第一位
12月も半ばを過ぎ、かなり冷え込むようになってきた。いよいよ冬本番がやってきたらしい。
日に日に温度は下がり続けており、毎日最低気温の記録が塗り替えられていく。いくら山が近い地方だとはいえ、こんなにも冷え込むものなのかとかなり驚いた。僕の家のあたりは海が近いから、それなりに風が吹いて冷え込むんだけど、明らかにこの辺りの気温の方が低く感じるんだよ。…なんだい、この頬を突き刺すような冷気は。ゴムグラウンドを一周して体を温める前に、全身の血液が冷え切ってしまいそうだ。しまったなあ、カイロでも持ってくればよかった。
「ここすごく風通しいいから冷たさがダイレクトに来るね。あ、見て、芝のところに霜が降りてる。」
「ホントだ…あれ、よく見るとグラウンドの上も、キラキラしているけど…走れる?滑ったりしたら大変だよ?」
パラパラと雨が降ったのは二日ほど前の事だ。昨日は曇だったから、乾燥しきれなかった水分が冷気で氷結したんだな。太陽の光がゴムグラウンドの表面に反射して一部キラキラと輝いている。
…うん?ベンチに荷物を置こうとしたら、ここにもうっすらと霜が張っているじゃないか。指先で白くなっているベンチの背を擦ると、一筋の線が現れた。……落書きできるな、何か書いてしまおうか。
「ベンチにも霜がついてるなあ、これじゃあ座れないや。」
「荷物置いたら濡れちゃうね。今日も…走るのはやめておこうかな?」
ほっぺたの赤い由香が、輝くグラウンドを見渡しながら少し残念そうにつぶやく。今週は月曜に走ったきりだから、運動エネルギーが有り余っているに違いない。地味に由香は体力派なんだよね。
「まあ、今日はこのあと体育あるし、体は動かせるから。早めに体育館に行って、走り込むとか、どう?体育館開くまで、カフェコーナーであったかいココアでも飲んでようよ。」
体育館は8:30に開くから、軽いジョグくらいならできるはず。冷たい風が吹かない分、ここよりは凍えることもないし、いい準備運動になりそうだ。体が温まれば、さぞかし冬の寒さで固くなりがちな体も伸びる事だろう。このところ難易度を増しに増したパワーヨガで、いつも以上にばっちりポーズを決める由香の雄姿を拝むことになる展開しか予想できない。…いや、体力の有り余っている今ならば、授業前の自主的ストレッチで自衛隊スクワットとか始めかねないな。一緒にやらされる可能性大だ、これは覚悟をしておかねばなるまい。
「うん、そうだね…って、彼方、何、書いてるの…??」
おっと、由香が僕の指先に気が付いてしまったようだ。
「うん…僕の、心の、叫び?」
ベンチの背に、くっきりと浮かぶ…僕の、文字。
「ユカタンカワユスって、何!?」
「由香がかわいいって言う意味の言葉だって、森川さんが。」
はは、プンプンしているぞ、かわいいじゃないか。
「もう!!消してよ!!!」
指先で僕の文字を消しにかかる由香の顔が真っ赤になっているのは…、冷たすぎる風に吹かれたからか、それとも?
「ああ、そんなに勢いよく消したら…、ほら、冷たくなってるじゃないか。」
指先に霜のかけらが積もった由香の手を、そっと両手で包み込み、ギュウと握る。僕の手のひらの中で、冷たさが少しずつ馴染んでいくのがよくわかる。…お互いの熱が伝わり始めると、一気に温かくなるな、やはり人肌というのは、直接触れ合う事で温度を上げて、互いに熱という恵みを…あれ。
「~~~っ!!!彼方のた、タラシっ!!!」
「タラシてない。……行くよ?」
振り解かれそうになった手を…ギュっとつなぎ直した僕は、やけにじたばたしている由香を引っ張って、校舎棟へと向かった。
「あれ、何か…靴箱に入ってない?」
ずらりと並ぶ靴箱の向こう側で、由香の声がする。僕と由香は学籍番号が離れているので、靴箱が遠くてね。
「うん、なんか入ってる…なんだ、これ。」
靴箱を開けると、小さな紙袋にメモ…、これは笠寺さんにあげた絆創膏のお礼?几帳面だなあ、ああ、昨日現代デザインの授業で作ったクルミボタンのアクセサリーのおすそ分けなんだね。あとでお礼を言っておかないといけないな。麻の生地にビーズが花形にあしらってある、実にかわいらしいデザインの髪ゴム…これは良いものだ!!ありがたく使わせていただこう!!
かばんに紙袋をしまい込み、脱いだ靴を入れようと上履きに手を伸ばしたら…紙が一枚乗っていることに気が付いた。由香はこの紙の事を言っていたんだな…目を通しながら、上履きを履こうと……。
「うわ!!何これ、東洋が…一位?!35人?!」
僕は靴箱の前で、珍しく大きな声を上げてしまった。なぜなら、僕の目に飛び込んできたのは、信じがたい数字だったからだ!!!
