15.押し殺す気持ち
自分の家が普通と違うということは、幼いころからわかっていた。
『いいか、ジーク。ハメリア家は偉大なる大賢者、グレン・ハメリアの血筋なのだ。そして、大いなる災いを招く不死竜、バルーザに唯一対抗できる血筋でもある。その誇りと我らの使命を忘れぬように』
幾度となく父から聞かされた言葉。この国には、ご先祖様が封印に成功した恐ろしい魔物がいて、百~二百年周期で復活の兆しを見せるという。
大賢者が張った堅牢な結界のなかへ入れるのは、ハメリア家の者だけだ。また、不死竜から放たれる禍々しい瘴気にも幾ばくかの耐性がある。
ゆえに、不死竜バルーザの復活が迫ったおりには、ハメリア家の者が結界のなかへ入り再び封印を行う。が、ただでさえ封印の洞窟の内部にはバルーザの瘴気が充満しており、封印の際にも禍々しい瘴気が発生するのだとか。
瘴気への耐性があるとはいえ、それはあくまで「少しのあいだなら動ける」という程度のことでしかない。そのため、封印を行ったハメリア家の者はその場で死ぬ。
自分たちが命をかけて封印を行うことで、国や国民が守られるのだ。たしかな意味と、誇りある役目だと父から何度も聞かされた。
「ジーク! もし不死竜が目覚めそうになったら、兄であるこの俺が立派に役目を果たしてみせるからな!」
幼いころ、兄さんはよく俺にそう言っていた。瞳を輝かせながら、それがハメリア家の長男として生まれた者の役目なのだと、人々を守るためにためらうことなく命を散らすのだと。
豪快に笑いながらそう公言する三つ上の兄を、幼い俺は誰よりも尊敬していた。兄さんは、俺や父さんの誇りだと、いや、クラウディアに住まうすべての人の誇りだと思っていた。
だからこそ、父さんからその話を聞いたとき、俺は自分の耳を疑った。
「ガラムは逃げた。あいつはハメリア家の恥さらしだ」
苦虫を噛み潰したような顔でそう吐き捨てた父の顔を、俺は今でもはっきりと覚えている。そう、兄は逃げたのだ。
あれほど、役目を果たすだの命を散らすだの言っていたが、いざそのときが来たら怖くなったのだろう。若くして結婚した美しい妻も、後継者である息子も捨てて、逃げた。
情けない、恥ずかしい、ろくでもない。兄が消えてからというもの、父は毎日のようにありったけの悪態をついた。
が、俺は兄さんの気持ちも少しわかる気がした。誰だって死ぬのは怖いに決まっている。兄さんの行動は、人間としてある意味当たり前の行動に思えた。
「すまん、ジーク……。本来なら長男であるガラムの役目であるのに……」
逃げた兄に代わり、不死竜を封印する役目を負った俺に父は力なくそう言った。自分がもう少し若ければ、とも。
老齢に差しかかっている父では、おそらく瘴気に耐えられないだろう。結界を越えて洞窟の内部へ入った途端に、充満している瘴気で死んでしまうおそれもある。
こうして俺は、ハメリア家の者として正式に不死竜封印の役目を託された。
初めてあの子を見たとき、とても不思議な雰囲気をまとった子だと思った。異世界から召喚されたお務め様。不死竜バルーザの封印に不可欠な魔力をその身に宿す者。
まるで黒曜石のように艶やかで美しい黒髪と、意思が強そうな瞳が印象的だった。
契約の際にした口づけに激怒したお務め様だったが、一晩眠ったら怒りは収まったらしい。改めて顔をあわせるとき、少しばかりの不安があったが、それは杞憂に終わった。
それどころか、お務め様はとんでもないことを言いだした。前日、お務め様ではなく名前で呼んでほしいと口にした彼女は、敬語もやめてくれと言った。
そして、俺からの提案もあり、彼女も俺に対し敬語を使わないことに。対等に話をするようになっただけなのに、異世界人である春香と少し距離が縮まった気がした。
一見すると可憐な少女だが、春香はその見た目にそぐわず気性が激しい一面があった。俺の頬を思いきり張ったときもそうだが、二人で訪れたカフェでは、盗みを働こうとした少年を助けようと屈強な大人の男に臆することなく向かっていった。
この国に、あのようなことをする女性はいない。春香が異世界人だからなのか、それとも彼女自身の性格なのか、それはわからない。
また、激しい気性とは裏腹に、慈愛に満ちた優しい心根の持ち主でもあった。自分の存在が少しでも役に立てればと、彼女は孤児院へ足を運んだ。
そこで俺は、驚くべき体験をすることになる。
孤児院の窓際に立った春香が、目を閉じて歌い始めたとき、正直俺は震えた。かわいらしい口から発せられた声は、天へ突き抜けるようによく通り、音の壁が押し寄せてくるかのような迫力もあった。
技術はもちろんだが、声も素晴らしい。まるで、小鳥のさえずりのように心地よく、澄んだ鈴の音のように美しい声。
心が震えた。春香が歌に込めた想い、気持ちが痛いほどに伝わり、思わず目頭が熱くなった。孤児院の院長や職員、子どもたち、誰もが春香の歌と声の虜になった。
春香には春香なりの悩みがあったようだ。孤児院へ寄付をした帰り道、立ち寄った公園で話をしていたときのことだ。
あれほど素晴らしい歌唱力と歌声をもつ彼女だが、もといた世界では評価されていなかったという。
悔しそうな、切なそうな顔でぽつぽつと言葉を紡ぐ春香を見たとき、俺は思わず彼女の頭を撫でてしまった。
それがいけなかったのかもしれないが、彼女は瞳から大粒の涙をこぼし始めた。鼻の奥にツンとした痛みが走り、胸が締めつけられるような感じもした。
俺は春香を抱きしめた。彼女が泣き止むまでずっと。肩を震わせながら嗚咽する春香は、どこにでもいる十代の女の子と変わらなかった。
彼女のいろいろな顔を目にするたびに、俺のなかで何かが揺れ動き始める。ゆっくりと少しずつ頭をもたげ始めたその感情が何なのか、わからないわけではない。
が、それを認めるわけにはいかなかった。
俺はハメリア家の者だ。大賢者、グレン・ハメリアの末裔として不死竜バルーザを封印する役目を負う者。死にゆく者だ。
俺はこの感情を認めない。そして、春香にも決して悟られるわけにはいかない。
可憐で優しく、弱いところもある彼女に、余計な負担をかけたくない。
このままでいいのだ。彼女に知られることなく、俺はひっそりと命を散らす。それでいいのだ。
だからせめて、その日が来るまでは、笑顔で歌う彼女の声を少しでも長く聴いていたい。




