もう!
金曜日の一時間目、体育の授業。
「けっこうレベル高いポーズ多くて大変だから、柔軟しておこうかな?」
「ヨガ自体が柔軟みたいなもんじゃないのwww」
「準備運動は大事だと思うよ!いきなり伸ばして筋断裂しちゃうこともありそうじゃない?私も試合前にはさあ、きっちり伸ばしてて……」
先週一人寂しく不器用にパワーヨガをやっていた僕の横には、フワフワの髪をゴムでひとまとめにしながら胡坐をかきつつ談笑している…由香がいる。ちなみに、由香の前には布施さん、僕の前には森川さんが陣取っていたり。三人そろってヨガマットの上で準備運動を始めた様子を微笑ましい気持ちでながめつつ…、僕はのんびりと、授業開始までの時間を待っていることにしようかな。今、この場所で、己の体の固さを堂々と披露するつもりは、ない。
「僕、パワーヨガを舐めてたよ。まさかこんなにきついとは思いもしなかった。」
体育館の隅っこで一人…苦悶の表情を浮かべつつ拷問としか思えない90分間を過ごした事は、実に記憶に新しい。静と動のメリハリのきいたダイナミックなポーズが次々と出て来てさ、女性らしい柔軟な体を持っていない僕はついて行くのも難しくてだね!!! 手と足がこんがらがってわけがわからなくなっちゃって…途中であきらめて体育座りをする羽目になってしまったんだ。それを見た体育教師のツッコミが激しいのなんのって……。
「諦めないのがコツだね!カナキュンはさあ、完璧を求めすぎてるんじゃない?多少違っててもヘーキヘーキ!」
「フーさんは先生のアドバイス聞いた方がいいと思うwww足をクロスって言ってんのに手をクロスしてて大ウケwww」
ラクロスで強引なプレイを得意とする、切り込み隊長のアドバイスが実にらしいというか、なんというか。布施さんが近くにいたら、多少おかしなポーズを決めても目立たなそうだ。・・・今日は大胆に動いてみようかな。先週はさ、気落ちしてた部分もあって、非常にこう、消極的過ぎたというか。
「息を吐きながら、体をほぐすようにやっていくといいんだよ。」
肩のストレッチをしながら、ヨガ経験者である由香が的確なアドバイスをくださったぞ。なんでも毎晩寝る前に、瞑想を兼ねて四つ五つポーズを取っているんだそうで、曰く三年前までは前屈で指の先しかつかないくらい体が固かったんだけど、今は……すごいな、おでこが膝にくっついてるぞ、どうなっているんだい。
「由香に頑張ってって言われたら…限界を超えて頑張っちゃいそうだよ。動けなくなったら、責任取って僕のこと優しく抱き起こしてね?」
「じゃあがんばんなくてもいいよ!!もう!!!」
今日も由香は絶好調らしい。ちょっぴりピンク色になった耳たぶとほっぺが、実にかわいらしいじゃないか。尖らせた唇のピンクパールと…絶妙にマッチしている。
「カナキュン、懲りないね……。」
「ある意味鉄の心臓だwwwすげえな、この感動を魂に刻んでおこうwww」
茶化す声はまあ、さておき。由香のツンデレが日に日に露わになって…いい感じに気の強さが周りに浸透していっている。言葉をつまらせずに返事を返すところからスタートして、そのうちツッコミを入れるようになり、今ではきっちり……怒ったり呆れたりするようになっているんだよ。
昨日の帰りなんか、焼き芋ソフトを食べに行こうって誘ったら、僕の方もなんていうのか、ゾーンに入っちゃったというか、…おかしなナンパ合戦みたいになっちゃってさ。僕もいろいろとたまっちゃってたんだろうね、完全に羽目を外してしまって…、うん、完全に調子に乗ってしまっていたんだな。
―――もう!!!!しつこいのよっ!!
四時間目の授業が終わって学生たちが一斉に靴箱に向かう時間帯、混みあう廊下に、由香の怒りの声が響いちゃってさ。ざわついている靴箱周辺がしんと静まり返って…一瞬、こちらが固まってしまった。わりと人というものは、誰かの感情が高ぶった声?に反応するんだなあって、びっくりしたというか。
―――あーあ、ヒステリーこわ!!
―――更年期なんじゃない?
しんと静まり返った靴箱から、大袈裟な声が聞こえて来てさ。一瞬間をおいて、くすくすという笑い声が聞こえ始め、靴箱の向こう側に顔を見せたのは…桜井さんと、その友達。
―――ちょっと!!
一歩、踏み出した、由香の手をギュッとつかんで、少しつり上がった目を、しっかり見つめつつ、にっこり微笑んで。
―――心と体のバランスが崩れてるのかも?一緒に暖かい物でも飲んで、気を落ち着かせたら、またいつものかわいい由香に戻れるね。さ、行くよ…、森川さんも。
―――……キャアアアアア!!!
