第十八話 家を建てよう
「ふぁ……」
『魔沼』を拠点としてから一週間が経過していた。
その間、洞窟に寝袋や保存がきく加工食品などを持ち込んで生活環境の改善に努めていた。
それで、終わりではない。
いかに雨風が凌げるとはいえ、いつまでも洞窟暮らしでは疲労が蓄積するのは目に見えていた。現にシェルファやレッサーは慣れない洞窟暮らしで身体の節々が痛みを発しているほどなのだから。
ゆえに。
シェルファたちは家づくりに取り掛かっていた。
ザンゾンザザンッ!! と洞窟の周辺に生えている木々が切り倒される。シロが腕を振るうたびに、鋭利に伸びた爪が木々を両断しているのだ。
家の土台となる木材として使えるほどには太い木々だろうがお構いなしだった。
そんな風にバサバサ切断された木々の皮をキキが爪で剥いで、子犬たちが材木として使えるよう細かく切断していく。
そうやってできた材木へとシェルファがサイズを測り、線を引く。その線に合わせてシロやキキ、子犬たちが切断し、シェルファの指示で組み立てていく。
シェルファに家を建てた経験はない。
が、昔暇潰しに読んだ本で基本的な知識は得ており、また木組みの街に出かけた際に完成品を見ることで構造や建築方法を暴いている。
あれだけ多くのサンプルを目にしただけでも十分だというのに、事前に知識を仕入れてすらいたのだ。知識としての建築技術ならば得られるに決まっていた。
とはいえ、実際に肉体労働としてその知識を遺憾なく発揮するにはシェルファの細腕では厳しく、実際に動くのはシロたちに頼りきりとなっているのだが。
「……ふ、ぅ……」
「オイ」
「…………、」
「オイ、オマエ!」
「……、あ。シロ、どうかしましたか?」
パチパチと目を瞬き、顔を上げるシェルファ。
先ほどまで木材の前に座り込み、線を引くための筆片手にぼーっとしていたからか、シロが心配そうに声をかけていた。
強く呼びかけられないと気づけないほどに、意識が薄れていたらしい。確かに寝落ちする寸前だったので、シロに声をかけられたことで作業を中断せずに済んだと霞みがかった頭で考えるシェルファ。
「ドウカ、シタ、ハ、オレ、ノ、セリフ、ダ。ツカレテイル、ンダロ。チョット、ヤスメ」
「いえ、わたくしは、別に……」
「ウトウト、シテイタ、ダロウ、ガ! イイカラ、ヤスメ!!」
「きゃっ」
ふわり、と浮遊感と共にであった。
シロの両腕が霞んだかと思えば、その腕に抱きかかえられていた。そう、俗に言うお姫様抱っこで、だ。
「しっ、シロっ!?」
シロが足首を折った時にこうして抱きかかえたことはあったが、もちろんシェルファが抱きかかえられるのは初めてであった。
気づいた瞬間、カァッとシェルファの頬が熱くなる。弱みを見せてしまったことに何らか思うことがあったのか、動悸が激しくなっていた。
「メイド!」
「はいはいメイドさんなのどうかし……って、お嬢様大丈夫!? どこか怪我したの!?」
「い、いえ。ちょっとうとうとしていただけです」
グツグツと(街で買った)鍋を焚き火で熱し、中の水を温めていたレッサーが慌てて立ち上がり、お姫様抱っこ状態のシェルファへと詰め寄る。
今の自分の状態を誰かに見られるのは嫌なのか、さらに頬の熱や動悸が強くなる。弱みを見せるのは嫌なようだ、と火照った顔を隠すように俯く。
「メイド! コイツ、ホウッテ、オク、ト、ゼッタイ、ヤスマナイ、カラ、カンシ、シテ、オイテ!!」
「あー……お嬢様のことよく分かってるじゃん、シロ」
どことなく呆れたように呟くレッサー。
そのままレッサーの近くに座らされたシェルファへとシロは『オトナシク、ヤスンデ、イロヨ!』と念押ししてから、骨組みが終わり、外壁等へと着手している家づくりへと戻っていった。
「さあ、お嬢様、休憩の時間なのっ」
「わたくし、まだまだ余裕ですが」
「目の下にクマ刻んでおいて、何言ってやがるわけ?」
「うっ」
「日中は家づくり、みんなが寝静まってからも一人採取した『魔沼』を分析して、と無駄に張り切っているから疲れがたまるのっ! お嬢様、ちゃんと寝てるの?」
「もちろんです。気がついたら、寝ていますからね」
「それ、半ば気絶しているようなものなの、ばーっか!」
「そんなに気にするようなことではないと思うのですが」
「それ、鏡見てから言ってよ……」
