新学期
二年生の前期授業が始まった。今年の僕の時間割は、月火水金が四限、木曜は午前中で終わり。水曜の一限目は去年と同じで空き時間になり、五限目がある。二年生までは共通科目と必修科目の履修が必要なので、多少専門科目や自由科目の違いがあるものの、おおむね美学学科の学生は同じような時間割になる。
今年も水曜一限は由香と一緒にまったりする時間が取れることになった。木曜は半日になるから、お昼を食べに行ってそのまま遊びに出かけることも増えそうだ。……去年以上に、コミュニケーションが増える予感がする。もしかしたら、新しい関係性が育って行くのかも?少しワクワクするような、戸惑うような、くすぐったい気持ちが…胸に広がる。
一番後ろの席から…窓際で本を読んでいる由香の姿をちらりと盗み見て、僕は薄く、微笑んだ。
「あっ、カナキュンおはよ!!ねえねえ、親睦旅行のお手伝い、いつ発表だっけ?」
「てゆっか、もし通らなくても自費で参加するんで!あたし春休み中に免許取ったの!車で行こうと思ってて!!」
新学期早々テンションが高いのは、大崎さんと川村さんだ。今年の親睦旅行にもきっちり参加するつもりらしい。先週張り出された親睦旅行運営スタッフ募集のチラシを見て、いの一番に申し込みをしてくれたんだよね。卒業式のお手伝い募集はわりと人気がなかったから、今回も大したことないかと思っていたんだけど…まさかの学生会役員募集の時と同じくらい集まっちゃってさ。さすがにお手伝いの人たちを乗せるためにバスを一台増やすというわけにもいかず、またしても抽選会を開くはめになってしまったんだよ……。
今週いっぱい募集をかけて来週バスレク企画を仕上げ、再来週決行という相変わらずの怒涛の流れで、学生会メンバーはやや焦りを感じて…、うーん、相変わらず爆食担当はガツガツと食い散らかしてるし優雅にコーヒーを飲む先輩はいるしチビッ子たちはかわいいし陽気な英会話は飛び交うしテンパる声が心配で小さな声もか弱い影も気になるな、おかしなイケメンに引っかかる色気女子も派手に涙で化粧崩れをしていたような、なんだいつも通りか……いや、腹の出たおっさんがイメチェンと称して似合わない髪形を披露していたな……、確か耳の横にあるハゲが見つかって相当焦っていた、あの人だけだな、焦ってたのは。……まあいいや。
応募してきた人の一言欄を見ていると、友達ができた今こそ行きたい、今年卒業だから遊びに行きたい、楽しめなかったから楽しみに行きたい、そういう意見が結構あってさ。中には実費を払ってもいいから行きたいという人もいたりして…学生部の方と結城先生が話し合いをしているらしい。学生会は学生たちが豊かな学生生活を送るために設けられた機関なので、要望があったら応えたいとかなんとか。やる気があるのは結構なんだけど、如何せんバスレクしかり爆食しかりで信用がいまいちできないあたりがだね。
「おはよう、今日のお昼に学生会室で選考会があるから…早くて西洋美術史の時にお知らせできると思うよ。車で行くの?通ったらバスで行くよね?」
今日は木曜。本日決定をして、靴箱に結果を入れ、金曜の朝に応募してきた皆さんが結果を知り、来週月曜から学生会室に集合して計画を練り、準備を進めて再来週本番というスケジュールが組まれている。去年はとにかく前日までバタバタしていてひどい目に合ったので、今年は少し余裕を持たせているんだけど、どうにも胸騒ぎがしてならない。なんていうか、学生会ってわりとこう、綱渡り的な部分がさ……。
しかし今までよく何も問題を起こさずやって来れたもんだよなあ、ホント。実はめちゃめちゃ運がよかったりするのかもしれないぞ……。なにかおかしな精霊とか守り神みたいなのがついていたりするんだろうか。
「うーん、迷うなあ、できればバスレクの様子も撮りたいんだよね、全員の顔が映るように!でもせっかくだし車も運転したいっていうか!」
「地味にさあ、同級生の顔知らない子たちって多いし、友達づくりにも生かせるし、記念になるっていうか、バスの中の写真欲しいよね!」
