放逐
学生会室を後にし、学食に食器を返しに来た僕は少々困惑していた。
調子に乗って、食べすぎた……!!おなかがちょっときついのは、気のせいなんかじゃ……ない!大盛りご飯の威力を、ボリューム満点の生姜焼き定食の重さを胃袋で知る。僕って割と小食だったんだな。布施さんってずいぶん大食いだったんだな……。もう二度とご飯の増量はするまい。
「ごちそうさまでした。」
「はーい、おそまつさま!」
空になった食器とトレイを学食のお姉さんに差し出し、三時間目の授業が行われる教室へと向かう。
いつもだったら、学食を出てすぐの階段の下あたりから川村さんか大崎さんが僕に声をかけるはずなんだけど……。あたりを見渡しても、丸っこいフォルムとヤンキー色が見当たらない。ひょっとして、まだテーブルマナーの教室にいたりしないよね……。ご飯食べてないとか、ないよね……。なんか心配になってきたぞ。
「あ、カナキュン!さっきちょっとすごかったよ!!」
「あのね、はっちと川村ちゃんが爆発しちゃって、秋元さんまで早口になっちゃって!」
きょろきょろとしていたら、八木沼さんとあっかりんに声をかけられた。足を止め、階段下で情報収取するべく、話を聞く。
「え、そんなにすごかったの?!」
これは結構、大事になっていたりするパターン?!派手にやったみたいだぞ。学生会の方が片付いたので僕的には気が抜けていたけど、こっちは相当ひどいことになっているのかもしれない。
「なんていうか、初めは秋元さんが一人で怒ってたんだけど、桜井さんがめちゃくちゃ反論し始めて、そこからはもう何が何だか……。」
「ヤギーとカナキュンの名前がすごく出てきて、私心配になっちゃって。でも、とても口を出せるような雰囲気じゃなかったの。」
昨日の事を咎めた秋元さんに対して、桜井さんはまた持論を展開してやりこめようとしたに違いない。それが秋元さんの怒りをさらに呼び、言い争いは苛烈を極めたという事か。
「あたしのこと言ってるから、どうしようって思ったんだけど、その、桜井さんには近づきたくなくて。・・・ねえ、カナキュンも、ひどいこと言われたの?大丈夫?」
「ひどいことは言われてないけど、ひどい目に合ったというか。ひどいことを言われて傷ついた人がいるというか。」
かいつまんで、事の次第を説明してみる。由香がひどい目に合ったらしいこと、学生会に無理やり乗り込んできたこと、いろんなところで暴走を起こしていることなどなど……。二人ともドイツ語を取っているから、昨日の騒ぎを知っている。先生のおかしな行動の謎が解けたからか、神妙な顔をしているぞ……。
「あ!!月曜日のお昼?あたし見たよ、ユカユカが、桜井さんともう二人くらいに囲まれてて、めちゃめちゃケンカしてるところ!!あの時、桜井さんがやや劣勢で、苛立ち方がハンパなくて!!」
「そうそう、あれはいつものユカユカじゃなくて、びっくりしちゃって!!でも、カッコよかった!」
カッコ、よかった……?
キーンコーン…。
「ああ、ヤバイ!!チャイムなっちゃった!!!」
「ご、ごめん、僕の話が長すぎたから!!」
「走れば間に合うよ!!行こ!!!」
三限目のデザインの授業は二階の視聴覚室だから、間に合うはず!三人で一緒に、二段飛ばしで階段を駆け上った!!!
「あ!!カナキュンやっと来た!こっちこっち!!」
視聴覚室に滑り込むと、段田先生が出席簿を手にしたところだった。八木沼さんとあっかりんは前の方の空いている席に駆け込み、僕は一番後ろの大崎さんの横の席へ。
「では出欠を取りますね。秋田さん。」
「はい。」
「秋元さん」
「はい。」
「石橋さん」
「は、はい。」
間に合った、よかった……!!!ぼくは出席番号が早いからさ、出欠を取る授業の時は遅刻が実に命取りになるんだよ、はあ……。階段を勢いよく上がっただけなのにけっこう息があがってるな、運動不足だ、これはまずい!いやいや、食べすぎが祟っているに違いないぞ!!
