カオス
本校舎の二階にある調理室は家庭科や栄養学の授業でも使われる教室で、申請書さえ出せば部活動やサークルの活動、ゼミの懇親行事に利用することが可能となっている。ここの大学はアットホームというか、規模が小さいこともあって、わりと教室や設備の貸し出しには寛大なんだよね。
収容人数は30人、六人掛けのコンロ・水道付きテーブルが五つと先生用の調理テーブルを完備していて、食器はもちろん冷蔵庫や調理器具一式、家電製品なども豊富に取り揃えられている。…へえ、コーヒーメーカーにクレープ焼き台、綿あめ作り機なんかもあるな。なんか学園祭の出店みたいだ。
「では、まず皆さんで手を洗いましょう。次に、班分けをします。餃子の皮を作るグループ、餡を作るグループ、ホットプレートと調理器具・食器を用意するグループです。呼ばれた人はこちらへ来てください。」
調理室の設備にも驚いたけど、それよりも楠先輩の変わりように驚いている!!カンニングペーパー?手元のノートを見ながら説明をする様子は、ヘタレのかけらも見えず、むしろテキパキとしていて非常にこう、頼りがいのある感じなんですけど?!
「楠先輩がこええだよwww何あの変わりよう、完璧すぐるwww」
「朝の自己紹介の時もこんな感じだったよね。まんもすに着いた途端に雰囲気が変わったけど……。」
「いや、普段はまんもすにいる時みたいな感じであって、こっちの方が異例というか。」
あの胸に抱えているノートは、もしや楠先輩の本体だったりするんじゃあるまいか。あれを抱えている間は人間として活動できる的な……。
「皮を作るのは、森川さんと荒川さんでお願いします。八時半から日本美術史の藤沢教授が合流しますので、それまでに生地を完成させていただけると助かります。これ、作り方のレシピです、よろしくお願いします!」
「はーい、よろしくね!あのね、藤沢先生は菊練りのプロなんだよ、すっごくおいしいもちもちの生地が……」
「おおマジすかwww焼物テクニックで焼き物とかwww」
なに、意外とこう、部外者的な参加者も多いのかな?日本美術史の授業は二年生からだから、まだ面識のない先生との邂逅になる。……ちょっと楽しみだ。菊練りができるという事は、窯業経験がある?器とか詳しい教授に違いない。由香は古伊万里に詳しいから、盛り上がれるんじゃないかな。なんだ、地味に羨ましい展開だぞ。
「餡を作るのは、ゆゆかちゃ、ええとーミ、三浦さんと、望月さん、河合先生でお願いします。作り方のレシピはこちらで
「レシピは俺の中にある!!本場で何年練ってきたと思ってる!!俺はなあ、餃子のプロだぞ!!」
「たかだか一年の留学で何言ってんの!!しかも前期の時塩と砂糖間違えたじゃん!!!」
「よ、よろしくお願い、しますね?!」
由香が面食らってるじゃないか。大丈夫なのか。
「ホットプレートと調理器具・食器を用意するグループは、石橋さんと里見さん、私になります。レシピはないので、担当を分けます。石橋さんと里見さんはこの紙にまとめてある食器を用意してください。集めたら、食器を洗剤で洗ってこの布巾で拭いてください。私はホットプレートの用意をしますので、わからないことがあったら聞いてくださいね。よろしくお願いします。」
「……じゃあ、石橋…さん?君?よろしく。」
「はは、どっちでも大丈夫ですよ。よろしくお願いします。」
穏やかな雰囲気の中、東洋美術史懇親会はスタートしたのだった。
「菊練りはね、もみじねりと言って、空気の粒を抜くための練り方でね。上手に練ると、空気のはじける音がするんだよ。」
「うわー!すごい!!キレイすぐるwww」
「あの、やってみてもいいですか!!」
食器類をきれいに用意し、ホットプレートも準備完了、餃子の餡も完成したので、全員で皮作りのグループの様子を見学中。
ただいまテーブルの中心で大活躍中なのは、日本美術史の教授、藤沢先生だ。ずいぶん落ち着いた感じの、物腰のやわらかそうな穏やかな先生だな、どうだろう、芸術学の菱川教授よりは…お若い感じか。多分高齢な先生群に所属しているとは思うんだけど、所々に若々しさを感じる。そうだなあ、違うゼミの懇親会に顔を出すくらいだから、おそらく賑やかな所に顔を出したい、人懐こいタイプの人物に違いない。今も由香や森川さんに嬉々として菊練りを伝授している。