女子大ってさ、なんていうか、当たり前なんだけど、女子ばっかりなんだよね。あきれ返って絶句する男子がいないだけで、こうも、騒がしいことになるのかなってね?!靴箱周りで、こちらを伺っていた学生たちのざわめきといったら!
あちらこちらであがる歓声?に恐れをなしてか、由香が怒りを向けた、騒ぎを起こすきっかけとなった張本人たちはそそくさと自主的に退場してしまったわけだけれども。手を繋いでカフェテリアに向かう僕と由香をまじまじと見つめる女子、女子、女子、女子……!そしてその後ろを、へらへらと笑いながらついてくる森川さん。
なかなかのカオスでさ、僕たちがココアを飲み終わって靴箱に戻った時も、まだ何人かが噂をしていて。それを見た由香が顔を赤くするものだから、また、ついからかいたくなっちゃって。コンビニにつくまでずっと由香がプンプンしてて大変だったんだ。ソフトクリーム食べてあっという間にご機嫌に戻ったけど。
『はい、それではパワーヨガはじめまーす!』
元気はつらつでレオタードに身を包んだ体育指導の先生がやってきて、一段高くなっているステージにヨガマットを広げている。……ああ、いよいよ授業が始まってしまうというのか。僕は、覚悟を決め、丸めていた背中を、シャンと伸ばした。
『石橋くーん、かたいかたい!!!もっとエレガンスに手足を伸ばして!!』
……くっ!
なんかさあ、僕、この体育教師に目つけられてない?!人が必死になって固い、固すぎる体をひねっているのに、容赦なく飛んでくるダメ出し!…ちなみに、この体育の先生は、ラクロス部の担当教諭だったり。布施さんの横にいると、どうもついでに認識されやすいというか、覚えられがちというか。僕の気のせい?
『布施さん、それは右足!右手はお茶碗もつ方ね!』
「せんせー!私左利きなんだけど!」
明らかに一人だけおかしなポーズを決めている布施さんも、きっちり名指しで指導をされている。よし、この隙にワンテンポ遅れがちなポーズをとるぞ…って、おかしいな、なんで右手が交差できないんだ、僕の手はもしや他の人たちと違って短いとでも?!
「彼方、もうちょっと右足前に伸ばすとバランスよくなるよ。」
「そ、そう?」
由香の適切なアドバイスのおかげで、一度も体育座りをする事はないんだけども。…なんと言うか、疲労困憊だ。ヤバいなあ、毎週金曜日が苦難の曜日認定されそうだ……!
『はい!そのままの姿勢をキープして、深―く息を吐きまーす!一、二、三、四……!』
挫けそうになりながら、足の間に手を通し、あり得ない角度で両手を合わせて…一刻も早くこの苦行が終わることを神に祈りつつ、深く息を吐き!!!
「もう来週から見学しようかな……。」
地獄の90分が終わり、更衣室で思わず弱音を吐いてしまった僕を誰が責められよう。ロッカー横の姿見に映る自分の頭には、なんとも情けないアホ毛の塊が二つ三つ…、ちょっと待って、これは由々しき事態だ!慌てて髪を撫でつける。
「石橋君がヘタレてるwwwイケメンもこうなっちゃ見る影もございませんなwww」
「カナキュン、柔軟くらいやった方がいいよ…このままじゃ華麗なエスコートとかできなくなるよ?足元に落ちたハンカチ拾うのにがに股とか…カッコ悪い!」
ちんまりとヨガのポーズを決めていた森川さんの言葉はまあ、良い。おかしな異教徒の儀式みたいになっていた布施さんには言われたくないぞ!少々口元に不満感を醸し出しつつ、ちらりと髪を梳く由香に目を向ける。
「まずいなあ、カッコ悪い所見せたら、由香に見捨てられちゃう。・・・毎日酢でも飲もうかな?」
「カッコ悪くても見捨てたりしないよ!!もう!!!」
プンプンしながらも、跳ねる僕の髪にヘアムースを乗せてくれる由香。面倒見の良さが光る…う、もうちょっと優しくなでつけて頂けたら、もっと嬉しいんだけど。照れ隠し?些か衝撃が首に来るような…気のせいだな、うん。
「運動した後におなかいっぱいになるとかどうなの……。」
「ごちそうさまが過ぎるwww胸焼けしてきたwww」
「じゃあ、今日の日替わり定食のフライデー盛りセットは僕がいただこうかな!」
フライデー盛りセットというのは、月に一度、金曜日限定で学食に並ぶスペシャルメニュー。ミックスフライ定食にフライドチキンがプラスされてお値段据え置き、なかなか食べられない代物なんだ。
「今日フライデーの日?!ヤバ、お腹すかせとこ!」
「ふーちゃんダイエットし始めたって話は?!」
「明日から、明日から!」
「もう!ダメじゃない!三日坊主にもなってない!」
……はは、怒られてる布施さんもずいぶん楽しそうだ。
騒がしく着替えを済ませた僕たちは、少々時間に追われつつ、二時間目の授業の行われる教室へと急いだのであった。




