第二十一話 家づくり、完成間際
シロは苛立ちをぶつけるように爪を振るっていた。本来であれば狩りの最中、感情に振り回されるような真似をしては自殺行為だ。それでも、わかっていても、抑えられなかった。
(アノ、バカ……。バカ、バカ! バカッ!!)
ザンゾンザザンッ!! と爪を振るう度に数メートルもの猛獣や鉄よりも硬い鱗で覆われた大蛇が輪切りにされていく。弱っている時は肉を食べれば元気になるがゆえの食料調達。元気になってほしいがゆえの行動。
(……、ハヤク、ゲンキ、ニ、ナレ、バカ)
胸が苦しい。
自己管理すらできていない弱者に対して憤るのではなく、心配していた。弱肉強食なんてカケラも関係ない。己が限界すら見えていない彼女に出会ってから何かが変わったのか。
わからない。わからないが、とにかく今はできることをやろうとシロは決意する。言語化不能な感情を気にするよりも、優先すべきことはある。
と。
その時だった。
ニオイが、あった。
瞬間、そこに踏み込まれるまで気づけなかった己の不甲斐なさにシロは歯噛みする。
いいや、これは、
(シュツゲン、シタ? イヤ、ナンデモ、イイ。ハヤク、モドラナイ、ト!!)
虚空から出現したとしか思えないニオイの噴出。その事実にシロは全力で地面を蹴る。その視線の先には──
ーーー☆ーーー
「起きたら、お説教なの」
「ワウ!? レッサー、オコッテ、イル、ノ!?」
「そりゃ怒るのっ。まったく、本当お嬢様は、まったく! 寝込んじゃうまで何やってるの、もお!!」
洞窟の外、夕日に照らされた森の中、レッサーがそう吐き捨てていた。朝起きて、荷馬車の上に倒れている主を見つけてから(素早く洞窟まで運んで、寝袋に寝せて、と行動していた時から)プンプンと頬を膨らませてお怒りモード継続中なのだ。
ある程度は仕方ないと我慢した。シェルファはそういう主なので、せめて疲労が溜まらないようにと率先して動くくらいしかできることはなかった。
だけど、だ。
今日という今日はもう黙認できない。
「……、休んでもらうの。無理矢理、力づくで、お嬢様が何を言おうが問答無用で、朝から晩までずっとずっと監視してでも、徹底的に絶対に休ませるのお!!」
「レッレッサー、ガ、プッツン、シチャッタ!?」
キキがぶるりっと背筋を震わせるほどには怒気に満ちていた。ついでに子犬たちがわっちゃわちゃっと跳ねたり、ドミノ倒しになったりと、びっくりしていた。
ちなみにシロは食料調達のために狩りに出ているのでこの場にはいない。
「トニカク! イマ、ハ、イエ、ヲ、カンセイ、サセヨウ、ヨ!! シェルファ、ヲ、ユックリ、ヤスマセル、タメニモ!!」
「むう。それじゃあたしはお嬢様のお世話に戻るから。家づくりに関してはできることないし!!」
どうやらムカムカを誰かに吐き出したかっただけだったようだ。ふんっと息を吐き、洞窟に戻ろうと踵を返すレッサー。
と。
その時であった。
ジュッドガァッッッ!!!! と。
夕日よりもさらに赤く、澱んだ、人間を丸々吞み込めるほどに太い閃光が突き抜けていった。
「…………、は?」
その閃光には直撃していないレッサーたちの肌をジリジリと焼き、ボッと熱波だけで近くの木々が爆発するように燃えるほどの熱量が秘められていた。
そんなこと、レッサーは気づいてすらいなかった。
視線の先にはほとんど形になっていて、あと数時間もすれば完成するだろう家があった。基本的な一階建て。決して公爵家の豪邸のように立派なものでなくとも、シェルファたちが頑張って形にした家がそこにあったはずだった。
見る影もなかった。
夕日よりも赤く、澱んだ閃光が真ん中から貫き、一瞬のうちに炎が燃え広がっていったのだ。
そこで終わらない。
ぐにゅり、と目の前の景色が蜃気楼のように歪んだかと思えば、その歪みから滲み出るように異形が出現する。