言われてみれば確かに、同級生の顔って知っておきたいような気もする。こういう意見は貴重だ。学生が何を求めていて何を思うのか、より良い思い出作りに必要な物は何か。学生会を運営している立場では見えてこないこともあるからね。
ズバズバと意見を言ってくれる頼もしさはもちろん、この二人の写真撮影能力は素晴らしいから、僕は全力で推薦するつもりなんだ。去年の写真はイマイチ枚数も少なくて、風景写真なんかもほとんど見当たらず一部でブーイングが出ていた。もっと写真係を増やすべきという話でまとまっているので、有能極まりないこの二人なら十中八九通るであろうことは明らかだ。ただ、下手に口に出して、公平性を問うような意見が学生部に投書されるようなことがあってはならないので…声を潜めて、耳元で、そっと内緒話など。
「…二人の腕前は僕よく知ってるからね、ちゃんと推薦してくるよ。」
「…マジで!ありがと!!」
「…その事実だけでテンション上がる!」
金髪とショートボブ、そして僕、三人で頭を寄せてひそひそしていると。
「おはよー!ねえ、比較美術史ってテキストどれやったかな、うち間違えてきたかも!」
「おはよ、アッキーそれ後期に使う奴だよ、私の見せてあげるから!」
秋元さんと笠寺さんがやってきた。
「おはよう、今日はたぶん一回目の講義だし、教科書は使わないんじゃない?」
「おはー、私なんか持ってきてないよ!まだロッカーに入れっぱなしだし!多分使わないよねえ?」
「おはよー、ねえねえ、アッキーと笠寺ちゃんは再来週の親睦旅行の日どうする?あたしたち行くつもりなんだけど一緒に行かない?」
川村さんはもう行くことを決めて一緒に遊園地で遊ぶ要員を集め始めている。ちなみに親睦旅行の日は他学年の学生は休校となる。
「親睦旅行?親睦旅行かあ、うちあんまり楽しめなかったんだよね。バスレクはつまんなかったし…ゲームコーナーとイベントホールで時間潰してた記憶しかないなあ。」
「アッキーは親睦旅行の時うちらとまだ仲良くなってなかったもんね、あのバス旅行ってさ、地味に友達いないと地獄って言うか。」
本来親睦旅行は入学したてで友達のいない学生が友好の輪を広げるために設けられているもので、にぎやかしい所に行って孤立する場ではない。見知らぬ同級生達と知り合って楽しく時間を過ごし、友達になり、四年間を有意義に過ごすためのきっかけを生み出すためのシステムであって…。だというのに、このご意見はどうだ。地獄のような思いをした学生が少なからずいたという事だよね……。
そういえば、学籍番号で割り振られたB車、つまり僕が乗車したバスに乗っていた人たちはみんなわりと仲がいいのに対し、A車に乗車した人たちはずいぶんよそよそしいというか、個人主義者が多いというか、垣根が高い感じがする。学校行事の参加率も、B車乗車組のほうが断然高い。なんていうんだろ、学校に来るのを楽しめている人の割合が、明らかに違う気がする。
和気藹々と授業を楽しめている人が、A車組には少ない気がするんだよ。勉強するため、単位を取るために毎日授業に出るけど、極力人と関わらないようにしているタイプの人が…ぼちぼち、いるんだよね。A車組で毎日楽しそうに集団でわいわいしているのって、わりと僕達だけというか……。
……河合先生の罪が重すぎる。何のためのバスレクなんだ、まったく。
「そうだね、まあ、うちらはカナキュン隠し撮りしたりして充実してたけどね!」
「そーそー!あのイベントホール前の写真待ちの列とかかなりウケたよね!一般人まで並んじゃってさあ!!」
「ええー?!なにそれ!うちも見たかった!」
「あ、写真残ってるよ、見る?」
「は、はは…やめてくれる?」
キーンコーン…。
「はい、新二年生の皆さん、おはようございます!」
七三分けの凛々しい先生が教卓の前にさっそうと現れた。ずいぶん若いダンディな先生だな…、少々癖のある大きな声が、一番後ろの僕たちにもよく聞こえる。マイクを使わないのか、すごいなこの広い教室で…どれだけパワフルなんだ。
「返事が聞こえんぞう!はい、おはようございまぁす!腹の底からぁ!」
≪≪≪≪≪≪おはようございます≫≫≫≫≫≫
朝一番、元気のいいあいさつが、教室内に響き渡った。……耳が痛いのは、気のせいなんかじゃなさそうだ。




