お誘い
11月に入って、ずいぶん冷え込むようになってきた。先月まで汗をかきかき移動をしていたのが…嘘のようだ。冷たい風を受けて、少し頬が強張っている気がする。先週、由香と一緒に行ったショッピングで購入した秋冬物のファー付きコートの首元に手をやり…ほのかな温かさを得るために、首をすくめてみたり。
「なんか急に寒くなってきたね。今年の冬はちょっと早く来るのかも……いつもより傘ヶ山の紅葉が早い気がする。」
ゴムグラウンドの向こうに広がる、華やかな山の景色を見て由香がつぶやく。その頬は…冷たい風を受けているからか、いつもより少しだけ色味が足りないような。これからグラウンドを二週走るから、もうじきにいつもの、はつらつとしたピンク色になると思うんだけど。
「朝と夜の寒暖差が激しくなると、紅葉が進むんだったっけ?僕の家のあたりは、ここまで色鮮やかじゃないんだけどな。」
この場所には、明らかに自分の住む街との温度差を感じる。県をまたぎ80キロ離れた位置にある実家付近では、まだそんなに紅葉を見かけない。遠くの山のてっぺんが白くなっている様子だって、海辺の町にいたら見ることができない景色なんだ。そもそも、遠くに山なんてないし……。
「確か去年は…まだこんなに色づいてなかったと思うの。体験入学の時に写真撮ったから、間違いないよ、……ほら。」
由香が差し出したスマホをのぞくと、緑色の山々が写った画像が。コマ割りされた画像の並ぶ画面には、昨年度の大学構内の様子がわかる景色が何枚もある。
「体験入学、行ったんだね。僕はインフルエンザで参加できなくって…へえ、これは河合先生だね。あれ、これは羽矢先生じゃないか。」
申し込んだものの、二日前から寝込んでしまっていくことができなかったんだよね。進路指導の先生からなんとなくここへの進学をすすめられて、あまりピンとこなかった僕は……この目で美学というものの実態を見てから決断しようと思っていたのだ。
予想外の展開にずいぶん落胆して、解熱後2日間の待機期間中大学のHPに隅から隅まで目を通すことになって、そこでゼミのトピックスを見つけて、東洋美術史に興味を持って……。
「そうそう、河合先生は28宿占いやっててね、すごく人気だったんだよ。私は時間なくって見てもらえなかったけどね。」
ああ…東洋易学ってことで引っ張ってきたのかな?去年は四神を題材にしたアニメが大ヒットしてて、東洋美術が実に活気にあふれていたからなあ。
……もし僕が体験入学に行っていたら、おそらく東洋美術に良いイメージが持てなかったに違いない。流行りものに乗っかって人気を集めようとするチャラい学問だという先入観がついてしまって、興味を持てなかった可能性の方が高い。なんていうか、人生のターニングポイントって、こういうところあるよね。あの時、インフルエンザになって、よかった……。
「じゃあ、今度一緒に占ってもらう?きっと僕たちの相性は抜群だと思うよ。」
「はいはい、そうですねっ!!もう!!」
あれ、まだ走ってないのに、ほっぺが赤くなってきたぞ。勢いよくトートバッグをベンチに置いてゴムグラウンドへ駆け出した由香を、僕も、慌てて追いかけた。
「なーんかさあ、学生会も行事ないと間延びするなwww新人連合軍も落ち着いちゃったしwww」
「緊張してガチガチよりずっといいよ。忙しすぎても問題が多すぎてもストレスたまるし、今ぐらいの息抜きも必要なんじゃないかい。紅葉でも愛でて、わびさびを感じながら穏やかに過ごそうよ。」
昼休み、いつもの様に森川さんと共に学生会室に向かう僕の目には、夥しい量の赤い葉っぱや茶色くなった葉っぱが映る。学内清掃のおじさんがほうきでのんびりと掃いている端から、どんどんひらひらと落ちてきて、はっきり言ってキリがない。葉っぱの落ちてしまった木々が並ぶ本校舎横の芝生コーナーには、集められた落ち葉が山のようになっていて……すごいなあ、焼き芋大会でもしたらいいのに。
「おつー!!すごいね、あの落ち葉の山!!焼き芋大会したらいいと思わない!!」