思わず、靴を脱いだ片足を上げたままお知らせの紙に見入る……。コピー用紙に書かれていたのは、12月頭に行われたゼミ希望アンケートの結果報告。時候のあいさつに始まり、今回の調査の狙い、今回の調査結果を踏まえた上での来年度の履修計画をせよという指示、冬休み中の自主学習のすすめなどが書かれている。やけに細かいことを書いているが、そんなことよりも目が行ってしまうのは…人気ランキングという、グラフ!!まさかの数字に、目が、目が離せない!!!
「すごいね、河合先生、大喜びなんじゃない?」
上履きに履き替えた由香が、僕のところにやってきた。慌てて僕も上履きを履いて、靴を靴箱に入れる。しまった、あまりの驚きに、ぼんやりしていたところを見られてしまった。どうも僕はこういうところでカッコよく決まらないんだよなあ……。地味にこういうとき毎回あの忌々しいおっさんが絡んできてて腹立たしいというか、なんというか。
「喜ぶ?喜んだところで、あのおっさんに35人をまとめ上げる事なんか…できっこない!!!」
気恥ずかしさを払拭するべく、少々気の強い発言をしてみる。
今の五人体制でさえ、絶妙に頼りない感じなのに七倍になったら破綻するとしか思えない。あのおっさんには羽矢先生のような行動力は皆無だし、藤沢先生のような穏やかさもないんだぞ、みんな揃って留年パターンという未来しか見えてこないんだけど!
「東洋美術史35、デザイン30、西洋美術史21、芸術学19、映像学19、日本美術史18、美学11、建築学8…これ、併願の分も一緒に計上しているみたいだね、だってほら、人数がおかしいでしょ?」
「全部たして…ええと、65+40+37+19の、161?確かに多いな…。」
僕は東洋の単願で出したんだ。単願で出した人は40人くらいってことか、わりと多いんだなあ。僕のイメージでは、まだ卒論の事なんか何も考えて無くて、いろいろと学ぶために併願する人が多いんじゃないかなって思っていたんだけど。
由香は東洋と日本の併願だし、森川さんは映像と東洋、布施さんはまだ決めてないから東洋と芸術で…ちょっと待った、僕のまわり、東洋を書いた人がわりといるな。……そりゃそうだ、ぼくが東洋をおススメしたんだから。秋元さんに大崎さん、川村さんにワタサン、ヤギーにあっかりん、まゆポン、ジュンジュン、やえぞーにノンちゃん、はなまる君にふじさんにやまちゃん…17人は、全てお情けで記入しているから…実質18票獲得ってことか。…いや、由香と森川さんの一言で書いた人もいるかもしれない。
……なんていうか、この調査の、一位という栄光……、非常に、こう、やらせ臭が。地味に自分が一枚かんでいるのが不愉快だ……。
気軽に希望するゼミが決まってないなら東洋で頼むよとお願いしていたけど、ここまで成果が出てしまうと、はっきり言ってかなり、引いてしまっている僕がいる。しまった、いくら頼まれたからって、餃子を食べたからって、こんな不正するんじゃなかった。ドンドン罪悪感が沸いてくるんだけど。
そもそも、あのおっさんは、一瞬の栄光を得て、それで満足してていいのか?こんな出来レースで喜んでいるとか、わりと憐れだな。来年の今頃、派手に落ち込んでいる姿がありありと目に浮かぶ。こういうことは…よくないな。今後は絶対に手を引こう。
「日本美術史、西洋美術史、建築学、美学はまだ学んでいないから分が悪いよね。来年の調査結果はかなり変わると思う…。体験入学の時に見た西洋と建築の先生、すごく頼れる感じだったし。」
由香は体験入学でいろんなゼミの説明を受けているからなあ。僕も一回くらい見に行っておけばよかった。
来年の入学生向きに、夏休みと学園祭の後と先月、三回、体験入学があったはずなんだ。夏休みはちょうどみんなで海に行ってて行けなくって、学園祭の後と11月は土日でバイトが入って行けなかったんだよ。来年は顔を出してみようかな……、いや、来年になったら全部のゼミの先生の授業を受けてるはずだから、意味ないじゃないか。……そもそも、今回の調査はただの調査であって、別にゼミの決定ではないんだからそこまで神経質になることもないんじゃないの?なんだ、いつの間にか…おっさんの必死さにつられて自分の感情がおかしなことになってるぞ、これはまずい!
「…やっぱり指導力のある先生がいいよ。河合先生は自由度は高いかもしれないけどそれだけでしょう。しかも東洋特化だから、漠然とした芸術や美へのこだわりなんかはテーマに選べないからね。」
「そう考えると、最終的には美学か芸術学に人気が集まりそうだよね。アンコール・ワット好きな人が建築の方に行っちゃうパターンもありそうだし。河合先生、前途多難っぽいなあ……。」
まあ、一時の夢を見せてあげることができただけでも、良しとしておこう。……僕は餃子分は働いたんだ。
今後は河合先生一人の力で、東洋美術史に真剣に向き合い真摯に語る姿を見せつけ、ゼミ生誘致に努めて頂こう。