かばんを開けてテキストを取り出し、少し上がってしまった息を整えつつ、教室内を見渡す……。
いつもの、窓際の席には、由香がいる。隣には珍しく森川さんがいて、その後ろには布施さんか。がっちりガードを決めているという事だな。……うん?由香とは反対側の、廊下側の一番前の席に、桜井さんが座っている。隣は、ドイツ語の授業を一緒に受けている子かな?
「……桜井ね、抜けたよ、うちらのグループから。」
僕の視線に気が付いた隣の大崎さんが、小声で論争の結果を教えてくれる。
「……なんかね、一緒にいると頭が悪くなるんだって、ウケる!」
その声に反応して、前の席の川村さんがふり返って、決して笑っていない表情をこちらに向けた。
「……言いたい事言えてめっちゃすっきりした!八木沼っちの時も言えば良かったよ、うちね、ホント痛感した!我慢なんてするもんじゃないねえ!」
めちゃめちゃいい顔で振り向いたのは川村さんの横の秋元さんだ。よほど腹に据えかねたものがあったらしい。全部吐き出してスッキリしたのか、顔が輝いて見えるぞ……。
「なんかすごかったって、さっき八木沼さんから聞いたけど、大丈夫だったの?」
「大丈夫だよ、はっちも川村っちもめっちゃフォローしてくれたし。笠寺ちゃんはパニクってたけど!」
笠寺さんはこの授業取ってないんだよね。今頃短大の方で服飾デザインの授業を受けているはずなんだ。ちょっと心配だけど、まあ、周りの状況を理解してするりと入り込める人だし、たぶん大丈夫だと思われる。次の授業は一緒だから、その時に声をかけよう。
「やっぱさ、気づかいのない奴はダメなんだって、マジで。」
「親しき中にも礼儀ありってね、ホント仲良くやっていこうね~!」
「うちらはいい人のかたまりだから大丈夫でしょ、ね、カナキュン!」
「はは、そうだね!末永くよろしく?」
桜井さんが遠くにいる授業は……いつもと変わらない授業だった。いても、いなくても、気にならないほどの存在だったのだと、改めて気が付く。むしろ、東洋美術史の授業中に感じた息苦しさを感じなくて済むという、安堵感さえ漂う。
自分の意見が正しいと信じて、真正面からぶつける人。
自分の意見が正しいと信じて、自分ではない誰かの気持ちを否定する人。
自分の意見が正しいと信じて、自分ではない誰かの意見を聞かない人。
―――特別に思う気持ちがあるなら、それなりに線引きをしないと…自分に都合よく解釈する人が、出てくるよ?
―――みんなにいい顔してると、痛い目に合う、それが今の状況だね、おつ。
みんな仲良く、穏やかに。波風の立たないよう、争いのない人間関係を作ろうと、僕は、良い顔をし過ぎていた。人と人がコミュニケーションを取る上で一番重要な、向き合うという事を、軽視し過ぎていたのだ。軽薄な、事なかれ主義。良い顔をするために、言葉を受け流し、受け止めずにいた。……だけど、言葉を投げかけた方は。言葉を受け取ってもらえたと思い、言葉を受け取ってくれる人なんだと思い、さらに言葉を投げつけるようになり。暴走してあちらこちらで被害を出し。
今回の出来事は、僕と桜井さんが絶妙にかみ合ってしまって起きたといっても、過言ではない。このまま収束するのか、また再び同じようなことが起きてしまうのか。……願わくば、今後はもう、同じ轍を踏むことの無いようにしたいものだ。
「……19世紀末から20世紀にかけて、しなやかな曲線と曲面を持った装飾が大流行したのです。代表的なものをいくつか紹介します。見たことのあるものがあったら挙手してください。」
……ああ、由香が手を挙げている。何度も、何度も、手を挙げている。そうだな、由香はミュシャが好きだと言っていた。また、由香と話せるようになったら、詳しく解説してもらいたいな。少し得意げに目を輝かせつつ、情熱を優しくヴェールで包みこんでそっと差し出すような、押しつけ感のない、心地の良い解説。毎朝、前日の出来事を語り合う中で、時折聞かせてもらっていた、由香の、解説。
……僕は、あまり西洋の美術方面には明るくないんだ。
スクリーンに映し出されるアール・ヌーヴォーのポスターをぼんやりと見ながら、今日の授業内容はいつか必ず由香に解説してもらう事を、決めた。