後ろから風圧が飛んできたと思ったら、学生会追加メンバーの東浦先輩だった。両手には大きなトートバッグ、今日のお昼は何が飛び出す事やら。昨日は高級食パンが一本と蜂蜜、マーガリン、ジャム各種にコーンスープという洋食固め、その前は確か七色つけ麺だったな。醤油味、ゴマダレ、塩レモン、豚骨、あご出汁、カレー、キムチというつけダレを持ち込んでの麵五玉完食には恐れ入ったんだ。肉弾女子加入後の学生会室のテーブルは、非常にこう、賑やかしいというか、目が離せないというか、見るだけでおなかがいっぱいになるというか。
「いいねえwwwじゃがいも焼きたいな、ニンニクもうまそうwww」
「や、やややや焼き芋はですね、実はとってもそのう―!焼くのが難しく―!!!しかも今は火災法でなかなか許可も下りずにですね、ええとー!!!」
テンパった声がするので振り向いたら、カントリーファッションに身を包んだ楠先輩だった。手に持つかごバッグがまた、マドラスチェックのエプロンワンピースによくマッチしていて…髪留めはハンドメイドのウッドビーズバレッタ、すごいなあ、抜群のセンスだ。美学の先輩の底力を思い知るというか。
「楠先輩は博識ですね。今日のバレッタは新作?ハートのウッドビーズが素敵…あ、ウッドボタンとお揃いなんだ、これも手作りですか?」
「ひ、ひいイイイイイ!!!アアアアアアありがと、うん、先週けず、削てええええ!!!」
「すげえな、通常攻撃なのにクリティカルヒットしてる感ハンパねえーwww」
「そのボタンクッキーみたいでかわいい!!そうだ、今日クッキー焼こ!!!」
四人そろって学生会室の前に立ったあたりで、ドタバタと足音が聞こえてきた。
「あああ!!ごめんごめん、今開ける、今開けるから!!!」
ガチャガチャと鍵を開ける三上先輩の後に付いて行くと、いつの間にか柴本さんがいた。新加入から一か月たったというのに、まだほとんど声を聞いた事がなくって……どうしたものかと、考えあぐねているところだったりするんだよね。何かこう、はっちゃけるような何かがあれば、いいきっかけになると思うんだけど、うーん……。
「Hi!ちゃお!!今日はすごい情報仕入れたよ!!佐藤さんね、今入院してるんだって!Oh, poor thing! 手紙書く?」
「ええ?!それは大変!ちょっとみんなで相談しよう!!」
会議机にエビドリア定食のトレイを置いて椅子に腰かけたところで、口にチョコバーを咥えながら現れたのは宮森さん…ティアだ。この人、めちゃめちゃ背が高いけど、お昼はいつもお菓子なんだよね。アメリカ製のお菓子には、カルシウムやプロテインでも入っているんじゃあるまいか。ティアはさ、宮森さんって呼ぶと機嫌が悪くなっちゃうんだ。僕はどちらかというと、名字で誰かを呼びたいタイプだったりするから、少々面食らっている部分もあったりしないでもなかったり。
「おぃーっす!おわー!なにこれ、もしかして昨日オープンしたクリスプクリームクロワッサン?!グぬぬ、俺昨日行ったら品切れだったのに!!!」
「そこはきっちり予約でしょう、まだまだ甘いですね!!これめっちゃ甘くておいしいですよ!!一個づつしか買ってないから、あげませんよ!!」
肉弾女子の抱える箱をのぞき込む爆食図書館司書の手には……牛丼屋のレジ袋が二つ!!四つもお弁当食べるとか、正気の沙汰じゃない…って菓子パンまである!!どうも食欲魔人が増えたことで、相乗効果が凄まじいらしく、この所目に見えて重量が増しているおっさんが……
「ウイーっす、お、楠君ね、後期の餃子パーティー、来週水曜になったから!買い出し頼める?」
どすどすとやってきた河合先生のトレイには、カルボナーラうどんとおにぎりが二つ、ケーキが三つ乗っている。炭水化物だらけの実にバランスの悪い食事、己の体の醜さを顧みないものというのは、こうまでも欲望に真っ直ぐ向き合えるものなのか。明らかに一回り大きくなっている、食欲の秋おそるべしだ。
「ひゃいっ?!す、水曜でしゅか、ええとーはい、頑張るのでそのうー!!!でもー、やっぱり私なんかにできそうもないっていうか、無理かも、ごめんなさい……!!!」
かわいらしい手作りのお弁当を食べていた手を止め、机の上にガツンと頭をぶつけて謝り倒している女子が!!!ちょっと待って、こんなおっさんになんでそこまで頭を下げてるの?!いくらなんでも気弱すぎやしないかい。ドン引きしつつも、落ち着いてドリアをひとすくい…ああ、美味しい……!