…僕は、先ほど早々にチャレンジさせていただいたものの、なんていうんだろう、手の平がさ、菊練り向きじゃないっていうか。土じゃない小麦粉じゃ、僕の技術は発揮できなかったというか。まあ、人には向き不向きというものが、あってだね。
「そろそろ生地完成するぞ!!カットして分けるから、皮こしらえ班用意!!俺包む係ね!!」
生地が完成したら、小さく切り分けて丸い皮を作っていくんだって……。ちょっと僕は手先の器用さに自信がないので、若干、いや、かなり…不安があったりするわけだけれども。まあ、料理の得意な人が多そうだし、なんとかなるか。
「皮を作りながら、餡を包んでいくグループも並行します。皮用の麺棒が四本しかないので、順番に交代しましょう。廊下側の席四席が皮を作るグループで、窓側の席四席が餡を包むグループにします。できた皮を包むグループに持って行く係を、どなたかにお願いしたいのですが誰かいませんか。」
「じゃあ、僕立候補します。」
「では、い、しばしく、さん、よろしくお願いします。では、皆さん作業の続きをお願いします!」
進行役を実に快調にこなしてゆく楠先輩…、さっき食器を戻しに行くときに、テーブルの上に置きっ放しになっていたノートをのぞいてみたら、ぜんぶ台詞が書き込まれていて、地味にびっくりしてしまった。なんていうんだ、台本?を用意したら、完璧に読み上げることができるタイプらしい。朝方由香とあいさつした時に、完璧に話せていたのはおそらく…挨拶定型文を、暗記してきていたからなんだろうな。ある意味すごいぞ、ものすごい才能なんじゃないの。時折つまるのはおそらく空白になっている部分で、用意されていない文字を読みあげることは不得意な模様。わりと不憫だ……。
「あたしはね、アンコール遺跡群を研究してるの。レリーフの物語を追ってるんだけどね……。」
「うおお、マジすかww乳海撹拌とか知ってたりする?あたしわりかし天地創世とか好きなんすwww」
「は、はわわ、アンコール・ワットの浮き彫りの連続性、いい、良いですよねええええ?!」
「場面で見るか、物語としてみるかで解釈も違ってくるんだよ!俺はさあ、神々やアスラ、動物、人物の細かい動きや表情見るのが好きなんだけど!!」
「繊細だよねえ、縁取りのあたりの几帳面さは日本美術にも通じるものがあって、僕も好きだよ。二回くらい見に行ったもん。」
「いいなあ、私も本場に行ってみたい!なんか本格的な占いしてもらいたいっていうか!!」
「あ、去年体験入学でやってた宿曜占いですか?」
「ヒャアああ、きょね、去年来ました?わた、私もやったです、ハイ、あとでやります?!」
「え、出来るなら占ってもらいたいwww」
「……去年のプログラムが確か残ってたはずだけど。」
「あ、わりーわりー、初期化しちゃった!!」
「ああ、私占えるよ!あとでやってあげるね!!毎日研究してるもん、ここで!」
「なに、占いって東洋美術史に入るのwww」
「占いの中に東洋美術があるんじゃなくて、東洋美術の中に占いがある感じだな!」
「わりといったもん勝ちのとこあるからねえ。」
「私は占いが好きで、最近はやりの28宿極めたくって、東洋美術史とこじつけたの。今はね、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象を集めてるんだよ。」
「平城京、平安京は四神相応の都ってね。日本と中国では解釈に違いがあるんだよ。山川道澤説知ってる?」
「霊的防御装置的なやーつ、キタ――(゜∀゜)――!!」
「ちょ、真面目な奴なんだぞ!!」
「……私は四神と五神の違いが気になるかな、黄竜や麒麟の存在とか。」
「西洋ではミカエル・ガブリエル・ラファエル・ウリエルのいわゆる四大天使がいますよね。」