それは三メートルを超える巨大な球体に触手のように唸る巨大な腕と、針のように細く硬質な足を持つ生物であった。
それの皮膚は濃い紫と黒をかき混ぜたマーブル模様であり、その模様は見た人間の心を不快に刺激するものであった。
それは三メートル以上の球体正面のほとんどを一つの目玉で占めており、下のほうには幼児が雑に切ったように歪な断面の口があった。
それはシロを襲っていた何かであり、シェルファが追い払ったはずの怪物であった。
それが。
べちゃりと歪な口を、開く。
『ぎゃは。ぎゃはははっ!! 見つけた、見つけた、見ぃつけたぁっ!! 賢者の末裔、我ら悪魔を好きに使役してくれたクソッタレの血筋っ。あぁ、あぁっ、殺さないとだなぁっ! この前のように精神をぐちゃぐちゃに歪めて、殺してくれと懇願するくらい堕としてやらないと気が済まないってなぁ!!』
「なっなに、なんなの!?」
「レッサーッ!」
その先に続く言葉はなんだったのか。
キキがそれ以上言葉を紡ごうと息を吸った、その瞬間であった。
ぐわぁっん!! と視界が歪み、マーブルにかき混ぜられる。
嗅覚や聴覚さえも狂った世界で平衡感覚を掴めず、倒れてしまったことにすらキキやレッサー、子犬たちは気づいていなかっただろう。
一つ目の異形、その腕が光り、数字や文字で形作られた陣を宙に描いたと共に五感が狂わされた。そこまでは分かったが、それだけだ。狂った世界の中、異形の姿を捉えるどころか自分がどういった体勢なのかもわからない状態でできることなど何もない。
『まずは五感から』
その言葉を正確に聞くこともできなくなった少女たちに向けて、一つ目の異形は嘲るように言う。己が自己満足のために。
『徐々に深く侵食していき、最後には精神をぐちゃぐちゃに歪めてやる。ぎゃは、ぎゃははははっ!! 賢者の末裔よ、己が先祖の罪に沈むがいい!!』
そして。
そして。
そして。
「ギャーギャーうるさいんですよ、一つ目野郎」
ブォッン!! と。
レッサーたちを庇うように洞窟から出てきた少女が腕を振るい、周囲に漂う粒子を動かし、濃度差を作ることで溝を作り、陣を描く。たったそれだけでレッサーたちを蝕む症状は消失した。
魔法陣。
本来は魔力を注ぐことで異界まで接続するだけの力を注力するのだが、今この場面では必要ない。
魔力はあくまで異界まで繋げる力を注力するもの。魔法陣、すなわち溝自体に超常存在の力を誘導する効果があるのならば──レッサーたちの五感を狂わさている超常へと直接干渉したならば、その力の矛先を誘導、逸らすこともできるはずだ。
……もちろん容易いことではない。世界に溢れる力の波動やレッサーたちの症状などから超常の性質を分析、適切な陣を描くだけの腕と知識があってこそ可能な技である。
「お、嬢様……?」
超常の矛先が逸らされたことで視覚が戻ったレッサーは、見る。彼女たちを守るように立つ主の背中を。
「はい、お嬢様です。レッサー、しばらく待っていてください。あれ、今度こそ仕留めますので」
振り返らず、背中で語る。
さしものシェルファも今この瞬間、一つ目の異形から視線を逸らす余裕はなかったのか。
件の異形はといえば、巨大極まる目をぎゅるりと蠢かし、細めて、吐き捨てる。
『ぎゃは。あの時の女かぁっ! こりゃぁいい。今度こそぶち殺してやっかぁ!!』
「本当ギャーギャーうるさいヤツですね」
静かに、波がない声音ではあったが、メイドには伝わっていた。
強い感情が、そう怒りがシェルファの中に渦巻いていることが。
「人がちょっと寝ている間に舐めた真似してくれたものです。死で償う以外の未来はないと知れ、クソ野郎」
『ぎゃはっ、ぎゃははははっ!! 言うなぁ、女ぁ!!』
瞬間。
激突があった。




