戦う、女
四時間目のパソコンの授業は、本館二階にあるパソコンルームで行われる。
パソコンルームには最新のデスクトップパソコンが50台並び、プリンターやウェブカメラ、録画用機材、音響機器なども揃っている。ここにあるものは申請さえすれば自由に使えるようになっているけれど、僕はあまり知識が無いから今のところ利用したことはない。授業が行われていない時間帯であれば、事前予約でパソコンが使えるようになっている。卒論を書く時には、ここにある機材をフルに使いたいとは思っているんだけれどね。
僕はパソコンはそんなに得意ではなくて、ブラインドタッチができないくらいの、腕前。正直スマホがあれば十分だと思ってはいるんだけど、家に次兄のパソコンがたくさんあってさ、おさがりでノートパソコン貰ったんで、使いこなしてみたくなったというか。何もできないで、次兄にいろいろ調べさせてはぎゃあぎゃあ言っている、長兄の愚かさが目に痛かったというか…。
授業はパソコン関連の資格を取りたい人向けに開講されていて、基本的な知識を学ぶことから始め、文書入力ソフト、表計算ソフト、プレゼンテーションソフト、データベースソフトの資格取得を一年かけて目指すものとなっている。各々がテキストをすすめていき、わからないことがあれば先生に聞くシステムなので、受講生によって取り組む内容が異なっているのが特徴だ。
資格を必ず取らなければいけないというわけではないため、パソコンの基礎知識を学べたらそれで御の字という人も、受講している。…僕はいい機会なので四種類…せめて二種類くらいはとりたいなあと思っているのだけれど。
今、文書作成ソフトのテキスト終盤をやっている僕は、そろそろ資格試験の申し込みをしようと決めて、今週にでも試験の受験登録をしようと考えていた。…いまいち自信がない所もあって、一発合格は難しいかもしれなくてさ。
・・・由香に、教えてもらおうと、いろいろアドバイスをしてもらおうと、思っていたんだ。
由香は、高校生の時に陸上部と並行してコンピュータークラブにも在籍していて、在学中に三つも資格を取った、才女だったり、する。このパソコンの講義を受けずとも、難なくパソコンを操る事ができるスペシャリストなんだ。一度インデントの付け方が全然分かんなくて聞いたら、ものすごく丁寧に教えてくれて…ずいぶん、助かった。
・・・由香との断絶が、地味に痛い。
試験前にみっちり教えてもらおうと思っていたのだけど…無理そうだ…。試験、もう少し先延ばしにしようかな…。
いつもだったら、フランス語の授業を終えた由香は、この教室に顔を出して、ちょこちょこと僕にアドバイスをくれるのだけど。…今日は来てくれそうに、ない。…来て、欲しいな。願いを込めて、教室の入り口を…見つめる。ああ、あのちびっ子いのは…。
「うすw最終授業時間もイケメンすなwパソコン大歓喜の時間がやってキター!…となり座るよ。」
前から三番目の席に座る僕の横に、フランス語の授業を終えた森川さんが座る。この授業は森川さんも取っているんだ。資格はそんなに興味がないけど、画像処理ソフトがパソコンに入っているから活用したいんだそう。ついでに資格も取るって言ってたけど、資格ってついでで取れるようなもんじゃないと、僕は思っていたり。ちなみに布施さんはパソコンはググる事ができればそれでいいという考えらしく、受講はしていない。今頃ラクロス部の練習に参加して汗を流しているはずだ。
「…はい、どうぞ。」
毎回よくわからないフレーズで僕に声をかけて、横の席に着く森川さん。それを聞いて毎回すました返事をするのが、いつもの流れ。…この、おかしな流れは、あの親睦旅行の後からずっと続いていて…。いつも由香が森川さんに絶妙にツッコんで、それを僕が茶化して。…赤い顔の由香に手を振って、さよならをするのが、いつもの。
・・・いつもだったら、森川さんと一緒に、由香も来るはずなのに。
・・・由香の姿は、やっぱり、どう見ても…ない。思わず入り口辺りに目を向けて…確認してしまった僕の視線に気が付いた森川さんが、口元だけで笑って、こちらに顔を向ける。
「残念なお知らせだけどね、ユカユカは帰ったよ。」
「…そう、…大丈夫そう、だった?」
由香は、少しは元気になれただろうか。僕は…きょう一日で、ずいぶんげっそりしてしまったよ…。こんな時こそ、由香のホンワカした空気に包まれたいと、願ってしまうのだけど…それは、しばらく、無理そうで…。
「大丈夫じゃなかったけど、フーさんが蹴散らしたからwww」
「なに、それ…。」
蹴散らした?何かまた問題でも起きたってこと?