……すごいなあ、ゼミの懇親会って、こんなにも騒がしいものだったのか。わりと口をはさむ隙が無いぞ。次から次へと話がつながって、しかも結構専門的な話も混じってるから付いて行くのに必死じゃないか。いや、むしろ、ついていけていない部分の方が多い。餃子の皮を伸ばしながら、餃子の餡を包みながら、話していい内容じゃない気が、する。
自分では東洋美術史の知識がある方だと思っていたけど、まだまだじゃないか……。森川さんと由香の方が、めちゃめちゃ楽しめているような気がしないでもない。こんなんでちゃんと卒論とか書けるようになるんだろうか……なんだかこう、不安が増してきたぞ……。
「……石橋君、ちょっと引いてる?」
余りの盛り上がりに圧倒され一言も話せない僕を見て、餃子を包んでいる里見先輩が声をかけてくれた。手際よくいびつな形の皮に餡を乗せてしっかり包んでいる、手元を見ずにだ…これはすごい。
「引いてるというか、正直ついていけてないですね。僕は東洋美術史の作品を見るのは好きだけど、あまり……専門知識がなくて。」
「……ああ…大丈夫だよ、私も、そんなもんだし。」
手早い作業に、皮の方が足りなくなっている…慌てて仕上がったばかりの皮を餡包みグループの前に盛る…なんかものすごい形の皮があるぞ。あ、河合先生が持ってっておかしな形に包んだ。このおっさん、腕に自慢があるだけあってさ、さっきから普通の餃子に飾り餃子って言うのかな?見たこともないような包み方をしては、由香と森川さんを驚かせていてだね。
「……私、東洋美術史の雰囲気が好きでここに入って、今は気になる出土品をまとめてるけど……何のテーマで卒論書くかは決めてないし。」
…里見先輩、結構つっけんどんで言葉が少なくて、一見塩対応に見えるけど……優しい、気がする。
「出土品だったら、日本にもいっぱいあるよ!ゼミの最終決定は来年だから、もし興味があるなら僕の方に来てもらってもいいけどね。」
「ちょ!!!藤沢先生、そりゃないよ!!貴重なゼミ生!!もう餃子の会呼んであげないんだからね?!ただでさえ弱小なのに!!!先生のとこは20人越えなんだから、取っちゃダメ!!」
「逆に20人いたら指導してもらえなさそう、そこんとこどうなんですwww」
「三年生はね、ゼミを併願…二つまで取れるから、四年になったら多少人数は少なくなるんだよ。」
「東洋は全員単願だから、こんなに少ないんだよ!まさか併願ゼロとは……うくく……。」
「美学は30人いるし、かなり大変みたい。卒論の進行具合の面談の予約が取れなくなりそうってゼミの子が泣いてたもん。」
「うちは週に二回、個人面談組んでるよ。だって第一期生じゃない、卒論の不備を出したくないもんねえ。」
「うちはその点いつでもどこでも自由自在に好き勝手出来るから!!お前らマジで恵まれてるんだからな?!絶対にゼミ変更しちゃダメ!!!」
「建築学の宮崎先生は厳しいけどマンツーマンで研究してくれるって話だよ。」
「卒業制作できるのが…芸術学と映像学だけだったかな?僕個人としては、ものすごい手びねりの器を作ってきたらそれでオッケー出してあげたいんだけどねえ。」
「……デザインは短大の服飾とか取らないとダメだったはず。」
「あ、そっか、専門分野をきちんと取らないと選べないゼミもあるんですね。気を付けないと。」
「は、はひ、み、皆さま、皆さんっ!!宴もたけなわとなって参りました、そろそろ餃子を焼いて行こうと思います。こちらにホットプレートが用意してありますので、出来た餃子を並べていきましょう。火の加減は私がやりますのでご安心ください。」
「ねーね―どれから焼いていくのwww上手にできたやつだけ乗せてってもいいwww」
「どれもぜんぶ同じだよ!」
「あ、開放タイプは混ぜない方がいい!焦げやすくなるから、こっちのホットプレートにまとめよう。」
「河合先生!粉だらけの手でホットプレート触らないでくださいよ!」
なんかもう…カオスだな……。すごくためになる話を聞けてありがたい半面、混乱もすごいというか。……あとで森川さんと由香三人で今日のまとめ反省会をやろう、うん。
僕はげっそりしながら、ホットプレートのふたに手をのばしたのであった。