「……イケメンさあ、三年になったら東洋のゼミ取るんだろ?よかったら見学来ない?ただの懇親会なんだけど。水曜一限あいてたよね!!」
願ってもない話ではあるけれど、なんだか都合よくつかわれそうな予感がめちゃめちゃするぞ……。ものすご―――く、気持ちの悪い笑顔でこっちを見るんじゃ…ない!!!
「懇親会?」
「コミュニケーションをとるために、前期と後期で一回づつ餃子パーティーをやってんだよ。で、その買い出しじゃんけんでさ、楠君負けちゃって。誘ってあげるから、手伝ってあげて!!」
案の定のこういう展開という訳か。楠先輩を手伝うのは、まあいいけど……河合先生の思惑にばっちり乗るのが少々いけ好かない。というか、上から目線なのがめちゃめちゃ腹立たしいんですけど。
「なにそれwww餃子作るの?だったら私も行きたいな、ダメ?」
「東洋美術史に興味があるって顔してたらいいぞ!」
それはいったいどんな顔なんだ。脂ぎった黒ぶちメガネのうさん臭い顔じゃないだろうね……。
「じゃあ、でこに饕餮紋描いて行こwww」
「はわ?!トウテツ?!もしや青銅器時代ファン?!ええとー、ももも森川さんへあ、あがが、わた、わたわた!!」
「なんだ、森川嬢も東洋好きなのか!!よし、再来年のゼミ生ゲットだぜ!くー、狭い部屋から解放まであと8人!!!」
この大学は、ゼミ生の数で研究室の広さが決まるシステムになっているらしいんだよね。一番人気の美学のゼミは30人いるというのに、今年のワーストワンの東洋美術史のゼミは4人しかいない。10人超えないと、10畳の部屋がもらえないんだってさ……。
そのせいでせせこましい研究室に閉じ込められているのだと、決して自分の功績が認められていないから大きな部屋をもらえていないわけではないと、声を大にして熱弁を振るっていた見苦しい大人がいた、いた。
「うーん、由香も誘っていいですか?いつも水曜は、二人で過ごしてるんで。」
「なんだ?!お前は人のゼミに来てまで嫁自慢をするつもりなのか!!」
「あーwwいいよ、私がユカユカのほっぺたに雷文描いてあげるからwww」
「はう、らいもん?!自然界の驚異の象徴!!!わた、私にもかかかか描いて欲しい、お、おねが……!!!」
「ごめんごめん、遅くなっちゃった。」
「ハヤッチのとこ行ったら捕まっちゃってー!これ奥さんからの差し入れだって―!!お稲荷さん!!」
「うわ!!!めっちゃおいしそう!!いただきまーす!!!」
「やふー!!きつねだ!!!ゴチソーサマー!!!!」
「ちょ!!二個食いしちゃダメ!!俺の分無くなっちゃうじゃん!!!」
「……。」
騒がしいなあ、もう……。しゃべってない人もいるけどさあ。
僕は呆れながら、残しておいた大ぶりのえびを口に放り込んだ。




