだよ。それより、お前が拾ったセルフィーとやらを調べさせてくれる気にはなったか?』
『なるわけないじゃん』
『そんなこと言わずに、報酬弾むからさ。なに、ちょっと裸にして細胞の一つ一つまで観察、採取するだけだって! あ、できれば細胞変異の法則見つけるために熱や冷気、刺したり切ったり潰したり砕いたり、薬品各種で反応を見たりと刺激加えても良い──』
『良いわけないじゃんふざっけんな! セルフィーに指一本触れてみろ、そのクソ面ぶっ潰してやるからっ!!』
『けちんぼ』
『うるせーイカれ研究者!!』
それはボサボサの髪の男であった。赤黒く汚れた白衣を纏い、赤や黒が彩るサイケデリックな自己のクローンを侍らせる彼こそ『賢者』。経験則で支えられていた魔導を一種の学問と完成させ、召喚術や封印術のような自身の魔力のみで使用可能な超常を導き出した天才である。
……少々、いいやかなり変わり者ではあったが。
『まあ良い。……いつになるか分からんにしろ、セルフィーの葬式には必ず呼んでくれよ? もちろん今流行りの火葬ではなく古き良き埋葬でよろしく!!』
『縁起でもないこと言うなボケ! っつーか死体掘り返して弄り回すつもりかこんにゃろーっ!!』
『そう怒るな。俺様がこうも惹かれるなど珍しいのだから大目に見てくれよ。お前に免じて死んでからでいいと譲歩してやっているんだしさ』
『ふざけんな! 例え死んだってセルフィーには指一本触れさせないから!! 本当、もう、幼馴染みじゃなかったらぶった斬ってるところだからね!!』
『ドけちんぼ』
『あァ!? うるっせーんだよクソが!!』
ーーー☆ーーー
『おーおーこれは凄いなぁっ! 実験用に弄り回している一つ目悪魔と違って、あれだけ高度のエネルギーを秘めているとなれば囮作戦しか手段はないというのも頷ける』
『賢者』の言葉に治癒系統の超常で人々を癒してきた結果、『聖女』と呼ばれるようになったばかりかファンクラブなどというものができてしまったセルフィーは奥歯を噛み締める。
大陸中が鮮血と死に埋め尽くされていた。どこぞの領主要する街をはじめとして、国家の形すらまともに保っているのが珍しいほどに。
ゆえにこそ、兵士や騎士だけでなく農民や商人さえも寄せ集めた軍勢が最前線に立っていた。
五万の軍勢が悪魔に真っ向から立ち向かい、所定の場所まで誘導、座標固定型大規模魔導でダメージを与えて弱らせたところをミリファたち本命の少数精鋭がトドメを刺す予定であった。
命が、軽い。
七の悪魔、その一角を殺すためだけに五万もの人間を使い捨てとしようとしていた。囮として殺されるにしても、特定の座標まで誘導したにしても即座に座標固定型大規模魔導で吹き飛ばされるのだから五万もの人間は確実に死ぬ。
それを、是とした。してしまった。
だから、それでも。
『まったく、わたしに内緒で何やってんだか』
『っ!?……ミリファ、さま』
ミリファ=スカイブルーは少数精鋭と数えられていた。それでいて、作戦は聞かされていなかった。
とはいえ、だ。
泣きそうな顔をしたセルフィーと、ミリファたちを置いて軍勢が悪魔に突っ込んでいるのを見たら、大体は想像できる。
『んー? 睡眠薬でぐっすりのはずだが』
『やっぱりお前かクソ「賢者」。お陰で出遅れちゃったじゃん、もお』
『突っ込む気か?』
『まあね』
『そうしたって勝てないほどに力の差があると全員わかってるとしても? だからこそ五万もの人間が俺様たちに世界の命運を託して、その命を捨てているというのに???』
『「賢者」も知ってるはずだよ。そんなのわかるわけないじゃん。だって、わたし「馬鹿」だもん。力の差とか何とか、小難しいことなんてわかるわけないよ。ただ一つ、「敵」が目の前にいるなら粉砕するだけ。それ繰り返せば、そのうち何とかなるって』
『ミリファ……。ったく、こりゃ止めようとしたら俺様たちを薙ぎ払ってでも突っ込む、か』
『まあね。っつーわけで怪我したくなかったら邪魔しないように』
そして。
『待ってくださいでございます、ミリファさま! あの、その、力の差は歴然でございます!! だからこそ、わたくしは、だって、ミリファさまに死んでほしくなくて、だからっ!!』