「?」
確かに髪はボサボサで、目の下にはクマができていて、ちょっとふらついていて、頭がぼーっとする時が多くなってきたが──まだまだ大丈夫だとシェルファは考えていた。
限界ならば、勝手に眠りにつくのだから。
「レッサー。わたくし、大抵の事象であれば、この目で見ることで分析できます。家の作り方から魔導の構造まで、完成品から逆算して必要な情報を分析、己が知識とできるんです」
現に家づくりは問題なく進んでいる。完成品、すなわち建築物。買い物の際に意識して見てきた街並みというデータを分解、再構築。知識として得たからこそ、こうして家づくりを行うことができているのだから。
だが、
「ですが、『魔沼』を完全に分析することはできないんです。沸点が低い。今現在わかっているのはそのぐらいです。一週間かけて、それだけしかわかっていないんですよ」
「お嬢様……」
「あれを薄めて、弱めることができれば、色んなことに手が届くようになります。そうです、ああして現実に存在しているのならば、存在の軸となる法則があるはずなんです。あるのならば、分析できるはずなんです。不可能とは己が能力の限界値。魔導のような反則が平然と存在するんですから、本来限界値とはもっとずっと高く設定されていて……そのことに気づかないからこそ、この世には不可能が多く蔓延っているんです」
だから、だ。
シェルファは探求する。不可能、その限界値。公爵令嬢だった頃はその立場でもって周囲を利用して伝聞や書物という形で知識を得てきた。その立場は消失したが、代わりに自由に出歩くことができる。ゆえにこうして人が寄り付かない秘奥に足を運び、書物や伝聞からは得られない『未知の知識』へと手を伸ばしている。
それがシェルファの趣味であった。
令嬢として完成していたシェルファが趣味という形で追い求めたのは知識、その中でも『魔沼』のような特殊な法則、あるいは魔導や魔道具のような影響力の大きな力──ということは、もしかしたら無意識のうちに己ができることの幅を広げることで『何か』を打ち破りたいと願っていたから、なのかもしれない。
その想いは立場を失い、自由を手にした今でも残っている。あるいは今を守るため、自由を脅かすルールに縛られそうになった時、ルールごと捻じ曲げてしまうだけの力を欲しているから、なのかもしれない。
ゆえに、未知に手を伸ばす。
その奥に秘められしルールを打ち破る法則を己が力とするために。
シェルファに自覚はなく。
だから、こう続けた。
「わたくし、知らないものを知らないままにしておきたくないんです。『魔沼』がお金にならないとしても、探求をやめたりはしないでしょうね」
「はぁ。そう言うと思ったからそっとしておいたけど、今くらいはゆっくり休むの」
「……まあ、わたくしの趣味が原因でシロに心配かけるのは嫌ですし」
「自分のことをちょっとは気遣ってよね、お嬢様」
返事は微笑であった。笑って誤魔化す気満々の主にメイドは深いため息を返す。
その反応にむっと眉をひそめながらも、メイドは特に何も言わなかった。言わないという選択をしてくれた。
代わりのように、芳醇な香りが漂ってきた。
レッサーが沸かしたお湯を使い、紅茶を淹れていたのだ。
あくまでこれはメイドとしての必須項目なので、どこに出しても恥ずかしくない紅茶を淹れてみせていた。メイドとしては優秀なのである。
「とりあえず紅茶でも飲んで、ゆっくりするの」
「ふぁ……。そうします」
漏れた欠伸を優雅に手で押さえながらも、欠伸が漏れたことは事実。観念したシェルファは紅茶が注がれたカップを受け取る。
カップに口をつけて、黄金色に輝く紅茶の味にシェルファは懐かしさを感じていた。別に戻りたいとは思わないが、令嬢として生きていく中で紅茶を飲む機会が多かったからか。
公爵家で出されるようなお高い茶葉を使っておらずとも、腕一つで懐かしいと思わせるほどに美味しく仕上げてみせた、とも言える。
「レッサー」
「なんなの?」
「こんなわたくしですが、これからも付き合ってくれると嬉しいです」
「今更なの。あたしはとうの昔にお嬢様に一生を捧げているんだから、お嬢様が何を言おうが最後まで付き合ってやるの!!」
「……、そうですか」
自分は恵まれている、と。
胸から溢れる温かな心地に目を細める。