「あの暴走娘、フランス語の前に特攻してきて、フーさんに論破されたのさ。」
いつの間に!!学生会室から飛び出して、ドイツ語のノートを奪い返して、そのあと?!どれだけフットワークが軽いんだ、どうしてそんなに攻撃的なんだ…。桜井さんのパワー、恐れ入る…。
「え、由香は、由香はまた傷ついたりしなかったの?!」
「あたしがフランス語の教室入った時にはもうやり合ってて、なかなかすごかったらしいけど、まあフーさんの無双っぷりがすごくってwww」
あの垂れ目の布施さんが無双?!あの蝉が張り付いて悲鳴を上げた布施さんが?!…いやいや、布施さんはラクロスでかなり強引なプレイもする猛者だ、戦い方を知る人は…強い!そういえば車の運転もかなり豪快で強引で…わりと暴走には、強いタイプなのかもしれないぞ…!!!
「ラクロスの鬼怒らせるとマジで天が割れるな、フーさんの垂れ目がさ、オバQみたいに縦長になってちょーこえ―のwいやあ、まじフーさん味方でよかったw思わず拝んだわ…。」
「なに、なんで桜井さんは乗り込んできたんだい?何言ってたの!布施さんはどう論破したのさ!」
もしかしたら桜井さん攻略のヒントがあるかも…!!!僕だって、戦う事を覚えていかなければ…まずい!!
「フーさんは真正面から蹴散らしただけだよwwなんか高校の時の事うるさく言うからさ、ここは高校じゃないって言っただけだねw」
「それだけで論破できたの?!」
明日から布施さんを見る目が180度変わりそうだ。
「やっぱさ、戦う女は勝負に強いというか、己の力の出し方を知っているというか…うん、強い。強かった。マジ尊みしか感じなすwww」
戦う、女。
戦う、か。
僕は、誰かと、戦う事なんか…。
僕は、平和的に、話し合いで、解決できたらいいと。
互いに、思いやりの心を持って、対峙して、解決するのが、一番いいと思って。
互いに、自分の思う事を口にして、妥協点を見つけて、手を取り合えたらいいと思って。
話し、合う…?
一方的に話を聞かされて、げっそりしているのは、誰?
一方的に話を聞かされて、げっそりしているのは、僕。
話し合えない相手。
話を聞いてもらえない相手。
自分の意見を押し付ける人。
他人の意見を押し付けられる人。
受け入れるだけでは、ダメだ。
理解を示すだけでは、ダメだ。
相手を尊重するだけでは、ダメだ。
意見を譲るだけでは、ダメだ。
…いつまでたっても、言いたいことが言えないままでは、いけないと。
…いけないと、気が、付いてしまった。
僕は、変わるのか?
僕は、変われるのか?
僕は…変わりたい。
僕は…変わらなければ、ならないと、思う…。
「フーさんいなかったらヤバかった、あいつマジ恐ろしすな、ボスどころかラスボス、裏ボス、真のボス、究極ボスかもwwwあれだ、アンレマツエーポン、あいつだな、うん。」
「何、それ…。」
僕はゲームはしないから、ボスと言われてもいまいちピンとこないというか。だけど、その恐ろしさはひしひしと伝わっているというか。森川さんのいつも以上におかしなものの例えっぷりに、危機感を覚えてしまう。おそらくこちらの無知に対する配慮ができないくらいにテンパっているのだ、多分。
「明日が山だな、明日フーさん午後からしかいないからさ、どうやって午前中を乗り切るか、そこが要なんだな、うん…。」
明日は水曜、一限目はほとんどの美学学科の学生は空きになっている。二限目のテーブルマナーの授業は、布施さんは受けていないけどばっちり桜井さんも受けているんだよ…。しかも明日はおそらく実践の日、学生たちは教室内を入り乱れることに、なる。いつ、暴走する桜井さんが由香に危害を加えるか…正直気が気じゃ、ない。
「授業中はおそらく大丈夫だと思う。千葉先生は厳しい先生だからね。成績の下がるような行動は、多分しないはずなんだ、桜井さんは。」
「なにそれwww」
先ほどの恐ろしい出来事を、森川さんにかいつまんで説明する。
「ああ、わかった、アレはボスじゃない、バグだわwwwどうあがいてもクリアできないリセット案件だ、敵うわけねえーwww」
相変わらず何を言っているのか、さっぱりわからないんだけど…。共に力を合わせてだね、乗り越えていかねば、ならないわけで…。
キーンコーン…。
「はい、では皆さん、テキストをすすめていって下さい。」
森川さんとのディスカッションが思いのほか白熱していたようだ。いつの間にかパソコン指導の先生が入室していた。少しだけ驚いて、肩をすくめてしまったじゃないか。地味に恥ずかしいぞ…。
僕は、深いため息を一つついて、由香に教えてもらおうと思って付箋を貼っておいた、テキストのページを、開いた。