『大丈夫』
ぽん、と。
大粒の涙を流すセルフィーの肩に手を置き、ミリファは笑う。いつか、どこかでそうしたように、軽やかに。
『ちゃんと生きて帰ってくるよ。だから、そんな泣かないでよ。どうせ突っ込むにしても、セルフィーに笑って見送ってもらったほうがやる気出るしさ。わたしの生存率上げるためと思って、ね?』
『ミリファ、さま』
ぐいっと。
溢れる涙を乱暴に腕で拭い、セルフィーは大きく息を吸い、吐く。
そうして、一言、搾り出す。
ボロボロの、それでいて笑顔を浮かべて。
『いって、らっしゃいでございます』
『うん、いってきます』
ブォンッ!! と。
選ばれし者の体内に収納されていた粒子が勢いよく噴き出し、ミリファの右手に集い再構築。黄金の剣となる。
『聖剣』。
血筋を守護する武具が神の力の一端を引き寄せる。
『仕方ない。ミリファ、せめて座標固定型大規模魔導をうまく使って相討ちに持ち込──』
『ん? 何他人事みたいに言ってるの? お前も突っ込むに決まってんじゃんちゃっちゃか働いてよね「賢者」!!』
『な、なに!? 待て馬鹿本当やめろこの馬鹿っ!!』
『馬鹿なのは自覚ありまーす。仕方ないじゃん、放っておけないんだからさ』
『お前の馬鹿に俺様を巻き込むなァーっ!!』
だぁんっ!!と『賢者』の首根っこを掴み、黄金の剣を手にミリファが大きく跳躍する。例え理屈では勝率を上げるための最善と分かっていても、なお、目の前で散る命を見捨てることはできないから。
どうしても、どうあっても、『馬鹿』だったから。
そうして貫き通したからこそ、ミリファ=スカイブルーは『勇者』と呼ばれるだけの偉業を達したのだ。
ーーー☆ーーー
ズン! と左右に裂かれた悪魔もどきとやらが床に倒れる。先の言葉によると宰相の死体を利用して作り上げたらしいが、そんな小難しい話はどうでもいい。
黄金の剣を元第一王子現国王は握りしめる。
そして、そうして、だ。
カツン、と。
その足音と共に彼は目の前に現れた。
仮面で顔を隠した何者か。
いいや、『彼』は、
「悪魔もどき程度では相手にならないかぁ。まあそれもまた奇術ショーを盛り上げる要素ではあるか」
「その声……弟か?」
「不本意ながらな。不出来な兄を持っていること、それこそ我唯一の欠点だろうなぁ」
声が似ているとか、誰かに操られているのではない。宰相の死体を利用した悪魔もどきが発していた言葉も含めて、全ては目の前の第二王子の意思そのものだろう。
それくらいならば、理解できる。
第二王子にとっては不本意ながら、兄なのだから。
「何をやっている?」
「奇術ショー。そう伝えたはずだけど?」
「ふざけるな! ちゃんと答えろ!!」
「だーかーらー、奇術ショーだって」
そして。
そして。
そして、だ。
スパン、と。
痛みさえなく、国王の右手首が切断された。
その手に握られていた黄金の剣が床に落ちる──ことなく、宙を舞う。真っ直ぐに第二王子のもとへと。
ばしっと黄金の剣を掴み、くつくつと第二王子は肩を揺らす。そこで、ようやく、ぶしゅう! と国王の右手首の断面から鮮血が噴き出した。
「な、ぁ!?」
「お父様は用心深かった。あの人だったならば同じ状況に放り込んでもこうして『聖剣』を呼び出すことはなかっただろうよ。くっ、はははっ!! 不出来な兄で良かったと、今日はじめて思うことができたなぁ!!」
「お、前……ッ! 『聖剣』で何をするつもりだ!?」
「忘れたかぁ? ちゃあんと伝えたはずだけど」
仮面の男は言う。
致命的な言葉を。
「大陸を死と絶望で埋め尽くす、最高にイカした奇術ショーぶちかますのが目的だってさ。はは、はははははっ!! 『聖剣』と『悪魔』、覇権大戦・ラグナロクにおける二大巨頭は我の手中となった!! これで、これでえ! 最高にイカした奇術ショーを始められるというものだぁ!!」
ズズン……ッッッ!!!! と。
王都全域を揺さぶる激震と共に血筋を軸として『聖剣』が神の力の一端を第二王子へと送り込み──その黄金の暴虐が国王ジークランス=ソラリナ=スカイブルーへと襲いかかった。




